表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

4章


 ふらりと立ち寄った教室の景色は、少年にとっては全くのモノクロに見えていた。

 唯一色彩を放つのは、自分の持った赤い薔薇の花束。

 この花は誰にむけられたものなのか。

 自分自身に問いかけてみる。

 ――答えるのならば。

 いままでここを使っていた者たちと、これから終わる自分自身のためだ。

 こんな自分の中のやり取りは誰にも聞かれる事なんてないから、あんまり意味の無いこと。

「死ななくちゃ。だめだ」

 生気の抜けたような、それを通り越してすでに死にきっているように掠れた無気力な声をだしてから、花束を教卓に落とすようにおいて彼は思い、淡々と自分が座っていた席へ向かう。

 少年が手に取ったものはかなり前から準備していたもので死ぬために用意したもの。

 それは極力苦しみや恐怖を感じないための丸薬と、小瓶に入った液状の薬だ。

 それを両方同時に口の中に入れて飲み下してから、太もものベルトに巻き付けていたナイフを持つ。

 ――ここを刺せば、どんな人間も死ぬんだ。

 もちろん自分自身も。

「…………さよなら」

 誰にともなく別れを告げて、少年は目を閉じてナイフを心臓に突き刺そうとする。

けれど、身体はそれとは正反対にナイフを投げ捨てていた。

「そうか……僕が、死ねないのなら……」

 あきらめたように言葉をとかしながら、体を引きずる。

 薬により霞がかかったかのようにおぼつかなってくる思考。

 存在しない、なにか、たすかる方法がまだ存在するかもしれないと、ほんの小さな小さな狂気を抱き、うなされるようにそれに取りつかれながら歩みを進める。

 向かう先は、自分自身が存在する元凶となったあの場所。

「ああ、きっと、何の意味もないのにな。」


 ――砂時計の砂は完全に落ちきった。


 異変は唐突におとずれた。

 ぴしぴしと音を立てて、窓硝子に亀裂がはいっていく。

 咄嗟にそこから離れて瞬のいる部屋に行くと、大きな音を立てて窓硝子が割れた音が聞こえた。

 誰の仕業なのかは、言葉にして確認しなくとも、よくわかっていた。

「百々」

 名前を呼ばれて振り返ると瞬が手を差し出していて、俺はその手を取って一緒に外に出ると、半透明になったルナが目に涙をためて抱き付いてきた。

「おねがいです……待宵さんを助けて」

「わかった」

「必ずなんとかするよ」

 抱きしめ返そうとしたら、ルナは影のように薄くなって消えていく。

 結局ルナの正体はわからなかったが、少なくとも今はそれどころじゃ無い。

 外にでて歩いていると、全ての硝子が割れていて、そのついでなのかはわからないが、あちこちで首吊りや交通事故が起きていたり、動かなくなるまで破片で刺しあって死んでいったり……高いところから雨とも弾丸ともつかない速度で人が降ってくる。

 硝子が割れたぐらいでこんなパニックになるわけが無い。

 いや、パニックとは全くもって別の位置にあるものだ。

 あきらかに、死に対する恐怖感が無いように見える。

 取りつかれでもしたかのように、唐突にそうなったようにみえて。けれど人間そのものが誰しもあらかじめ持ち合わせている死に対する意識とかそんなものが表面に現れたかのように。

