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3章

 朝霧達と共に京華学園の地下へ行くと、学ラン姿でぐったりと倒れている黒髪の男の人がいた。

「おい……起きろ腑抜け」

 それを見つけて真っ先に近寄り、男の人の胸ぐらを掴んだのは、一緒に来た焦げ茶色の髪に左右違う瞳の色の十時六花(とときりっか)だ。神代市来てからにやたらと不機嫌そうにしているものだから、この地下に来て丁度それを発散するものを見つけたってこと……かしらね。

 無抵抗な人に対してのおかしなスイッチでもあるのはこの様子を見て明確で、よくわからない人だ。

「ん……」

 六花の問いかけが聞こえたのか、その人はうっすらと目を開ける。

「あー、トラップ発動させちゃったのか」朝霧が苦笑交じりにそう呟く。

「トラップって?」

「この地下に入り込んだ生徒を捕まえるための仕掛けだよ。まぁ、俺が来たから全部無効化出来てるんだけど」

 なるほど。学園施設の地下にこんなものを作るだけあって迷い込んだ生徒への処置のやり方もそれとなく考えてある所はさすが……?

「起きろ」

 六花は胸倉を掴んでいた手を離して頭を床に激突させ顔をしかめさせたと思ったら、すっと立ち上がる。

 そして、追加ダメージとでも言わんばかりに痛みに顔を歪めて、くの字に身体を曲げた男の人の腹部を何のためらいも無く、蹴飛ばした。

「うっ……ぐっ……」

 とてもいたそう。

 痛くないわけが無いわ。

「そろそろやめてやれ」

「というか、その人は誰なの」

 倒れていただけで理不尽に暴行を受けていることから考えてみるけど、私の脅威になりえる人物なのだろうか。少なくとも六花と朝霧は初対面じゃ無さそうなのは見て取れる。

「三月だ」

「瞬だよ」

 六花と朝霧が言ったのがほぼ同時だったもので……ええと、どちらも下の名前を呼ぶ人だったし……いや、どっちよ!

「朝霧、どっちなの?」

「両方だな」

 へらへらと、なにを考えているのかわからない表情をしていて言っていることもさっぱりわからない。それに気付いた朝霧は三月とも瞬とも呼ばれた人のそばによっていく。

「あ、おい朝霧」

「まぁ、隠す程じゃ無いと思って。まず、この黒髪でヘテロクロミアな時が変装状態の一三月」

 変装状態なら納得がいく……かもしれないわねとか感心していると、朝霧はおもむろに三月の首の辺りぐらいにあるなにかをつまみ、いともたやすくはぎ取る。

「えっ」

 マスクの下は、灰色の髪と金色の瞳をしている、秋とそっくりな……ええと、さっき瞬って呼ばれてたわね。まさかこんなスパイ映画のような光景を生で見る事になるなんて。

「あ、朝霧!?」

 瞬はさっきから色々散々なめにあっているのに、またいきなりのことだったから混乱していて……いえ、誰だってそうなるわねこれ。

「で、これが変装してない状態の統堂瞬。ついでに、六花は秋の変装な」

六花こと秋のため息が聞こえる。

 こんなにあっさり私に言って……まぁ誰かにはなす場面がこれからやってくることは無いと思うから黙って置くけれど。それにしたってあっさりしているわ。

「俺はここの時間軸がねじ曲がっていて気持ち悪いからこうしてるだけだ」

「……状況が飲み込めないんだけど……百々は?」

 名前からして、倒れる前に一緒にいた女の人の名前だろうけれど、倒れていたのは瞬だけだった。

「いないわよ」

「君、誰」

「その子は情報屋の平井月華ちゃん。中学二年生」名乗ろうとした直後に、朝霧がそう言って紹介してくれた。

「てかお前、ブレスレット壊れたな?」六花こと秋がまだ不機嫌そうに瞬に問う。

「そろそろ壊れそうだったんだけど、不意をつかれて……」

「どこまで調べた?」次いで朝霧が問うた。

「調べようとしたんだけど、見た部屋の資料はほとんどバラバラにされてて……」

「だってさ月華」

 なによ、ただバラバラにしてあるだけじゃ無いの。

「この施設でなにかしていて、かつそれが記録されていた事実さえ残っていれば良いわ。私に生半可な証拠隠滅は通じないわよ」

 朝霧は茶化すように口笛を鳴らし、六花と瞬は戸惑ったようにお互いの顔を見合わせた。

 たしかに普通の視点からだったのなら、焼却だとか、シュレッダーにかけたとか、破いたとか、データなら消去したとかで記録内容は全部無かったことになるけど、私の能力からしてみればそんなことをしても無駄なことよ。

