10ー②
「美容サロンを装って、あなたは人体実験をしていたな?」
リリスは微笑みを浮かべたまま沈黙し、メグは息を呑んで口元を手で覆う。
「今さっき施術をしていた客と、私の侍女に使った薬草はすべてお見通しだ。とてもエステに使うような配合じゃない」
エリーナが目配せをすると、メグはごくりと唾を呑んで顔を覆っていたベールを外し、リリスを睨みつけた。
「わっ、私の顔、覚えてないとは言わせないわ! 施術を受けたあと、肌がひどいことになったと伝えたのに、あなたは症状も見ずに追い返しましたよね!?」
「……あら、人聞きの悪いことを言わないで。どうしてもと言うから施術をして差し上げたのに、悲しい気持ちになるわ」
「そうやって誤魔化して! 他にも同じ被害を受けているお客さんがいるってこと、知ってるんだから!」
「何日もあとに言われてもねぇ。それはうちの責任ではないもの。貴族のお客様からは一度もご不満の声をいただいてないのに困ったわね……」
暗に「卑しい平民がクレームをつけるな」と馬鹿にされたメグは「なっ!?」と顔を真っ赤にするが、リリスは表情を涼しい笑みを浮かべて動じない。
「大丈夫だメグ、私に任せておけ」
エリーナは軽く指先を動かして魔法を発動し、調合室からいくつかの薬瓶を浮遊させる。
「薬瓶が……なぜ!?」
リリスは目を見張り、驚愕の声を漏らす。
(物を浮かせるのは高度な風魔法よ。一級魔法使いかカイレン様にしかできない御業を、どうしてこの女が……!?)
エリーナは楽しそうに薬瓶を眺めながら、彼女に問いかける。
「シャドウモスにダークリリー、フレイムエルダーときたら……腐滅の香油か、偽貌の霊薬でも作ろうとしてたのか?」
「――――ッ!?」
ずばり言い当てられて、リリスの表情にほころびが生じる。
「オーダーメイド調合とか謳っておいて、実際客はモルモットになっていたわけだな。失敗した薬は当然、人体に有害な反応が出るだろう」
「……どこで知ったの? これは百年前に滅びたはずの処方のはず……」
思わずリリスが呟く。
エリーナは宙に浮く薬瓶を指先で操作し、自分の魔力と練り合わせながら、空中でどんどん調合していく。
薬液は鮮やかに色を変え、光を放ち、独特の芳香を漂わせる。
まるで薬が生命を宿してくような神秘的な光景を、その場にいる者たちは唖然として見上げた。
「惜しかったな。あなたが作ろうとしていた薬にはあと三種類、特定の薬草が足りなかった」
出来上がった薬を一滴、エリーナが妖艶に飲み下すと――。
「――偽貌の霊薬、できあがり」
リリスを振り返ったその姿は、エレンディラ・ナイトレイだった。
月のように輝く黄金の髪に、夜の闇を溶いたような紫色の瞳。
最強にして最凶と歌われた、稀代の禍魔女。
挑戦的な表情をたたえるエレンディラに、リリスは我を忘れて叫ぶ。
「なぜ!? なぜなの!? あなたは一体何者なの!?」
エレンディラはゆっくりと彼女に歩み寄ると、その白い顎に指をかける。
「リリス。どうしてこんなことしたのか、教えてくれないか? おまえは、ただ薬を作りたかっただけではないのではないか?」
いつの間にかリリスの顔と背中には大量の冷や汗が流れていた。
エレンディラの全身から漏れる強大な魔力と覇気にあてられて、一言も言葉を発することができない。
びりびりと震える空気に、シュバルツとメグが息を呑む。
「おまえは先ほど、三級魔法使いだと言ったな。百年前に滅びた処方の再現は、昇級するための実績作りではないかと推測したんだが、どうだ?」
「…………」
「再訪して金を使ってくれそうな貴族には真の美容施術をするが、一度きりしか利用できないような客は実験台にして、メグのように泣き寝入りさせていたのではないか?」
「…………」
「違うなら違うと答えろ。沈黙は肯定と捉える」
リリスの顔からは余裕が消え失せているが、何も話してたまるかというように唇をきつく引き結んでいる。
思ったより頑固な態度に、エレンディラは鼻を鳴らす。
「このさい動機はいい。重要なのはリリス、おまえがやったことは罪だということだ。期待や悩みを抱いて頼りにしてきた客の心を踏みにじった。そんなやつに魔法使いを名乗る資格はない」
「……あなたに……何が分かるというの……っ!」
悔しそうに声を絞り出すリリス。全身は小刻みに震えていた。
当初浮かべていた柔和な表情の面影はなく、端正な顔を苦しげに歪ませている。
「メグに謝罪し、被害者に対して誠実な対応をすると約束しろ」
「……」
「できないのか?」
「……」
唇をかみしめてエリーナを睨みつけるリリスに反省の色は無い。
「私自身耳が痛い話だが、力を持つわからず屋が一番厄介なんだ。話しても分からないのであれば仕方ない。力ずくで反省してもらう。――なあ、メグ?」
エレンディラが振り返ると、仁王立ちするメグが言い放つ。
「貧乏だからって客を馬鹿にするとね、こうなるのよ! エリーナさん、手加減は無用よ!」
「仰せのままに。――百斑の呪」
魔法を振るうと、リリスの顔や腕、足に次々と赤い斑点が現れる。百はあろうかという斑点はメグが負った湿疹よりもひどい。
全身鏡に映った自分の姿を目の当たりにしたリリスは、この世の終わりのような顔をして床に崩れ落ちた。
「わっ……わたくしの美しい顔が! 身体が!」
「被害を与えた客に誠心誠意詫びて治療しろ。最後の一人がおまえを許したとき、百斑の呪は解けるだろう」
「……ううっ……嫌よ……どうしてこんな姿に……っっ」
「おや、ちょうど霊薬の効果が切れたみたいだな」
一滴しか口にしなかったため、エレンディラの姿はエリーナに戻っていた。
リリスは床にうずくまり、ぶつぶつと呪詛のように独り言を呟いている。受け入れられない現実と戦っているようだ。
エリーナは周囲を見回して、とりこぼした悪がないことを再確認する。
(私たちを案内してくれた従業員の気配がないな。騒ぎに気づいて逃げ出したか?)
