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つぐはね

作者: 焼き栗

短編です


バスン、バスン。

「マジか」

長年苦楽を共にしたスクーターの燃料をどうやら見間違えていたらしい。

独り立ちする際に両親から貰ったが、綺麗な水色の外装は今や見る影もない。

所々にメンテナンスでは庇いきれない錆や軋みが見えるが俺自身は一つの味だと思っている。

配達はまだ三分の一程残っているというのに足が使えないとなると、確実に残業が待っているのでどうにかガソリンスタンドまで行かなければならないのだが………

「この集落スタンド無いのかよ………」


一番近い場所でも数時間はスクーターを押していかなければならないことを鑑みるとただでさえ重い足取りが倍近い疲労を上乗せしそうだ。


「ま、ぁ、かんがえたって、しゃーない」

長らく舗装されていないでこぼこの路面を四苦八苦しながら進めなければ今日の賃金も貰えやしない。一歩ずつでも進まなければ前には行かないので仕方なく押していくことにするが、力が入らない。突き詰めればお腹が空いている。


「すみません、C級レーション一つ」

「………あいよ」

ともすれば今の俺に必要なのは栄養だ。今日は朝からついていないことが多いのだから昼ぐらい奮発したところで、遠くに住んでる両親も何も言うまい。


無愛想なオジさんから銀色の包装紙に包まれた棒状の携帯食を受け取る。ほんのりと温かいのはありがたい。

『奮発するのならA級レーション買えよ』という心の声は無視。んなの俺の賃金じゃ買えない。

「おい」

「なんす………なんですか?」

そそくさと立ち去ろうとすると背後から声を掛けられて思わずどもった。

「雨、降ってくるらしいから『羽』濡らすなよ」

「あ、そうなんすね。ありがとうございます」

何か間違えた事でもしたかと不安になったが杞憂だったらしい。

態々配達人の俺に言伝してくれるとはありがたい。


「前に配達された荷物がソイツの『羽』が濡れてた所為で台無しになってんだ。気をつけろ」

「……うぃっす、気をつけます」


違った。ただのお小言だった。

即座に俺は『背中に生えている羽』をしまい込んでそそくさと、立ち去る。

「………フンッ」

鼻を鳴らし椅子に座ると文字通り『浅黒い羽』を伸ばしながら伝書に目を通す彼の姿を見送り、逃げるようにその場を後にした。



何時からだったか。人類に羽が生えたのは。

羽を持つ赤子が現れたとか、放射能性物質の汚染だかなんだかは解らないが、世代が変わるに連れてただの人は居なくなり、皆が皆羽を持つ人『羽人』となった。

ただ、羽が生えたからと言って自由に飛べるわけでもない。人間の体は鳥のように軽くはなく上昇できるのは約十メートル程で、そこからは飛ぶと言うより下降すると言った方が正しい。訓練を積めば例外も生まれるが。



廃れたマンションの一角で布団を自分の羽で叩くおばさんや、突き出た岩盤から飛び降り、自身の羽で滑空する危険な遊びを楽しむ子ども。

果ては乳母車に乗る赤ん坊にも羽が生えている。


羽人の羽は鳥の羽を模している物が多い。

カワセミ、カラス、スズメにフクロウキツツキツバメ。それこそ途方もない種類の羽が。

ただ世代、遺伝子問わず羽人に生えてくる羽に法則性は全く無く、ツバメの羽を持つ人がカラスの羽を持つ人と交配は出来る、が、生まれてくる子どもの羽が何の鳥になるかは誰にも解らない。