 ああでも、不可視無効能力とかで完全に抹消されていれば別だけれど。

「徹底的に調べられるわ」

「めっちゃ悪い顔してる……」呆気にとられていた瞬がそう呟いたのが聞こえた。



 目を覚ますと俺は見覚えの無い部屋にいて、ベッドの上にねていた。

 直前の記憶を思い出そうとしてみたが、まだ頭の奥がぼんやりとしていて良く思い出せず、それでも強引に手繰り寄せるように思い出してみると、京華学園の地下で、一と行動していたことを思い出す。

 なにかで意識を失ったということになるな。

 確かそれは霧状になって出てきた薬品によるもので、一によって無効化されていたのが何かの拍子で解除された……ということか。一が戦っていた相手が組織の残党で、地下の情報を知っている人間は殺すタイプの人間だったとしたら、今ここで生きているのはおかしい。

 連れ去られるようなきわどいことをしたおぼえとかはあるにはある。

 でも、そんなことをしたところでなんになるのか。

 ベッドから起き上がりひとまずこの部屋を薄暗くしているカーテンを引くと、窓はあるけれど曇り硝子で、かつ鉄格子がついていて外の様子を見ることはできず……みえたとしてもどこかわからないな。

 ベッドのある部屋から出ると、まっすぐ続く廊下の先には玄関らしいドアがあり、俺の靴がおいてった。

「案外あっさりだな」

 そう呟いて靴を履こうとしたとき、別の部屋のドアが開いた音がして、振り向くと学ランを着た背の高い男が出て来た。

「待って」

 ……意識を失う少し前、一と戦っていた……たしか、嘉斎待宵……だったか。

 こいつがここに連れてきたことになるが、どう考えたってその理由に皆目見当がつかない。

「なんのつもりだ」

「こんな事はしたくなかったんだけど……とりあえず……少し話を聞いてくれないかな」

 何故か待宵は困ったような、戸惑ったような態度で俺に言う。髪で顔が隠れているから、表情がわかりづらいが、どうも敵意を感じず。殺しにかかってくるようなこともしてこない。

「俺が顔のよく見えない奴の話を聞くと思ったか?」

 外はすぐそこだと、靴を履こうと背を向ける。

「……外に出たところで、元来たところに帰れると思ってる?」

 思わず手を止めた。

 たしかにろくに土地勘が無いから、外に出ることは出来ても迷子になるだけだな。

「わかった」

 仕方なく待宵の方を振り向くと、待宵は前髪を分けて片目だけ見える状態にしていた。

 よくわからないが律儀なのかも知れない。

「……君たちには、悪いことをしたと思ってる。ごめんね」

 始めにいた部屋とは別の部屋に行くように促されて入ると、椅子が二つ向かい合うように置かれていた。

「君のそばにいる人は本当に君のことを大切にしてるね……」

「さっきからお前はなにを言っているんだ」

 椅子に座って問いかける。

 そばにいる人。がそのままの意味だったら、俺と瞬の関係のことをいっているのかも知れないが、少なくとも面識は無いだろうし……。

 一はいつもそばにいるわけじゃ無い。

 実質初対面だし、関わるにしたってむこうから不意をついたように現れて、意味深なことを言っていつの間にかいなくなっていくだけの変な奴だ。

「ああ、特に気にしないで。僕は他人の違和感に少し敏感なだけ」

 答えになっているようで全くなっていない……とは思ったが、ここに来てまた違和感という単語が出て来た。

「話したいことってのはそれだけなのか?」

 聞きたいことは沢山ある。

 だが、なにから聞いたら良いのかと考えていると、背後にあるドアがきぃぃと音を立てて開いた。

「待宵さん……お客さんですか?」

 振り向いてみると、くるぶしまで伸びた真っ黒な髪の少女がドアのすき間からのぞきこむようにおずおずとこちらを見ている。

「ああ、ルナ。おはよう……入ってきたら?」

「はい」

 言われたとおりに出て来た、ルナと呼ばれた少女は京華学園のセーラー服を着ている事がわかる。待宵の妹か、姉か……年齢を判別することまでは出来ないが、十代ぐらいだろう。

 待宵も、ルナもはじめて会った気がしなくて、けれど、あっていたとしたらどこかで見かけたという程度かもしれない。

「あ、あの……ごめんなさい」

 そんなことを考えていたら、何故か涙目で謝られた。

「なにか、したか……私にはわかりません。ですが、その、お、怒らせてしまった、みたいなので」

「俺はただお前をみていただけだぞ」

「あ……そ、そうなんですか?」

「ああ」前もこんな、違う奴だろうけど似たような反応をされた事があったような?

