2章
花が咲き終え寂しい景色の屋上庭園で風を受けながら、夜月朝霧は待ち人を待っている。
まだ土曜日の昼間だというのに瞬から来たメールは文字化けしているし、電話をかけるとどこか音声にノイズが混ざりながらそれでもなんとか聞き取ってはみたものの、瞬の過ごしている時間と、朝霧の過ごす時間との時間軸がかみ合わない。
「どーなってるのやら」
物事にちょうど飽きたばかりで、こうもタイミング良く瞬から連絡がかかってきたことはまだいい。神代市にいる二人にとっては大変なことでも、朝霧にとってはごくありふれた、きっと、普通の人間にとってはテレビのバラエティ番組を見ながら笑うことと同じぐらい面白いことだった。
けれど、残念なことに、彼の能力はその神代市の歪められた時間軸や、出られないという概念すらも無効にして巻き込まれたくても巻き込まれることは無い。
「おもしろいのにつまらねー」
そうつぶやいた直後に、強い風がふきつける。
暫くすると、屋上庭園にのぼってくるローファー特有の足音が聞こえてきた。
音のする方を振り向くと、漆黒のセーラー服の襟やスカートの裾をばたばたとなびかせながら、中学生ぐらいの一人の少女が顔をしかめながら歩いてきた。
「天気が悪いのにこんなところに呼びだすなんてどうなのよ」
風が弱まったところで少女は肩まで切りそろえられた漆黒の髪を手ぐしで整えながら、紫色の瞳を朝霧に向け恨み言を言う。
「風が強いだけだから大丈夫かなーって思って。まぁ、雨だったら喫茶店だったけど、月華ちゃんみたいな中学生が喫茶店で男と待ち合わせするなんて変な噂になってもなーって」
朝霧はそれを意に介さずにこにこと軽い口調でそう返すと、少女、平井月華は呆れたようにため息をついた。
「別にそれぐらいのことはどうと言うことも無いわ。あなたなんてとりあえず親戚のおじさんとでも言えば良いのだから」
「おじさんかぁ……どっちかって言うとおにいさんにみえない?」
「で、なによ」
それについて月華はスルーを決め込み、極力要件だけを聞き出そうとつづきを促す、
「月華ちゃんは情報屋だから、俺が求めているものは先回りしてわかるかとおもってた」
「心が読めるわけじゃ無いし、そんなことが出来ていたらここに来たりなんてしない」
とてもめんどくさそうに言う月華に対して、朝霧はオーバーアクション気味に観念したようにため息をついてから、表情を切り替えた。
「調べて欲しいことがあるんだよね。だけど、多分一部は現地に行ってみないと出来ないことだから」
「外出とかの許可は取ってあるわ。で、どこなの?」
「神代市」
場所を聞いて、月華は驚いた表情を見せる。ここから行くには二時間以上はかかるところであり、調べる時間だって考えると、今から行っても帰る頃には夜遅くか最悪翌日になってしまう。
「交通費と飲食代は含まれてるわよね」
「もちろん。報酬とは別で」
「そう。それから、あたしの身の安全の保障は?」
異能力者ではあるものの、一般人と変わりない生活を送っている、特段戦闘能力を持たない月華にとっては自分の身の安全も重要なことである。
「俺ともう一人がついて行くから、それも大丈夫かな」
「わかったわ」
「じゃ、一時間後ぐらいにこの場所に来て」
朝霧はメモを取り出して月華に渡す。
「ええ、わかったわ」
それを受け取って中にを確認したほんのわずかの間に、いつのまにか朝霧はいなくなっていた。
「ほんと、わかんないわ。あの人」
いきなりいなくなる必要はあったのかしらと、月華は首を傾げた。
*
狼姿で眠っている瞬の頭や体を撫でながら、俺は暫く考え事をしていた。
――違和感が無いことに気を付けて。
これは、俺がニノマエミツキに言われたことで、はじめはその意味こそよくわからなかったものの、瞬が話していた、帰らなくても良いと思い始め、違和感なくここで何日も生活していることがあてはまるのだろう。
「もう一つは……どういうことだ?」
――モノゴトには限りがある。
遠回しな表現だったがつまりは有限だ。けれど、それがなにを意味するのか……。
ただあの土曜日の一日をループさせたければ無限で、それにもかかわらずこうして日付はすぎているのだから、たしかに有限なのかも知れないが……いや、よくわからないぞ。どうしてそんな考えが出て来たんだ?
あるいは、いつかは終わること……タイムリミット……とか?
「……まぁ、いいか」
たしかに、ここから出ようとする考え事は考えていると途中で飽きてきて、誰がなにをやっているのかなんて、とてもどうでも良くなる。
たとえそいつと対峙したとしても、数ヶ月前みたいに解決……あれは、解決したことになったのだろうか。強引に組織のリーダーを殺しただけで、残党として残っている奴等は残っていて、そいつらがどれほど危険な存在なのかも……今回のことも組織の残党の仕業……とか?
撫で続けていた手が止まっていたのか、瞬は目を覚まして静かにこちらを見ていた。
「……瞬。お前は……なにをずっと調べているんだ?」
瞬は暫く俺をじーっと見てから、あっという間に人間の姿に戻り、起き上がって
「ふぁ……」あくびをして身体を伸ばした。
「その事なんだけど……情報が中々集まらないから、組織の残党狩りもついでにしてた」
「は?」
たったついさっき考えていたことを読まれたような気がして驚いたのと、何事も無いようにさり気なくそんなことをしていて驚いたのと両方だ。
「君に危険が及びそうな要素は極力排除したいし」
「……それにしたってだな……。いや、これは、そもそも組織の仕業なのか?」
「んー……」
瞬は暫く考える素振りを見せて、またこちらを見る。
「いまはそれすらもあやふやだから、まだ何とも言えない」
「そうか」
「ところで、アニメでも見ない?」
「アニメ?」
「うん。君が買ってたキャラクターがでてくる奴。ちょうどDVDがあって……まぁ……どうなっても知らんぞ」
キャラクター……?
