14
ヴァリシエル王国王都グランリーフ。
九番街のとある薄汚れた家屋の三階では、一人の令嬢が男たちと対峙していた。
服を着崩したいかにもガラの悪い男や、かっちりと着込んではいるが足を組んで葉巻をふかし試すような視線を向ける男、心の読めない笑みを浮かべる男らが並ぶ。
事務所のような部屋には、緊張感をはらんだ空気が流れていた。
「だから、もう一度だけ言うが……」
赤茶色の髪をもつ年若い令嬢が口を開く。
怯えた表情のおばあさんを守るように立ちながら、それでいて堂々とした佇まいで、やれやれと小さく頭を振る。
「あなたたちのやり方は違法なんだよ。このおばあさん――ミレッタは確かにあなたたちの商会がやっている訪問販売で栄養ドリンクを定期購入した。一本だけ買うよりそのほうが安くなると勧められたからだ。だが、効果が感じられなかったので解約を申し出た。ところがあなたたちは、解約は受け付けられない、どうしてもというなら高額の違約金を払えと脅したそうだな?」
エリーナは小瓶を取り出し、掲げて見せる。
瓶には『ドラゴンの骨粉入り栄養剤』と書かれ、”もういちどイキイキ生活を!” ”膝の痛みが消える!” ”一口で効果を実感!” といった煽り文句が踊り、パワーみなぎるお爺さんの絵が描かれている。
「おいおいお嬢さん、そんなの当たり前だろ? 買ったもんのカネを払うのは子供でもわかる理屈だ」
「買うことを決めたのはそこのお客さんだ。俺達は無理強いなんてしてない。親切に説明してやっただけで、責められる筋合いはないね」
「訪問販売の場合、購入後十日間はいかなる理由であっても解約ができる。その際にいかなる費用も発生しない。……そうだな、シュバルツ?」
令嬢のすぐそばに控える銀髪の狼獣人、シュバルツは頷く。
「ヴァリシエル王国王令第三十七条だ。罰則は罰金金貨一枚、もしくは鞭打ち十回と定められている」
「法律がどうとかの話じゃないのよ。俺らはずっとこれでやってきてるんでね。部外者は口出ししないでくれる?」
「お客さんもさあ、一回買ったものを返したいとか、図々しいこと言ってるって自覚を持ったほうがいいよ」
「ってわけだから、お嬢ちゃんも、もうちょっと社会ってものを勉強してからおいでな」
足を雑に投げ出して椅子に腰掛ける男たち。ニヤニヤとしてエリーナを舐めきった表情を浮かべている。
普通の商会の従業員とは思えない、ふてぶてしい態度だ。
しかしエリーナは引き下がらない。
「解約の件に加えて、もう一つ問題がある。この商品、ドラゴンの骨粉なんて入っていないぞ。そもそも詐欺ではないかと思うのだが」
「ハッ! とんだ言いがかりだ。見ての通りたっぷり入ってるだろ」
鼻で笑う男たちだが、エリーナの次の言葉に耳を疑った。
「この栄養ドリンクは白く濁っているが……まずそもそも、ドラゴンの骨は白色ではない」
小瓶の中身を光にかざしながら、エリーナは続ける。
「命の光が尽きたドラゴンは、肉が朽ちると共に骨が血液を凝縮して結晶化し、竜結晶となる。この結晶は赤い色をしているから、つまりドラゴンの骨は赤色だ」
ぽかんとする男たちに、シュバルツが訊ねる。
「おおかた骨は白色だと決めつけて石膏でも混ぜ込んだんだろ。シロップかなんかで味をつければ、それらしくなるからな」
「――ッ。証拠はあるんだろうな? 適当なこと言うと営業妨害で訴えるぞ!」
男の一人が声を上ずらせるが、目が泳いでいる。その様子を見て、どうやら図星のようだとエリーナとシュバルツは確信する。
「一応薬草で作った検査薬を持ってきてはいるが、それにもインチキだとか言ってケチを付けそうだな。であれば、監察院に持ち込んで調べてもらおう。これなら公正だろう?」
監察院という言葉が出た途端、男たちは押し黙る。
それもそうだ。監察院は悪人の取り締まりや犯罪捜査を行う機関。彼らが後ろめたいことをしているのであれば、わざわざ捕まりに行くようなものだからだ。
「どうした? 俺たちを営業妨害で訴えるんだろ?」
「ああもううるせぇなあ! 解約だろ!?」
リーダー風の男が苛立った様子で大声を上げた。
