私は今日も幻覚と幻聴と共に生きている
注意事項1
起承転結はありません。
短編詐欺に思われたら申し訳御座いません。
注意事項2
恋愛ではありませんが、触れ合うだけのキスシーンはあります。
私は今日も幻覚と幻聴と共に生きている。
朝目覚めて起き上がると、一人の青年が私の布団の上に腰掛けていた。少し硬そうな黒髪を肩甲骨の辺りまで。目は切れ長。私の身長なんざ優に越すような背丈を丸める様にして、何とかこの小さな幅に収まっている。魅力的と言うよりは、蠱惑的という言葉が如何にもしっくりくる青年だった。その私の印象をより確固たるものにする様に、薄ら笑いを浮かべている。
母はベッドに寝そべってスマホを弄っている。彼の存在には気が付いて居ないようだった。私は今日も幻覚と共に生きている。
「人と話をする時は、相対性ではなく絶対性を意識した方が良いと思うの。特に私のように幻覚と幻聴と共に生きている人間には」
寝癖塗れな髪を掻き回しながら、私は彼にそう言った。すると彼はその薄笑いのままに口を開く。
「私の言う『少し』と君の言う『少し』は全く別のものだ。私が百万円を少しと形容しても、君にとっては少しで無いかも知れない。沢山かも知れない。取り分け君のように、人からの見聞に分岐を見出す人間には」
彼はしっとりと色気のある声を持ってそう返した。一見して解読不可能な私の言葉を秒で理解し、返答を行う。頭の良い人間か。それとも私と同じ世界で生きている人間か。何方にせよ私は今日も幻聴と共に生きている。
「数値を出して欲しいの。老若男女問わず全くと言って良いほどの公平性が欲しいの。そうじゃないと私は前を歩けない。ところで貴方は私が生み出した幻覚と幻聴なの?」
数値は何時だって絶対的なものだ。全国各地、老若男女誰が見ても不変のもの。余りにも公平性を期したものだ。そうされないと、後から『こんなはずじゃなかった』と言われてしまう。否、言われてしまった。
今、こうして相対している彼は果たして絶対的なものなのだろうか? 誰が見ても此処にいて、存在を認知出来るものなのだろうか? 否、相対的なものだろう。
「そうだよ。私は君が嫌う、相対的な存在さ。人によって存在の可否が変わるなんて、相対性と言わずしてなんと言うの?」
そう言って、私の頬に触れて、その薄い唇をぎゅっと押し付けてきた。柔らかい感触がする。劣情が沸き立つ。それでもこの世界から爪弾きにされた存在なのだろう。
「でも幻覚と幻聴と共に生きている人間には絶対的な存在さ」
人に何かを指示したり、教えたりする時に、絶対性って凄く大切なんですよ。
周りに評価を依存しない、客観的な評価だから。
周り全員が『変』だと言っても、自分自身が『普通』だと思ったらそれは主観なんです。
ちなみにこれをきちんと行わないと、自分が思っていた事と違う事を相手がするんです。所謂、解釈違いという奴ですね。
チーム戦で行うには必要な事です。
創作だと逆なんですが。
人の個性とか主観を見るのが創作なんで。
故、日常生活まで創作に侵食されると社会不適合者になります。
ソースは私です。
毎日幻覚と幻聴を見る、中二病の社会不適合者です。