「お前は敵か?」

 気を取り直して待宵に尋ねる。

「多分そうだよ」

 特段奇妙な間もなくあっさりと、聞かれたから素直に答えた感じだった。

 ……多分なのが引っかかるが、自覚してはいるらしい。

 じゃあ、殺すか?

「そんな……待宵さんは悪い人ではありません!」ルナが慌てて声を上げる。

「ルナ、大丈夫だよ。僕は確かに敵だと答えたけど、帰れなくしているのは僕のせいだし表現として間違いでは無いってこと」

 一の話し方とかも大概だったが、こいつもわりと大概かもしれない。

 態度としては穏やかに答えてくれるが、腹の中になにがいるのかは……。

「なんでこんな事をしている」

「僕が取り返しのつかないことをしないようにするため……まぁ、またやることになりそうだ」そう答える待宵は、どこか遠くを見つめて、酷く憂鬱そうである。

「なにを」

「それは……君に話した所でどうにか出来ることじゃないから内緒」

一番肝心な部分は答えるつもりは無いようだ。

 問いかける内容に迷って口を閉じる。

 そのかわり、困ったようにおろおろしているルナと、遠くを見ている待宵を観察してみる。

「あの、あなたの……お名前は?」

 見ていたら、ルナが俺にそう聞いてきた。

「百々。那由多百々だ」

「わたしは、嘉斎ルナです」

 名字からして、やっぱり多分待宵の身内のようだ。

 いや……身内をさん付けすることって……あるのか?

 少し困惑していると呼び鈴が鳴り、ルナはびくりと身をすくめ「びっくりした……」そうちいさく呟いた。

 椅子から立ち上がった待宵は玄関に向かって歩いて行く。

「わからないことしか……ないぞ」

「……あの、百々さん」

「なんだ」

「お茶、飲みませんか?」

 ここにこれ以上長くいるつもりは無いが、断る理由も特には無かった。

「ああ」

「準備、してきますね」ルナはふんわりと微笑んで部屋から出ていき、俺はその後ろ姿を見ていたら、

「あの……」

 不意に立ち止まってこちらの方に振り向いてきた。

「なんだ?」

「……お友達に、なって欲しい……です」

「わかった」突然だったけれど断る理由も無く、俺はすぐに頷いた。

「あ、よかった。断られたら、どうしようっておもっていました」

「こんなに簡単になれるものではないがな」

「そうなんですか?」



 部屋に入ったら百々を真っ先に連れて帰るつもりでいたんだけど、この誘拐犯であり、数少ない友達と話す必要性を感じた俺は、マンションの屋上に来た。

 隣にいる彼は、学園の地下施設での情報を洗いざらい調べたことまで知らないだろう。

 彼の中ではもう完全に抹消したことになっている記録なのだから。

「……僕にもう、戦わなくて良いって言ってくれないかな」

 俺の友達は寂しそうに、そして唐突にそう告げる。

 ずいぶんと抽象的で、どうしてそんな風に考えたのか。

「これが最後の戦いだ。これが終わったら、もう僕は戦わなくて良いって、そう言って欲しいんだ」

 そう言う友達は、雨の降る暗い雲のすき間から白い光でも差し込むかのような、寂しくて穏やかな表情をしている。

 ……まるで、これから死ぬみたいに。

 どう言葉をかけていいかがわからない。

 でも、思い付いたとしても、友達には届かない言葉かもしれなくて、俺は次の言葉を待つ。

「僕と友達になってくれてありがとう。また会うことは無いと思っていたけど、まさかこうして話が出来るなんてね。短い間だったけど、とても嬉しかった」

「…………待宵」

「……?」

「俺も、そう思うよ。友達になってくれてありがとう。でも」

 引き留める言葉は必要としていないだろう。

 これ以上悔いが残らないような、そんな言葉を求めている様子は無いようにみえる。

「確かに君は、君の言うとおり、もう戦わなくて良いとおもう。でも、戦いが終わっても、君はちゃんと生き続けるだろ?いや、生きてよ。こんな、死ぬみたいな話し方じゃ俺は……」

