15
紅茶を淹れてきたシュバルツが、老人の前にカップを置く。
柔らかな茶葉の香りが部屋を包みこみ、わずかに張り詰めていた室内の空気を和らげる。
「親切な獣人さんじゃな。名前は何というのだね?」
「シュバルツ・シルトです」
「シュバルツ君。どうもありがとう」
「いえ……」
シュバルツはすぐに奥へと引っ込んでいったが、尻尾はゆらゆらと左右に揺れていた。
「――してドルフ殿。私がこのよろず屋の店主、エリーナだ。行方不明になった孫を探してほしいという依頼だな? 詳しく話を聞かせてもらえるだろうか」
「エリーナさんか。お願いだ、儂の孫アイシャを見つけてほしい」
ドルフは絞り出すように語り始めた。
行方が分からなくなっているのは十八歳の孫娘アイシャ。幼い頃事故で両親を一度に亡くしたアイシャは鍛冶屋を営んでいた祖父のドルフに引き取られ、それからは二人で暮らしている。
アイシャはいつも二十の鐘には仕事から帰ってくる。休日の前日に限っては夜遅くや明け方近くに帰ることもあるが、今回は何の連絡もなく二日も帰らないという。
「あの子はしっかりしているから、二日も帰らないのに連絡がないなんてあり得ないんじゃ。いつも儂を気遣ってくれる自慢の孫娘での……」
ドルフは膝の上の拳を震わせる。肉の厚い拳にはいくつものタコができていて、鍛冶屋としての人生が深く刻まれている。
「仕事の都合で帰れないだけなら良いのじゃが……。トラブルに巻き込まれていたらと思うと気が気ではない」
そっとエリーナが訊ねる。
「衛兵には相談したのか?」
「ここに来る前に詰め所に行ってきたが、取り合ってもらえなんだ。『年頃の若者なんだからそういうこともあるだろう、水を差すのは野暮だよ爺さん』とな」
「衛兵は正直あまり頼りにならないからな。アイシャの仕事先には行ってみたのか?」
シュバルツが訊ねると、ドルフはひげを揉んだ。
「それが、あの子はいくつも仕事を掛け持ちしていての。儂にいい暮らしをさせたいと気を遣う子で……。知る限りの勤め先には当たったんじゃが、儂が把握していない仕事先もあるかもしれない」
「なるほど……」
「立ち尽くす儂の様子を見かねたんだろう。親切な通行人の方が、何でも助けてくれるよろず屋があると、ここを教えてくれたんじゃよ」
ドルフは頭を下げる。
「――この通りじゃ! あの子は儂の唯一の肉親。万が一にも儂より早く死ぬようなことがあってはならん!」
「顔を上げてくれ」
声をかけたのは、壁際でじっと耳を傾けていたシュバルツだった。
まっすぐにドルフの目を見て、芯のある声で語りかける。
「俺たちはどんな依頼でも断らないし、解決できるまで絶対に諦めない。必ず孫をあんたの前に連れて帰ると約束する。――そうだよな、エリーナ?」
「もちろんだ」
エリーナは、ドルフのごつごつとした皺だらけの手に、自分の手をそっと添える。
「不安な二日間だったな。あなたの依頼はしかと承った。今夜は安心して眠ってくれ」
「――! おお……ありがとう……ありがとう……」
身体を震わせながら、ドルフはエリーナの手をしっかりと握り返した。
「さっそく調査を始めよう。アイシャの情報や見た目の特徴を教えてくれ」
――もろもろの情報を聞き終えると、ドルフには「なにかわかったらすぐに連絡する」と伝え、家に帰ってもらった。
「シュバルツ、しばらく店を任せてもいいか? アイシャが見つかるまでは、依頼を分担してもらえると助かる」
シュバルツは顎に手を当て、少し考えたあと口を開く。
「この案件を俺が担当してもいいか? 今のところ魔法が必要な段階ではないから、問題ないはずだ」