「暴走してるってことだよな」

 何をどうしようが、神代市民は全員が全員死んでいこうとする。

 自ら死ぬことをよしとしているような……死ねれば、それでいいみたいな。

 待宵の思考に誘導されて、それが広範囲に広まったのだろう。

「まだ待宵は生きてるってことでもあるけど」

 そうまでして死にたいか。

 きっと、指輪をしていなければこの中に巻き込まれていたのかもしれないとおもうと、ぞっとして、身体が動かなくなった。

「……普通に行くのはやめよう。とてもみていられない」

「……ああ」

 瞬が俺を抱き上げたとき、京華学園のものとは明らかに違った漆黒のセーラー服を身に纏った少女がこちらに向かって歩いてくる。

 自殺や殺人が横行する中を淡々と歩く姿からして、彼女は能力の暴走には巻き込まれていないことが見て取れる。

「月華」

「闇雲にはいかないことね……行くとしたら京華学園の地下施設よ」

透き通った紫色の瞳は俺達を冷静に見つめ、たった一言そう告げた。

「わかった。ありがとう」

 二人がどんな関係なのかはわからないが、瞬の反応からしてみると協力者らしいことがわかる。

「あなたもついて行きなさい」瞬が月華に背を向けて建物の上に飛び移るとき、そんな声がふと聞こえた。

 とんだ先の屋上には何人も人がいて、ふらふらと歩いて飛び降りていくのを見たくなくて俺は目を閉じた。



 ようやくついた京華学園は当然のように静まりかえっていた。

 ……始めに来たときと全く変わりなく、影響を受けるも何も無人だ。

 地下に降りてから、瞬におろしてもらう。

「ようやく追いついた」

 はじめて聞く男の声が響いて振り向くと、眼鏡をかけた瞬と同じぐらいの背丈の男で、何故か合流することを目的にここに来たらしい。

「六花……護衛は良いの?」困惑しながら尋ねる瞬に、

「直接言われたからついてってやるよ」

 六花と呼ばれた男は淡々と答えた。

 名前と見た目以外でどんな奴なのかはわからないが。察するにまた瞬の知り合いらしいな。

その少し上から目線ともけれども面倒くさそうな態度にはどこか既視感を覚えたが、今はそれに追求しているところではない。

 この地下施設はシンプルな作りのようで複雑だから、どこに行けば良いのか……。

「こっちから見える」

 六花が先導するように走り出して二人でそれについて行くと、大きな自動扉があった。

 扉のそばに行くと開き、ホールのように広いその空間の一番奥に待宵は壁に背をあつけてぐったりと項垂れていた。

「待宵!」

 瞬が叫んで駆け寄っていったと同時に、六花はぐらりとその場にへたり込む。

「えっ」

 驚いてそちらに視線を向ける、六花は青ざめた顔で苦しげに脂汗を垂らしながら俺を睨みつける。

「お前、瞬といけ」

「……ああ」

 待宵に触れて肩を揺すっている瞬のそばに行くと、唐突にそれは始まった。

「瞬!切り方次第だ!」

「あっ」

 六花がなにかを瞬にむかって投げて、瞬はそれを咄嗟に受け取ったようだった。

 ただ待宵に近付いただけなのに、何故かテレビの砂嵐のような揺らぎと雑音が走る。

 これは実際に聞こえているものなのか、それとも俺が意図せずに妄想したものなのかは判別がつかず、繋がっていたものが衝撃で分断されてしまうような……。

 ぶつりと、切り離された。

 なにがどう切り離されたのか、具体的なことはわからない。

 けれど、視界がまっ白に塗りつぶされて、次の瞬間にはテレビの砂嵐に飛び込んでいくような……。

 混沌とはこれなのだろう。

 なにが見えていて、感じているのか、五感がぶっ壊れたのか、全くわけがわからない。

 自分は今どうなっている?

 思考は続いているのだから、思考だけは大丈夫なようだ。

 それ以外は?

「百々」

 名前を呼ばれて我に返る。

 自分を襲った奇妙な感覚で、自分を忘れかけていた。

 きっと、すぐそばにいた瞬だって同じような状態を体感したのかもしれない……しているからこそ名前を呼んだなんて考えてしまうのは、おかしいか。

「瞬」

 わたしも名前を呼び返す。

 視界は全く安定していなくて、なにが見えている感覚はあってもよくはわからない。

 だけど、今見えているものを理解しきってしまったらよくないから、理解できていないのかもな。

 いつの間にかわたし達は手を繋いで、底の無いようなどこかにむかって落下していく。

 視界は全て歪みきったまま。

 落下する速度は一定のもので、息は苦しくならなくて、砂時計の砂になって落ちていくような、体験のしたことの無い、これから先、することも無いだろう感覚に錯覚する。

決して孤独な落下ではないのは、となりに手を繋いだ瞬がいるからだ。

「これは」

 なんだろう?