ああ、そう言えばアニメショップで買った……あの子か。
少しばかり不穏な一言がついてきたが、見てみよう。
*
俺がいま百々に見せている『night.close/zero』(通称ナイゼロ)は、はじめはほのぼのとした少女同士のやり取りで、友情日常系アニメのような雰囲気で始まる。だけど、些細なことをきっかけに徐々にえぐい描写が増え、はじめからいた黒い魔物の秘密とかが紐解かれたり、最後主人公は魔物の呪いをといてそれを許して、魔物はただのマスコットキャラクターになっておわるという二年前に流行った衝撃作だ。
百々の表情が段々暗くなっていくのをみることに耐えられなくなってきたので、俺はパソコンをつけてチャット画面を開くと、そいつはちょうど入室している様子だった。
神代市に住みながら、リアルでも会っていて定期的にチャットで連絡を取り合うのはおそらくこいつぐらいかもしれない。
『仮面の組織の残党の居場所を引き続き教えて』
入力して送信する。
暫くすると返事が返ってきた。
『人間そのものの居場所はこの間のもので最後だよ』
大分残っているものだと思っていたけれど、案外少なかったのはもしかしたらこいつがもう探し当てて狩れるだけ狩り尽くした可能性が高いっていうか……それを考えると一人で良くやれたなと思う。俺達みたいに何かしらの後ろ盾があるわけでもなかったはずだし。すごい奴と言えばすごい奴なんだけど。
『京華学園には行った?』
「……なぜに?」
京華学園とは、この付近にある学校の中では規模の大きな教育施設で、これまで全く行く必要性をまったく感じなかったんだけど、どうしていきなり……?
『行ってない。でも、どうして?』
五分ほど待ってみたけど、返信が返ってくる様子はなく、その代わりに退室したことを告げるログが流れ、俺はチャット画面を閉じた。
リビングに戻ると、百々がソファーの上で膝を抱えてしょんぼりしながらエンディングをながめている。
「……こんなに救いの無い話だったのか」
「あの可愛い見た目に騙されちゃいけないんだ……」
「続編はあるのか?」
「いま作ってるらしいよ」
「そうか」
百々のアニメに対する反応はどんなものなんだろうと思っていたけれど、以外と勧めれば見てくれることに今更だけれど気が付く。いや、アニメ系のショップにはいったときもなにかディすってくることもなくあれこれ新鮮そうに見ていたくらいだったから偏見とかはそもそもないってことだな……?
「おもしろかったぞ」
「……うれしい。かも」
自分の好きな作品について知って、楽しんでもらえたのは素直に嬉しいと思った。
「さすが俺のよ」……言葉を滑らせかけた、あぶない。
「顔が赤いぞ?」
「や、な、なんでもないです」
*
夜になってもまだ瞬が帰ってこない。
今日は確か、夕方までには帰ってくるとか言っていた気がするのだが……不思議に思ったのと退屈になってきたので、散歩がてら探しに行ってみることにした。
ここ数日、ある程度歩き回っていたからやや覚えつつある道を歩いていると、普通に他の人間も歩いて何事もないかのように日常をおくっているらしい様子は見受けられる。
街灯の下でふとたちどまる。そういえばマンションに携帯を置いてきてしまった。
「ボクのヒントは役に立ちましたか?」
まるで、影から現れたかのようにあの男の声が聞こえた。
さっきまでまわりには誰も見かけなかったし、歩いてくる音も聞こえなかったはずだ。
それとも、隠れていることに気が付かなかったのか……?
「タイムリミットみたいな意味合いの有限と、何事もなく受け入れてしまっていることへの違和感だろう。一三月」
振り向かないまま答えを返すと、一は足音を響かせるように歩いてきて、俺のすぐ後ろで立ち止まったようだった。
「はい」
「俺にはどうしようもない」
「そうでしょう?」
つくづく真意のわからない奴だ。
俺に近付いて、よくわからない……いや……あとになって意味がわかるような事を吹き込んで何がしたい。
「でも、もう巻き込まれてしまいましたから」
「お前だって巻き込まれてるんじゃないのか?」
「さあ」
振り向くと、一は口元を三日月のように歪めて、ほの暗さの漂うような不気味な笑みを浮かべていた。
「ボクは物事を調べているだけですよ。百々さん。女の子が夜道を一人で歩くだなんて危険では?」
その笑みが瞬く間に無くなったかと思ったら、一は俺に背を向けた。
「アナタは数奇な物事に引き寄せられやすいようだ」
珍しがっているようにもそれでいてどこか哀れむような口ぶりで、始めてあったときのような明るさは感じ取れない。
「今回はそれだけか」
またどんな意味深なことを言われるのかと思っていたが、多分からかいにきただけらしい。
一は芝居に出て来る役者のように大袈裟に振り向いて、とても不思議そうに小首をかしげる。
「ボクになにか期待しましたか?」
「は?」
そして、みるみるうちに始めてあったときの明るく何を考えているのかわからない意味深な表情を浮かべたと思ったら、あっという間にまた抱きしめられる。聞いた俺が馬鹿だったと後悔してももうおそい。
「離せ!!」
突き放そうとしてもびくともしない!
なんだこの腹が立つ馬鹿力は!!
「それじゃあまた。次はヒントと言うよりは指示……に近いかもしれませんね」
そして、前回と同じように耳元に囁かれる。
「京華学園を調べてください。それから……アナタの恋人とはくれぐれも離れないように」
「……わけがわからない」
「そのままの意味です。はじめて会った時に言った言葉の意味に気が付いて考えていてくれたのは意外でしたね。それだけ記憶には残ってくれたのでしょう?」
一の顔をのぞきこむと相変わらずの笑みを浮かべているように見えて、けれどその瞳は全く笑っていないようにも見えて……。
「ああ、でも、そうだな」
観察するように見つめていたら、一は誤魔化すように目を閉じる。
「少しはボクを信じてくれているみたいなので、有益な情報をアナタに渡したので、ボクは報酬を得ないといけません」
「は?」
「だから、報酬ですよ。ご褒美と言った方が優しいでしょうか」
なにをどう思考したらそんな所に飛躍するのかいよいよわからないぞ!!
