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思春期エンピツ

作者: 凸□





エンピツ


 私は、年老いた鉛筆だ。もう長年この少年に使われていて小さくなり、文字通り、老い先の短い鉛筆だ。

 昔の私は長かった。その頃は持ち主である少年、私の主の握る手も小さく、私の頭(削られていないほう)もよくブンブンと揺さぶられたものだ。その私もいつしか使われ削られ短くなり、主の手も立派に大きくなっていき、今では手の平で握れば隠せるほど小さく使い古されたものになった。

 時の流れは早いもので、一緒にこの大きな筆箱に入った仲間たち。例えば消しゴムは、たまに細切れにして飛ばされつつも使い切られて姿を消し、ほかの沢山の鉛筆仲間も、皆その役目を立派に全うして消えていった。同じ時を過ごしたモノたちで残っているのは、今では私だけだった。だが、主には感謝しなければなるまい。今この時代、こんなにも私たちを最後まで使ってくれる子供など、中々に居はしない。彼は若くして素晴らしき倹約家であるのだ。

 しかし近頃の小学生というのは、鉛筆を使うのも小学校でも低学年までで、カッコイイから、便利だからとみんなシャープペンに持ち替えているようだ。その流れには逆らえず、我らが主も小学六年生になると、他の子たち同様にシャープペンを使い始めていた。

 だがもしもの時のためなのか、入っていることを単に忘れているだけなのか。シャープペンが活躍している今でも、私は鉛筆では唯一ひとり、この筆箱にひっそりと身を寄せている。もうずっと使われることなく、ひっそりと……。


キーンコーンカーンコーン。


 間延びした、しかし音量が大きくて無理にでも耳に張り付くチャイムの音が、今日も朝から鳴り響く。

 今年の春にクラス替えで一緒になったクラスメイトたちは、まだ予鈴だからと高をくくってほとんどの生徒が席に着かなかった。主の周りにも数人の友人たちが彼を中心に、一つの机を囲んでいた。机には私の住まう大きな筆箱と、緑の表紙の、中身は線も何も引かれていない真っ白な自由帳が広げられ、各自が思い思いにその白さを埋めていっていました。私はその様子を、筆箱の中からひっそりと眺めている。

 主の周りを囲む友人たちは、男の子も女の子も混じっていた。男の子たちは今テレビで流行りのアニメキャラクターを、誰が一番かっこよく描けるかと懸命に競い合い、女の子たちはファンシーなクマやウサギ、某夢の国のネズミたちなど、可愛いものを描いてはみんなで褒めあっていました。しかしその中でも主の絵は、どちらのものを描かせても、他の子たちに比べ格段にお上手に描けております。

「やっぱ、お前ってすげぇよな! なんでこんな上手く描けるんだよ? この絵ちょーカッコイイじゃん! そっくりじゃん!」

「うんうん、こっちのもすごく可愛く描けてる! どうやったら君みたいに上手に描けるのかな?」

「そ、そんなことないよ……。みんなも練習すればこれくらいすぐ描けるよ」

 囲う友人たちに自分の描いた絵を褒められ、主は恥ずかしそうにしてカリカリと鼻の頭を掻いていらっしゃる。

 このような賑やかな様子は、決して今だけの出来事ではありません。六年生に上がってから主を囲むこの友人たちが出来ると、いつもこのような感じなのです。


 始めの頃は主一人だけで絵を描いていました。少なくとも去年、一年生から五年生までの間は、休み時間のたび、一人で白い自由帳を懸命に埋めていました。毎日毎日、懸命に埋めていました。

 それは六年生になっても変わらず、黙々と絵を描いていた時でした。今まで同じクラスになった事のなかった、一人の男の子に絵をジッと見られていたのです。冷やかされる、そう思ったでしょう。事実、今までがそうだったように。いつも絵ばかり描いてる暗いやつ。主にはそんなレッテルが貼られていました。

 しかし、この時ばかりは展開が違った。ちょうどその時描いていたアニメキャラの絵を男の子が見ると、眼を輝かせながら、もっと描け、もっと描け! と催促されたのです。これには主もちょっぴりビックリしていたものの、とりあえずはそのアニメの主要なキャラクターを全員描いてやっていた。男の子は大喜びして、その絵の描かれた自由帳をスッと主の手から奪うと、勝手に自分の友人らに見せに行ってしまったのです。

 その瞬間、あぁ今年も終わったな。と、彼は覚悟していました。だが意外にもその予想は見事に外れ、むしろそれがきっかけとなり、その男の子らと親しい関係の下地を作ることとなったのです。

 それからは、休み時間に一人で絵を描くことはなくなりました。必ず誰かが隣にいて、主と一緒に絵を描きたがった。そのうち、主の絵の上手さは女の子たちの耳にも入ったらしく、一部の娘たちが興味本位で話しかけて来るようになりました。ちょっとぎこちない会話をし、ちょっと彼女たちの好きな可愛いマスコットを描いてやると、あとはもう男の子たちとまったく同じ展開となり、いつの間にか主の周りには、友達の輪ができるようになっていました。