「わからない」

 声は聞き取れて理解できる。

 やっと、なにかが見えてくる。

 真っ暗でいて真っ暗じゃなくて、感情でも反映されているかのように様々な色のライトが光っては切り替わる。

 感情的な赤い色、全て抜けきったような白黒、思慮を深めた紫色、悲しみに暮れた青色。

 コップに飲み物と氷がはいった状態で、底にストローを入れてぐるぐると素早くかき混ぜるような音と、穏やかな雨の音、それから仏壇に備え付けられている仏具のむなしい音。パレードのようなざわざわした混沌と、ひそひそした内緒話の集まり。炭酸の泡がしゅわしゅわと音を立てて、人間の雑踏のようにざわつきながら、やがてはなくなっていく瞬間のようなもの。

 目の前に現れた。

 現れていない。目の前じゃない。

 三色式の信号によるカウントダウン。

 参

 弐

 壱

 昔の時代の映画の再生の仕方の手法。

 子供のころに出された餌。

 一人で星空を見に行く。

 ある日の交通事故。

 薬物の投与による治療。

 鏡の部屋。

 似たような境遇の生徒会メンバーとの出会い

 わずかな間の平和で残虐な日常劇。

 自らの能力の暴走による彼らとの別れ

 暴走のせいじゃない。本当は誰も僕は死なせていない。

 ドミノが倒れていくみたいに、止めることが出来なかったんだ。

 自殺未遂による、ごく普通の入院生活。(怪しい薬品の投与はない)

 とてもやさしいルナとの出会いと、別れ。

 ルナに髪飾りを渡したところで、あるかも無いかもわからないブレーカーが落ちたようにぶつりと暗転して、これが彼の記憶のダイジェストであり、あるいは走馬燈だろうか。

 次の瞬間に俺達は着地していた。

 これは全て、さっきからも、今からも、彼の心の中での出来事だ。

 心の中の最奥には本人がいた。

 わざとそう塗りつぶされたような柘榴色の瞳をこちらにむけながら、嘉斎待宵はつまらなさそうな表情をうかべ、つめたそうな灰色の玉座のようなものに腰掛けている。

「まさか、本当に君の言っていたようになるなんて」

 瞬は俯いてそう呟く。

 どう考えていたのか、ここに来るまでにどんなやり取りをしていたのか、俺にはわからない。

 どう言葉をかけたら良いのかわからなくてかけたものと言うよりは、先ほどまで見ていた映像から考えたものだろう。

 同じものを認識していればの話だが。

「……僕は死ぬことができなかったんだ」

 そう言いながら待宵は学ランの上着をはだけさせると青白い胸元には明らかに抉ったり刺し貫いたりしたであろうあとが残っていて、傷跡として残っている部分が瞳と同じ色の不気味な結晶になっている。

「ほら、このざま」

 そう言って待宵は胸に手を突っ込み砂の落ちきった砂時計を取り出してみせると自嘲気味に笑い、それを素手で割って壊して見せた。

「一度は巻き戻したけど、結局何の意味も無かった」

 本来なら待宵は自壊するだけで、こんな事に巻き込まれはしなかったはず。

 だけど、何故こんな事が起きた?

「暴走して化け物になるなんて嫌だったな。」

 こちらが見えているようで見えていないよう。

「自然と、自壊して人間のまま死にたかった……なんで僕だけ、誰も殺してくれないんだろう。殺してくれなかったのかな……もう、死にたいんだ。死なせてよ。生きることは散々だ。僕は……死ねるのならどんなにむごい死に方でも良い……だから……」

 うわごとのように待宵は言葉を紡ぐ。

 俺は辺りを見渡してこの空間の出口を探す。

 ただただ飾り気は無く灰色で単調な色合いの壁や床。

 扉のようなものは無く……どうやって入り込めたのかと天井を見上げてみても、ずっと高くて……広いけれど外界からは切り離されていることに変わりは無い。

 まるで閉じこもっているかのよう。

 確実に俺達はここにいるのにいることそのものがあやふやになって、自然と消えてしまいそうだ。

かろうじてそんなことが起こらないのは、きっとこの指輪のおかげか?