「抱きしめるだけでは足りなくなってしまいました。ええ。いつかそれだけでは足りなくなるだろうって少しは考えていたのですが、まさかたったの二回目で歯止めがきかなくなるなんて」
「お前に、そんなものやらないからな!!」睨みつけることぐらいしか出来ないのが悔しくてたまらない。
「アナタが悪いんですよ。それに、アナタが抵抗しても、ボクが勝手に奪っていくだけです」
「変態!!お前は変態だ!!死ね!!」
「傷付くなぁ」
対してダメージを受けていない様子で、一はおもむろに顔を、唇と唇が触れ合いそうなくらいに近付けてきて目を細めて笑う。
「ところで、恋人とのキスはすませましたか?」
逃れようと顔を背けてみようにも顎を押さえつけられて全くそれが出来ない。
「……答えてください」
「お前は……いつも好きでもない奴にこんな事をするのか?」
「いいえ」
「それなら、こんなこともう……」
一はなにかを思い付いたように手を俺の首筋にはわせてから、なにを思ったか吸い付くように唇を押しつけてきた。
「やめろっ!」
くすぐったいような痛いようなただただ気持ちの悪い感触に、背筋から悪寒が走る。長いような短いような間吸い付かれていてただキスをしているわけでは無いことが充分にわかる。
「……っ」
どうして俺にこんな事をするのか。
もっと早く逃げていればよかった。
でも、いまはなにを考えても遅い。
「これは、ボクとの印です」
いつの間にか唇を離していた一の表情は見ずに目線を下げると、一は俺を離した。
「……最低なやつ」
「そうかもしれません」
それを突き飛ばして、俺はマンションの部屋にむかって歩き始める。
マンションの部屋に戻ると、入れ違いになってしまっていたらしく、瞬がドアの前で待っていた。
「電話もかけたんだけど……」
「悪い、お前を探しに行って入れ違いになったみたいでな……携帯も部屋の中だ」
鍵を開けて部屋に入ってから、俺は瞬を抱きしめた。
「あっ、ちょっ……百々?」
「なんでもないけど、抱きしめて欲しいだけだ……なんでもないんだからな」
「情報を手に入れたんだけど」
静かにしていると、瞬は話し始める。
「京華学園を調べてみる必要が出て来たんだ……何があるかわからないから、二人で行こう」
あの男もそんなことを言っていて、ただの偶然か否かはわからない。けれど、瞬ならなにかわかるかもしれないから、聞いてみるか。
「瞬……お前は、一三月をしらないか?」
「にのまえ……みつき?」
「そいつも……同じ事を言っていたんだ」
「……俺は知らないけど、百々が不安に思うなら調べてみようか?」
不安?
どうして俺がそんな風に……おかしなことはされるが、不安になるほどじゃ……ないといいきれないがいまはそれを優先的にすべきではないというか。
「いい。大丈夫だ」
「そう」
*
翌朝、瞬に案内されながら京華学園にたどりつく。
そして、とりあえず校門を登り、学園の敷地内に侵入する。
割れた硝子が修繕されていることから、俺は1階にある窓ガラスに手をあてて手の入るぐらいの穴を一時的に空け、鍵を開ける。
「泥棒のやり方だね」一連の動きを見ていた瞬は苦笑を浮かべた。
「あとでちゃんと直す」
「そう」
そんなこんなで中に入ると、普通の教室で特段異変というかかわったところは無かった。
次いで廊下に出てほかの教室も鍵がかかっているところ以外をのぞくがとくになにもなく、それは階段や玄関も同じだった。
「何も無ければ良いけど……いや、無いと駄目だな。何かあるはずだから……とにかく、手がかりぐらいは欲しい」
「今のところは普通だな」
「うん」
そんなやり取りをしながら、俺達は階段を上がりきり、ちかくにあった教室の扉を開ける。
「ひっ」瞬が短く悲鳴をあげる。
京華学園の制服なのか黒いセーラー服と学ランを着こなした白いマネキン達が行儀良く席に着いていた。
不思議なところがあるとしたら、その制服をどこかで見た気がするぐらいだ。
学園が一時的に閉鎖されていて、誰もいないからこその愉快犯による悪戯……だと考えたとしても、異様な光景なことに違いは無い。
教卓に白い菊が一輪生けられた花瓶をみつけ、俺は扉を閉めてとなりの教室へむかい扉を開けると、さきほどの教室と同じく席に着いているマネキン達がいて、教卓には名前は知らないが赤い花があった。
動き出す様子も無いので、特別怖がる必要も無いだろう。
沢山あるマネキンをどう運び込んだのか、誰がやったのか。
それについても学校には色んな奴がいるし、ましてや他校だから俺の知ったことではない。
いや、この異変に関連しているのかもしれないが、脱出するためのヒントにはなりえない。
ミスリードとはこういうことを言うのかもしれない。
「随分……冷静だね」
この階に来てからずっと口を閉ざしていた瞬はおっかなびっくりな様子でそういった。
「他校だからな」
「え……もしかしてそれだけで!?」
「……いちいち気にしていたらキリがねぇ」
「あ、や、その、えっ……ほんとは怖いとかは」
「無いな」
「……そうだろうとは思ったけどさ」
この階には教室の他に美術室とその準備室もあるようで、準備室は外側から鍵がかかっていたものの美術室には入れるようだ。
「……美術室だし彫像が座ってたりしてな」
瞬からはため息がかえってきた。
今度は勢い良く扉を開けると、普通の美術室と相違ない。
「ここは……普通だな?」
「いや、おかしいよ」
「どこが?」
「ほら、あれとかあれ」
瞬の指差した方向を見ると美術室内にある彫像には、顔や胸……とりあえず人体の急所にあたる箇所に赤いバツマークが描き加えられていて、中にはその部分に彫刻刀が刺さっているものもある。どんな力が働いたら彫刻刀なんて刺さるのか、
「殺人の真似事?」
改めて見渡すと資料用の人物が描かれた絵画にも、いたるところに赤いバツマーク。
「大規模な悪戯だな」
「うん……いや、悪戯なのこれ」
ささっている彫刻刀を抜いてみようと手をのばしたら無言で瞬に手をつかまれた。こんなの普通に気になるじゃないか。
どうやら美術室から準備室には入れるらしく一応入ってドアを閉めると美術室のほうからなにかが倒れるような音がしたあとに、それが割れるような音が聞こえた。
「わっ」瞬の悲鳴「い、いいつの時代のホラーゲーム……!?」
「たしかに、なにか不安定な位置にあるものは無かったな」
美術準備室には、全身の映る鏡以外にはこれと言って特にかわかったものはないようだ。
「いや、なんで鏡がここに」
「……割れてないね」
俺達二人の姿を写して鏡の役割を果たしているが……ここに来るまでこの学園内の鏡はほぼ全て割れていたような?