「……死ぬつもりだよ。僕は」

 ずっとなにかを悟ったみたいな態度でさも当然のように言われる。

「死ななかったら、こんな風に誰かにお別れなんて言わないよ。だって、そうしないとおわらないことだから」

「……そう」

「うん。だからさよなら」

 これ以上会話をする意味が無い。

 少なくとも待宵はそう思ったのか、俺に背を向けて歩き出す。

「ああ、そうだ」

 数歩歩いたと思ったら立ち止まって、こちらを振り向く。

「もし、死んでいなくて、僕が僕じゃなくなっていたら、そのときはちゃんと殺してね」

「……待宵、お前はなにと戦っているの?」

 言葉の代わりに曖昧な微笑みだけが返ってきたと思ったら、待宵は自分自身の胸に指をさしてから、部屋に戻っていった。

「そっか」



 待宵が戻ってきたあと部屋にきたのは、何故か待宵と同じ京華学園の制服を身に纏った瞬だった。

「……迎えに来たよ」

「お前……どうしてここが」

 服装についても聞いた方が良いけれど、まずはどうしてここにいることがわかったのか説明して欲しいところだ。

「今日はお客さんがたくさんきますね」

「そうだね」後ろの方でルナと待宵が呑気にそんなやり取りをしているのが聞こえた。

「それは……百々を攫ったのが待宵だから」

 それを知っているのはあの時一緒にいた一ぐらいしか知り得ないことで、なおかつ俺には瞬と待宵の接点がまずわからない。

 それから、一と瞬の関係も。

 同一人物だとしてもこの性格や態度が全く違うのは何故だ。

「待宵。その子は?……姉や妹なんて君には……」

「えっと……ルナです」瞬が指摘すると、ルナはそう名乗った。

「あ……瞬です」

「……瞬。思ったより、僕もルナも時間は余り残されてないかもしれない。だから、もう帰って」

 お互い自己紹介したばかりなのにいきなりそう切り出すか。

時間が残されていないってのもまた引っかかる要素しか無いが、

「えっ」

「それに……ちゃんと話さないと駄目だよ?」

「お前がそれを言うか」

「……秘密ばかりだけど、それが僕だから」随分とにこやかだった。

そして、いつの間にか俺と瞬はマンションに戻るために道を歩いていた。

「……やられた」

 途中でなにかに気が付いたらしい瞬が滅茶苦茶悔しそうに呟く。

「お前。とりあえず全部話せ」

「えっ、あ……うん」

 丁度公園があったので、そこのブランコに腰掛けながら話を聞くことにした。

「……君が一番知りたいことから話すよ」

 瞬がとなりのブランコに腰掛ける。

「まず俺は、一三月に変装して、あれこれ調べてた」

 ……一と同じ制服で待宵の所に来たのは、俺が気を失ったあと変装を完全にとくための時間があんまり無かったということだろう。

「一三月の姿の時の俺は能力が無効化だから、異変の影響をうけないし」

「変装するだけで能力を切り替えられるのか?」

「そうじゃなくて……朝霧から貰ったブレスレットをつけないと無効化はつかえない。俺の本来の能力も封じることになるけど」

「じゃあ、性格が変わるのは?」

 朝霧に仕込まれた演技にしてはやたらと自然で、声やしぐさだって全く違っていた。いや、自然だから一三月という人物を作り出すことが出来るんだろうけれど、それにしたって……変わりすぎじゃないか?

「反動なんだ」

「反動?」

「能力の結晶をつけてあの姿になると、副作用みたいなもので性格も完全に切り替わる」

「副作用って言えば許されると思ってるのか!」

 硝子の破片を瞬めがけて降らせる。

 だって、それで納得できるわけがない!

 他人として関わるにも限度ってものがあるだろ!

「あっ、ちょっ、えぐい」急所や怪我をしたら厄介なところは外してやったものの、瞬はそれを避けるために立ち上がる。

「この馬鹿」

 大鎌を作り出して斬りかかると、軽々と避けられた。

「あ、あ、あ謝るから……!」

「俺がどれだけ複雑な気持ちになったかも知らないで!」

 避けられることは完全にわかっていたが、それでも俺はもう一度斬りかかる。

「ごめん!」

「隠し事は無しだぞ。なんであの姿で調べていた」

 追い詰めて大鎌の切っ先は瞬にむけたまま問いかける。

「……それは……無効化しておけば、調べる上では能力上の妨害を受けずに出来るから」

「俺が聞きたいのは、一三月の姿になる必要がどこにあったかってことだ」

「あの姿じゃないと、君を完全に守り切れないと思ったから」

「馬鹿」

「俺は、頼りなくて、情けない奴だし……もし、あの姿で失敗しても、あれは俺じゃ無いって思って、割り切って……ええと……」

 話し続ける瞬に、俺は大鎌を消して近付き瞬の頬に手を添える。

「……あの姿でなら俺に何をしても良いとでも思っているのか?」

「それは……ごめん」

「……ほら、抱きしめろ」

 もう少しだけ近付けば密着することだって出来るが、それをもったいぶりたくなってぎりぎりの所で止まると、瞬は今更のように戸惑いながらおそるおそるといったように抱き寄せてきてしっかりくっつかされる。そして、俺の顔をじっとのぞきこんだかと思うと突然唇を塞がれた。

