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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

腐敗して、蜃気楼

作者: 静 霧一

 

「今日の天気は快晴です!ところにより最高気温が35度を超える真夏日となりますので、こまめに水分補給をしましょう!」


 テレビ越しの白いブラウスを着たアナウンサーが快活に今日の天気を読み上げていた。

 開けっ放しの窓からは、蝉のミンミンという鳴き声と窓際の風鈴がちりんちりんという音が合唱している。


 夏の熱を帯びた風がふわりと白いレースカーテンを揺らし、リビングに吹き抜けていったかと思うと、公園で走り回る子供のように、足早に空のどこかへと消えていった。


 窓から差し込んでくる日差しが、私の足元まで伸びるとじりじりと熱を帯びていくのを身を持って感じる。

 外の茹だる暑さとは対照的に、私のいるリビングはどこか異質な、生命を凍らせた氷のように冷え込んでいた。


 テーブルに伏せる母。

 床に転がる父。


 白い泡のようなものを口から垂らし、紫に変色した唇と、青白く血が引いた顔からはもはや人の温度というものを発していない。

 私はその光景を横目に、昼のニュース番組をソファーに座りながらだらけた姿勢で見ていた。


 体が思うように動かないのは、夏の暑さのせいだと、冷を求めて立ち上がる。


 冷蔵庫に向かう足取りは軽やかなステップを踏み、床に転がる父を踏んづけぬよう、ぴょんぴょんと飛び越し、ポニーテールの黒髪を揺らしながら、冷蔵庫の前にたどり着くと鼻歌交じりに冷凍室の扉を開けた。

 冷凍室から高級アイスのカップのバニラ味を取り出すと、すぐさまスプーンを刺し込み、一口頬張った。


「んー!甘い!」

 私はその口どけの甘さに感動しながら、二口三口と口の中へとアイスクリームを放りこんでいった。


「ごちそうさま」

 あっという間に空になったアイスクリームを、ゴミ箱の中へと無造作に詰め込む。


「始めなきゃな……めんどくさい」

 私は半そでのTシャツをめくりあげ、頭に白い布地のタオルを巻くと、よしと腰に両手をあてがい鼻を鳴らした。


 よっこらせと、父と母の重い体を引きずりながらお風呂場へと持っていく。

 脱衣所に父と母を無造作にどさりと放り投げると、私はお風呂場の引き戸を引いた。


 お風呂場の中は、水が取り切れておらず、少し湿っぽいカビの匂いが充満していた。


 さらには使いかけのシャンプーとリンス、プラスチックの水桶が散乱していて、几帳面であった私はその乱雑さに嫌気がさし、台所から40リットルの半透明のビニール袋を持ってくると、その中にお風呂場に転がっていたものを全て投げ入れた。


 5分ほどでお風呂場からは何もかもがなくなり、真っ新な状態となる。

 その状態に私は満足し、これなら大丈夫と意気込むと、まずは父をお風呂場へ移動させた。


 これからが本番だ。

 私は自分の部屋へと一度戻ると、ホームセンターで買ったゴム手袋とマスク、白色の業務用防水エプロンを身に着け、片手には家庭用の電動ノコギリをを持った。


「さて、始めましょうか」

 私は父の首にノコギリの刃先を当て、スイッチを押した。


 ◆


 私の家は裕福だった。


 父は大きな会社の偉い人で、私は平均的な家庭の暮らしよりも少しだけいい暮らしをしていたのだと思う。

 これは私の偏見なのだが、仕事が出来る人というのはどこかサイコパシーというか狂っているというか、

 頭のネジがどこか外れているようにも思えた。

 それもこれも、短気で、利己的で、共感性の欠片もない父の姿を幼少のころから見てきた環境のせいだと思っている。


 母は、専業主婦だった。

 周りから見れば温厚で、皆に優しく、家庭的な母親という役を外ではよく演じていたのを覚えている。

 幼稚園に持っていくお弁当には、いつも様々な料理で工夫が凝らされていて、友達も先生もこぞって私のお弁当に注目した。


 私は皆から注目されることにどこかふわふわとした優越感を覚えていたが、家に帰ればそんな優越感は煙のようにどこかへと消え去っていく。


「お弁当、ありがとう。おいちかったよ」

 私は一生懸命にいつも母にお礼を言ったが、その顔は無表情で、「全部食べてくれたのね、ありがとう」と言ってくれることなど一度としてなかった。


 母は私になど微塵の興味もなかったのだ。


 自分の見栄ばかりに囚われ、子供も家庭的な美しい母のコレクションの一つでしかない。

 父も、仕事先の信用を持つために、わざわざ面倒でありながらも子供を産んで、育てている。


 排他的な父と、他人に興味を持たない母。

 私の家は、一見幸せそうに見えているが、扉を隔てたその先は、毒蟲の蠢く巣窟のような有様であった。


 唯一、この家でまともだったのは私の2個下の弟の優斗であった。


 この父親と母親から生まれたとは思えないほど、純朴で、誰にでも優しい、笑顔の絶えない子犬のような男の子だった。

 毒親に蝕まれ、狂いかけていた私の精神をまともなものに保ってくれていたのは弟の存在があったからなのだ。


 だが、事件は私が高校三年生の時に起こってしまった。

 弟が死んだのだ。


 ちょうど私は受験のために、勉強漬けの毎日を送っており、常にストレスにさらされている状況の中で、弟をかまうことができなくなり、その異変すら気づくことが出来なかった。