生涯生え替わることのないアイディンティ。それが羽だ。



羽人が誕生した時は学会が大騒ぎしたらしい。その数年後には大分研究が進んで人類はより未来へと羽ばたいた………と記されていたのは今から数千年も前の話。


「空黒くなってきちまったなぁ。しかしまぁ、今日はまだ『ハネボウキ』の襲撃がないんじゃぁいい日と言わざるを得ないな」

「そうだな。お天道様にゃぁ悪いが水力発電所も潤うってもんだ」

談笑を小耳に挟んだ。

雨が降れば皆羽が濡れるというのに上機嫌な人が多い。


羽人が増えると同時期に、この世に降り立った生物が居る。

『ハネボウキ』と呼ばれる巨大な鳥の形をしたソレはあっという間に人間を飛び越して生態系の頂点へ昇った。

分厚い外毛に覆われた鋼鉄のような皮膚に、鋭い嘴で突かれれば鉄の扉にも簡単に穴は空きかぎ爪は羽人の頭蓋骨を果実のように砕く。

未来へ羽ばたこうとした人類は『ハネボウキ』のお陰で地に落ちた。


「太陽が見えるのは嬉しいが、それよりもハネボウキがあそこからいつ来るかと思うとヒヤヒヤするよ」



爆発的にその数を増やしていった『ハネボウキ』の好物は最悪なことに羽人の羽。

捕食される立場となった俺達は凄まじい勢いで減少の一途を辿り、残った科学技術を費やして作られた最後の砦が此所『トリカゴ』だ。


文字通り羽人を覆う鳥かご。外周からハネボウキが入って来れないよう特殊な鉱石で作った支柱で囲う事により横からの侵攻にはめっぽう強いのだが、天井にそれらを張り巡らせる技術と時間は残されていなかったらしい。

なので俺達は外から襲われたらお終い。


「大丈夫だろ、もし入ってきても『スダチ』がなんとかしてくれる」


というわけでもない。

こんな世紀末でも救うために生きる人々は存在するらしい。

『スダチ』

市民を守る警官のような存在。

総本部は支柱から数百メートル上に設立されており日々襲ってくるハネボウキを殺している。


正直、苦い思い出が多いので考えるのを止めにする。


スクーターを押しながらまだ温かいレーションの封を切り小麦色の棒を一口。

香辛料と濃厚な化学薬品が作り出した肉汁の風味がほろほろと口の中へと溢れていき、全身に力が漲るようだ。


「でもなぁ、最近スダチの『ツグハネ』が減ってきてんだろ?」




聞こえてきた単語は聞かなかったことにする。

そのまま漲った力を糧により一層力を込めてスクーターを押していった。



――――――――


「なんとか間に合った………」

ざぁざぁと雨が打ち付ける中、防水パーカーのフードを被り、最後の荷物を届け終る。

ヴィンテージ品のゴーグルを付け、小型のディスプレイに表示される指示に従い配達完了を報告すると、視界の端に浮かぶ数字が増える。


俺の仕事は配達人。


誰かの荷物を何処かで受け取って、それをまた何処かに運ぶ地に足つかない生活を送っている。人類が羽を得て少し早く移動できたとしても、こういう仕事がなくならないのがありがたいことなのかどうかは解らないがこれで食い扶持は出来た。

後は適当な宿でも取っていければ良いんだが、あまり周辺をきょろきょろして変な目で見られたくない。それに数時間スクーターを押していったから足が痛い。


次の角をまがって最初の宿に行く事にしたのだが・・・


「…………」


廃墟。いや、この世界に存在する建物は全て廃墟なのだが


「木造建築、だと」

コンクリートが蔓延る廃墟の一角に木製の一軒家?が立っている。辛うじて『ヤドヤ』と書かれた看板がぶら下がっているが


「さて、何処かに良い宿は」


いやぁ、流石に此所はないなと通り過ぎようとして少しの罪悪感が過り、目線を玄関に移した瞬間気が動転した。


「――は?」


人が倒れていた。それも白髪のご高齢と見受けられる。

「いや、いやいやいや大丈夫ですか!?ちょ、ちょっと其処の君!医療機関に連絡を!!」

「え、え、ボクですか!?」


ピクリとも動かない体から生えた白い翼が死装束にさえ見えてしまう死の香りがしたので慌てて駆け寄り声を掛ける。そこいらを歩いていた少年を名指しで呼びかけ先ずは呼吸の確認を――――


「………すみません旅の人。わたしゃまだ生きておりますので、その、恥ずかしながら転んでしまって」

「……………………」

ぱちくりと黒色の瞳が此方を見つめる。深く刻まれた皺は老いという取りも年月を感じさせる物であり、まるで樹木の年輪の様な『深み』に思えた。


「あの、えっと、その、じゃぁボクはこれで…………」

一時目を奪われたが、気まずそうに立ち去る少年の痛い人を見る視線が背中に突き刺さり我に返る。

「お、俺もこれで失礼しますね」

一人で焦って誰かを巻き込むこの現状にいたたまれなくなり顔から火が出そうだ……!!