逃げ出したということは後ろめたいことがあるということだ。彼もグルとみて間違いないだろう。
エリーナは遠隔で彼にも同じ魔法をかけると、晴れ晴れとした顔で二人に向き直る。
「とりあえずこんなところか。――長居してしまったな。帰ろうじゃないか、シュバルツ、メグ!」
連れ立ってドアに歩き出すと、鬼のような形相でリリスが顔を上げる。
素早く呪文を詠唱すると、エリーナの後ろ姿に向かって炎の玉を打ち出した。
気配に気づいて振り返りかけたエリーナを、ひょいとシュバルツが抱え、炎をかわす。
「おっと、すまないシュバルツ」
「ずっと立っているだけだったからな」
エリーナを地面に下ろすと、何事もなかったかのように再び歩き出す。
炎が床を走る室内でリリスがあたふたしているが、魔法使いであれば自分でどうにかするだろう。
美容サロンを出ると、室内の薄暗さとは対象的な晴れ模様に目を細める。気持ちのいい風が通りを吹き抜け、エリーナは肩の力を抜いた。
「――気分がいいから、衛兵の詰所に行ったあとは食料品店まで足を伸ばすか? 記念すべき一件目の依頼を達成したんだ、ワインでも飲もう」
「酒より栄養を取ってくれ。おまえは軽すぎて心配になる」
「体調は問題ないんだがな。……じゃあ、なにか作ってくれないか?」
エリーナが笑顔でシュバルツを見上げると、彼はピンと耳をたて、尻尾を揺らす。
「……仕方ないな」
「あの、取り込み中のところごめんなさい」
遠慮がちにメグが会話に入ると、エリーナとシュバルツに向かって深々と頭を下げた。
「おふたりとも、本当にありがとうございました。昨日の今頃はどん底だったのに、こうして何もかも元通りになって信じられない気持ちよ」
「礼を言うのは私の方だ。メグが相談に来てくれたおかげで、これ以上の被害者を出さなくて済んだんだからな」
メグは目をぱちぱちさせて、照れくさそうに髪を弄る。
「魔法使い様は立派な方ばかりだと思ってたけど、そうじゃない方もいるのね。これからはちゃんと調べるようにするわ」
「魔法使いはカイレン王子を筆頭にした独特の組織形態がある。出世競争も激しいと聞くから、道を踏み外すやつもいるんだろう」
「シュバルツの言う通りだ。関わる相手はよく選んだほうが良いだろう」
「そうね。被害を受けた他の子たちにも伝えておく」
エリーナは大きく頷く。
「また困ったことがあったらいつでも店に来てくれ。素敵な結婚式になることを願っているよ」
その言葉に、メグは嬉しそうに顔をほころばせる。
「その、もしおふたりがよかったらなんだけど。明日の結婚式に来てもらえないかしら?」
「私たちが?」
「無事に式を挙げられるのは、ふたりのおかげだもの」
エリーナはきょとんとして隣のシュバルツを見上げる。
エレンディラだった頃に招待されたものといえば、自分の顔色をうかがうような接待のパーティーばかり。もてなしと引きかえに、必ず見返りを要求された。
誰かの結婚式に呼ばれるなんて、初めてのことだった。
人生で一番幸せな瞬間に自分がいてもいいのだろうか、という一抹の不安が胸を掠める。
「参列しよう、エリーナ。祝い事の招待は素直に受けたらいいんだ」
シュバルツが穏やかな表情で頷くと、エリーナはぱっと目を輝かせて向き直る。
「ぜひ祝わせてくれ。メグのドレス姿を楽しみにしている」
「嬉しいわ! 十の鐘に六番街のサン・フィオーレ礼拝堂よ。それじゃ、また明日!」
軽やかに走り去るメグを見送り、エリーナとシュバルツも食料品店へと歩き出す。
エリーナは青空を見上げると、大きく息を吸い込んだ。
(感謝されるとやっぱり嬉しいな。生きている、という実感がある)
早く二件目の依頼がこないかな、と胸を躍らせながら、小さくスキップをした。