 学校へと行く時間にいつもなら起きているはずの弟が、2階にある自室から降りてくる気配が感じられず、どうしたのかと私は彼の自室を覗こうとするが、軽いはずの扉がびくともせず、何かが圧し掛かっているような重さを感じた。


「ねぇ、大丈夫!?優斗!ねぇ!」


 私は叫びながら力づくで、その扉を押し続け、なんとか無理やりその扉をこじ開けた。

 その絶叫を聞いた母親が何事かと、台所から2階へと上がる音が聞こえる。


 私は母親が来るのを待たずして、少しだけ空いた扉に足を踏み入れ、そのまま体をねじ込んだ。

 がらんとした部屋に、閉め切ったカーテンの隙間から朝の木漏れ日が部屋へと差し込み、埃がキラキラと反射している。


 静寂が立ち込める部屋に、弟は苦しそうな顔をして眠っていた。

 部屋のドアノブに縄をかけ、座り込むようにして、口元に泡を垂らしながらこと切れている。

 ホラー映画で扉に縄を巻いて自殺する描写を目にしたことはあるが、実際これをする人がいるだなんてかんがえたこともなかった。


 私は青白くなった弟の姿をみて、不謹慎ながら思わず興奮してしまった。


 その時からだろう、私の中の自分は完全にバランスを失い、黒いドロドロとした凶悪が私の心の中に一気に流れ込んでくる感覚がし、思わず体が熱くなったのを覚えている。

 弟の死を美化し、もはやそれが芸術作品とさえ思えるほどであった。


 弟の自室で膝をつきながら呆けた顔をしていると、後から部屋に入ってきた母親が、弟の姿を目にし、あまりの驚愕に腰を抜かしながらも、救急車を呼んだ。


 その後、父にも電話を入れたが、弟が死んだというにも関わらず、「この仕事が終わったら駆け付ける」と、結局運ばれた病院についたのは電話から5時間後のことだった。

 弟が死んだ理由は未だにわかっていないが、たった一枚の遺書に「もうつらいです」とだけ書かれていたことが全て物語っていたと思う。


 優しさには何か対価が必要なのであって、決してタダで享受するものではない。

 だが、不幸にも日本人の気質なのか、人に優しくするのは当たり前だと思っている。

 弟は傷を負いながらも、人に優しくしすぎたのだ。


 あまりにも哀れな最期だった。


 人の優しさの容量は決まっていて、それを枯らすまで使い果たしたボロ雑巾のような姿が彼の最後だと思うと、もはや彼を食い尽くした知り合い、友達、そしてすべての元凶である両親はもう人と見ることは出来ず、害獣そのものに思えた。


 弟が死んでからというもの、家の中は不純物が取り除かれたように上手く回り始めた。


 この家族は誰にも興味がない。

 弟はこの狂った家族の中の、汚れのない一点だったがゆえに、黒い汚れた私たちに塗りつぶされ、溺れ、窒息死したに過ぎなかった。


 弟の死から4年の月日がたち、私は大学3年生となった。

 私は国立の難関大学に合格し、幸せなキャンパスライフを送っていた。


 上辺だけの友達と、美味しくもないデザートを食べに行き、たいして好きでもない彼氏を作り、世間体を損なわない程度の人付き合いを最低限行っていた。


 それもこれも、私の中の狂気を飼いならすための行為であった。


 薬物や人体構造、証拠隠滅に至るまでを勉強した私は、暇つぶしに完璧な殺人を行うために、夜中のクラブへと入店した。

 髪の毛が金や銀に輝き、ダサい服装をした男女が入り乱れ、踊っている。


 私はわざと声をかけられるように、地味な恰好で、たった一人、カウンターでアルコール度数の低いカクテルを飲んでいた。

 すると、餌につられたバカな魚が私へと声をかけ、見え見えな下心を振りまきながら、私をホテルへと誘った。


 私は勿論、その誘いに乗った。

 ホテルまでの間、バカそうなこの男がべたべたと私の体を触ってくるのは、気持ちの悪い不快感しかなかったが、これからこの男を殺せるということを考えると、私はその興奮を抑えることは出来なかった。