「あのぅ、重ね重ね申し訳ないのですが…足首を挫いてしまいまして……」

「あ、そうなんすね。それじゃ家の中まで運びますよ?」

更に周囲の視線が突き刺さろうとする前に離脱しなければ、と足早に立ち去ろうとしたが痛む足を擦る彼女に手を差し伸べることにした。というか、善意が無駄にならずに済んでよかったとも思ったが口には出すまい。

「羽で支えますんで肩につかまっていて下さい」

「あぁ、どうも大きい羽です事……それに使い方上手ですねぇ」


申し訳なさそうに俺の背に生える羽に腰を据える婆さん。羽人の体重を羽で支えるなんて芸当は訓練していなければ出来ない事に彼女は気がついている様子だったが


「うっす。どうもです」

コメントを返す事はしなかった。



さて、ひとまず婆さんの足をテーピングして簡易的な応急処置を終えた後、立つ鳥後を濁さず。といった感じで帰ろうとしたのだが『どうかお礼をさせてくれんか?』と言われてしまっては帰るに帰れない。

「……このお茶、美味しいですね」

「そうですか。こっちの茶菓子も合いますのでどうぞどうぞ」

「あ、はい、ありがとうございます」

そう、俺は押しに弱い。

伝統的な檜の香りがする座敷に案内されて早数十分。

ボロボロな外見に比べて内装はしっかりとしており、細かいところまで掃除されている。

今飲んでいる茶も美味いし、出された茶菓子もケミカルな味は一切しない。

悲しいのは俺がこの高級な菓子、茶を事を美味く言語化できない事であり、茶菓子と茶を頂く俺をしわくちゃの頬を嬉しそうにつり上げる婆さんになんの感想も残せないことだ。


「すみません、こんな大層な物を頂いてしまって」

「いえいえ。どうせ客人の一人も居ませぬので、もてなせる事が嬉しいんですよ」

「そう、なんですかー……へぇー……」

まぁ、うん。外装があれじゃなぁ………


「もう潮時だと思いましてね。看板を下ろそうと思ったのですが何せこのご老体ですので。いやはや本当に配達人さんが通りがかってくれて助かりました」

「いえ、此所まで至れり尽くせりさせて貰って………あの、所で此所は従業員はいないのですか?」

「………えぇ。もう皆『居なくなって』しまいましてね」

「そうなんですか」

目線を下げ一拍おいた後寂しそうに告げるその表情の陰に俺は既視感を覚えたが深入りはしない。多分、俺が知ってどうすることも出来ないことだからだ。


誰かの心に踏み入るとはそういう事だ。


お茶に手を伸ばそうとするが、既にその中身はなく伸ばした手が止まる。

「――あ、」

なんとなく予感がした。それが良い者か悪い物なのかは解らないが俺はその予感から逃げなければと感じ席を立とうとして気づいてしまう。


そういえば今日は雨が降るんだった。


縁側から見える雨粒は大きく、みすぼらしく整理されていない中庭を強く穿つ。

ざぁざぁとざわつく心の様に雨の音が染みこむ中。


「よろしければ、泊まっていってください。お代は結構ですから」

ツルの一声が響いた。




――――――――


「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」

夕餉を食べ終える。

正直言って素晴らしかった。配給食の加工では無い生の魚を焼いて食べる。

こんな経験は今間までに無い幸福を俺に与えてくれた……

「本当に、いや本当に美味しかったです!解した身の柔らかさに米の旨みが合わさってこう、こう、お、美味しかったです」

興奮すると早口になるのは昔から変わらない。語彙力の無い言葉を相手に叩き付けた所で引かれるのは解っているのだが時たまやってしまう。

「そうですかそうですか。喜んで頂けてなによりです」

そんな俺に対してもまるで孫を見つめるように優しい瞳を向けてくれる。


正直、疑っていた。土地勘のない配送業者の羽人の善意を利用し荷を奪う。よくある手法にも似ていたので何か毒でも盛られるのではと、調理するとこから食事をするところまで見張ろうと思っていたが杞憂だった。