「こっちは最初から違約金を払えばしてやるって言っている。時間の無駄だ。これ以上てめえらと話すことはねえ。御託を並べてないで違約金を出すか帰るか決めろ!」
「違約金の金貨一枚なんて、すみませんが、とても払えません。どうにか、解約させてもらえないでしょうか」
ミレッタが震え声で懇願するが、男たちはもう話す気はないようで、無言で出口を指し示した。
「……困ったな。話し合いで解決しようと思って来たんだが、結局応じる気はないということか?」
「ちなみに嬢ちゃん。今日から夜道に気をつけろとだけ忠告しておくぜ。……ガキが舐めた真似しやがって」
リーダー風の男はそれだけ言うと、新しい葉巻に火をつけ、話は終わったとばかりに窓の方へ身体を向けた。
「おまえらボスを怒らせたな。ククッ、後悔したってもう遅いぞ」
「さあ、帰った帰った」
言葉を尽くしても無駄と判断したエリーナの瞳が、冷ややかに細められる。
(平和的に解決できないのなら仕方ない。チャンスは与えたんだ)
連中がまともな商売をしていないことは、シュバルツの事前調査によって明らかになっている。インチキ栄養ドリンクの他にも、万病が治るとかいう健康水や、不幸を追い払うとかいう数珠など、根拠のない商品を強引に売りつけられたという相談が相次いでいる商会だった。
「風の螺旋」
エリーナが呪文を詠唱すると、空気が震えた。室内に螺旋状の風が吹きすさぶ。
「うわーっ!?」
「んだこれっ!?」
「痛ってえ! 目が開けられねえ!」
男たちは風に呑まれ、壁から壁へ、天井から床へと転がりまわる。大きな身体が塵のようにもみくちゃになった。
興が乗ってきたエリーナは、さらに追加で魔法を発動する。
「百葬花縛」
次の瞬間、天井からズルリと巨大な植物が姿を現した。漆黒のツルや葉をたたえ、毒々しい花を咲かせている。
意志のある生物のようにツルを伸ばして空間を飛び交う男たちを器用に捕まえると、がっちりと身体に巻き付いて拘束した。
「うわっ、なんだこれ!?」
「おいっ、助け――! ぐえっ、しっ、締まる!」
「粘液が出てきたぞ!? ヒッ、服が溶け始めてる……!!」
男たちの悲鳴を聞いて、妖艶に笑っていたエリーナは我に返る。
「すっ、すまん! うっかり蹂躙してしまった」
蘇ってしばらく経つが、加減はまだ難しい。
魔法を収束させると、男たちはツルから落下して床に叩きつけられる。
「「――ぐえっ!!」」
苦悶の表情を浮かべ、たんこぶや打ち身だらけの身体を丸める男たち。
そんな彼らの前に仁王立ちすると、エリーナは涼やかに告げる。
「誰でも失敗はする。そこからいかに学び、自分のしでかしたことと向き合えるかが大事だと思う」
男たちは痛みに身体を震わせながら口をぱくぱくさせる。何か言い返したい気持ちと、今味わったばかりの恐怖が入り混じっているようだった。
「あなたたちの身柄とインチキ商品の数々、顧客との契約書類は衛兵に引き渡させてもらう。処分については監察院からの沙汰を待つんだな」
じゃあな、と言って帰ろうとするエリーナに、リーダー風の男が震え声で叫ぶ。
「おまえはっ……一体なんなんだっ!?」
「私か?」
足を止めたエリーナはスカートの裾をつまみ、優雅にカーテシーをしてみせる。顔を上げると澄み切った青空を思わせる瞳をきらめかせ、男たちに向かって微笑んだ。
「王都のよろず屋、エリーナ・スカイだ。あなたたちも困ったことがあったら助けるから、罪を償ったあとは遠慮なく来店してくれ」
ミレッタ婆を労りながら、シュバルツが後に続いてドアを出ていく。
滅茶苦茶になった事務所で誰もが茫然とする中、リーダーの男だけは必死に頭を回らせていた。
(なんなんだ、この二人組は!? 魔法使いに獣人の組み合わせなんて聞いたことないぞ!)
ヴァリシエルの魔法使いは至高にして孤高だ。師弟でもない限り行動をともにすることはない。
仮に師弟だったとしても平民街のボロ屋には現れない。栄養ドリンクの購入解約なんていう依頼を請け負うはずがない。
そんな安い職業ではないのだ。
(他所の国から流れてきたはぐれ魔法使いか? ――クソッ、選択を間違えた。こんなに凄腕ならば、カイレン殿下にお繋ぎすれば解約金を帳消しにしても余りある褒美がいただけたのにッ!)