「んっ……」

 呼吸が止まったのはほんの数秒なのに、じわじわと焦がすように甘ったるい気持ちと、何故だか追い詰められるように苦しくなるような気がして胸が締めつけられて、結局、どうしようもなく甘くて苦しくて目を閉じる。

 やがて唇は離され自分の熱が顔にはい上がってくるのを感じながら、瞬の顔を見ていられなくなって顔を逸らした。

「……キスまでは要求してないぞ」

 まだ問い詰めている途中だが声は出さずに瞬の頬に添えていた手を下ろそうとすると、逃がさないとでも言わんばかりにそれを掴まれて、手の甲にもキスをされた。

 こいつ……密着したくせに俺の言葉を聞いてないな。

「……どっちの姿でもお前はお前だよ。もうそれで今回だけ許してやる」

「……百々」吐息のように優しく名前を呼ばれて瞬を見つめ直すと顔を真っ赤に染めていて、けれど酔ったような幸せそうな表情を浮かべていた。

 また一の姿で俺の前に現れたら……そのときはどんな顔をしたら良いのかはわからない。

 だけどな、今の今まで瞬は、多分俺が頼んだだけだからかもしれないけれど、あるいは頼まなくたって行動していたかもしれない。

「情報を共有するんだから……これから先は俺も一緒に行く」

 真っ直ぐ見据えてそう告げてから、軽くつま先で立って瞬の唇を奪うと、どぎまぎしている顔が見れて……お互い、不意打ちで奪われることには慣れていない事が少しだけわかった。

にやりと笑ってみせると、頬を真っ赤に染めたままの瞬は顔を逸らす。

「ずるくはないけど……ずるい」

「しかえしだ」

 しばらくの間くっついたまま沈黙していると、瞬が息を大きく吐いて、気持ちを切り替えたのか俺を見つめてくる。

「どこまで話したっけ……」

「お前が一だってこと」

「じゃあ次……俺が一年前ここにいたのは一の姿でほんの少しの間だけど京華学園の生徒だった。待宵と知り合ったのもそのときで……なんでか、俺が変装しているのを即見破ったんだよね、あいつ」

 俺からしてみれば、瞬の変装技術は大分高度な部類に入ると思えたし、変装の時は無効化が発動しているにもかかわらずそれすら見破るってほんとに何者なんだ?

「そもそも、どうして友達になれたんだ……?」

「待宵とは元々ネットでの知り合いで、神代市に住んでいたついでに会ったら逆に俺の時に三月だってことも看破されたんだ……ちょっと自信なくしたけど」

 当時のことを思い出したのか、なんともいえない顔で瞬は言う。

「友達になったのはそんな経緯だよ。次は待宵がこの異変の元凶になっている理由だけど」

「能力の暴走か?」これはなんとなく予想することが出来た。

「はじめ、あいつの能力はあいつ自身が自分でマークをつけたところに投げたりしたものを命中させる能力だって言ってたんだ。でも……それが暴走したら、もっと別の現象にならない?」

 そこで瞬は言葉を切る。

 たしかに、それだけの能力だったら神代市から出られなくさせる要素はどこにも無い。

「調べたら、本来の能力は他人の精神に干渉して違和感を無くさせたりする精神操作」

 範囲の広いことをしているわりに待宵に負荷はかかっていないようにみえたが……。

 いや、能力の暴走だからこそなし得たことか。

「狂花の意味もわかったよ。元々は能力者じゃ無い人間が人工的に能力者にさせられた存在のことで……」

「待宵は狂花なんだな?」

「うん。狂花には能力の使用量に限界があって、それを超えると暴走して……最後は自壊するように仕組まれている」

 使い捨てじみているのは、人工的な能力者だからで……つまり、今回は待宵の自壊か、誰かに殺されるのをまてば、俺達は帰ることが出来る……ということか。

「……普通の能力者だって暴走することはあるらしいけど、似たような末路をたどるって朝霧が言ってた」

「どうしようも無いな……」

 抱きしめていた手が離れて瞬は俯き、俺はそれに背を向ける。

「百々」

「ん?」

「俺、まだ隠し事してたんだけど……」

 振り向いてみると、なにやらがさごそと制服のズボンのポケットを漁っている瞬がいた。

 本当に隠し事が多い奴だな。

 そして、やっと見つけたらしくポケットから小さな白い四角い箱を取り出して、俺に差し出してきた。

「これ」

 ひとまず受け取って箱を空けてみると、中には金色の石が埋め込まれた白銀の指輪が入っている。

「指輪……」

「これは……俺達が、これ以上ここでこのままでいいって思わないようにするためのもの……あ、能力は普通に使えるようにして貰ったから」瞬の右手の薬指を見ると、朱色の石がはめ込まれた銀色の指輪をつけていた。

