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(ここは……どこだ……?)
ふいに意識が浮上する。
しかし、全身を襲うはずの激痛もなければ、失血による寒気もない。
魔力が枯渇したことによって色が抜けていた髪も、どういうわけか本来の輝く金色に戻っている。
(私は確かに死んだはずだが)
エレンディラはゆっくりと起き上がると、怪訝な表情で周囲を見渡す。
そこは、不自然なほど白一色の、何もない空間だった。
「目覚めましたか。最強にして最凶と謳われた禍魔女、エレンディラ」
突如響く声。
振り返ると、先ほどまで何もなかった場所に一人の女が佇んでいた。
「……女神シルヴァーナか?」
「おや。よくわかりましたね」
「宗教など幻想だと思っていたが……事実、存在したのだな」
エレンディラはわずかに目を細める。
自由気ままに諸国を旅していた経験から、世界にはさまざまな宗教が存在することは知っていた。
その中でも最大の信仰を誇るのが、『リュミナス聖教』。すべての神の母である女神シルヴァーナの像や肖像画は、幾度も目にしたことがあった。
だが、彼女にとって神とはただの虚構。
誰よりも強い力を持つゆえに、救済や信仰など理解できない概念。
とある国に滞在していたとき、自分よりも神を崇める神官たちが気に食わず、神殿に彗星を降らせて壊滅させたことならあった。
(あれはリュミナス聖教ではなかったが……。本当に神は存在したとなると、悪いことをしてしまったな)
心の中で苦い顔をする。
これまでの人生を思い返せば、実にろくでもないことばかりしていた。
幼い頃から魔力にものを言わせ、両親の注意には聞く耳を持たず、やりたい放題していた。
自分より弱い教師に学ぶことなど無いと、学校も行かなかった。
強大な力を持つエレンディラを、魔女の国は危険因子として管理しようとした。精霊からつぶさにその情報を得たエレンディラは、その晩箒ひとつを持って家を抜け出した。
「こんな国、私の方から捨ててやる。二度と戻るものか」
そのまま大海原を超え、険しい山脈を超え、気の向くままに世界を渡り歩いた。
訪れた国では当然のようにもてなしを受け、贅沢をした。
気まぐれに恩恵を与え、気に入らなければ滅ぼした。
彼女にとって、国を一つ潰すことも、石ころを黄金の山に変えることも、針に糸を通すより簡単なことだった。
自分に異を唱える者は徹底的に排除した。見せしめのようにむごたらしい殺し方をすれば、やがて誰も逆らわなくなった。
そうやって、支配と欲望に満ちた百年を生きた。
(愚かだったな……)
死んでから気づいても遅いというのに。
エレンディラは深い溜息を洩らした。
「エレンディラ・ナイトレイ。そなたは死にました」
女神の言葉に、エレンディラは力なく「そのようだな」と相槌を打つ。
「生前そなたは悪逆無道な所業を繰り返しました。このまま地獄へと堕ちるべき魂です。しかし――」
女神は言葉を区切ると、穏やかに微笑んだ。
「そなたが最後に一人の子供を助けたところを、わたくしは見ていました。あの禍魔女にも良心があったことに驚きましたよ」
「それについては私も同じ感想だ」
「そこでです。そなたには特別に選択肢を与えましょう。このまま地獄に堕ちるか、それとも転生して罪を償う機会を得るか。好きなほうをお選びなさい」
「……!」
エレンディラの紫瞳が揺れる。
「なぜ、そのような特別扱いを?」
「それこそ気まぐれとだけ言っておきましょう。魔女として最強の力を持つそなたが善き方向に力を使ったならば、世界はどう変わるのか見てみたくなったのです。ただ転生のタイミングや状況はすべてわたくしが決定します。苦情は受け付けません」
「問題ない」
エレンディラはためらわずに即答した。
今だけではない。生きている間も、彼女がためらったことは一度もなかった。
(私はあの子供に触れられたとき、気づいたんだ)
急速に体温を失っていく手を包みこんだ温もりと、澄んだ涙を思い出す。
(有り余る魔力に恵まれ、崇められ、恐れられたが――。誰も自ら望んで私に触れようとしなかった。私のために涙を流したこともなかった)
(純粋な感謝の言葉をかけられたのも、死に際のあの一度きりだった)
だからこそ、彼女は悟った。
――エレンディラの人生は、間違っていたのだと。
「次の人生では、道を誤らない」
まっすぐに女神を見つめ返すエレンディラの瞳には、覚悟の光が宿っていた。
「決して奢らず、弱い者の味方になり、善く生きることを誓う」
その言葉に、女神シルヴァーナは満足気に頷く。
「期待していますよ。――世界を変えてみせなさい、エレンディラ」
女神が腕を伸ばした次の瞬間、エレンディラの意識は再び暗転した。