「ちょっと、邪魔なんだけど。どいてくんない?」

 横から軽くドスの利いた、しかし低すぎない女の子の声が、主たちの輪を一気に静寂に包ませる。隣を見ると、そこには赤いランドセルを片手で肩から引っさげ、不機嫌な顔を隠そうともしない一人のお嬢さんが立っている。小学六年生の女の子にしてはどちらかというと背が高く、ツヤツヤした黒い髪を一本の長い三つ編に結っていました。

「つーかさ、そんなことやってんのはアンタらの勝手だけど、もうちょっと周りのこと考えてよね? まず、あたしの机にお尻乗せないでくれる?」

 ギロリと睨まれた一人の男の子が、慌てて主の机の、その隣の席から飛び退きました。

「もう予鈴なってんだから、さっさと自分の席戻んなよ。そっちが騒いでると、あたしまで先生に勘違いで怒られるんだからね」

 するが先か言うが先か、ランドセルを乱暴に机に叩き付けると、やはり不機嫌さを隠そうとせずにドッカリと席に着く。そこまで言われると、友人らは何も言葉を返すことなく、まさに蜘蛛の子を散らす様にそれぞれの席に戻っていきます。

 残ったのは、元々席に座っていた我が主と、隣の席の不機嫌少女。主は背筋を伸ばすようにカチリと固まっていたが、少し間を置くと、恐々といった様子で、けれどしっかりと、隣のお嬢さんに顔を向ける。

「ご、ごめんね? 今日は朝から変に盛り上がっちゃって……次は気を付けるからさ?」

 すると不機嫌顔のお嬢さんと、ガッチリと目線が合わさる。そうして五秒もないほどの沈黙の末「…………ふん」と彼女のほうから顔を背けられ、長い一本の三つ編が勢いよく揺れた。何故かその仕草に、主は安著というより落胆したような表情を浮かべ、ため息混じりに顔を俯けてしまいます。

 瞬間、ガラガラーッという音と共に、前の扉から紺色のジャージ姿の男、このクラスの担任がやってきた。いつの間に本鈴が鳴っていたのだろうか。

「ほーれまえらぁー、ちゃんと席着いとけよぉー? 机のものも片付けろぉー」

 やる気がないのかそれが地なのか。担任は妙に間延びした声でクラス全体に呼びかける。主も、慌てて机に出ていた筆箱とノートを机の中にしまい込みました。

 おっと主、筆箱のチャック開きっぱなしですぞ?私は暗いところに押し込められながらも、差し込む光が気になって表を見ていた。するとそこには、たった今しまった緑の表紙の自由帳のほかに、もう一冊。少し古びた、青い表紙のノートが見えた、ような気がした。そこでチャックは閉じられてしまったのだ。あのノートは、確か学年が上がる以前によく使われていた……。



僕。


「よーし席着いたな?じゃあ出席とるぞぉー…………………」

 幾人も生徒が呼ばれ、僕と、隣の少女もハイ、と返事をする。その声は、とても不機嫌だった。

 その後も出席の確認は続き、細かな連絡事項、プリントの配布など、朝のホームルームらしいことは続いていく。渡されたプリントの中には、わら半紙で刷られたあるアンケート用紙も混ざっていた。

「――――――っとまぁこんなもんかぁ?さっき渡したプリントのうちのアンケートはぁ、昼休みまでにきちんと書いて、日直に渡すようにぃー。以上ぉ」

「起立」その声は、僕の隣から響いてきた。少しビクリとしながらも号令に従い、続いて「礼」「着席」を済ますと、クラス中が真昼のスーパーにでもなったように喧騒が広がった。

「日直……だったの?」恐る恐る、僕の首はギリギリとでも音を立てそうなくらいゆっくりな速さで、隣の少女に顔を向けた。

「日直だったの。アンタもね」不機嫌だった。それはもう例えれば、冷蔵庫にあったプリンを、しかも名前まで書いておいたのに兄弟にペロリと食べられ、更にこれ見よがしに空のカップを放置されていたおやつの時間の時のように。

「じゃあ、朝の日誌とかは?」とかは?と言い終える前には、横から黒く薄っぺらいものが飛んできた。

 あまりに突然すぎてキャッチは不可。いや、とりあえずキャッチはした。顔にビタンと張り付くことをキャッチと呼べるならばだが。

「書いといて。あとアンケート、アンタも集めてよ? 絵を描くくらいには暇あるんだから」

「…………うん」

 そう答えるしかなかった。たぶん今は何を言っても無駄なくらい不機嫌だから。きっと彼女が予鈴ギリギリで教室にきたのは、職員室で日誌を受け取っていたからだろう。それを含めて不機嫌で、何を含めても不機嫌なのだ。最近の彼女は、いつもいつも、不機嫌なのだ。

 昔はこうではなかった。僕と彼女は何気に小学1年生、つまり入学当初から今まで、ずっと一緒のクラスだったのだ。

 そしてずっと隣の席だった。本当に初めの頃は、席順は出席番号順だったためそれも仕方なかったのだが、学年も上がりクラスが替わっても彼女は一緒にいて、席替えがあっても、数回の例外を覗いてもほとんどが彼女の席の隣だった。要約すると腐れ縁という感じなのだが、僕はこの腐れ縁にちょっぴり嬉しさを感じていたりもする。