「たまたまか?」
「割れてから、運び込まれたとか……ほら、マネキンみたいに」
「それなら特に気にする事も無いな」
「ねぇ百々、もっと違和感を覚えよう?」
「違和感だらけなのはわかるんだが……なんだろうな」
準備室から美術室に戻ると彫像の一つが倒れて割れて、床には白い破片と一緒に血を連想させるような赤い液体。
瞬のいるほうをみると、「……血のにおいがする」そう言って青ざめていた。
「……ここからでるぞ」
「うん」
「人間が彫像に変えられてるとかないよな?」
「なにそれこわい」
おそらくはこれ以上ホラーともアーティスティックとも付かないようなこところを探索しても、気が狂うか滅入るかしそうなので帰っても良いかもしれない。
階段に向かうと、聞こえてきたのはピアノの音。
「これ、でられないパターンでは」
放送用のスピーカーらしいものはこの辺りには見当たらず、おそらくはこの上の階からだろうか。
「いくか?」
クラシックはよくわからないが、静かな曲だということはわかる。
「…………もう、どうにでもなれとしかいえない……」
瞬の目は心なしか死んでいる。
俺だけが確認しに行くという方法もあるが、もし置いていって俺か瞬がなにかに巻き込まれて、それがどうしようもなく取り返しのつかないことだったら困るし……。
はぐれることは無いだろうけれど、瞬の手を繋ぐために手を取ると手は冷たくてかすかに震えていて、一瞬強く握りしめられた。
「百々の手、あったかいね」
「お前の手は、つめたいな」
そんなやり取りをして、階段を上がっていくと、ピアノの音はまだ聞こえてくる。
音楽室以外には生徒会室を見つけ、俺達は戸を開けたままそこに入ると書類が散乱していて、棚の中にあるはずの道具類は床に落ちていた。
書類を見たとしてもこの学園の状況を知ることに直結するようなものは無さそうに見えるから、とりあえずは後回しにしておこう。
ほかにあるものは……。
「百々、あれ」
瞬が指をさしたのは教室の奥にあるやたらと大きな砂時計だった。
いつひっくり返されたのかは定かではないが、血液と見間違えそうな柘榴色の砂はさらさらと下に落ちていく。
「なんだろうな」
近づいて見てみても、これまで見てきた不気味さを醸し出す要素として取り入れられたようなものでしか無いような気がするが……。
「ひっくり返す?」
「かなり重たそうだな」
瞬がためしに持ち上げようとしてみても、びくともしない。
「え」
「もてないのか?」
手を伸ばしてみると確かに触ることは出来て、押してみても引いてみても固定されているかのように動かすことは出来ない。
「……じゃあ、壊すことは?」
瞬は近くにあったパイプ椅子を手にして振り下ろすと、砂時計はすり抜けて机を叩いただけになる。
「……できないのか」
「みたい」
不可解ではあるけれど、これ以上調べようがないことも確かだ。
「……次は音楽室だな」
「うん」
生徒会室からでて、音楽室に向かって歩いて行くと当然ではあるがピアノの音は近付いてくる。
息をのんで戸を開けると、机の上には開かれた状態の青い傘。ピアノを弾いていたのは少女のようにも少年のようにも見える学ラン姿の小柄な人物だった。
「こんにちは」
そいつはピアノを引く手を止めて、こちらを見て穏やかに微笑む。
「もしかして、美鈴か」面影こそ残っているが、前に出会ったときよりもやや大人しい雰囲気ではある。
「覚えていてくれたことはうれしいよ。でも、いまの美鈴には君達の考えてることは全く分からないんだ」
「この原因はお前か?」
「ううん。ちがうよ」
「……百々、ほんとにあいつなの?」
「あの時の美鈴は自分であって自分じゃ無い。いまはもう時間が無いから手短に話すけど……」
唐突に現れて唐突に引っかき回していく奴ではあったが、何故こいつがここにいるのか。
「この学園を調べるのなら下の階。この上の階とかには長くいたら駄目だよ」
美鈴は立ち上がって黒板に向かうと、チョークを手にして黒板に狂花と書きこんだ。
「美鈴は狂花の廃棄をほんの少しの間免れた失敗作だったんだ」
「きょうか?」たずね返す瞬。
聞いたことのない言葉ではある。
「美鈴が教えられるのはそれだけ。でも……出来ることなら……」
なにか言葉を紡ごうとした美鈴は唐突に咳き込みはじめ、近付こうとする俺達を手で制した。
「……けほっ……たすけてあげて……」そして血を吐いて苦しそうに胸をかきむしるとその場に倒れ込んで動かなくなった。
「……そんな」
近寄ると、美鈴は心なしかわずかに微笑んだようにみえた。
「……さよなら」そして俺がそう言った直後光が現れて美鈴の体を包み込むと、美鈴の姿は薄い硝子のような黄緑色の結晶に変化する。瞬がそれに触ろうと手を伸ばしたら、すぐに砕け散ってしまった。
「どうか安らかに」
少しの間祈りを捧げてから、音楽室から出る。
言われたとおりに階段を降りて1階に向かいもう一度歩いてまわるが……ほかの階と比べて何も無いことぐらいしかわからない。
「地下とか、無いのか?」
「みあたらないよ」
これ以上探していてもなにも見つからなさそうではあり、帰るために侵入につかった教室に戻るために歩き始める。
「あれ?瞬?」
ふと振り返ると、瞬はついてきているものだと思っていたが、階段の方をじっと見続けていた。さきにむかって待っていると、ふと我に返ったように瞬はこちらに向かって歩いてきた。
「帰ろっか」
「ああ」
*
あたしが待ち合わせ場所で待っていると、朝霧が連れてきたのは灰色の髪で片目を隠している背の高い男の人だった。その顔が明らかに不機嫌そうなのは、恐らくはここに来たくてきたわけじゃ無いってことだろう。
「ごめんねー、遅くなっちゃった」
「俺関係ねぇだろ。瞬なら一人でもなんとかするっうの。てか朝霧お前裏切っといて良くこんなことやるな」