「……もしかして、お互いの目の色か?」

「……うん……その。俺が君にはめてもいい……?」

「わかった」

 指輪のはいった箱を瞬に返して、俺はそっと手を差し出す。

 瞬は指輪を取り出し、おそるおそる俺の薬指にはめた。

「……いつもお前がそばにいるみたいだな」

「俺はここにいるよ」

「わかってる」


 京華学園地下施設にて。

 瞬が途中からいなくなったのは、被験者リストにある嘉斎待宵の名前と個人情報を読み終え共有した直後ぐらいだろう。

 それはともかく、この地下施設においての全ての行為を私の記録を司る能力で辿って、朝霧の持ってきた能力の結晶をつかい諸々の資料を複製してみた。

 この施設では主に十代ぐらいの能力者ではない人間を材料として使い、人体実験や科学的な肉体改造とかを行って、人工能力者を作製していたらしい。

 その成功例はごく僅かで、該当する人達は全員この学園の生徒会に所属していて……今の生き残りは嘉斎待宵だけのようだ。

 人工能力者が死亡すると様々な色の砂になって、とある砂時計に蓄積される。その砂時計は一度だけ暴走した人工能力者の時間を巻き戻すことが出来て、ついでに神代市全体の時空間を歪めてしまうらしく、それが今回の原因……砂時計の実物をこの目で確認したわけではないけど、辿った記録の中に確かに存在していた。

 ついでではないけれど、この学園の生徒達が昏睡状態に陥ったのは、能力暴走の余波によるもの……人工能力者が能力を暴走させる度にこの学園の生徒達はなにかしらの影響を受けていたらしいから推測にすぎないけれどそういうことらしい。

 たった一人死ぬだけで全て解決するように見える。

 けれど、本当にそんなことで良いのかしら?

 情報屋をしている私はあくまでも中立の立場をとっているつもりだけれど、天秤のはかりにかけるものが同じぐらいの重さでないと中立なんて成り立たない。

 残酷なのは暴走を解決する手段が研究されている様子は無いこと。あくまでも使い捨ての存在としか見られていなかったことだろう。

「あー……少し疲れたわ。なにかお茶とか買ってきて」仕事とはいえ、能力を使ったことと、考察するにしても大分頭を使った。

 ポケットから小銭入れを取り出して、資料を読んで顔をしかめていた六花にそう言って渡したら、とても面倒くさそうな表情が戻ってきたものの渋々と立ち上がって歩いて行った。