 仲は、まぁ良かったのだろう。休み時間のたびに絵を描いているといっても、さすがに本当にそればかりというわけでもなく、ごくたまにお喋りに費やす時もあった。ほぼ唯一の会話相手が、彼女だった。

 たまに笑って、たまに怒られる。たまに笑われ、彼が怒ったことはない。よく殴られもしたが、それもどこか暖かかった。

 でも絵にはそれほど関心がなかったらしく、今いる友人たちのように一緒に描こうとするとすぐ何処かへ消えてしまう。だから彼女と話すときには、絵は描かないことに決めていた。

 しかし見ることは別にいいのか、ごくたまにだが描いたものを見せる事もあった。去年までは漫画なんかにも挑戦してみて、それを見せてはオブラートも意味を為さないような酷評を受けたものだ。

 それが今年に入ってから。いや、六年生に上がってからか、彼女がいつも不機嫌になりがちになったのは。始めはただ虫の居所が悪いのだと思い、何も言わなかった。それが一週間続き、二週間続き、ついに横からの圧迫感に耐えられなくなりその理由を尋ねたら、

「うぜぇ」

 ……それだけ。あとは何も言わず、それだけだった。それから彼女とまともに会話が続いたことはない。事実、さっきだってそうだった。押しても引いてもスライドしても持ち上げても下ろしても叩いても揺らしても、どうしたって彼女は、不機嫌だった。



エンピツ。


 さて、今は2時間目の算数の時間。小学校も六年生となると、単純な計算問題だけでなく、面積やら何やら、色々と難しいものになってきているようでありますなぁ。そして我が主はというと、昔から算数が大の苦手のご様子。いつも教師に指されると、オタオタ立ち上がり、周囲の時間が止まったようにボーとしたまま立ちつくし、暫くして結局「分かりません」と括るのが常套句。しかし時折ではあるが、そのボーとした間に横から助けの手が差し伸べられることもあったのですが……。いやはや、以前も似たようなことはありましたが、今回はお二人とも重症のようですな。ここの所はそんなこともすっかり見かけません。

 今もやはり主が指名され、席を立って答えようとしていますが、例の如くボーの間が続く。今回はその間があまりにも長かったのか、痺れを切らした担任のほうから「もういいよぉ、座りなさい」と言われてしまっていた。

 しかし当の主はというと、それを気にした風もなく細身のシャープペンをぎこちなくクルクルと廻している。そんなことせずにきちんと勉学に励みなさい。行儀が悪いですぞ?

 そして次に指されたのは、冷戦状態の隣のお嬢さんでした。彼女はシャンとした様子で立ち上がると、少しも間違えず答えをスラスラと読み上げていった。うむむ、いくら応用問題で少し難しかったからとはいえ、主ももうちょっと頑張りませんと……。

「はぁい、正解だねぇー、よくできましたぁ。座っていいよ、難しい問題だったのによく解けたねぇ? 解けなかった子もまた頑張ろぉー。みんな、わからなかったらすぐに聞いていいからねぇぇ?」

 この担任、やる気無さげな口調の割にはフォローもしっかりとし、わからない子には個別でせっせと説明する意外にも真面目な教師だった。割と生徒受けも良いらしい。

 ストン、と座ったお嬢さんは、褒められたことを特に何とも思わない、といった顔で教科書に眼を戻す。しかし私は、いや、私と主は、と言った方がいいか。彼女のとある癖を知っている。それは、

カリ、カリ、カリ、カリ、カリ

 とこんな感じで、かじる。筆記具を。今はシャープペンの頭をカリカリと。これこそが彼女が照れているときの仕草、癖なのです。

 今はちょっぴり嬉しい、といったくらいのかじり方だろうか。本当に照れている時のかじり方は尋常ではない。それはもう、ガリガリ、いやゴリゴリ、いやいやギョリギョリだろうか。ともかく、見ているこっちまでかじられているように錯覚して、頭が疼いてきてしまうのだから、我々筆記具にとってはとにかく恐ろしい。

「…………あのさ」

 お嬢さんの筆かじりがピタリと止まる。眼だけ一瞥をくれるも、すぐに教科書に戻っていく。

「なによ」

「その癖、そろそろやめたほうがいいんじゃない?」おぉ、そうだ主、よくぞ言いましたぞ!

「その癖って、どの癖よ」

「それだよ、今やってたやつ。カリカリカリって、そのうちにそのペン全部食べちゃうよ?」そうですそうです。いくら我々でも食べられるのはゴメンです!

「……どれよ、あたしそんなことやってない。つーか、アンタ、こっち見てる暇なんかあったら問題解けば?」

「うん、問題も解くけど。やってたんだって、自分で気付かない?シャープペンの頭、ボロボロだよ」え?うそ、あ、ホントだ……あれ結構痛そうですよ、ていうかいまシャープペン泣いてますよ盛大に……。

「別に、これはあたしのシャープペンなんだからどんなことしたって勝手でしょ。いちいちウルサイ。こっち見んな。キモイ」

「キモイって……でも、物は大事にしなきゃ。大事にすればいっぱいいっぱい長持ちするよ?可哀想だよそんなにして」そうですぞ?ここにその証明がおります! 最近使用頻度はガタ落ちですけれど。

