10ー①
六番街一区、噴水広場から二本入った通りの三つ目の曲がり角にさしかかると、メグはきょろきょろとあたりを見回した。
「あれっ? このあたりのはずなんだけど」
施術を受けたサロンは確かにこのあたりにあった。一本通りを間違えたかと振り返るが、一つ前の角には確かにあの日も目印にした香水店が佇む。
「えーっ。おかしいな。確かにここなのに」
まるで最初から存在しなかったかのように見当たらない。目の前に建ち並んでいるのは別の店舗だ。
困惑するメグだが、じっと黙り込んでいたエリーナは口を開くと、自信たっぷりに「ここで合っている」と言い切った。
「一軒、目くらましの魔法がかけられて場所がわからないようになっている。どうやらメグは出入り禁止にされたようだぞ」
くつくつと笑うエリーナに、メグは眉を吊り上げた。
「クレーマー扱いされてるってことですか? 失礼しちゃうわ!」
「卑怯な手を使う店だな」シュバルツも眉を顰める。
「ああ。ますます胡散臭くなってきたぞ。一筋縄ではいかないかもしれない」
メグと一緒に乗り込むと適当に言い逃れをされる可能性がある。
そこでエリーナは、正面から注意をしに行くのではなく客になりすまして潜入することを思いついた。
「貴族の客として入店するから、ふたりは付き添いの従者ということで頼む。メグは顔が見えないようにしておいたほうが良いな」
いったん人気のない路地裏に入ると、エリーナは呪文を唱える。淡い光が三人を包み込み、それぞれの装いが役割にふさわしいものへと変化した。
貴族令嬢らしい華やかなドレスをまとったエリーナは、元の通りに戻ると建物と建物の間に左手をかざし、呪文を詠唱する。
「私の目は誤魔化せないぞ。隠遁破り」
瞬間、空間が揺らぎ、二つの建物の間から新たな建物がせり出してきた。
目を丸くしていたメグはハッとする。
「あっ! このつる薔薇の門! ここだわ!」
「ではお邪魔しようか。……シュバルツ、相手は責任を取らずに逃げおおせる卑怯者だ。なにかあったらメグを頼む。私たちの大事なお客様だからな」
「ほんとうに大丈夫なのか? おまえが強いことは獣人の本能として理解しているが、魔法使いはこの国で最高峰の職位とされている連中だ。気位も高い。気をつけたほうがいいぞ」
「忠告に感謝する。まあ、お手並み拝見といこうじゃないか」
門を進んで建物の中に入ると、複雑な薬草の香りに包まれる。
照明は薄暗く落とされ、重厚な調度品に影をつくっている。大きな全身鏡、応接テーブルやソファ、絨毯も一級品が並び、高級感が漂う。
「ここは待合室のようだな」ソファの背もたれに触りながら部屋を眺めていると、
「いらっしゃいませ。ご予約はおありでしょうか?」
黒髪を後ろに撫でつけた男が奥から現れた。
三十代後半ほどの年齢で、接客じみた胡散臭い笑顔を浮かべている。
「すまない、飛び込みなんだ。貴族の友人から勧めてもらってね。施術を受けたいが、どんなものかわからないので不安なんだ。見学をさせてもらえないだろうか」
魔法でつくったニセ金貨がつまった袋をじゃらつかせる。エリーナは、相手の目が一瞬ギラリと光ったのを見逃さなかった。
「……当店は特別なお客様のみに施術をさせていただいており、その技術は門外不出のものでございます。ご見学はお断りしております」
「そう言われるとますます興味が惹かれる。ならば、これでは?」
持っていたバッグの中に手を入れると、ポーチの中の石ころを二つ掴む。すばやく魔法であるものを作り出すと、何食わぬ顔でそれを取り出した。
「先日譲り受けた品物なのだが、魔法使いでもない私には過ぎた品でね。ぜひ店主殿とあなたに差し上げたい」
「おお、これは見事な……! 装飾も素晴らしい……!」
この国で至高の色とされる銀を基調とした、ネックレスタイプの護符だ。
かつて大国の皇帝にエレンディラが授けたものを模している。首からかける部分にはふんだんにシルバーダイヤモンド(偽)もあしらった。
(あれは創るのに一晩中月の光を当てる必要があったが、偽物なら一瞬だ)
従業員の目には、国中探しても手に入らない貴重な逸品に映っているだろう。
(こういうこともあろうかとポーチに石を詰めてきて正解だったな)
ほくそ笑むエリーナを、護符を大事そうに抱きしめた男が奥へといざなう。
「特別にご案内致します。奥へどうぞ」
「ありがとう」
彼の後について、三人は廊下を進む。
思ったほどの奥行きはなく、『魔法使いが趣味でやっている』というメグの話通りの、こぢんまりとしたサロンだ。
「こちらが施術室になります。今は施術中ですので、小窓越しに御覧ください」
「ふむ」
飾り窓から中を覗いてみると、ベッドに寝そべる客を女がマッサージしている。
見た目としては何の変哲もない光景だ。
「そしてこちらが調合室になります。お客様の体質やお悩みに合わせてオリジナルの薬草オイルをつくり、魔力と練り合わせることで効果を高めています。魔法使いリリス様にしかできない特別な施術と呼ばれるゆえんです」
そこはエレンディラの記憶を刺激する、懐かしい空間だった。
かつて住んでいた彼女の屋敷にも調合室があって、国内外から様々な薬草を取り揃えていた。派手な魔法を好んで使ったエレンディラだったが、意外と細かな調薬も好きで、気まぐれに薬を作っては周囲を驚かせていたことを思い出す。
(ミスティルミントにダークリリー、ルーンチコリ……。あれから百年が経つが、使っているものは変わらないのだな)
薬瓶を手に取ったりしながら、エリーナはしばらく思い出に浸った。
そうやって一通りサロンの中を見学し、最後にまた施術室を覗くと、エリーナは頷いた。
「見せてもらえて安心した。ぜひとも施術を受けたいから、リリス殿と話をさせてもらっても?」
「かしこまりました。もうすぐ施術が終わる頃合いですので、お待ちください」
甘ったるいハーブティーと菓子の給仕を終えると、男は奥へと消えた。
しばらくして現れた魔法使いリリスは、おっとりした雰囲気を漂わせる美しい女だった。
ローブではなく美容サロンらしい白衣を着用し、淡い桃色の髪をゆるく一つにまとめ、接客もこなれた様子だ。
「お待たせしちゃったわね。三級魔法使いのリリスよ」
リリスはニコニコしながら待合室に入る。メグの前を素通りして、エリーナの隣に腰をおろした。
甘い香水の匂いが一気に流れてきて、エリーナの近くに控えるシュバルツは思わず顔をしかめるが、リリスはまったく意に介さない。
「ほんとは飛び込みは受け付けてないのだけど、素敵な護符だったから特別よ。ところで、あれはどなたから頂いた物?」
「ふふ。教えられるかは、あなた次第だ」
「まあ、ちゃっかりしてるのね! いいわ、腕によりをかけて美しくしてあげる」
リリスはエリーナに顔を近づけると、観察するようにまじまじと見つめる。
「目がぱっちりとして可愛らしいお顔ね。肌のキメも素晴らしいわ。施術の前に気になる部分や症状があったら教えてちょうだい」
「気になるところ、大ありだ」
エリーナは口角を持ちあげる。
「あなたは、エステと銘打ちながら人体実験をしていたな?」
「――――は?」
リリスの表情が、笑顔のまま硬直した。




