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影の末裔  作者: すがるん
9/9

9 小さな出会い

 斉二が浴室を使っている間に、陵も着替えることにした。制服を脱ぎ、グレーのスウェットを身につけると、あわただしく姉のいる居間へ戻る。

「姉ちゃん、悪りぃ、チビ猫は俺がみるよ。バイト行くんだろ」

「陵、もう着替えたの?」

 タンスやテレビなどで埋もれた六畳の和室。そのまん中のちゃぶ台の前で、知佳は子猫を抱いて座っていた。

「まだ時間あるし、ゆっくりでいいのに」

 知佳は子猫を手離すのが惜しいようだった。子猫は彼女が着るカーディガンの内側に収まって、温められながら眠っていた。

「姉ちゃん、すっかりそのチビが気に入ったんだな」

 嬉しそうな知佳を見て、陵も少し笑顔になる。

「うちも猫飼えたらよかったね」

 だが、続く知佳の言葉には、願望より諦めがこもっていた。この物件はペット飼育が禁止のうえ、仮に許可されても、自分たちの家の経済状況では、日々のエサ代などを捻出する余裕がないとわかっているからだ。

「……もし斉二の家でこいつを飼うことになったらさ、また会えるんじゃねえかな」

 希望的観測を織りまぜ、陵は沈みかけた雰囲気を打ち払うように言った。

「そっか、そうだね」

 知佳は静かに笑うと、座布団からゆっくり立ち上がり、子猫を陵に差し出した。

「お、おう」

 陵はいざとなると、両手でおっかなびっくり子猫を受け取った。これまで動物といえば、昆虫を除くと小学校の飼育小屋にいたウサギか、友人の家で飼われた犬くらいしか目にしたことがなく、さわった経験も皆無だ。

 黒い子猫は、眠っていると目や口がどこにあるのかわからない位だった。けれど、体を動かされたことで、丸くて黄色い瞳がパッチリと開き、ミイミイ鳴き始めた。

「あ、起きちゃったね」

 知佳の言うとおり、子猫は好奇心旺盛で、目の前にいる陵の胸に前足を置き、登るように小さな身を乗り出して、陵の顔に迫った。

「うわわ……」

 子猫は匂いをかいでいるのか、陵の頬などに自分の鼻先をくんくん近づけてくる。黒い鼻のてっぺんは不思議なことに濡れていて、陵は猫の鼻が濡れているものなのだと、初めて知った。

(ちょっと力を入れたらつぶれちまいそうだな、こいつ)

 子猫は陵の手の中にちょこんと収まって、今度はこちらの胸の上で、足を踏み踏みしている。子猫の柔らかい毛並みとほんのりしたぬくもりにふれるうち、陵の心も穏やかになってきた。

「陵ちゃん、お風呂ありがとう!」

「ぎゃあっ!?」

 いつ出てきたのか、黒いジャージ姿の斉二が側にいて、ほくほく顔で礼を言った。

「おどかすなよ、斉二!」

 子猫を抱えたまま、陵は己の気の抜けたさまを見られていやしないか、内心ヒヤヒヤした。

「斉二くん、その服、陵のだけどサイズ大丈夫?」

 片や、知佳が気づいたように尋ねる。雨に濡れた制服を再び着せるわけにもいかず、とりあえず陵の服を貸したのだ。

「はい。ピッタリです、ありがとうございます!」

 幸いというべきか、斉二と陵はほぼ似た体格だった。

「お古だけど、俺の貴重な服だからな。大事に着ろよ」

 斉二に服を貸すという予想外の展開に、陵はこそばゆいような、しかしわずかながら気後れも感じていた。数少ない陵の私服は、ほぼ人のお下がりだ。件のジャージも、よく見ればあちこちに毛玉ができ、色も若干あせている。

 だが、斉二は身にまとうジャージを嬉しそうに眺めると、

「うん! これね、陵ちゃんの匂いがするよ。何か、陵ちゃんにギュウされてるみたい!」

 ジャージの襟元に顔をきゅっと埋めて、突拍子もないことを言った。

「なっ……し、してねーよ、んなこと!!」

 陵はなぜか猛烈に恥ずかしくなり、みっともない程うろたえる。

「陵ってば、どうしたの、そんなに照れて。斉二くん、何か温かいものでも飲む?」

 知佳は弟の狼狽ぶりを可笑しそうに見ながら、斉二にそう声をかけた。

 すると、斉二が口を開くより先に、彼のお腹がグウウと鳴った。

「すいません、ぼく、お腹減っちゃって」

 口ではなくお腹で返事をした格好になり、斉二はテヘヘと頭をかいた。

「ううん、気にしないで。うちにあるのは……お菓子か、これくらいかなあ」

 知佳は人の良い顔で食器棚の辺りをごそごそ探していたが、やがて出してきたのは丼型のカップ麺だった。

「エッちゃんラーメンだ! しかも限定すき焼き味!」

 それを見たとたん、斉二の表情がキラキラと輝いた。エッちゃんラーメンとは、地元メーカーが製造する老舗の即席麺で、フタに描かれたおだんご頭の女の子の絵とともに、昔から人々に愛されている。

「おい、それ、俺が食おうと思ってたやつじゃねえか!」

 陵が驚いて目を剥いたものの、

「グウウウ」

 再び、ものを言うかのごとく、斉二のお腹が鳴る。しかも、今度は前のより大きな音だった。

「あらら……」

 困ったように自分のお腹をさする斉二。

 その姿を見た陵は脱力し、ガックリとうなだれ、

「あ~っ! わかったよ。もう、お前にやるから食え!」

 やむなく白旗を上げた。こらえきれずにこっそり吹き出す知佳とは対照的に、陵はため息を禁じ得なかった。

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