「ん?俺は裏切ったわけじゃ無いぞ。あれはリーダーの指示だっただけだし、いまはもう組織の人間じゃ無いから」
二人の間には、なにやら込みいった事情があるらしい。
けれど、その辺については私が介入して良い位置にあるものでは無さそうだわ。
それに、今のやり取りで彼が朝霧に振り回されているらしいこともわかったし。
「で、誰だアンタ」
睨んでいるようなそれでいて特段興味も無さそうな視線を向けられる。
「あたしは平井月華。一応情報屋をしているわ」
「そうか」
相手が名乗る様子は無かった。
これから行動を共にする上で差し支えなければ良いけど。
「ほら、お前も自己紹介ぐらいはしろよ」
朝霧が促すと、男はため息をつく。
「あー……統堂秋。秋って書いてしゅうな」
「そう。よろしく秋」
軽い自己紹介を終えると、朝霧はなにやらポケットから水玉柄の結晶を取り出す。
「じゃあ、神代市にいくかー」
どんな方法で行くのかと思っていたけれど、なるほど……おそらくその結晶は能力を凝縮したものなのね。
結晶は淡く発光してあたし達を包むと、次の瞬間にはどこかのマンションの部屋の玄関にいた。
「……あ」
ついたとたん秋がすぐに青ざめる。
なにか嫌なことを思い出したのか、それとも別のことなのか。
「朝霧悪い……俺、ここにいると気持ちが悪くなるから少し休ませてくれねぇか……」
そう言って朝霧の反応も待つこと無く、秋は靴を脱いでふらふらと部屋の奥に消えていってしまった。
「あー……お前にはきついよな、俺も悪かった」
「なにがあったの?」
「秋の能力は時間操作だからな。誰かによって歪められているここにいると、多分それで具合が悪くなるんだろう……」
朝霧は少し申し訳なさそうに秋の歩いて行った方に視線を向けていた。
ただの冷血な愉快犯だと思っていたけれど、どうやら心配するというか、申し訳なさそうにするときもあるのね。
「あたしの仕事は?」
「まぁ、秋が回復次第ってことで」
「あの人、そこまで重要な人なの?」
「勿論。用事が無かったらつれてこないよ」
*
夕飯を済ませて片付けの終えた頃、百々は俺をじっと見つめてからそっとくっついてきて、俺が百々の腰に腕をまわして抱きしめると、全部の体重をかけるように力を抜いてきた。
「……どうかしたの?」
いきなりのことでよろけそうになったけどなんとか支えて、その背中を撫で、絹糸みたいにつやつやでさらさらな髪をすきながらたずねることにした。
「……お前が好きだ……」
胸に顔を埋めたままだったから少し聞き取りづらかったけれど、拗ねているような響きの声とその言葉は、俺にとっては不意打ちで……といいたいところだけれど、好きな相手からの好意を示す言葉なんていつ聞いたって心を締めつけてすぐに、それはもう余裕で平穏をかっさらっていって、心拍数がものすごくあがる。
「好きなのは、お前だけだ」
そんな緊張から返す言葉に迷い、髪をすいていた手が止まる。
いまは、言葉だけを聞いていようと、抱きしめる力を強める。
「だから……」
百々がおずおずと顔を上げた。
紅潮している頬と潤んでいるその瞳は、俺を捕らえて離さない。
このままずっと見つめ合うのも、良いとは思う。
でも、どうしてかいまだに気恥ずかしくて逸らしたくなるけれど、こんなにまっすぐ俺を見てくれているのだから、逸らすなんて失礼になるっていうか……。
「……してくれ」
唇が言葉を紡ぐ。
百々がなにを言ったのか、聞き取れなかったところを動きだけ読んでなんとか補完してみると、その二文字は、まだしたことが無かったもので、
「……百々」
背伸びをした彼女は俺に顔を近づけてそっと目を閉じる。
ほんのちょっとした仕草だったけれどそれすらに見とれてしまって、目を閉じてその瞬間を待ち続ける百々の顔をまじまじと見つめた。
身体はほとんど密着しているけれどほんの少しだけ貪欲に、腰を抱きしめてから、俺は顔を近づけゆっくりと唇と唇を触れ合わせ、百々のあたたかくて柔らかい唇の感触だけを感じるために目を閉じる。
長いような短いような、少しでも長く…………。
「……っ」
息が苦しくなる少し手前で、唇を離し、ゆっくり目を開けて再び百々を視界におさめる。
彼女は確認するようにおそるおそる自分で自分の唇をそっとなでていて、それすらも愛おしいと思った。
「俺も……君のこと、好きだよ」言葉にしたらさっきよりもっと恥ずかしくなって、俺は前髪で完全に顔を隠すと、その直後に強引に上げられ容赦なく素顔を晒される。ほんの一瞬百々はなにを感じたのか凝視したまま固まったあと、不審げに眉をひそめた。
「かくすな……耳まで真っ赤じゃないか」
その顔を誤魔化すように、すぐに百々は悪戯っぽく笑う。
「だって……恥ずかしいから」
「そうか」
「……百々」
「……なあ、瞬」
「なに?」
百々はまだ顔は赤いけれど表情を曇らせる。
「わたしは、あの結末は変わったって思ってる」
「……結末?」
唐突な話題に、少し思考がおいつかない。
「ずっと前にみた映画のことは覚えているか?」
なんのことなのか、理解するにはまだ言葉がたりない。
「わたしが百夢で、お前が……」
「ああ」
やっとわかった。
百々が言いたいのは、幻影とも白昼夢ともつかないそれでいてかつてこの世界で起こったものの一部をみたこと。あの少年はいま俺の目の前にいる少女であり、百々にとって俺は……多少なりとも心を通わせた少女で、記録では少年は死に、少女はそれを泣きながら看取ったことだろう。
「……それが?」
「あの戦いでわたしは死ななかった……だから、その……運命が入れ替わって……もし、今度はお前が死んだらって……」
もしかしてさっきからどこか気まずいような感じだったのはこれを言うか否か悩んでいたから……?