 するとお嬢さんの動きが、一瞬ピタリと止まったように見えた。

「―――――え―ぴつ…………ってない……よ」

「え?」

 なに?よく聞こえなかった。主がそう言っても、それから返事は一言も帰ってこなくなってしまいました。もう完全にシカトモード全開なのがわかったのか、主もそれ以上は話しかけず、悶々としつつもやっと授業に集中し始めたようです。

 しかし本当にお嬢さんはなんと?「……何を使っていない」と言ったのでしょう。私には主よりも多少良く聞こえたものの、やはり完全には聞き取れず、主同様に悶々と、筆箱の中でまた使われない時間を潰すのでした。



僕。


 算数の時間も終わり、ようやっと休み時間に入った。僕はいつもの通りに緑の表紙の自由帳を取り出してせっせと絵を描こうとした時、急に横からそれを引っ手繰られてしまった。

「ちょっと、アンタなんか忘れてない?」

 隣の三つ編の彼女だった。やはり未だに不機嫌顔なものの、朝よりは幾分落ち着いているらしく、さっきまでの怖かった顔がやや緩めに感じられるだけで、僕としては心の枷が一つ外されたような気分だった。

「えっと……あぁ、アンケート?」

「そう。昼休みまでに全員に書かせて集めなきゃいけないんだから、そんなことしてる場合じゃないでしょ?」そう言うとポイッと自由帳を投げ返し、面倒くさそうにため息を吐いた。

「あたしは女子の分集めるから、アンタは男子ね。後で書くって言う奴がいても絶対今のうちに書かせんのよ? そういうのは絶対ギリギリまで待ってても持ってこないんだから」

 そう言い終わると返事も待たずに踵を返し、反動で三つ編が鞭のように振り上がる。その後ろ姿はまるで一秒でも顔を合わせていたくないと言われているようで、さっき外れたばかりの心の枷が、また一つガシャリと増えた気がした。

 まぁ、そんなことでいちいち落ち込んでばかりもいられず、とりあえずは言われたとおりにせっせとアンケートを回収することにした。まずは仲の良い友人たちや、比較的真面目なグループのところに行って用紙を受け取る。書いてない人には、それほど時間の掛かるものでもないのでその場で書いてもらい、渡してもらった。

 さて、このアンケートというのが、近く行われる学校全体での合唱コンクール、そのクラスでの曲目を選ぶためのものだった。予め担任が選んだ複数の曲を、道徳や生活の時間に生徒たちに聞かせ、どれを皆で歌うか。それを決めるためのアンケートなのだ。

 大人しい男子グループを一通り回る頃にはその時の休み時間も終わってしまい、ある残された難題は次の休み時間に持ち越された。

 三時間目の国語の授業が終わると、前の休み時間に回っていたところを目聡く見ていたのか、横から彼女が無言の圧力を掛けてくる。

 わかってる。わかってるよ……。そう心で呟き、口では特大のため息を吐き出しながら、僕は重い腰をズルズルと持ち上げ、教室の裏で固まっている、一際大きい一ヶ所のグループへと歩いていく。

 皆さんにも覚えはないだろうか。クラスに一人はいる、いわゆるカリスマ、悪く言えばガキ大将みたいなタイプの存在を。そのグループは、まぁ可愛く言えばヤンチャな男子たちの塊りで、恐らくはそう簡単に出してくれないだろうなぁ、なんて内心僕は思っていた。確信といってもいい。

 話しかければ案の定、あーだこーだと文句を言われ、そこにいる奴らは中々アンケートを渡すどころか書こうともしない。必死に書いてよ、渡してよと頼んでも、それは新しいおもちゃを彼らに与えているようなもので、一向に回収は進まない。どうしたものかと、彼らに囲まれ弄られながら悩んでいた、まさにその時。

「お前らぁ、なぁに遊んでるのさぁ、そんなことしてないでさっさとアンケート書けぃよぉ?」

 突然聞こえてきたのは、担任のあの間延びした声だった。休み時間にはほとんど職員室で過ごしているから教室にはいないはずないのに、いや、いてもおかしくはないのだけれど、どうしてこのタイミングでいるんだろう?

「日直がわざわざ声掛けて集めてくれてんだぞぉ? さっさと書いて、遊ぶんだったらそれから遊べやぁ」

 しかも僕がアンケートを回収に回っているのを知っている。いや、だから別に先生が日直に頼んだんだからおかしくはないのだけれど、なんかタイミングが良すぎる。出来すぎていて逆に気持ちが悪い。

 カリスマ?グループたちも担任にまで言われてはやらないわけにもいかず、かなり御座なりにだがパパッとアンケートを書き上げ、僕に渡していった。これで、男子のほうで集める分は全部揃ったことになる。

「おぉおぉ、男子の分もこれで全部なんだねぇ? ありがとありがとぉー」

「男子の分、も?」

 『も』という所に、凄く引っかかりを覚えた。

「ん?あぁ、女子の分はさっき職員室で渡されてなぁ、男子のほうが進んでないんで注意してちょっとやれぇと言われてねぇ。まぁ、お前ももうちょっと物事をはっきりと言わなきゃいかんよぉ?」

 …………とりあえずはハイと頷いた。なるほど。注意してやれ、ね。なんていうか彼女らしい遠まわしなやり方だ。恐らくはもう席に着いているだろうその本人の席を見ると、チラリとこちらを伺う目線が、ガッチリと合ってしまった。

