17
王城のホールに入ると、すでに華やかな熱気に包まれていた。
賑やかに歓談する話し声。乾杯のグラスを合わせる高い音。令嬢たちの纏う甘い香水の香り。
燦然と輝くシャンデリアのもと、使用人が会場を忙しなく歩き回り、酒や軽食を給仕している。
「なんだ、ずいぶん派手派手しいな。この国の夜会はみんなこうなのか?」
「カイレン第一王子の誕生日祝いを兼ねた夜会だから、ひときわ豪華なんだろう」
「そうなのか? シュバルツは博識だな」
「招待状に書いてあっただろ」
「そうだったか。すっかり忘れてしまっていた」
エリーナはあっけらかんとして笑う。
「てっきりカイレン王子はいい大人だと思っていたが、誕生日会をするということはまだ少年だったのか?」
「少年どころか百年以上生きているぞ。誕生祝いは国の行事として五年毎にやっていたと思う」
「百年!? まさかの爺さんだったか。いや、そうすると国王はどうなってしまうんだ?」
さすがのエリーナも目を丸くする。
スカイ伯爵家で長年にわたり虐げられ、ろくに教育を受けられなかったエリーナ。王家の存在は当然知りこそすれ、その構成や年齢までは把握していない。
そんなエリーナに、シュバルツはこのヴァリシエル王国の成り立ちを教えてやる。
「はるか昔の話だ。他種族の暮らしに興味を持って森を出てきた変わり者のハイエルフが、人間の王女と恋に落ちて建国されたのがこのヴァリシエル王国だ。始祖はよほど魔力の高いハイエルフだったんだろう。以来、王家直系の男児は長命で知られる。国王は確か二百歳を超えているし、さっき言った通り第一王子カイレンは百歳超えだ」
「ハイエルフの末裔なのであれば納得だ。ハイエルフはエルフの中でも長命種だが、それゆえ子供ができにくく、すでに絶滅したと聞いている」
「ああ。ハイエルフの血はなかなか厄介で、この国の歴史を辿れば、悪政が長引いたり、世継ぎがなかなか生まれなかったりと、苦しんだ時代も長いみたいだな」
「だろうなあ……」
魔女族もハイエルフほどではないが、ただの人間に比べれば長命種だ。エリーナには、ヴァリシエル王族の苦労の一端がわかる気がした。
自由気ままに生きたエレンディラの百年はあっという間だったが、もし自分が一国の王だったなら、長い寿命は退屈になるかもしれないな、と思う。
それは五年毎に誕生会を開きたくもなるだろう。
長年打ち込める趣味があったり、気の合う伴侶がいれば話は別だろうが。
「ということは、この夜会はカイレンの嫁探しも兼ねてるという感じか?」
「おそらく。カイレン王子の婚約者は、少なくとも公的にはいないということになっているからな」
「素敵な女性と巡り会えるといいが」
これだけたくさんの令嬢が来ているのだ。
数百人はゲストがいるであろうホール。ざっと見渡すだけで半分以上は年頃の令嬢で、この夜会の主役たらんとするばかりの華やかさだ。一人くらい王子の目に叶う女性がいるだろう、とエリーナは安心する。
「これだけ人数がいるのであれば、人の目を気にする必要はないな。我々はさっそくアイシャの情報収集に移ろう」
一瞬シュバルツは残念そうな顔 をしたが、すぐに表情を引き締めて頷いた。
「わかった。国王や王子が出てきた後だと抜け出しづらくなるからな」
「私を呼ぶ必要が出たらこの水晶を握りしめてくれ」
エリーナは連絡用の小さな水晶を手渡す。
ふたりはこっそりとホールを抜け出して、左右に別れて廊下を進み始めた。
◇
右の廊下を進むエリーナは、正面から見覚えのある令嬢が歩いてくることに気がついた。
じっと見ていると、向こうも自分に気がついたらしい。
「――えっ? ちょっと嘘でしょ。お姉様じゃないの!」
けばけばしい化粧に、それに勝るとも劣らないフリルたっぷりの豪華なドレス。
生家と縁を切ってから初めて会う、妹のドロシーだった。