悔しさに奥歯がギリッと嫌な音を立てる。
だが、何もかもが遅いのだ。
悪徳商会の男たちは、三人と入れ替わりで駆け込んできた衛兵に身柄を確保された。
◇
ふたりは感謝して幾度も頭を下げるミレッタを家まで送ると、その足で六番街に向かった。
午後からは書店の手伝いの依頼が入っている。店主に急用が入り、七歳の子供が店番をすることになったのだが、接客はともかく金銭の扱いには不安があるということで、よろず屋にサポートの依頼が舞い込んだのだ。
書店の前まで来ると、シュバルツが口を開く。
「接客と会計なら俺にもできるから、おまえは店のほうにいたらどうだ? さっきので疲れただろ」
「役割分担もときに必要だということは認めよう。しかし私は魔法を使わないことであっても、来た依頼は自分で請け負うと決めている」
「……わかった。じゃあ俺はよろず屋に戻る」
「頼む。次の依頼は十八の鐘以降か明日で予定を組んでくれ」
シュバルツは頷くが、なにか言いたそうな顔をしてなかなか去らない。
「どうした? 気になることでもあるのか?」
「……仕事は問題ないと思うが、帰り道で迷子にならないか心配だ」
「なんだそんなことか。まあ、迷ったらその時はその時だ。どうってことない。じゃあもう行くから、また後で」
エリーナは笑い飛ばすと、書店の扉を引いた。
中に入ると、ふわりと紙の香りが漂ってきた。歴史ある書店特有の、どこか懐かしいような落ち着く香りだ。
(書店というのは百年前にも存在したが、無縁な存在だった。それなのにこんな気持ちになるなんて、不思議な場所だな)
店主の子供に挨拶をして勤務を開始したエリーナは、はたきを片手に興味津々で棚を見て回る。
「ほう、この棚は子ども向けの童話か? いや違うな。ロマンスもののようだ。今どきの子供はこんなもの読んでるのか。ずいぶんませてるな」
濃厚なキスシーンとか普通にあるけれど、いいんだろうか。
エレンディラだった頃に訪ね歩いた国々の中には、男女が人前で手をつなぐことすら許されない国があった。いや、女性は布で全身を覆い、目元しか露出してはいけないという国もあった。
そう考えると、ここヴァリシエル王国は開放的なお国柄かもしれない。
「ここからは大人向けのようだ。小説、技術書、歴史書……」
歴史書のコーナーで、エリーナは視線を止める。
「『歴史の著名人たち』か。……まさかな」
百年前に生きていた自分は、よくも悪くも有名だった。
魔法の腕前だけ見れば世界一の魔女であったが、行いは極悪人そのものだった。
この手の本にはだいたい『偉人』と『悪人』のページがある。自分の名前が載っているとすれば、間違いなく後者だろう。
「……戒めは受け入れないとな」
エリーナは意を決して棚から本を引き抜いた。
目次を見ると、はたして『魔女族』というカテゴリの小項目に、エレンディラ・ナイトレイを発見した。
悪い予感は当たってしまったようだ、とエリーナは口元を引きつらせる。
しかしページに書かれている解説文に目を留めると、「おや」と片眉を上げた。
【エレンディラ・ナイトレイは四海八埏を渡り歩いた伝説的な魔女。悪夢の魔女、稀代の禍魔女とする文献もあるが、それは誤りで、善良で気高い魔女である】
――思わず文章を二度見した。
(おいおいおい、私が善人だなんてどうかしてるぞ!)
そんなふうに誤解する者がいるとすれば、唯一死ぬ前に助けた男児くらいだ。
その男児だってとっくに死んでいるはずだし、あの子は誰かに疎まれて魔獣の餌になりかかっていたくらいだ。歴史書の一文を変えるほどの人物になるはずもない。
「まったく。世の中にはインチキなもの溢れかえっているな」
エリーナは顔をしかめる。
万が一にもこの本を信じる人が現れたらまずいので、無事に勤務を終えると、エリーナは自ら本を購入し家に持ち帰った。
◇
家のドアを開けると、香ばしい匂いが出迎えた。
「おっ、夕食ができているのか?」
うきうきしながら階段をのぼる。テーブルの上には所狭しと料理の皿が並び湯気を立ち上らせていた。鍋の前に立つシュバルツが振り返る。
「おかえり。遅かったな」
「ただいま。まあ、なんだ、その。少々王都を散歩して戻ってきた。それより今日はご馳走だな」
「おまえは働きすぎだから、ちゃんと食わないとだめだ」
シュバルツの手料理は、どれもエリーナの食欲をそそる。
焼きたての手作りパンの外はカリッとして、中はふわりと柔らかい。スープはじっくり煮込まれた野菜と肉の旨味が溶け合い、深いコクがある。メインのローストチキンは皮がパリッと香ばしく焼き上がり、ナイフを入れるとジュワリと肉汁が滴った。
「うぅ~ん。たまらん!」
エリーナはパンをちぎり、スープに浸して口へ運ぶ。ほんのりとした甘みと具材から溶け出した旨味が舌に広がる。チキンを頬張れば、ジューシーな肉の旨味とハーブの香りが鼻腔を抜けていく。
「あなたの作る食事は、本当に美味いな」
「星屑とか雲の切れ端なんかよりも、こういうのを食え。おまえにだけはいくらでも作ってやる」
「ははっ、太ってしまうよ。でも悪くないな。幸せな太り方だ」
エリーナは笑いながら、グラスから赤ワインを一口含んだ。
和やかに食事をしながら、買ってきた『歴史の著名人』がいかにインチキ本かという話をしていると、階下のよろず屋の扉をノックする音が響いた。
ふたりは顔を見合わせる。
「緊急のお客か? 店を開けよう」
店舗に降りてドアを開くと、白髪と髭をたたえた小柄な男性 が、すまなさそうな顔をして立っていた。
「申し訳ない。もう閉店してるってわかってたんじゃが、どうしても頼みがあっての……」
「なに、構わん。閉店時間などあってないようなものだ。それで、急ぎの依頼なんだな?」
老人は深く頷いた。
「行方不明になった孫娘を、探してくれんじゃろうか」
第二章もよろしくお願いします。