「心配してくれてたんだ……」
「…………無理をして欲しくない」
返す言葉を考えながら、また百々の髪をすく。
「うん。気を付けるよ」
微笑んでみせると、なにが気にくわなかったのか百々は俺を突き飛ばしてきて俺は床に背中を打ちつける。
「それと」
悲鳴を上げるタイミングはいまいち無く呆然としている間にも百々は俺の足の上にのり、乱雑に胸ぐらをつかんできた。
いまのところの心当たりはというと、どこにも……。
しいて上げるのなら髪をすいたこと……とか……?
「……なにか隠し事してるだろ」
そう言う百々は明らかに不機嫌な声と表情をしている。
「え」
「正直に答えろ」
「え……あ……うん……し、してる」唐突な質問だったので、隠し事をしているか、していないか聞いてきただけだから答えとしてはこれだけで充分なはずだ。
「なにを隠してるか言え」
「……どうしたの百々」
戸惑いながら言うと、百々は無言で睨みつけてきた。
「お前が俺と離れている間に変な奴に絡まれたからだ」
「一三月だっけ」
あのやけに不思議な名前を出してみると百々はほんの一瞬固まってから頷く。
機嫌をとるわけではないけれど、百々のほっぺたに手をあててそこから手を這わせてタートルネックの裾を少し下げると、赤い跡がついていた。
「……ここ、赤くなってる」
「ひゃっ」そこをくすぐるように指でなぞってみたら、可愛らしい悲鳴が聞こえた。
「これは……キスマークっていうんだよ」どれくらいなぞってみたところで、これはすぐに消えるようなものじゃないし、百々の髪と服でうまく隠れるような位置につけたあたり……。
「っ……馬鹿……そのさわり方はやめ……んっ」
「精神衛生上よくないよね」
その反応を楽しんでから、俺はその位置に軽く噛みつく。
「なっ……」
「俺にはこんな器用なこと出来ないから。噛み跡で良い?」一度口を離して耳元に小さな声で言う。
「は!?おい……」
柔らかいようで硬いような、それでいてあたたかい首筋に軽く噛みつくところからはじめて、徐々に力を強くしていく。
「いっ……やめろ……!!」もう少し強めようとしたときに、胸を突き飛ばされてやむなく口を離す。
「……いいの?」
歯形は確かに残せたけれど、これでは数十分か長く持っても数時間で消えるとおもう。
「……わたしの質問をはぐらかしてないか?」
百々につけた噛み跡を指でなぞる。
「隠し事……この部屋の事とか……他にも色んな場所にこんな感じの隠れ家はある……けど」
「……それ以外だ」
「それ以外って?」
「……お前が実は一に変装している……とか」
噛みつかれた仕返しと言わんばかりに百々は俺の首元をつまみ、なにやら引き剥がそうと思いっきり力を入れる。
「いっ……いたいよ!!」
「……答えろ。どうなんだ」
今度は前髪をつかまれひっぱられる
「痛いから、離して!!」
なんとか頼むと、百々は舌打ちをして俺を睨みつけひっぱるのをやめた。
「……それは答えられない」
「なぜだ」
「ごめん。でも、きっとあとで話すから」言いながら、百々に逃げられないように抱きしめる。
「それと。こんな、いきなり倒して上にのるなんて、だめだよ? そんなことをされたら俺は……どうしてか、自分でもわからないぐらい歯止めがきかなくなって、いつもよりおかしくなるんだ。君はもしかしたら俺のこと狂ってるって思うかもしれないけど……今だって充分おかしくなりそうでたまらない。君を逃がしたくないんだ……だれにも、渡したくない……どこにも行って欲しくない。君が思っている以上に、俺は君のことが好きで好きでたまらない」
顔を見なかったから百々がどんな顔をしているかは分からなかったけど、質問に答えられないだけで嫌われることだけは嫌だった。全部言ってしまったようなつもりでも、言葉にしきれないような、煮えるようでどろどろでぐちゃぐちゃした気持ちは堰を切ったように沸き上がってきたけど、これ以上おかしなことを百々に話さないように、そっと開放する。
「約束だぞ……ちゃんとあとで話してくれ」
困ったような顔をした百々は、俺の頬に触れてから立ち上がり、ベランダのあるほうに背を向ける。その直後にポケットに入れていた携帯が振動したので、俺はマンションの部屋から出てドアを閉める。
すると、一気に身体中の力が抜けてよろよろとそこに座り込み、息を吐き出し携帯を開く。
*
起きて台所に向かうと、瞬の姿は無く。その代わりに朝食と、調べ残しがあるとかそんな内容の書き置きがあった。
昨夜は特に会話も無く、別々に眠り、何故かほんの少し寂しい気持ちになって……ほんの数日間のことなのに夜は一緒にねむることが習慣化していたことに気が付いた。
そこまで追い詰めてしまったのか、けれど、気になってしまったものは気になってしまったのだ。
「それに……」
言いかけて、なにを言いかけたのかを忘れて言葉を止め、息を吐く。
いつまでもこの部屋で待っているというのは、出来る限りのことをして調べてくれている瞬のためにも自分だけぼんやり過ごしたり、どこかに遊びに行くのもいかない気がして、俺はもう一度京華学園の一階を調べに行くことにした。
「……つうか、調べられそうなところがそこしかないんだよな」
この間の瞬は、京華学園はじめて行くにしては地図を見ることも無く、どこか慣れた様子だったようにも見えたのは……一年前に住んでいたからでは説明がつかないような気がするな?