「久しぶりだな、ドロシー。元気にやっているか?」
気安く声をかけると、ドロシーは眉と唇を歪めた。
「まだその喋り方を続けているの? 気色悪いったら」
「これは癖のようなものでな。不快に思わせているなら、すまない」
「フン。ってか、どうして招待もされていないお姉様がここにいるわけ? 男を漁りにでも来た?」
貴族ではないエリーナがここにいるのは本来確かにおかしなことだ。ドロシーは扇子で口元を隠しながら、ハイヒールのかかとを鳴らして値踏みするように姉の周りを歩く。
「へーえ。ずいぶん無理してめかし込んできたみたいね。貴族の真似事をしているの? それだけシュバルツが稼いでいるということかしら?」
「……シュバルツを侮辱するような発言は控えてくれ」
エリーナは瞳に強い力を宿し、ドロシーを見据えた。
「うわっ、あたしに向かってそんな目をするんだ。お姉様ってば、本当に変わっちゃったのね」
「……悪いが急いでいる。また会うことがあれば話そう」
相変わらず性根の歪んだ妹だ。これ以上話していても時間の無駄なので、エリーナはその場を離れようとする。
だが、強い力で腕を掴まれた。
「……まだ用件が?」
「勝手に話を終わらせないでよ。お母様は許しても、あたしはシュバルツを連れて行くことを許してないんだから」
ドロシーは唇の端をつり上げる。エリーナを怒らせることに成功して愉快だと言わんばかりの勝ち誇った表情だ。
「あれからいろいろな市場を見て回っているのだけど、やっぱりシュバルツ以上に美しい狼獣人はいないの。お友達にもまたシュバルツに会いたいって言われちゃったし。だから返してくれない?」
「シュバルツはものじゃない。これは貸し借りじゃないんだ」
「は? 勝手に人のものを持っていったのはアンタでしょっ」
以前ならすぐに折れてなんでも差し出してくれた姉。
それなのに今は折れないどころか言い返してくるものだから、ドロシーは青筋を立てて苛立ちを募らせる。
「あー、わかったわ。シュバルツがいないとお金が稼げないから困るんでしょ。お姉様が今どこで何をしてるかなんて興味ないけど、お金を稼ぐ能力なんてこれぽっちもない愚図だものね」
「私は今、微力ながら世の中に償いをしているところだ。金はなくとも毎日働かせてもらっている」
「はあー? 全っ然意味わからないんですけど。シュバルツとイチャつきながら家を出ていったじゃない。つまりそういうことなんでしょ?」
ドロシーは唇の端を歪め、侮蔑的に言い放つ。そんな妹から、エリーナはとうとう目を逸らした。
「……もう一度だけ言う。私のことは好きなように言って構わないが、シュバルツの尊厳を損なう発言はやめてくれ」
「図星なのね。元奴隷の獣人に養われるってどういう気持ちなのか、あたしには分からないわ! 恥ずかしくて分かりたくもないけれど! あはははは!」
高笑いを浴びせられながら、俯いたエリーナは激しい怒りに身体を震わせていた。
(――だめだ。殺してはいけない。どんなにゴミクズみたいな奴でも殺しはだめだ。私は今生こそまっとうになると決めたんだ!)
握り込んだこぶしの中では爪が肉に食い込み、鮮血が流れ出ていた。
必死に我慢をしていたが、口からはつい本音がこぼれ落ちてしまう。
「……ろくでなしが」
「――はっ?」
勝ち誇ったようなドロシーの顔から表情が抜け落ちる。
「何て言った? ねえ、今、何て言った!?」
「ろくでなしと言った」
「はぁぁぁあっ!?!? なにそれウザいんですけどぉぉっっ!?!?」
ドロシーの顔が怒りに染まる。
エリーナも必死で自分を抑えながら妹に忠告する。
「ドロシー、今のうちに考え方を改めないとろくな大人になれないぞ」
「うるさいうるさいうるさい!!」
ヒステリックに怒鳴りながら、ドロシーは手に持っていたハンドバッグを振り上げた。