「私が店のほうを受け持つということか? まあ、魔法が必要でないならそれもありか。構わないが、珍しいな。なにか思うところでもあったのか?」
「大したことじゃないが……昔のことを思い出した。俺は祖母に育てられたから、あの爺さんの気持ちも孫の気持ちもわかるんだ」
「そうだったのか」
本人が語らない以上、深くは訊ねないエリーナだが、シュバルツの気持ちを尊重したいと思った。
強い意志を宿した紫瞳を見つめると、大きく頷いた。
「ならばシュバルツ、あなたに任せよう。魔法が必要になったら駆けつけるから教えてくれ」
「ああ。じゃあ行ってくる」
シュバルツは上着を手に取ると、夜の闇に溶けていった。
◇
翌日。
よろず屋を訪れる客の依頼をこなしながらシュバルツの帰りを待っていたエリーナだが、彼は丸一日たっても帰ってこなかった。
「シュバルツめ、気合が入っているな。獣人だから体力はあるだろうが、無茶してないだろうか」
いつも自分の体調を気にしてくるシュバルツだが、こんな気持ちだったのかとエリーナは思いを馳せる。
昨日までは意識していなかったが、彼のいない家は、妙に静かで、肌寒く感じられた。
ドルフが来店した晩から一日半が経った朝、ようやくシュバルツは帰ってきたのだが――。
「エリーナ! 屑籠の中身はまだ捨ててないか!?」
「おっと、どうしたんだ?」
慌ただしく店に飛び込んできたシュバルツの勢いに、エリーナは目を丸くする。
「屑籠だって? いったいどういうわけだ?」
「どうもアイシャは王城に納品に行ったきり帰ってきていないことがわかったんだ! 王城内にいる可能性がある。確か、このあいだの男が言っていた夜会は今夜だったな。招待状はまだあるか?」
「なるほど。件の夜会にかこつけて城内を捜索するというわけか」
事情を理解したエリーナは、すぐに屑籠を覗き込む。幸いゴミはほとんど溜まっておらず、先日貰った招待状もまだ入っていた。
拾い上げた招待状を見て、シュバルツはほっとして息をつく。
「よかった。これ、借りるぞ」
「待て、ひとりで行くつもりか? 私も行くぞ。そのほうが自然だし早く見つけられるだろう」
「……いいのか?」
「というか、なぜいつの間にかあなたが一人で担当することになっているんだ? 自分を追い込みすぎだぞシュバルツ」
エリーナは立ったままのシュバルツを椅子に座らせると、目線を合わせるようにかがんだ。
「あなたがこの案件に思い入れがあるのはなんとなく感じている。別に理由を言う必要はないが――」
エリーナはそっとシュバルツを抱きしめると、耳元で優しくささやいた。
「私たちは家族だろう。寂しいことを言うな」
「……っ!」
シュバルツの身体がびくりと震え、一瞬にして顔が真っ赤になる。
反射的に耳を押さえ、素早くのけぞった。
そのまま立ち上がってエリーナから距離を取るが、その顔は首まで真っ赤だ。
「……おや、どうした?」
「おまえは誰にでもこういうことをするのか?」
「こういうこととは? 私は勘当されているから、家族はあなたしかいないが」
小首を傾げるエリーナだが、少し考えると理由に思い当たる。
「――ああ! そういえば獣人は耳が敏感だったか。ははっ、すまないすまない。くすぐったかったな」
あっけらかんとして笑うエリーナ。
その何も深く考えていない様子を見て、シュバルツは脱力する。
「……もういい。じゃあ、今夜は夜会に行くからな」
「ああ。石ころからで悪いが、シュバルツのために素敵な服を仕立てておく」
「……ありがとう」
シュバルツはまだそわそわしている耳を触りながら、自分が不在の間ろくに食事を食べていないであろうエリーナのために、台所へ向かうのだった。