 ホテルにつき、部屋に入った途端、2人の熱情を一気に燃え上がった。


 襲い掛かろうとする無知な男と、殺そうと男を襲う狂気的な私。

 どちらも似たようなものねと私は思わず笑ってしまった。


 結果を言うと、私は肌を見せることなく、男を殺害した。


 私は彼を誘惑するように、まず上半身だけ服を脱がせ、ベッドへとダイブした。

 私の服を脱がそうと彼が私に手を伸ばした瞬間に、手元に忍ばせていたスタンガンで体を硬直させ、ベッドに彼を寝っ転がらせる。


 そして、手持ちのカバンから液状の覚せい剤の入った注射器を取り出すと、男の静脈へと正確に刺し込んだ。

 一気に覚せい剤が注入される光景は、まさに快感の一言に尽きた。


 徐々に男の様子がおかしくなりはじめ、最後は大量の泡を吹きながら、部屋の扉の前で息絶えた。

 男が迫ってくるのところから逃げ出す私の怯えた演技は、素人ながら完璧だったと自負している。


 ホテルの廊下へと叫び声をあげながら這いずるように逃げる私の姿が、監視カメラにばっちりと映っており、状況証拠より、男は薬物の過剰摂取による薬物中毒死でカタがついた。

 警察は親身になって、私を擁護してくれたが、思わずその場で腹を抱えて笑い転びそうになるのを抑えるのが大変だった思い出がある。


 それからというもの、私は数々の殺人を犯した。


 ネットでいけそうな人を探すと、アプローチをかけ、すぐさま現実であった。

 私は平均的な見た目よりも、少し美人だったのが幸いしたのか、みんな快く私の言うことを聞いてくれた。


 私がターゲットとした人たちは、全員行方不明となり、忽然と姿を消した。

 それもそうだ、私が森の中の秘密基地でもある廃屋で、みんな肉屋に並べられた肉片のように綺麗に解体されて、最後は灰になって川に流されているのだから見つかるはずもない。


 証拠は何一つ残っていないのだ。


 そんなことが日常茶飯事の出来事となったある日、警察が私を訪ねてきた。

 行方不明になった小宮 将司という人物の事情聴取で、行方不明になる直前に出会っている私に声をかけたのだ。


 あくまでも事情聴取だけではあったが、捜査の手がのびるのももはや時間の問題だと私は悟った。

 私はそろそろ潮時かと、引き出しにしまっていた青酸カリを手に取った。


 そしてあくる日の土曜日。

 梅雨が終わり、蝉の鳴く茹だるような暑さの夏の日に、私はメインディッシュで残していた父と母を殺した。


 ◆


 お風呂の血だまりを洗い流し、部屋にあらかじめ買っておいた大きめのトランクケースを用意すると、バラバラにした父と母をその中へと詰め込んだ。


 バッグがべとべとするのが嫌だったので、ビニール袋に臓器やら腕やらを詰め込んだが、空気を抜くために少しばかり手で押すと、血なまぐさい匂いがお風呂場に漂い、それがまた不快感を増した。


 私はすぐさまその作業を終えると、パンパンになった3つのトランクケースを引きずりながら、父が愛用しているSUVの荷台にトランクケースを積むと、私はそのまま静岡まで向かった。


 東京から静岡まで約4時間。

 高速道路の途中にあるサービスエリアでお菓子を買いながら、楽し気に話すラジオ番組を鼻歌交じりに聞き、ひと時の幸福を味わいながら、私は旅をした。


 夕方が差し迫ろうとしている午後5時。

 私はようやく静岡県へと到着し、海のほうへと車を走らせる。


 窓を開けながら走る運転というのはとても心地が良いもので、そこから感じる風には、仄かに潮の香りが混じっていた。


 私はそんな潮の香りに思いを馳せながら、とうとう目的といていた浜辺へと到着し、車を止めた。


 そこには誰も人はおらず、ただ浜辺に打ち付ける波の音だけが、ざざざと響いている。

 私は車の運転席から降りると、海の地平線に浮かぶ真っ赤な夕日を眺めながら、その場に体育座りをするように腰を下ろした。


 夕日というのはどうも、人を感傷的な気持ちにさせるようで、私の目からは思わず涙がこぼれ出てしまった。


 私はもとからこんなに汚れたサイコキラーだったのだろうか。


 もし、もっと違う国、違う時代、違う家族のもとで生まれていたのなら、こんなに狂うことなんてなかったのだろうかと、ありもしない幻想を思い浮かべる。


 私だってごく普通の女の子みたいに、恋愛して、結婚して、子供を作って、そんな絵にかいた幸せを欲しいと思ったことだってあった。


 だけど、何分頭のいい私は、毒親から生まれた自分は、いずれ毒親になってしまうと心の奥底で感じていた。


 それは、私は自分の子供に、私が受けてきた同じ仕打ちを繰り返すことになり、これは永遠に続く罪のスパイラルを生んでしまう。


 それを断ち切るための生物の防衛本能が働いたせいか、私はこんなにも狂ってしまったのだと思っている。


 結局のところ、毒親のお腹に私が誕生した時点で、この運命はもう決まっていたのだろう。

 少しだけ未練と寂しさもあるが、これも全て運命だと私は割り切った。


 私はようやく旅立つ決心がつくと、その場に立ち上がり、お尻についた砂を払った。


 そして、車の運転席に戻ると、車の鍵を回し、エンジンをかけた。

 エンジンの低い稼働音が勇ましく聞こえる。


 私はアクセルをゆっくりと踏み込むと、そのまま静かなる海の旅へと出かけるように、ゆっくりと発進した。


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