 向こうは慌てて視線をずらす。もうバレバレだけど。

 まったく、不機嫌ならそれはそれでそれ相応な態度をして欲しいものだけれど、結局のところ、彼女に気にしてもらえているということが分かってしまうと、自然僕の顔に笑みが浮かぶ。不機嫌なだけで、嫌われていないならそれで良い。良くはないんだろうけど、なんだか、そう思ってしまう。

 とりあえずはこうして、昼休み前には無事アンケート用紙を人数分回収することができた。何はともあれ、昼休みにはゆっくり絵が描けそうだ。


 ……ゆっくりと、描けそうだったのになぁ。

 四時間目の授業も終わり、僕はそれほど早食いなわけじゃないのでゆっくりと給食を食べ終えると、クラスメイトたちが急ぎ足で校庭に駆け出していくのを後目に、やっぱりいつも通り緑の表紙の自由帳を取り出した。

 取り出して、すぐ奪われた。

 なんとなく誰かと分かってはいても、とりあえず奪われた先に眼をやれば、やっぱりそこには長い三つ編を垂らした彼女の顔。そしてやっぱり不機嫌。自由帳の緑色の表紙だけを見て、つまらなそうに「ふん」と一言。ポイとそれを投げ返されると、

「先生に呼ばれた。職員室いくよ」

「………………ハイ」

 溜息をつきながらノロノロと自由帳や筆記具をしまっていると、彼女はさっさと教室から出て行ってしまったので慌てて後を追った。

 廊下の途中で追いつき並んで歩こうとするが、歩幅を合わせるたび絶妙な感覚でずらされて、いつまでも横には着けない。結局諦め、彼女の後ろを黙って付いていく。僕は金魚のフンか、いやそれ以下でミミズのフンか。もうここまでシカトされると浮かぶ言葉まで自暴自棄。でもミミズのフンって土を綺麗にしてくれるんだってね? ヘェー。なんて昔流行ったボタンを心の中で連打してると、いつしか目の前には職員室。

 ノックを二回。引き戸を開けて、特に意識はしなかったのが、二人同時に「失礼しまーす」と声が重なる。フイッと周りを見渡すと、端のほうのデスクでお茶を啜っている担任を見つけ、側まで近づく。

「先生、来ました」

「ん?あ。あぁあぁ、もう来たのかい、早かったね。もうちょっと後でも良かったのに」

「来いと言われたから来たんです。御用はなんですか?」

 つっけんどん、と言うにもあまりに無愛想というか、無骨というか、まさか担任にまでこんな態度を当て付けるとはさすがに思わなかったのだが、当の先生はというと、そんな言葉遣いも特に気にした風も更々ない。実に飄々としていて、この人も今の彼女に劣らず何を考えているのかわからない。

「そだそだぁ、うん、実はねぇ? さっきまで君たちに集めてもらったアンケート、あるでしょぉ」

「はい、あれが何か? 誰か抜けてましたか、男子とか」

「え? 僕は全部集めたつもりだけど……」

 チクリと細かいトゲが刺さる。君はサボテンか?

「いやいや、ちゃんと人数分全部揃ってるよぉ、ありがとぉねぇ。で、なんだけど」

 先生が、会話しながらも手放さなかった湯飲みをタンとデスクに置く。すると薄いクリアファイルにまとめられた、先ほど二人で回収したばかりのアンケート用紙の束を彼女に手渡した。

「実はさぁ、今日中にそれを集計して明日の授業で結果を発表しようと思ってたんだけどね? 僕ら、急に放課後は職員会議の時間が入っちゃったんだよぉ。でぇ、ちょっと時間も迫っちゃってるから、その集計、日直の君たちに集計してほしいんだねぇ」チラリと隣を見ると、あぁそういうことか要は小間使いねもうどうでもいいや好きにしてちょうだいって顔で窓の外を眺める彼女。

「名前も書かないようにしたし、ただ票数を数えればいいだけだからさぁ、放課後にでも残ってちょちょっとやっちゃってくれないかなぁ? それが終わる頃には会議も終わってると思うし、日誌と一緒に持ってきてよ」多分そんな彼女の表情を分かっちゃいるのだろうけれど、それでも淡々と雑務(物理的にはそのファイル)を押し付ける先生のその自分都合な性格に、乾杯。

「わかりました、やっておきます」そんな自己中な先生に逆らうまでもなく、僕は完敗。

「………………………」何も言わない彼女に、僕は心配。……ごめん、ダジャレ言いたかっただけ。

 とりあえずファイルは受け取ってしまったわけだし、担任からの直々の頼みでもあるし、当然断る理由もなく了承して、僕らは職員室を後にする。この時、どうせ結局僕一人が残ってやる羽目になるんだろうなぁなんて思っていたら「ちゃんと二人で、仲良く、やってきてねぇ?」と先生が付け足してきた。『仲良く』って部分が、ひょっとしてこの人空気読んで言ってるのか、はたまたそうでないのか、正直本気で疑ってしまった。

「失礼しましたー」と、やっぱり意識して合わせもせずに声が重なりつつ職員室を退室すると、不機嫌も今や最高値、いや最低値か?ともかく、僕なんぞいないも同然にさっさと何処かへ消えてしまった。

