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湯浴みをして身体を清め、全身に香油を馴染ませる。上質なローズとジャスミンの香りが部屋に漂い、ほっと心を落ち着かせる。
深紅のシルクに金糸の刺繍を施したドレスに身をつつみ、丁寧に化粧を施して髪を結い上げたエリーナは、鏡台の前でしみじみと自分の顔を見つめていた。
(エリーナは欲のない人間だったが、内心はこういうドレスに憧れていたからな。着せてあげることができてよかった)
この姿を見て嬉しいという気持ちが湧いて出てくるのは、自分がエリーナの生涯を見守った保護者のような立ち位置だからだろうか。
とにかくエレンディラは知っていた。妹の新しいドレスを見るたびに、かつてのエリーナは、少なからず「素敵だわ」という感情を抱いていたことを。年ごろの令嬢なりに美しいものやお洒落なものに憧れる気持ちを持っていたことを。
今、目の前の鏡に映る女性は、どこからどう見ても洗練された貴族令嬢だ。
髪は艷やかで白い肌は真珠のよう。目元は涼やかで品が漂っている。
(綺麗だ、エリーナ)
エレンディラだったころ、身の回りのほとんどすべてを召使いにやらせていた彼女だが、唯一の趣味とも言える髪結いや化粧だけはみずから手を動かしていた。時には気まぐれに召使いの子供を可愛くしてやることもあった。――ただし、普段の振る舞いが災いして子供の顔は恐怖で引きつっていたが。
感慨深い気持ちになりながら鏡台を離れると、エリーナはドア越しにシュバルツに声を掛ける。
「シュバルツ、着替えは終わったか? そちらの部屋に入るぞ」
「ああ」
居間に入ったエリーナは、ドレスの裾をつまんで軽やかに一回転してみせる。
「見てくれシュバルツ! 素敵だろう? どこからどう見ても立派な令嬢だ!」
「……」
顔を赤くして、どこか泣きそうな顔になっているシュバルツに、エリーナは小首を傾げる。
「……いまいちか? 変なところがあったら直すから、教えてくれ」
「いや、よく似合っている。気の利いた言葉が出てこないが……本当に似合っている」
その言葉に、エリーナはほっとしたように微笑む。
「ありがとう。あなたも宝石のように美しいぞ」
エリーナが夕焼けの深紅であるなら、シュバルツは宵の藍。ジャケットには髪色と同じ銀糸で刺繍が施されている。
これも石ころから作り出したものだが、一級品の仕立てと比べても見劣りしない。
準備を終えたふたりは上着を羽織って外に出る。季節は変わり目を迎えているが、風が吹くと少し肌寒い。
「馬車と御者の手配は不要だと言っていたが、どうするつもりだ?」
「一晩しか使わないんだ。これで十分だろう」
エリーナは道に落ちている木の実と小枝を拾い上げると、魔法で馬車と御者をつくり出す。
「城へ乗り込むぞ」
シュバルツの差し出したエスコートの手を取って、エリーナは馬車のステップに足をかけた。
◇
城に向かう馬車の中で、シュバルツは一昨日から新たに集めた情報を共有する。
「ドルフの孫娘アイシャは、その日五番街の野菜屋で働いていたらしい。王城へ野菜を納品に行ったきり行方がわからなくなっている。病院や監察院に情報は登録されていないし、スラムでも聞き込みをしたが目撃情報はなかった」
「つまり体調を崩したとか怪我をしたとか、市井で事件に巻き込まれた可能性は低いということだな? 納品先の王城から、何らかの事情で帰れなくなっているに違いない、と」
「ああ」
シュバルツは頷く。
「王城に入るには許可証が必要だから、夜会はちょうどいいタイミングだった」
「不可視の魔法を使うこともできるが、あれはいろいろ面倒だからな。正規の方法で入るのに越したことはない」
うんうんとエリーナは頷く。
「アイシャが夜会の会場にいる可能性は低いだろう。我々は挨拶すべき相手もいないし、適当なところで抜け出して、二手に分かれて城内で情報収集しよう」
「もう四日も帰っていない。安否が心配だ」
「今はまず、捜し出すことだけを考えよう。私たちは必ずアイシャを見つける。そうだろう?」
馬車の床に目を落とすシュバルツの手に、エリーナは自らの手を重ねる。
「……!」
「あなたのいろいろな表情が見られるのは嬉しいが、暗い顔は心が痛む」
「……悪い」
「大丈夫だ。私がいる限り悪いことなんて起こさせない。それよりシュバルツ、あなたはダンスができるのか? さすがに一曲ぐらい踊っておかないと不自然だぞ」
からかうように訊ねると、シュバルツは居心地が悪そうに横を向く。
「おまえに恥をかかせないくらいには踊れる。……多分」
「ふふ。可愛いな」
思わずシュバルツの頭を撫でるエリーナ。
彼は恥ずかしそうに顔を赤くし、「やめろ」と呟くものの、拒絶はしない。結局、王城に到着するまでされるがままになっていたのだった。




