8 陵の家へ
降りしきる雨の中、陵はダンボール箱を抱えた斉二と並んで歩き出した。軽くふたを閉めた箱からは、子猫のミイミイと鳴く声が時折もれてくる。
(……これは、あくまでチビ猫のついでだからな)
陵は己にそう言い聞かせ、傘を少しだけ斉二の方へ傾ける。
斉二はそれに気づいて、
「ありがとう。優しいね、陵ちゃん!」
たちまち、花がこぼれるような笑顔を見せた。
「バ、バカ言え! お前らにこれ以上濡れられると、俺の後味が悪いから入れてやってるだけだ!」
陵は大慌てで答えると、プイッと横を向いた。
それから五分ほどで、二人は陵の住むアパートに着いた。
建物は古い木造二階建てで、上下にそれぞれ四つの扉があり、昔ながらの長屋を思わせた。また、緑の瓦屋根の上には大きなブルーシートが敷かれ、飛ばないようにいくつかの石で押さえてある。
怪訝そうに屋根を見上げた斉二に、
「ここ、雨漏りすんだよ。うちは一階だから被害ねえけど、いつ修理に来るんだか」
陵はうんざりした顔で言い捨てた。
そして、建物にはベランダがなく、住人はみな玄関前の通路に洗濯物を干していた。この日は雨のため、多くは物干し竿があるだけだが、なかには衣類を吊るしたままの所もある。
「ったく、天気予報知らねえのかよ」
物珍しげにキョロキョロする斉二を尻目に、陵は一人ぼやいて、湿ったタオルや下着などを避けて進んだ。
陵は端から二番目のドアの前に立つと、制服のポケットから鍵を取り出し、ガチャッとドアを開ける。
「姉ちゃん、いるのか?」
靴を四足も置けばいっぱいになる三和土にスニーカーを脱ぎ捨て、陵は中に入りながら声をかけた。
「お前も適当に靴脱いで入れよ」
後ろできょとんと佇む斉二にそう言うと、
「うん、おじゃましまーす!」
斉二はダンボールを抱えた格好で、快活にあいさつした。
玄関の先は、すぐ左手にトイレと浴室が、右手には冷蔵庫や食器棚がひしめく、手狭な台所があった。
「陵、帰ったの?」
台所の奥の部屋から、姉の知佳が顔を出した。高校一年生になる知佳は、ほっそりして、少し大人びた雰囲気が漂っている。
「こんにちは!」
斉二がいきなり元気な声を上げたので、知佳はやや面食らった。
「ど、どうも。陵の友達?」
「はい、山那斉二です!」
「雨に濡れてたから連れてきたんだ。姉ちゃん、こいつに風呂貸していい? あと、こっちも――」
陵が説明しながら斉二の持つダンボール箱に目をやると、知佳は不思議そうに近づいてきた。
「え、猫? わぁ、ちっちゃい、かわいい!」
箱の中を覗きこんだ知佳は、まん丸い瞳で見上げてくる幼い黒猫に、思わずはしゃいだ。
「学校の前に捨てられてたのを、斉二が拾ったんだ。家に連れて帰るって言うから、風呂の間だけ、こいつも中に置いてやりたくて」
「少しなら大丈夫よ。この降りじゃ、猫の声もよそに聞こえないだろうし」
知佳はすっかり子猫のとりこになってしまったらしく、二つ返事で了承し、ミイミイと鳴く子猫に顔をほころばせている。
「ところで、猫はこのままにしといていいの? まだ子猫だよね。うち、動物飼ったことないし、スマホもパソコンもないから調べられないけど……」
知佳がふと面を上げ、心配そうに呟いた。
すると、斉二は箱の中の子猫にまなざしを注ぐ。その時、陵には、斉二の琥珀色に包まれた瞳孔が、すうっと三日月型に細まったように見えた。
それは人というより、猫に近い獣の目に似ていた。けれど、そのことに気づいたのは陵だけで、知佳は何とも思っていないようであった。
「陵ちゃん、この子を温めてくれる?」
と、おもむろに斉二が言った。
「は?」
斉二の瞳に気を取られていた陵だが、その言葉で我に返る。
「この子、外にいたから冷えちゃってるんだ。ぼくと同じだよ。ミルクも飲ませてあげたいけど、まずはあったまろうね」
後半の言葉は子猫にかけつつ、斉二は細いうぶ毛の生えた体を優しく撫でる。
子猫は斉二に答えるように、まだ短いしっぽを小刻みに揺らしてミャアと鳴いた。