「朝霧、この施設にある部屋であなたしか入れなさそうな所を見つけたわ……」

「ん?そうなの?」

 ひとまず六花がいなくなって朝霧と二人きりになってから切り出す。

 そして施設の見取り図の図面にその部屋にマークをつけて渡した。

「この部屋よ。勿論中身には興味があるわ。でも、これは私への依頼の範囲では無さそうだし……まぁ、報酬の一部として、あとでなにがあったのか教えてくれてもいいのよ」

「考えとくわ」

 程なくして六花が飲み物を手にして戻ってきて、わりと雑に投げ渡された。

「ねぇ朝霧。あなたなら暴走した狂花を止められるんじゃ無いの?」

 ほんのりあたたかいお茶を飲みながら朝霧に問いかける。

「さぁな」

 あら、はぐらかされた。

 でも、見ず知らずの人間を助けるような人間じゃ無さそうだったし、まともな答えが返ってくることに期待はしていなかったからこんなものよね。

「秋、切るもの次第だって瞬に伝えとけ」朝霧はなにか思い出したように六花に言う。

「意味わかんねぇけど……わかった」

「じゃ、俺帰るわ。月華はどうする?」

 唐突に切り出したように見えるけれど、もう全て調べ終わったから、もうこれ以上この施設にいる必要も無い。

「私はここに残る」

 こんなに歪められた空間にはいったことは初めてで、だからこそ最後までこの出来事を見届け、私の頭の中の記録に残したいとおもったから。

「そう。じゃあ秋。護衛は引き続きまかせた」

 朝霧は意外そうな表情をしていたけれどすぐに納得したようにそう言って、はじめからそこにいなかったかのようにふっと消えた。

「……面倒くせぇな」

「巻き込んでしまってごめんなさいね」

 そう言えば、巻き込んだことそのものについて謝っていなかったわ。

「いい。謝られてももう遅ぇし」


 鏡の中に、その子はいた。

 ただ悲しそうに項垂れていて、僕には気が付いていないようだった。

 どう声をかけたものか。

 かけても言葉は返ってこないかもしれない。

 でも、なにか、僕に気が付いて欲しい。

 電気が消えて真っ暗になる。

 ずっと、永遠に続きそうな暗闇だ。ただそうなっただけなのに、僕の心も体も冷えきって、寒くもないのに身体が震える。

 それまでの思考を断絶させるにはちょうど良いもので、最悪なもの。

 なにを考えれば良い。

 なにか、なにかを、気分でも紛れるようなことを考えないといけない。

 ここにきて、暗闇のときに考えることが段々無くなっていっている……ああ、死ぬことについての考えがループするぐらいか。

 そうだ、真っ暗闇になる前に、鏡の中に女の子がいた。

 あの子は悲しそうにしていたな。

 あの子になんて声をかければ良いか考える時間にしよう。

 ――こんにちは、はじめまして。

 ありふれた、けれど僕が使うのは大分久しぶりな挨拶の言葉。

 ――君は誰?

 いきなりそんな風に聞いたら、あの子をかえって警戒させてしまうかもしれない。

 後ろにもある鏡に背中を押しつけて、真っ暗な天井を見る。

なにもみえない。

 僕はずっと閉じ込められているけど、あのこの姿を見たのはさっきがはじめてだ。

 全部が鏡張りの部屋にいれられるなんて、誰だってああなってもおかしくはないよ。

 僕はもうずっと長くいるから、いつの間にか、もうおかしくなっているのかも知れないけれど、大分この部屋の中にいるのになれきってしまっているから、あの子が少しでもここから出られるように、出ても僕みたいにおかしくならないように、少しでも気が紛れるように、なにか声をかけないと。

 僕はなにがどうおかしくなっているのか、自分でもわからない。

 ずっと酷い目にあってきたから。

 あの子は、どうなんだろう。

 はやく、ほんの少しでも早くまた僅かの間だけれど明るくなってくれないかな。

「……あ、あー……」

 声が出せるか、確認してみた。

 もうずっと、誰とも何も話していないからか細くて小さな声になっていることがわかって、あの子にちゃんと聞こえて、つたわるかな?

 暗闇に向かって話しかけることは出来るけど、それだと、むこうは僕の姿を認識していないのにいきなり話しかけられて驚かせてしまうかもしれないし……。

 電気がついた。

 女の子の姿は無くて、僕の姿が映し出されている。

 さっきは目の前の鏡の中にいたのに……。

 右の鏡にも左の鏡にもいない。上にも下にも同じ事。

 後ろの鏡の中は前の鏡で見ることが出来るけど一応振り向いて確認してみると、やっぱりあの子はいない。

 真っ暗な間に、どこか明るい所に出して貰えたかな?

 それならいいんだ。

 こんな酷いところに少しでも長くいるのはおかしくなってしまうから。

「……」

 電気がまた消えた。

 この部屋はずっとこんな仕掛けだから、また暗闇に怯えて震えるだけ――。

 ただの夢だった。

 あの子にどう声をかけたのか起きて思い出そうとしてみたけれど、結局は思い出すことは出来なかった。

 いま、僕らはここにいる。

 都合の悪いことはなるべく忘れて、ここにいるんだ。

「……手遅れにも程がある」



 壁についている長方形の大きな鏡に私の姿が映り込んでいた。不健康そうではあるが、客観的には少女と呼ばれる見た目をしている。

 たしか、この姿で外に出るまで、私は鏡の中にいた。

 鏡に額と右の手のひらをぺたりとつける。

 本当のことを言えば、鏡が壁の代わりに私を取り囲んでいる部屋。

 ずっと真っ暗かとおもえば、時折天井にある電気がついて、鏡が私を映し出すのが、何度も繰り返されたところ。あのときの私は人間なのか、そうでないのかすらわからなかったけれど、鏡に自分が映ることは認識できていたような、誰かと話していたかもしれない……そんな、欠けていて朧気な記憶。

 これが、回想?