「お風呂は沸いております。着替えもご用意して居ますのでごゆるりとおくつろぎ下さいね」

「はい、ありがとうございます」

油断は、していない。けれど人を疑うのにも力を使う。

人の善意を疑う時には特に、だ


「ふぅ………」

湯船に浸かり、羽を濡らす。

褐色と黒の斑点。間の白の彩りが、沈んでは浮かび、浮かんでは沈む。

水を吸って重い羽を水面に映る橙色の虹彩が見つめる。

短い黒髪のメッシュをかき上げ息を吐く。


水面に浮かぶボールを見た。

湯気に惑い、揺れ動くそれが俺にとっての『継いだモノ』

手を伸ばして掴もうとするが、その形は湯気の中に消えて無くなる。

「上がるか」

別にソレで動揺することはない。何回も繰り返したし、何回も突きつけられる。

中途半端な『ツグハネ』が見る夢にしては上出来だと重い羽を震わせ水を払った。



「眠れん」

長い夜の最中で目が覚めた。どうにも夜眠るというのは合わないなと感じながら縁側で夜風でも当たろうと、来ていた浴衣の羽穴から翼を伸ばす。当たり前だが羽は軽い。


「あぁ、こんばんわ。配達人さん。眠れないのかい?……昆布茶を入れたので良かったらどうぞ」

縁側の傍で文字通り羽を伸ばす婆さん。白く、何処までも白い羽は幾ばくか煤で汚れている様に見えた。

「………どもです」

少し離れた所に座り、羽を伸ばす。

羽の隙間を抜けて通夜風が心地よく、思わず息を吐く。

昆布茶独特の渋みが心を落ち着かせてくれる


「わたしゃね、『ツグハネ』なんですよ」

「……………」

俺は、酷くずるい人だ。誰かの心に踏み入る行為の意味を理解しているが、それでも気になって彼女の隣に座った。


「多分、知っていらっしゃたのでしょうね」

彼女が話さなければそのまま羽を仕舞い眠ろうとしたが、そんな心根を知っていたらしい。


「コードネームは『鶴』」

此方を向き、しわくちゃな笑顔を見せる。寂しそうに、嬉しそうに。

灰が混ざった白い翼を一度弱々しく羽ばたかせて告げる


「誰よりも長く生きる『ツグハネ』でございます」


記憶を継ぐモノ『ツグハネ』の名を。


ツグハネ。

鳥の名前を冠する特別な羽人が持つ特異体質。

その能力を記憶と共に「羽人」にだけ引き継ぐ事ができる。


昔々。在るところに平凡な夫婦がいました。

健やかなるときも互いを愛し、敬う理想の夫婦。

彼らには夢がありました。

それは旅館を作ること。

この残酷な世界の中で安らぎと憩いを自分たちが得られたように、その幸せを誰かに分け与えることが出来たなら。


「そうして、叶えた夢の結晶がこの宿」


彼女は、ツグハネになることを望んではいなかった。

ただ幸福で、不幸であっただけだ。


ある日、ハネボウキが現れた。

街を守ろうとした『ツグハネ』が致命傷を負い、その現場に居合わせたのが彼女。

ツグハネでなければ訓練されていない民間人は餌でしかない。


ツグハネを継承し守るために戦うか。継承せず全てを奪われるか。


「わしゃ、運が良かったんでしょうね。普通ならそんな選択肢すら出てこないで食われてお終いでしょうから」


そうして彼女は『ツル』のツグハネとなり、ハネボウキを撃退した。

『ツル』を継いだ羽人が受ける恩恵。それは「延命」

長生きできると聞けば聞こえはいい。ただそれは彼女だけ。


「最初に別れを告げたのは、夫でしてね」


しわがれた夫がベッドの上でか細く息を吐き、やがて力尽きるのを彼女は見ていたのだという。

『ツル』を継いだあの頃と変わらない相貌と、黒髪のまま。


「次は孫、次はひ孫。従業員さんの命日も見届けていきました」


そうしていく内に、彼女は辛くなってしまったのだと語る。

自分が知る人が死んでいく様を、見送らなければならない立場を。


「贅沢な悩みでしょう?この世界では死に目にも立ち会えないことが多いのに」


そうだと思う。贅沢だ。


だけど俺は彼女がどれほどの別れを繰り返していたのかを俺は知らない。

だから、安易に否定などは出来ない。


「だから、居ないんですよ。此所の従業員さんはね、私が雇うのを止めたんです」