 あぁもう……本当に僕が何をした。いや、原因は僕と決まったわけではないけれども、明らかに僕に対する当たりが何よりキツイ気がする。依然、一緒に皆と絵を描いていた時に少しだけそのことを相談したら「そんなだから不機嫌なんだよ」と、たったそれだけで話は流されてしまった。その時はみんな何処となく大人っぽく振舞っていたというか振りをしていたというか、なんというかそう言われてしまうと、本当にコイツら友達なのかと思いもしたが、そういうことが友達なのかもと、思ったりもしたり、した。結局、みんなみんな、よくわからない。

 まぁ、もう、なるようになるさ。

 …………今日の放課後は、非常に気が重い。



エンピツ。


 はい。ということで、あっという間に放課後ですね。今日も私まったく使われない一日でした。まぁいつものことなので特別に憂鬱ということもないのですが、主のほうはというと、それはそうでもないらしく、昼休み以降の主のその姿は、正しく憂鬱、いや沈鬱と言うべきか、それそのものでした。

 一体何が何してどうなってこんなにテンションがガタ下がりなのか、昼休みに何があったのか、ずっと筆箱の中にいた私にはまったく分かりかねます。そして今のこの状況も…………。

 クラスメイトが全員帰った後の教室で、今主は自分の席に座っていて、今主の前には、机を正面に付き合わせて、あの長い三つ編のお嬢さんが座っていました。

 いや、これが非常に居心地が悪い。どう居心地が悪いかというと、西からの夕日が射していて状況としては非常にロマンチックに感じられるはずのこの教室も、この二人の醸し出すギクシャクとした雰囲気、まるでクマとライオンを同じ檻に入れてどちらが強いかと試そうとしたのに、どちらも眼を合わさずに距離を置いて、着かず離れず警戒もせず怠らず。つまり一言で片付けると、そう、とても気まずい空気が、ここには充満していました。

「………………」

「………………………」

「…………………………………」

「…………………………………………」

 いや、気まずい。非常に気まずい。お二人とも黙々と何かの作業で必死にシャープペンを走らせてはいますが、お互いその空気は伝わっているのでしょう。それが破綻するのは、もう時間の問題でした。

「…………あのさ。どうして、最近機嫌悪いの?」初めに折れたのは、主のほうでした。

「…………………………」お嬢さんは、答えません。どころか、文字を書いているプリントから顔を上げようともしない。

「僕もなんで怒ってるのか、言われなきゃわかんないんだけど。ていうか、やっぱ僕に怒ってるんだよね?」

「…………………………………………」お嬢さんは、やっぱり答えません。教室にはただカリカリと、一人分のペンを走らせる音が響くだけでした。しかし、

「………あ、」

「? 何、どうか、したの?」

「シャープペン、芯が切れた」

「………………」

「よこせ」

「………ハイ」

 先ほどから三十分ほど。ようやっとの会話らしい会話が、これでした。主は気だるそうに筆箱から芯入れを取り出して下に振ると、

「…………あ。」

「ん?なによ、どうしたの」

「僕も、もう芯がない」

 筆箱から出した芯入れのなかには、もう一本もそれが残っていませんでした。自分のシャープペンの頭を外して逆さにしてみたが、やはり余っている芯はないらしい。

「書くもの、ないね。赤ペンとか、使う?」

「…………いい。残りはアンタがやってよ」

「でも、まだ結構な量が残ってるよ。これ一人でやってたら下校時刻過ぎちゃう」

「だってあたし、書くものないもの」

 そんなこと言っても……。主は俯いてしばらく黙り込んでいました。しかし、何か閃いたかのようにパッと顔を表に上げると、急いだ様子で自分の筆箱を漁り始めて、あるものを取り出しました。

「これならいいよね? ちゃんと削ってあるし!」取り出したのは、一本の小さな鉛筆でした……ってあれ?私!?私を使ってくださるんですか!!

「そ、れ…………」

 お嬢さんは主の手に握られている短い鉛筆(私)を見ると、少し面食らった様子でまた黙り始めてしまいました。

 主はその様子をどうしたんだろう、と思いつつも、私を引っ込めることはありませんでした。そして数瞬、お嬢さんは遂に、私を手に取り、作業を再開してくださいました。あぁ……思えば実際にこうやって使って頂くなど、どれ程振りでしょう。私はもうそれだけでも嬉しくて、HB(実はそうだったんです)でありながら、懸命に濃い色を出そうと気合を込めていました。

「ねぇ、これさ。覚えてる?」

「え?」

 いきなりお嬢さんから声を掛けられ、主は少し驚いたようでした。

「この鉛筆」

「鉛筆、が、何?…………あぁ、あぁ。そうだったね」

「うん」

 主が思い出した顔を覗くように見ると、お嬢さんはほんの少し、私から見える位置で、ほんの少しだけ、口の角がつりあがるのが見えた。

「その鉛筆、元々君のだったんだよね」

「そう、元々私の。アンタが筆箱忘れたときに貸してやって、そのまま上げたやつ」

「うん、あの時は助かった、正直何も出来なかったし。でもせめて、消しゴムだって貸してくれても良かったじゃん。あの日はもう大変だったんだよ?間違った箇所は消せなくて、ノートに唾とか付けて擦ったりとか」