 いままでこの姿になってから思考はいくつかしてきたけれど、前に起きたことを思い出すことはこれがはじめてかもしれない。

「ルナ?」

 鏡があるから振り向かなくても良いのに、その声だったから、反射的に私は振り向く。

「待宵さん」

「ずっとそこから動かなかったから」

 口の少し上まで伸びた前髪で表情こそみえないけれど、彼の言い方は、不思議そうにしている様子だった。

「私、ここにきてはじめて、いままでのことを思い出していたんです」

「……君にプレゼント」

 そう言って待宵さんはポケットからなにかを取り出して私に近付くと、私の前髪に触れて耳にかけると、なにかをつけたようだった。

「あの」

「顔を見せた方が、君は可愛いと思ったんだ。鏡を見てみて。似合ってるからさ」

言われたとおりに背を向けていた鏡に視線を戻す。

「あっ」

 待宵さんがつけてくれたのは綺麗な花のついた髪留めで、確かにこうしたら私も、私自身の顔がよく見えている。待宵さんが言ってくれたとおりに可愛いのかは、私にはわからないけれど、

「気に入ってくれたかな」

「はい」

「よかった」

 待宵さんは満足そうに頷いて、部屋から出ていく。

「あ……お礼……言い忘れてしまったわ」



 屋上にはどこからかすめ取ってきたのかわからない薬の瓶が並んでいて、ぼんやりと眺めてみたら、どれも劇薬類だったことを覚えている。

「これは致死量の毒薬なんだけど」そう言って待宵は何でも無い顔で次々と飲み込むか、あるいは投与していって……そのままなにも起こらず平然としている。

「毒だと死なないんだよね。僕……能力者はみんな毒が効かないの?」それはとても自嘲気味な笑みだった。

 用意されたものが特段偽者だという様子も無かったので、耐毒体質になっているからこそ、あの霧の中でも百々を攫えたんだろうなと、一年前を思い出しながら思った。

 指輪を渡した所で神代市から出ることは出来ないけれど、百々は精神操作の影響は受けなくなる。つまりはこのままでいて良いと思わなくなって、いや……俺も変装をといていたときはなにもつけていなかったから、待宵の精神操作の影響を受けていたことになるんだけど。

 それにしてもこれ以上追求させないためにわりと強引に能力を使われたときは……。

 俺は月の満ち欠けに左右されるから、能力が使えないときもあるし、百々だってずっと能力を使い続けているわけじゃ無い。

 四六時中能力を発動させているのは、相当神経を使うものだとはおもうけれど、暴走しているからこそそんなことを負担とも感じないでいられる……?

 あの精神操作……戦うときは滅茶苦茶厄介な能力だし、さっきみたいな強制退去のときも物凄く……無効化並みにどこかに溶け込んでいるのは……なんていうか、やっぱり面倒でしか無いし、そんな奴を殺せるわけが無い。

「はぁ」

「……?」

 いつの間にか起きていたらしい百々は俺の顔をまじまじとのぞきこんでいた。

「俺、待宵殺せないよ」

「じゃあわたしが」

「それは駄目」もうぼろぼろになった百々は見たくないし、あまり戦って欲しくない。

「百々は俺のそばにいて、支えて欲しい……ちょっとでも良いから」

「わかった……ふふっ……プロポーズみたいだな」

「あ」そんなつもりでいったわけじゃ無かったんだけど、そこだけ切り取ってしまえば、確かにそうだ。

「……指輪も、つけているし」

「うん……じゃあ、結婚する?」

「……まだはやい」

 手を繋いで、俺達は目を閉じた。



「放っておいてくれないかな」

 つぶやくと、僕に膝枕をしてくれていたルナが心配そうに僕を見て、なにか声をかけようとしてそれを諦めたみたいだった。

「待宵さん……ひどくうなされていましたよ?」

「ひどい夢をみただけさ」

「それは、よくないことです」

「そうだね」

 ルナの言葉に応えると、石のようにとても冷たい無機質な手が、僕の頬をとても優しくなでようとしてすり抜けた。

「……ごめんなさい」

「謝る必要は無いよ」

 また、そっとまぶたを閉じる。

 ――とても残念な話だけれど、例え彼らが時計仕掛けの神であっても、僕を救うことなんてとても出来ないんじゃ無いかな。

 残念ながら僕は救いなんてものは求めていない。

 だけど、神々的な存在はそれをあっさり、求めていなかったとしても、つまり僕の意思なんかとは無関係に、無理矢理にでも平常にしようとするんだ。

 迷惑な話だよね。

 終わりは静かに近付いてくる。

 だけど、悪あがきぐらいはしてみようじゃないか。

「……君と穏やかに過ごせれば、それで良かったんだけど」

 まぶたを開けるとルナはいなくて、その代わりに紫色の破片が自分の胸の上にあった。

「いなくなっちゃったか」

 僕はそれを持って起き上がる。

 まだ行かないといけないところがあるから、無理にでも歩かないといけないな。


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