 あるけれど無い架空の空間。

 ここにいる待宵を殺せば、確かにここは無くなる……ってことになって……でも、待宵の言うとおり待宵自身がどうしたって死ぬことができないのは、ここが精神世界だからだろうか…………でも、精神を殺したところで、肉体に死は訪れないような気がしないでも無い。

 沈黙がその場を支配していた。

「どうしてルナはいなくなったの」

 瞬がたずねる。

「ルナは、ああやって人間の姿をしていたけど、本当は誰かの心か魂の亡霊が僕のそばに幻覚として見えたもの。」

 自分にしか見えていないものだったのか。

「それを僕は初めてこの能力で改めて誰かの精神として作り出した。実体はあったけど人間として欠けていてとても不安定な存在だったから、ついさっき、僕のそばで破片になって……それきり、いなくなっちゃった」

 横にいる瞬に視線を向けると、瞬は苦々しい表情で俺をみた。

 ルナが俺達の前に現れたのは、あれが本当に最後だったってことか……。

 探すことはできても、もう、見つけ出すことは叶わない。

 待宵にとっては、彼女がこれまでの心の支えだったのだろう。

 来てみたけれど、俺達二人ではどうしようもないのではないか。

 瞬は黙って考え込む。

「俺は待宵を殺したくない」

 そして決意をこめてしっかりと言い放つと、俺の手を握る。

「ねぇ……本当は生きたいから俺達をここに引き込んだんじゃ無いの?」

 その手は震えていた。

「とどめを刺してくれ。なんて言われても、友達を殺す理由なんて、特に恨んでいないのに出来ないよ。殺したくないって言うよりは、出来ないんだ。……あ、あとさ、ただの偶然かもしれないけど、お前はかなり往生際が悪くて、悪あがきをしているんじゃないかな……って、俺の勘違いかもしれないけど」

 震えているのが収まるように、俺はその手をしっかり握り返すと、瞬は驚いたように目だけをこちらに向け、またすぐに待宵を見据える。

「俺には荷が重すぎる。無理だよ。今だって録に回らない頭で考えてるんだ。なに考えてるかって?そりゃあれだよ色々……色々考えてる。言葉をつっかえたりしたら今度こそ取り返しがつかなくなるとか、ラノベにもこんな風に長く話して説教じみたことやってなにかする奴だってあるよなとか考えているんだから。あ、ああ、大事なことだから何度だって言ってやるぞ、俺には無理、殺すことなんて出来ない」

 待宵はつまらなさそうに見つめているけれど一応聞いてくれてはいるらしい。

「じゃあ」

「おっと、まだ俺のターンだよ。これ言わせて、一応その、これで最後だから。つまりなにが言いたいかって……」そして、先ほど秋から受け取った真っ黒な結晶をポケットからとりだして目を閉じ自分の眉間にあてた。

「俺は待宵を殺すことは出来ないけど、助けることができる」

 その結晶は光を反射しない真っ黒な短剣に変わった。

「不可視無効……ここでも使える。」

 待宵はそれを見て驚いたように目を開く。

「やっぱり僕を殺すんじゃ無いか」

 そして、うれしそうだけれどやはりつまらなさそうににこりと笑った。

「まぁ、殺すには殺すよ……狂花のことは全部調べきったから……。君を縛り付けて、こんなことにした有限をこれで殺すんだ」

「……瞬?」

 思わず不安になって名前を呼ぶと瞬はふたたびこちらを見て、今度は笑みをうかべた。

「百々。君がそばにいてくれるから、俺は大丈夫」

 また視線が待宵に戻る。

「大分もったいぶるね」

「君を縛り付けているものは、能力の使用上限を超えると暴走状態になること……だったら、そんな上限なんて無くせば、暴走なんてしなくなる。それから、自壊すること。こんな、ただ能力を使いすぎただけで死ぬだなんて、これから普通に……普通の能力者として生きていくのには重たすぎる……死にたいって思う気持ちは……ごめん自分でなんとかして」

「そんなに簡単に無くせるわけが無いだろ……できていたら……僕がみんなを殺した意味が……」

「百々。手を離して」

「……わかった」

 言われた通りに手を離すと瞬はゆっくりと待宵に近付いていって、

「殺した分生きればいいよ。殺した分生きるのが嫌だったら、ルナの分生きるって考え方にしてみない?」

 何の迷いもなくまっすぐに、待宵の心臓を突き刺した。

「あっ……うっ……」

 待宵は虚を突かれたような表情を浮かべたあと、血を吐いて苦しそうに倒れ込んだ。

 そしてその次の瞬間にばらばらと壁が崩れ落ちたかと思うと、無機質だった空間はこぼれそうな満天の星空に変わっていき、足下には冷たい水が現れて、鏡のようにその景色を反射させ始める。