「知らないわよ、つーか汚い。それはアンタが筆箱忘れたのが悪いんだから。でも…………」

「でも?」

「まだ、持ってたんだ」

「……うん、持ってた。大事だったから」

 今度こそお嬢さんは、正面から笑顔で主を見据えた。ここ数ヶ月では、本当に久しぶりのことでした。

 そう、あれは小学三年生だったか、四年生だったか。今の主であるその少年は、当時一度だけ筆箱を忘れたことがあり、その際、私はお嬢さんから主の下に譲られたのだった。

 それは、信頼の証だった。

 それは、友情の証だった。

 それは、まだ気付かない淡い恋の証だったのかもしれない。

 少なくとも私は、彼に譲られたときにそう思った。お嬢さんは、誰にも何も貸さない、譲らない、我のとても強い方だったから。だからこそ主の手に渡った時にも、私は心配など微塵もしなかった。彼ならばきっと、私を大事に使ってくれるだろう、と……。

「そいえばさ、ノート」

「ノート?」

 またもお嬢さんからの会話だった。どうやらご機嫌は完全に直ったらしいですね。

「そう、今使ってる、緑色のノート。自由帳? あれ、昔は青いやつ使ってたよね。なんか変わった理由、あるの?」

「あ、あれは」

 そう聞かれると、今度は主のほうが黙りこくってしまった。夕焼けで顔の色はあまり判別できないが、少し赤みを帯びている気がする。やがて意を決したように机の中に手を伸ばすとそこから、少し古びた青い表紙の自由帳を取り出し、お嬢さんに差し出した。

「?」

 不思議そうにしながらもそれを受け取り、パラパラとめくっていく。そこにはもちろん絵が描いてあって、でもただの絵ではなく、繊細にコマ割りされた漫画、それも恋愛が主題に描かれた漫画だった。

「なに、漫画じゃん。じゃあ青いやつは漫画専用ってわけだったの?」

「違うよ」

 主はここで、ほんの少し深呼吸をした。

「違う。確かにそれは漫画専用かもしれないけど、でも違う」

「は? じゃあ、なに専用なわけ?」

「……きみ、専用」


 時間が止まった気がした。


 いや、確かに二人の間では一瞬、時間が止まっていたのでしょう。お嬢さんは眼が点になり、主はというと、じっとお嬢さんを見つめ続けています。

「あ、あたし、専用? え? ちょ、ちょっと待って。うん、待って。よく分かんないから待って」

 明らかに動揺するお嬢さん。いや、これはこれはなんとも初々しい。

「その青いほうは、他の友達の誰にも見せたことなんてない。昔から君に見せてた分。君に見てもらいたかった分。今も、君に見てもらいたい、分。だって、昔から僕の絵を見ててくれたのは、君だ、から……」

 そういい終えるといい加減バッテリー切れなのか、グニャリと首を曲げ、前髪で顔を隠してしまった。

「………………」

「………………」

 またも二人の間に、沈黙が訪れる。窓から射す夕日は、今度こそ正しい雰囲気に二人を包み込み、今までの刺々しい気まずい雰囲気は、柔らかい雲のような、フワフワした気まずさへと移り変わっています。

 静かな教室の中で、パラパラと、ノートをめくる音だけが微かに響く。

 一頁、一頁、真剣な眼差しで、お嬢さんは主の絵、主の思いに目を通していた。

 少しの間、時間は流れる。主は動かない。お嬢さんは、指と眼だけが動く。やがて、パタンとノートが閉じられる。

 主の肩がピクリと揺れた。

「…………まだまだよ」

「え?」

 やっと主が顔を上げた。

「まだまだって言ったのよ。一応全部読んだけど、これってひょっとしてラブコメのつもり?はっ。漫画を甘く見るんじゃないわよ、絵の上手さなんて関係ない。問題はストーリーの構成や、いかに読者を作品の世界に引き込むかなのよ!」

 お嬢さん、あなた本当に小学生か。まるでどこかの投稿雑誌の審査員のようですよ……。

「アンタの作品には全然惹かれるものがない! グッとこないのよ! 何故かわかる!?」

 ビッ!と、ゆびを指される我が主。

「えっと、よく、分かりません」

 しかも何故敬語?

「それはね、アンタに経験が足りないのよ!」

「…………ハ?」

 あぁ、もう、お嬢さん。支離滅裂です。あなた、言いたいことはハッキリと言わないと分からないですよ、何事も。

「つ、つまりよ。あ、ア、アンタも、それなりに……そう! それなりに恋愛というものを経験すれば、もっと良いものが描けるのよ! そうに違いない! そうにしといて頼むから! だ、だから、あ、あ、あ、あのね?」

「う、うん」

「つ、つまりね?」

「ウ、ウン」

「その……ね?」

「…………」

 もう、夕焼けのせいではない。二人の顔は真っ赤に染まって、鉛筆の私でさえ見ていられない。大体にして主、こういうことは男からハッキリと申すべきですぞ?

「ねぇ」

「ナ、ナニ!?」

 ビクリと椅子から飛び跳ねるお嬢さん。そうです、そこで一気に行くのです主!

