第3話 狐狼鉄拳キャプテン・ブレッド 後編
今から約20年前。旅客機の墜落事故によってこの国へと舞い降りた、叢鮫颯人という幼子は――物心つく前から、餓えていた。
両親の屍肉を喰らって生き延びた彼が、それが「禁忌」であると知ったのは。現地の言葉を理解できる歳になってからのことであった。
生きるため、より多く食べるため。
16歳で陸軍に入隊した彼は、戦士としての素質を見出されると――「戦闘改人」と呼ばれる人型兵器に改造され。機械仕掛けの兵士として、命じられるがままに戦い、奪い続けた。
身体が機械になったと言っても、それは強化服での戦闘に適応するため、全身の皮膚や筋肉をより頑強なモノへと挿げ替えたに過ぎず、基本的な生体機能は生身の人間と大差ない。故に彼らは、飢えを満たさんとするヒトの欲求を抱えながら、ヒトから外れた「力」を振るい続けていたのだ。
そして。その陸軍兵士としての日々は、矛盾の極致であった。
親を喰うのは悪いことだと教えた大人達が、上官達が。今を生きる子供達に、その選択を強いているのである。
彼らが説く「正義」と「悪」の境目は常に曖昧であり、不安定であった。
颯人がいくら命懸けで戦っても、胸に深い傷を負っても。この時代に生まれてきた子供達が、飢えから解き放たれることはなく。ただ「力」のある者達ばかりが、どこまでも肥えていたのだ。
――やがて、大尉に昇進してから間も無い頃。颯人は軍を抜けて、食料を奪い――子供達にそれを分け与えることに決めた。
そして。そのために自作したケトン体感知装置を自らのボディに埋め込むと、亡き両親の名から取って「LOVE&COURAGE」と名付けたのである。
陸軍では子供達を救えず、親を喰うという「禁忌」を止められない。ならば、自分が彼らに代わりその過ちを止める。
この世に生まれ落ちてから、21年に渡る人生を経て――導き出した結論が、それであった。
無論、そんな叛逆者を陸軍は決して許さない。だが、誰に狙われようと、もはや叢鮫颯人という男は止まらないのである。
――親を喰うような真似を、子供にさせてはいけない。それが、まだ幼かった頃の彼に課せられた、最初にして最大の任務なのだから。
「……そうだよな、父さん。母さん」
故に彼は、どれほど傷付き壊れようとも。飢餓という「悪」が絶えぬ限り、己の使命に従い荒野を歩む。
旅客機の残骸で造った1枚の盾に、両親を始めとする犠牲者達の、御霊を宿して。
全ては――この先に待つ、真珠の如き命の群れを救うために。
――飢えに苦しむ子供を救う、という。どのような時代でも決して揺らぐことのない、不変の「正義」を遂行するために。
◇
2121年、4月。タンブルウィードが絶えず転がり、砂塵の嵐が吹き抜ける陸軍基地。
その全貌を見下ろしている司令室は、外の喧騒に反して静寂に包まれていた。
「――来たか」
だが。それが長く続くことはないのだと、司令官の座に就く男はよく理解している。
扉を破り、轟音と共に1枚の「盾」が室内へ翔んで来たのは、その直後であった。
一瞬で首を刈り取らんとする、殺意に満ちた奇襲。しかしその技を持ってしても、将軍の命を奪うには至らず――彼はたった2本の指で、己を狙う盾を挟むように止めてしまった。
「陸軍最強の君が、大尉止まりだった理由を教えてあげようか。……その燃え盛るような闘志と殺気を、いつまでも隠せないからだよ」
そして彼は、返礼として盾を指2本で投げ返してしまう。最初に翔んで来た時よりも、遥かに速いスピードで。
「――これから消える軍の階級など、何の価値もない」
「日本人の割には、謙遜というものを知らぬ男だな。しかし、君のそういう正直なところは嫌いではない」
その殺意の一閃を、「持ち主」は容易く受け止めていた。司令室へと踏み込む瞬間、自身に襲い掛かってきた盾を紙一重でキャッチした彼は、倒すべき仇敵との対面を果たす。
一方。そんな彼に背を向け、椅子から立ち上がった将軍は――ガラス壁から基地の惨状を一瞥していた。先程まで怒号と銃声が轟いていた基地には、戦闘改人達の「残骸」が死屍累々と横たわっている。
将軍の体内機関から常に散布され、司令室全体に充満している強力な毒ガスは、象ですら僅か数秒で死に至らしめる。その威力を以てすれば、どんな叛逆者も決して、彼の命を狙いになど来られない――はずであった。
あらゆる毒を遮断する鉄仮面を持つ、戦闘改人の中から。その「叛逆者」が、現れない限りは。