生徒だったのかもしれない。
マンションの近くのバス停からバスに乗り、京華学園にむかう。
窓の景色を見ながらぼんやりしているうちに、京華学園前のバス停につき、そこから瞬に案内されたときの記憶を頼りに学園へ行くと、不思議なことに校門は開いている。
関係者でもいたとしたらなにか引き留められるかもしれないと身構えて、こそこそと進んでいったものの、人気が無い様子からそんなにこそこそ進む必要も無い気がしてきたので普通に歩いてこの間調べた建物にたどり着く。
これが学園と言う建物だからなのか、俺はつい習慣的に正面玄関に来てしまった。この間は教室の窓から侵入したが、今回は案外ここも開いているのではないかと扉を押してみると、また鍵がかかっている様子は無くてそのまま侵入する。
「……こんなこと、普通はない」閉鎖か何かの扱いだとしたらなおさらのことだ。
廊下を歩いて教室とは反対側を進んでいくと、シャッターの閉まった購買室と、体育館へと繋がる廊下を見つけて入ろうか迷ったものの引き返し、階段のある方向にいく。
「あれ」
前に来たときは地下に続くような階段なんて見当たらなかったはず……。
そういえば帰り際に瞬が見続けていたところのような気が……いや、多分そうかもしれない。もしかしたら瞬がここに調べに来ていて鉢合わせすることもあったりして……。
あるいは何も無い、ただの物置スペースかもしれないが。
「……いくか」
階段をおりていくと聞こえてくるのは自分の足音のみ。
ついた先の地下は白い壁と天井の、どこか病院のような雰囲気がある広くて明るい廊下がつづいていて、色々な部屋がある……暗号入力式のものが多くてヒントらしいものはどこにもないため推理とかは不可能で、あったとしても推理は得意じゃないからどのみち無理だから、どの部屋にも入れなさそうだな。試しに適当な部屋のドアを硝子に変えてみようと手をあてて能力を使ってみたが、何故か無効化されるのか変化する様子は無い。
仕方なく廊下を道なりに進んでいくと暗号入力式のものが全くついていない扉を見つける。
「休憩室か?」
ノブに触れて回してみると、普通に動いてあけることが出来た。
「……なんだ」
あんなに無機質な雰囲気の廊下だったのに、この部屋はそれすら忘れてしまうほど切り離されている部屋。
赤い絨毯の敷かれた床に、ピンクを基調とした壁。天蓋付きのベッドに、大小さまざまだけれどファンシーで可愛らしいぬいぐるみやおもちゃの数々といった……およそお姫様に強いあこがれを持つような子供が毎日使いそうなそんな部屋だった。
もしかして、ほかの部屋もこんな様子だとか言わないよな……。ギャップがえぐいどころではない。
この部屋の中を探索するのはとても気が引ける。
でも、折角入ってしまったから、なにか無いか調べてみようと、まずベッドに近付くとさっそくシンプルなブラウンの写真立てをみつける。
手を伸ばして写真たてを持つと被っていた埃が舞って顔をしかめる。
一枚の写真に写っていたのは、白いワンピースを着たくるぶしまであるぐらいに長い真っ黒な髪の女の子と、紫色の瞳をした男性だった。
「こいつ……まさか」
あの仮面の組織を統轄していた名前も知らないあの男に似ている。むしろ本人だと確定しても良いのかもしれない。
ということは一緒に写っている女の子は妹の八重姫か……?
たしかに、こんなに小さい子がいなくなったら確かに気が動転しまくっても………しすぎだ。あれは。ものすごくおかしい。
「……八重姫の部屋って事になるか?」
何故こんな学園の地下にこんな部屋があるのかまではわからないが、枕元に写真を飾るぐらいだから多分頻繁に使われていたのかもしれない。
携帯を取り出して、カメラ機能を使ってその写真を撮る。幸せそうな一枚だけれど、八重姫はリクと海が殺して、リーダーは俺が殺した。
ずっとここにいたら悪い気がしてきたものの、もう少し部屋の中を探索してみよう。
タンスを空けたり机の引き出しの中身を見てみても、服やらまだ使われていないノートが数冊でてくるぐらいで、ほかにめぼしいものはなにもなく、極力荒らす前の状態に戻してから部屋を出るとやはりさっき出た部屋とこの廊下の雰囲気はそぐわないことが確認できた。
「ほかに入れそうな部屋は……」
廊下を進んでいると、ふとなにかの気配を感じて立ち止まる。振り返ってみたが誰もいないし、聞こえてくる音も無い。
気を取り直してまた歩き始め、また鍵の無い大きな扉がある。今度はなにかしらの罠でもあるかもしれないと思いながらドアノブに手をかけたとき、後ろの方からドアが開いてバタンと音を立てて閉じる音が聞こえ、その手を引っ込め咄嗟に硝子でナイフを作りながら振り向く。
「なんで、お前がここに」
振り向いた先にいたそいつは、京華学園の制服を着ている。
いや、いまはそんなことはどうでも良い、
「アナタこそ」一三月は心なしか少しだけ驚いている様子だった。
また変態じみたことをされたらたまったものではないし、充分距離は開いているから、今からでもこの部屋に逃げ込むか……?