「見せない」

「…………エ?」

「その青い自由帳、ていうか漫画。しばらくは絶対に誰にも見せない。見せるのは君だけ。意見を聞くのも、君だけ。だから……いつか、ゆっくりでいいから、そのノートに描かれてる漫画、完成させよう。二人で」

「ふ、たりで?」

「うん、君が気に入るまで、何度だって描き直す。君と一緒に過ごして、君が表現して欲しいことを全部僕に教えてよ。そしてそれを僕は全部描くよ。そうすればその漫画、きっと最高に面白いものになるから」

「二人で?」

「うん、二人で」

「二人、だけで?」

「うん、二人だけで」

 きっとこのときのお嬢さんの顔は、今まで(と言っても、まだ十数年の人生だが)の中で、飛び切りの笑顔だったに違いない。その笑顔を見た我が主も、やっぱり今までで飛び切りの笑顔だったに違いない。

 やがて二人の顔は机越しに少しずつ近づいていき、息が掛かるほどに近くなり、そして……。


キーンコーンカーンコーン


 二人同時に飛びのいた。飛びのいたついでにバッと机に向かい直し、互いにシャープペンと、短い鉛筆(私)を構えて何かを書いてる振りをした。そんなことしても誰も見てないんだから、特に意味なぞないでしょうに……。

 チラリ、と主が視線を遣ると、やっぱりその先にはお嬢さんの視線。眼が合って、プッと吹き出し、教室中に二人の笑いが木霊した。

 そこからは今までのやり取りで滞っていたアンケートの集計を、二人は急いで片付け始めました。しかしその後の雰囲気はもう、以前の二人の調子でした。たまに笑って、たまに怒られる。たまに笑われ、主が怒ることはない。よく殴られもするが、それもどこか、暖かかった。

 私はホッとした。もしかしたらこれを最後に、主どころか人に使われることもないかもしれないけれど、それでいいと思えた。この二人が仲直りをして、この二人が笑い合えているのなら、私はもう、いなくなってもいい。そう思っていると……。

 ゆっくりと、ゆっくりと私の頭に何かが近づいてきます。暖かい吐息が吹きかかってきます。いや、もう大体想像はついてるんですけれどね? あー、やだなぁ、もう今日なんかは有頂天で本気の本気で容赦ないだろうなぁ。もしかしたら噛み千切られるかもなぁ、とそこまで思考していたところで、


ギャリ、ジャリ、ボリ、ガリ、メキ、パリ、シャリ


 私は、お嬢さんに、喰われた。




思春期エンピツ


 私は、年老いた鉛筆だ。もう長年主であるこの少年に使われていて小さくなり、文字通り、老い先の短い鉛筆だ。

 更に先日、元持ち主に頭を噛み砕かれ更に短くなるという事件に見舞われ、正直言って私はもう使い物にならない。そういうことで今私は、主の家の、主の部屋の、主の机の、その引き出しの奥にひっそりと仕舞い込まれている。

 普通はここまでされてしまえば捨てられるだろう。そこまでならずとも、何処かに放り出されて結局は廃棄されるそんなオチが我々には常套な終わり方なのだが、こんな姿になった今でさえ、主は私のことを大切にしてくれている。

 私が、彼らにとって大切な品だということもあるのだろう。それでも私は、我々を大切に大切に、最後の最期まで使ってくれるこの少年、我が主にとても感謝している。おや、噂をすれば、どうやら学校からお帰りのご様子だ。

 私は引き出しの中なのでよくは分からないが、恐らく主は今机に向かって、楽しく漫画を描いているに違いない。彼女と今日あったこと。昨日あったこと。明日あるかもしれないこと。それらを面白おかしく綺麗にサッパリまとめて、素敵な漫画を描いているに違いない。

 だがしばらくして、カリカリ、カリカリ、と、机の上で描く音がピタリと止んだ。少しお疲れのご様子なのだろうか。いつもならもっと長い時間執筆に勤しんでいるのに、今日はいやに短い。

 すると、私の隠居先である机の引き出しがゆっくり、ゆっくりと開けられた。

 はて何を取り出すのかと思いきや、その手に掴んだのはなんと、私だった。何故?どうして今更?

 良く見ると、主の息が少し荒い気がする。顔も心なしか赤らんでいる気がする。なにより、眼が、据わっている。

 あぁ、これは。いや、真面目な主に限ってそんな。でもこの少年も男の子だし、ましてや思春期であるわけだし、そんな考えを起こすのも無理ないとは思うのですが。出来ればそこで止まっていただきたいのですが! 顔が近いのですが! 口が近いのですが! 息が掛かるのですが!! あぁもう止めてホントにダメそれはそれ以上はもう嫌勘弁して謝りますからほかのことなら何でもしますから許してください落ち着いてください分かってます抑えられないのは分かってますだってあなたは思春期真っ盛りなのですからでもそういういうのはいけないと、ってあっ――――――――――――――――!!


ペロ、チロ、ピチャ、ペチャ、ぴちゃ


 そう。思春期の衝動というものは、抑えられないものなんですね……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです! ストーリーの構成、上手くできていました。 鉛筆をかじるお嬢がとっても可愛いですネ(笑)。 エンピツのキャラクターも魅力的に書かれています。ただ喋り方に一貫性がないようにも思…
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