「だが残念だよ、ムラサメ大尉。こうして会ってしまった以上、私は君を殺さねばならない。あとほんの数週間で、戦う必要もなくなっていたというのに」
黒と紫紺を基調とする、最古の強化服。その「骨董品」に身を包む白髪の男は、齢75という老境の身でありながら――220cmという長身と、強化服を内側から押し上げるような筋肉を備えていた。
己の命を狙う刺客に、背を向けたまま。残り少ない自身の「余命」を告げる彼に対して――最強の戦闘改人は、静かに口を開く。
「貴様に用などない。用があるのは、貴様が隠している食料だけだ」
「ならば尚更、死に急ぐ必要などなかっただろう。君はもう少し、気の長い男だと思っていたが」
「貴様の死期を待っていては、飢餓に苦しむ人々が保たん」
「そうか。それは愚問だったな。君は昔から、自分を顧みない変わり者であった」
刺客は再び盾を投げ付け、将軍の首を狙う。膂力と体格で圧倒的に勝る将軍は、何度やっても同じと言わんばかりに、再び指で投げ返してしまうが――今度は刺客の方がローリングソバットで、さらに素早く盾を蹴り返した。
その一撃には、反応し切れず。老朽化した装甲を破り、盾の端が刃となって、将軍の腕に沈み込んでしまった。
「あぁ……それともう一つ、詫びねばなるまい。君はこういう無駄口が、何より嫌いであったな」
「心配するな。遺言くらいは黙って聞いてやる」
「……ありがとう。その御厚意に免じて、一瞬で殺してやる」
強引に盾を腕から引き抜いた将軍は、怒りを乗せた豪腕の一撃で――刺客の「得物」を、木っ端微塵に粉砕してしまう。
その拳の奥からは錆び付いた歯車をはじめとする、老朽化した機関部の悲鳴が、絶え間なく滲み出ていた。
長きに渡り、絶対的な強者として君臨してきた自分の人生が、最後まで誰も敵わなかった「勝利者」という形で、終わろうとしているのに。
その幕引きを最後の最後で、「敗北」に染めようとする無粋な刺客に対して――彼は衝き上がるような怒りを露わにしている。
だが。凍て付くような彼の殺気を前にしても、刺客の表情に揺るぎはない。「勝ち逃げ」など許さない、と言わんばかりに。
「……シィッ!」
「ぐぅッ……!」
それは、瞬きする暇もないほどの疾さだった。その体躯からは想像もつかないほどの踏み込みを経て放たれる、漆黒の鉄拳。
盾を失った刺客にその一撃を凌ぐ術はなく、咄嗟に十字を組んだ両腕の防御をも突き破られ、激しく吹き飛ばされてしまった。壁に叩きつけられ、地に墜ちた弾みで仮面が半壊し、鋭い片眼が露わになる。
「それでは遮断も出来まい。私のガスにどこまで耐えられるかな」
「……貴様が死ぬまでだ。俺は、絶対に諦めん」
だが、満身創痍となり身を震わせながらも。血みどろの刺客は立ち上がり、その眼光で諸悪の根源を射抜き、拳を構えていた。
彼の無骨で、無様で、不器用な姿を前にした「骨董品」も、また。その酔狂さに付き合うかのように、臨戦態勢の構えを取る。
――そして、次の瞬間。
CAPTAIN-BREADこと、叢鮫颯人と。GENERAL-VIRUSこと、ヴィルゴス・ロイドハイザーの。
戦闘改人同士の。血塗られた拳が、交わり合う――。
◇
そして、それから数週間後。
子供達の前に、彼が現れることはなくなり――陸軍の象徴が斃れたことで、彼らの圧力も勢いを失った。
――やがて、悪の戦闘改人が1人残らず消え去ったこの国に、念願の平和が訪れ。
子供達が食べ物に喘ぐ時代は、終わったのだという。
◇
だが、当時。
陸軍の崩壊により、誰かが届けるまでもなく。多くの食料が、民衆の手に渡るようになっていたことと。
貧困に喘ぐ別の国々で、赤茶色の戦闘改人が、幾度となく目撃されていたことは――あまり知られていない。
――そして。とある遠い国へと繋がる、国境線の前には。
「あんたのその赤いバイク、アーヴェイ・ラヴィッドソン製かい? 隣国の陸軍でしか使われてなかったレア物じゃねぇか、よく手に入ったな」
「これしか足がなかったんだ。……行き先はここで間違いないんだな?」
「お、おぉ。……けどよ、あんた本気か? あっちの国はホントに何もねぇんだぞ。あるとすりゃあ、過激派組織と紛争と飢えたガキ共だけだ」
「それだけか」
「あぁ、それだけだ」
「そうか」
小さな検問所での入国審査を終え、黒髪を靡かせる1人の青年がいた。彼はブラウンの革ジャンを翻すと、弾痕だらけの古びたバイクへと跨る。
「なら、それだけで充分だ」
そのタンデムシートには――赤茶色の強化服、のようにも見える錆びた鉄塊と。山ほどのパンが、積まれていた。