 ……本来の待宵の心象風景は、これだったのかもしれないな。

「百々、帰ろう」

 俺はその水の上を歩いて瞬に近付き、手を握った。

「帰り方もわからないけどな」


 地下施設にあるホールに来た朝霧は、苦しげに肩で息をしている六花と、項垂れている待宵のそばで意識を失っている瞬と百々を見つけた。

「そろそろ終わる……といいわね」

 朝霧にしか入れない部屋の中身を教えて貰うためについてきた月華はそう声をかける。

「ああ。そうだな」

 その言葉に軽く返して、朝霧は短刀を抜いてまだ意識を失っている待宵に近付き、魔眼とも呼ばれている不可視無効能力を発動させた。

「ちょっと、どうするつもり!」

 慌てた月華の声は朝霧には届いておらず、朝霧はゆっくりと待宵の心臓に短刀を当てて刃を……。

「なんだ。戻ってきたのか」

 おそらく、深く刺そうとしてどこか残念そうにその手を止めた。

「……あさ……ぎり?」

 意識を取り戻した瞬は、視界に入った朝霧の名前を呼ぶ。

「……殺そうとした?」

 完全に瞬に覚醒される前に、朝霧は短刀をしまい込む。

「いや、全然」何でも無かったかのように、素っ気なく返す。

「え、でも、いま」

 瞬は戸惑いながら追求しようとしたが百々がうめきながら目を覚ましたことに気が付き、朝霧はそのすきに月華の元へと戻る。

「あの部屋にあったのは――」そして、月華にそっと耳打ちした。


 百々たちが心象世界にいたころ。地下施設の隠し部屋にて。

 ひんやりと冷たい空気と相反するように、色とりどりの花が枯れずに咲き続けていた。

 些細なことでしかないが、予想していた部屋の雰囲気は無機質なものだと思っていたが、これはかなり予想外だな。

 この部屋すべてが幻想的な御伽話の一場面を切り取ってそのまま封じ込めているかのよう。

 部屋の中央にはガラスのような材質の棺があり、魔法でもかけられたかのように少女は眠っていた。

 彼女が何者なのかは知っている。

 組織にいた八重姫は彼女の遺伝子から復元されたものということになる。

 このままここで眠る彼女をそっとしておけるのならそのままにしておいてもいいだろうとおもっていたが、リーダーが随分前に自分に何かあったときには彼女のことを頼まれていたことを思い出したし、入ってしまったからには最後までやるとしよう。

 少女自身は世界が改変される前から何らかの方法でこうして今に至るわけで、起こしてもきっと何も覚えていないだろう。

「……ん?」

 さっきまで、花の髪飾りなんてつけていたか?

 ともかく、そばにあったノートの手順の通りに封印を解いてやると、ゆっくりと目を覚ました少女は赤紫色の瞳をこちらに向ける。

「……あ」

 意識は戻ったようでも、すぐに起き上がることは困難で、声を出すことも容易ではないだろう。通常なら入院してリハビリでもして徐々に慣れていかないといけない。

 けれど、なにか伝えたいことがあるのは見て取れた。

 今の状況から効率的でもないので、ポケットに入れていたケースから回復だとか治癒速度をあげる能力を凝縮した石を彼女にあてる。

 しばらくすると彼女はぼろぼろと大粒の涙をながしながらこちらを見る。

「どうした?」

 起こしたことへの恨み言でも言われるか?

「……待宵さんは……どこ?」

「お前、ルナか?」

 少女は静かにうなずいた。

              *

 夜が明けて、本来の朝が来た。

 帰るための片付けを済ませる。

 そして、時間が歪められていないかを確認するためにテレビをつけると、ちゃんと日曜日になっていたし、とりあえず大丈夫そうだった。

 どのチャンネルでも神代市の各地で唐突に集団自殺が行われたことや、昏睡状態になった京華学園の生徒が全員死亡したことを取り上げていて休みの日なのにすっげぇ物騒っていうか……。

 全部の元凶はとうに壊滅させた仮面の組織によるものであり、なおかつこの神代市の様々な異変については嘉斎待宵という少年一人によるものだが、果たして全員が全員その真相にたどり着く可能性はあるのだろうか。