「……お前はどこまで知っている?」
問いかけると、我に返ったように一はにこにこと笑みを浮かべる。
「強いて言うのなら、アナタが困っていることでしょうか」
なにを調べているかは聞いたことがなかったが、俺達と同じ目的……だとしてもどこか違和感があるし、信憑性のある意味深なことを言うからと言って信用しているわけでは無い。
「細かく言うならば、困っているのに困っていないことをなんとも思わないこと。ですかね」
俺が聞きたかったのはそう言う答えではない。
「この学園の生徒だったのか」
「過去のことですよ」
一がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。俺は少しでも距離をつめられたくないから、走って、まだ行ったことの無い方向へと逃げる。
「待ってください。ここでは、ボクはアナタになにもしませんから!」
「うるさい!そう言って裏切るんだろう!!」
気づけば一も走り出している。
広いところなのは確かなのに、そう廊下ばかりが続いているわけでも無かったようで、ついに俺は逃げ場を失って壁に追い詰められてしまった。
「ちっ」
息を切らしながら舌打ちをして、ナイフを構えた。
「追いかけっこは終わりですよ」
一は特に息を切らすことも無く、腹の立つような笑みを口元に浮かべながら俺の目の前にたっている。
「……お前を殺せばいいか?」
「それは違います」
「じゃあ」自分の喉元にナイフの刃先を押し当てて目を閉じる。
力さえこめれば血は流れて、さらに押し込めば死ぬことができる。
まぁ、一が俺を追いかけるのをやめて、とりあえずいなくなってくれるのがひとまずの目的ではあるが。
「……百々さん」
名前を呼ばれてつい目を開けると一はゆっくり近付いてきて俺のナイフを握る手首を掴んできた。
「駄目ですよ。演技とはいえど恋人が悲しむでしょう?」
いつになく真剣な目で、諭すような優しそうな声で言われて、
「お前が言うな」反射的にそう返していた。器用なことをアピールしたいのかそうでは無いのか、まるで俺のすることをわかっているかのようで腹が立つ。
「そうですよね。わかってます」
「わかっているなら……」
「でもね、百々さん。ここはアナタが来たことがある場所ではないでしょう?」
ナイフを構えた手を下ろすと、一は安堵したかのような微笑みを浮かべて俺を見た。
「だから。ここから先はボクと行動してください」
「それはいやだ」
「なにがあるかもわからないし、部屋にもろくに入れないでしょう?」
一の言っていることは大分俺の痛いところを突いてくる。調べたところで出来ることも限られてくるが、なにも知らないよりはましだから……そこまで考えていたら、瞬の顔が頭をよぎった。
「……このまま帰る」
調べることはそもそもあいつに任せている。
だから、俺は戻って瞬と連絡を取って、京華学園に地下室があったことを伝えるだけで良いじゃ無いか。
「行き違いになるかも知れないけど、俺が完璧に調べきることは出来無いからな」
そう言うと、一はまた何故か虚を突かれたような表情をしてからなにやら考え込んで「わかりました」と一言言って俺の手を取った。
「では、ボクが1階に戻るまでエスコートいたします」
「そんなことは頼んでない」
「ここに来るまで、がむしゃらに走ったでしょう?迷わずに戻れるんですか?」小馬鹿にしたような笑みだった。
「……勝手にしろ馬鹿」
「決まりですね」
ぱあっとか、そんな馬鹿みたいな擬音がつくぐらいわかりやすく一の表情が明るくなったとおもったら、手は繋がれたまま先導するように歩き始めた。
「手はやめてくれ。俺がお前の手首を掴むから」
「えっ」
残念そうな表情に変わったが気にせず一の手首を掴むと、服の裾の上からなにか硬い感触がして見てみると、銀色のブレスレットがまかれていた。
「これは。ちょっとしたお守りみたいなものです」
「お前にお守りもなにも無いだろ」
何もない所に躓いて転ぶとかにわか雨に降られるとか、そんなちょっとは不幸な目にあえば少しは俺の気が晴れるんだがな。
案内されながら歩いていると、突然天井のスプリンクラーから霧が吹き出してきた。
「なんだこれは」
「……ここには、入ってはいけない部屋がいくつかあるんです」
入ってはいけない部屋?
なにも知らずに入ってそれを見極めることは俺には出来ない。
「一つは、入ってすぐの鍵もなにもついていない部屋。女の子らしい部屋です」
………そこ思いっきり入ったな。
調べられそうなところがそこぐらいしか見当たらなかったし。
「それからアナタがさっき入ろうとしていた部屋と……」
「…………そうか。そ、その部屋には何があるんだ」
入ってはならない部屋とはいえ、一は入っていなくてもなにがあるかわかるようだったので一応聞いてみる。
「落ち着いた書斎だそうです。稀少な医学書から魔術書が揃っているとかなんとか……あとは……」
「入った場合どうなるんだ」
入ってはいけない部屋の存在を瞬に伝える必要があるのかも知れないけれど、あいつならニュアンスでわかりそうだし。
「一つだけならまだ大丈夫です。でも、三つや四つはいってしまうと、こんな風に霧が発生します」
「この霧は?」
「睡眠作用のある霧です」
本当に詳しいな。
けど、普通に吸っているからそろそろ眠たくなって動けなくなってもおかしくは無いのに、何故かこうして歩くことが出来ている。
「今はボクが無効化しているので大丈夫」
「……そうなのか」
「ボク達以外に誰かがここを調べて……」そう一が言いかけたとき、ちょうど左にあった手術室を彷彿とさせるような自動ドアが開く。
出て来たのは同じく京華学園の制服を身に纏い、左腕に赤と黒の腕章をつけた背の高いやせぎすの男がゆらりと出て来た。
「……っ」思わず息をのむ。
顔半分まで伸びた長い前髪から表情こそわからないが、どこか顔色の悪そうな印象を受ける。
一は俺を庇うように前に出た。
「またあったね」男はこちらを見て、やる気の無さそうな声でそう言う。
「ここの資料を滅茶苦茶していたのは、アナタでしたか」
話している様子を見る限りだとこの二人は知り合いらしい。
一は俺の手を離し、どこからともなくナイフを取り出して素早い動作で男に斬りかかる。
「また襲いかかるんだ」男はマジックペンとナイフを取り出してそれを受け止めてかわす。
「そいつは……敵なのか?」
俺の問いかけた声は聞こえないのか、二人は斬り合いを始める。
それは目では追えないぐらい素早く、それでいてお互い、ダメージを与えようとするとそれを見事に相殺するかうまい具合にかわして拮抗していて、ずっと勝負はつかないようにさえ思えてきた。
「やっぱり、なにか隠していますね?嘉斎待宵先輩」刃物同士のぶつかり合う音の中から、そんなやり取りが聞こえてくる。
「君の状態じゃ無ければ話してるんだけどね」
とりあえず待宵と呼ばれている奴の動きを止めれば良いのか?
破片を降らせると、待宵はこちらを見てなにかの書かれた紙を取りだしてばらまく。動きを止められるような位置に硝子を落としたつもりだったのに、破片はその紙がある方向に落ちていく。
「なっ」
そんな、確実に狙ったぞ?
「迂闊に手は出さないで!」
切迫した一の声が聞こえてくる。
「ああ。なるほど」その刹那、待宵はなにか閃いたようにみえる。
「わかった」そして、確信を持ったように一のつけていたブレスレットをナイフで両断してみせた。
「あっ」
一は焦ったような顔をして、後ろに飛びすさって待宵から距離をとり睨みつける。
ブレスレットの壊れた直後くらいから、視界は徐々にぼやけていって、気が遠くなっていく。そして目を閉じてしまうと身体から力が抜け、その場に倒れ込み、こちらに近付いてくる足音が聞こえたところで意識が途切れた。