それは出会いよりも、別れを恐れたが故の選択であった。

彼女は一人になってからも宿の経営は続けていた。

それが『ツル』にとって唯一、彼女を愛してくれた『人々』との思い出となっていたから。


「ツルさんは、継がなければ良かったと思っていますか?」


「いえ、継がなければ守れなかった。それは変わらないんです感謝すれこそ恨みなど在るわけがない」

羽を畳み、昆布茶を飲み干す。ほぅ。と一つ息を吐いた後もう一度優しく此方を見た。

「それでも、もう十分。十分生きました。誰かに継ごうと思ったことはありましたが、この苦しみを誰かに押しつけるのは――――出来はしませんでしたがね」


最後にそう告げて、彼女は立ち上がる。

俺は何故か一瞬彼女が言い淀んだのが気になったが、直ぐにその違和感は溶けて消えた。

空になった俺の分の昆布茶をお盆の上に乗せ、明るい台所へと消えていった。


その小さな背中に哀愁を漂わせながら。

俺は暫く縁側に座り、羽を仰ぐ。夜風を吹き返すようにして。



――――――――


「お世話になりました」

「此方こそ。久々のお客人をもてなせたのは嬉しかったですよ」


錆び付いたスクーターに足を掛け、最低限の言葉を交して出発する。


もうその姿が見えなくなり少しした後、ふと思った。

生きている内にもう一度あの宿に行きたいな、と。














その願いは割と直ぐの未来で叶うことになった。




俺が宿を出立してから数時間後、ハネボウキが出現。

コードネーム『ツル』がこれに応戦。双方致命傷を負い、以前ハネボウキは逃走を継続中。




その電報がゴーグルのディスプレイに流れた瞬間、直ぐさま反転し『現場』へと向かった。



「…………」

できる限り、急いだつもりではあったがそれでも間に合わなかった。

そこら一面に突き立った漆黒の羽が廃屋や路面を荒らし、そこら中にハネボウキの爪跡が刻まれている。

それは、あの旅館も例外ではない。

外装も、内壁も区別がつかないほどに蹂躙され最早更地と言われた方が納得がいく。

その中央で、赤い色に染まった羽を携えたツルさんが倒れていた。


「ツルさんッ!!」

直ぐさま駆け寄り、抱きかかえただけで両の手が鮮血に染まる。

粘ついた熱のある液体が、命の残滓を感じさせられた。


「う、ぁ………あ、あぁ。配達人さん」

「喋らないで。今応急処置を」

スクーターに積んである医療キットを取り出し、簡易的な治療を始める。

そうしている内にも彼女の頬から血の気が失せ、その瞳が虚ろぐ姿に焦燥感を感じる。


「…ごめんなさい」

彼女の頬から一筋の涙が零れた。

告げられた言葉は何に対してだろうかなど分かりきっていた。

潰れた言葉に対しての慰めの言葉を俺は持っていない。


「これで、ひとまず。後は緊急の連絡を――」

簡易的な縫合を終えたが如何せん羽の傷が深い。

特に右翼などは骨がひしゃげており、節々が青黒く変色している。

一刻も早く『スダチ』の医療機関に連絡しようとゴーグルに伸ばした手を


「お願いが、あります」

――彼女の細い腕に止められた。

力も無く握られたその手だというのに俺には剥がすことが出来ない。


「わたしを、この先の湖まで……連れて行ってくれませんか?」


そのまま告げられる。配達人の俺に、依頼を。

黒い瞳が俺に縋る。必死にその風前の灯火を燃え上がらせ訴えかけるような言葉に


「わかり、ました」

俺は折れるしかなかった。



不快樹海の森の中を疾駆する。生い茂る木々が陽光を防いでいる所為か薄暗く、気味が悪い。

最高速で飛ばしているにも関わらず視界に移る風景が変わらないことに焦燥感が募っていく。


「罰なのかもしれません」

俺の背、羽に来包まった婆さんになるべく負担がないよう注意を払い走行する最中、独白を流す。

「これ以上の幸福を求めた罰。だから全部、無くなってしまったのかもねぇ」

それは、悪いことなのか?

幸福を求めることが罰なのか。そもそも彼女は幸福な人生を歩んでいたのか?