「ちゃんとなおってた?」

 最後の一部屋を片付け終えたらしい瞬が戻ってきてそうたずねる。

「ああ」

 俺はそれに頷いてテレビの電源を落とし、ソファから立ち上がった。

「準備は出来てるぞ」

「帰ろっか」

 普通の時間だったのなら一日泊まってきたことになるだけなのだが、自然に同棲生活をしていたことは少し信じられない。

 名残惜しいような気持ちになりながら、玄関にむかって靴を履いたときふと手元の指輪を見ると、

「あれ?」

 ただつけていただけなのに、石に亀裂がはいって割れていき、次の瞬間には指輪そのものがはじめから無かったかのように消えてしまった。

「そんな」

 折角貰ったものなのにと思っても、指輪をはめていた跡だけが残る。

「どうしたの?」

 靴を履いてから瞬に近付き、指輪をはめていた手を見せた。

「すまない。お前に貰った指輪が……さっき、壊れて……」

「……あっ」

 俺の手を見た後、なにかに気が付いたのか慌てて自分も指輪をはめていた手を確認する。

「俺のも、壊れたみたい……」

 そんなにあっさりと壊れて無くなるものなのか!?

 どんな材質を使ったらそんなことになるんだ。

 瞬から指輪を貰ったことが素直に嬉しかっただけあって、いきなり壊れて無くなってしまったことにはやるせない気持ちしかわいてこない。

 こうなったら能力で同じものを作り出してはめるというのも……いや、それをするのはなんだか違う。

「ねぇ……百々」

「なんだ」

 瞬は鞄を開いて水族館のお土産屋の紙袋をとりだしてそれを開けはじめ……たところで手を止めた。

「ごめん、ちょっと後ろ向いてて」

「ああ」

 言われた通りに後ろを向く。

 僅かの間がさごそとなにかしている音が聞こえて、

「いいよ」

 そう声がかかったので振り向くと、瞬は青い小さな箱を持って赤面して視線をそらした。

「ペアリング……なんだけど……じつは水族館で買ってたんだ……」

「えっ」

「本当はずっと後に渡そうって思ってたし、おもちゃの指輪だと、いやかなって思われるのもその……」

「……そんなわけないだろ馬鹿」

 箱を奪い取って蓋を開けると、イルカが掘られてある銀色の指輪で、躊躇うこと無くそれをはめてみせた。

「……あ」

「デートの時はつけてくるからな」

「わかった」

 そして瞬が指輪をつけたのを確認してから手を繋いで、俺達は駅まで歩いて行く。

 電光掲示板は文字化けしていないし、アナウンスも正常だった。

 切符を購入して改札を通り電車に乗り込もうとしたとき、

「あ」瞬がなにかに気が付いてその視線の先をおうと、私服姿の嘉斎待宵がこちらに向かって歩いてくるのが見える。

 あのあと地下施設に放置してきたから、文句の一つでも言われるのかもしれない。

「間に合って良かった」

 ほっとしたように待宵は言う。

「見送りに来てくれたんだ」

「助けてくれてありがとう。それと……迷惑かけて……」

「謝らなくて良い」

 なにを言おうとしているのかわかった瞬は待宵の言葉を遮る。

「いや、そこは言わせてよ」

「迷惑なんかじゃ無かったよ」

「えっ」

「あ……うん。それだけ、じゃあ、またネットで。それと、もし京華学園が廃校になったら遠野に来たら……?19歳の転校生とか珍しいことになりそうだけど」

いまなんだかさらりと流せないような数字が聞こえたんだが。

「えっ、どういうことだ」

「僕は1年だけ留年してるから三年生を2回してるんだ。まぁ、それ以上いても能力を使えば誰も違和感は覚えないし……」

「そ、そうなのか」

 そんな能力の使い方もあるのかと、感心してしまった。留年の理由についてはなんか深い理由でもありそうだから触れない方が良いだろう。

「じゃあ、さりげなく卒業することも可能なのでは」

「あの制服気に入ってるんだよね」

よくわからない答えだな。

「じゃあ、また」

「うん。またね」

 気を取り直して待宵と別れ、俺達は電車に乗り込むと丁度タイミング良く発車のベルが鳴る。

 窓を見るとそれに気が付いた待宵が手を振ってくれていて、俺達はそれに振り返し、徐々に駅のホームが遠ざかっていく。

「……楽しかったか?」

「大変だったけど、悪くなかったって思うよ」

 隣に座った瞬にさり気なくくっつきながらたずねると、瞬は苦笑しながらそう答えた。

「また来よう」

「うん」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