「もし。配達人さん」

「………何ですか」

「わたしのツグハネを、もし貴方が継いで欲しいと言ったらどう思うかい?」

優しく儚い呟きが、背中から漏れる。


「ごめんなさい。俺は、貴方の羽を継ぐことは出来ない」

それを俺は切り捨てるように告げる。

「それは、貴方が『ツグハネ』だからかい?」

たぶん、最初から解っていただろう事実を今になって突きつけてくる。


だから、俺は俺の言葉で返す事にした。

ツグハネとしてではない俺の理由を。


「――『貴方』が焼いた魚は美味しかった、お風呂も、布団も浴衣も最高でした」

つらつらと並べる。俺と婆さんの共通点。ただ一晩世話になっただけの関係だけど、それでも俺の記憶に残るモノはある。


「貴方が淹れてくれた昆布茶は美味しかった。――――貴方がしてくれた話を俺はずっと覚えている。俺が継ぐのは、それだけで十分です」


言い切って、心臓が跳ねている事に気が付いた。

息を大きく吸って、肺の中が痛む。

彼女の表情が見えないのが怖い。


「あぁ。ごめんなさいね。ほっとしちゃった」

酷く安堵した声が聞こえる。


その言葉の意味を理解して、ようやくあの夜の時の違和感が此所で解けた。



「私ね?誰かにこの辛さを味合わせたくないって言ったでしょ?あれも、本当の理由なのだけど――――」

続けて、吐く息だけでも辛いだろうに言葉を紡ぐ。


「――――もう半分は、わたしの記憶を誰かにあげたくないっていう、我が儘だったのよねぇ……」


その回答は『ツル』としては間違っている。

彼女は、彼女の我が儘で一つの種を絶やそうとしているのだから。


「もし。配達人さん。私の我が儘は『罪』なのかねぇ」

重い、重い一言だった。

どちらが正しいなど俺には決めることは出来ない。

悩む、なやんで、悩んで。


「俺は―――」

苦しんで絞り出した答えを告げようとして、背中の重みが一気に増した感覚に思わずブレーキを踏んでしまう。


「……ツル、さん?」

後ろを向く前に横を見た。


俺が悩んでいる間に樹海を抜けたらしい。



夕焼け色が移り美しく輝く湖畔が其処にあり、一羽の『ツル』はその表情を安らかにして空の彼方へ飛んでいった。


俺は無言でスクーターを走らせ、湖畔の端に辿りつく。

彼女を下ろし、白い布で体を包む。

一つ祈りを捧げた後、そっと。湖畔の中へと彼女を送った。


そうすべきかどうか解らないけれど、迷うことはなかった。


「さようなら」


何故彼女がこの場所を選んだのかは解らない。

記憶の中の思い出なのかさえも俺は知らない。

でも、それでいいんだ。


その光景は彼女だけが受け取った宝物なのだから。




婆さんを見送った後、俺は後始末を付けに行く。


ハネボウキには習性がある。

一度荒らした場所に戻り、食べ残しがないかどうか確認する。

「見つけた」

廃墟を優に超える巨躯を誇るカラス型のハネボウキを遠目で見つけるや否や、俺は準備に入る。

羽を伸ばし、肩を回す。

「――ふうぅっ――!」

息を吸い、吐き出すと同時に、全力で地面を蹴り飛ばし加速する。

背景が凄まじい早さで切り替わっていくのを目で追いながら、周囲の建物に足や手を引っかけて加速。


加速、加速加速――!!!

憤慨し、動物的な本能をむき出しにして獲物に向かい疾駆する。

上、下、左右と方向を目まぐるしく変えながらもその勢いを殺すことなく、縦横無尽の槍と駆け巡り、そして――


「――殺った」


――ガギュンッ!!!!!!

ただその巨体が範囲に入った瞬間に足先を向ける。


それだけで音速を超えた一撃が吸い込まれる様にハネボウキの首元に飛び、両断した。

「っぐぅうう……!」

着地と同時に特別製のブーツに力を込め、ブレーキを掛ける。

数メートル先でようやく俺の体は止まった。


その心に、達成感はない。

あるのは『あの時こうしていれば』という後悔ばかり。


俺はハネボウキの亡骸を無造作に蹴りつけ、スクーターの元へと戻る。

少し傷む足を気にもせず、ペダルを踏んで出発した。



次の配達をするために。


読んで下さりありがとうございました。

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