表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

1章

 遠野学園、平穏な昼休みの教室にて。

「もしかして百々がやった?」

 友人の伊藤明は相変わらず珈琲牛乳を飲みながらけれど脈絡もなく唐突にそう言った。

「俺はしてないからな」

 神代市の硝子が全て割れた事件についてのことだろう。

 誰がどう見たとしても異常で、大惨事なものの、すげぇ不自然というか、奇跡的なことに怪我人がいなかったんだからとりあえずはそれで良かったじゃないかと俺は思う。

 ニュースだって実話として取り上げているのが不思議なぐらいだ。でもまぁ、自殺とか殺人とかも……いや、それらと比べるよりは、やたらおおきな規模である災害くらいのことだからな。

 俺の能力は確かに硝子を操ることが出来るが、それにしたって限度というものがある。遠すぎるし行ってもいないし、馴染みがない。そんな場所の硝子の全てを割る理由なんてものがまずないし、やろうともおもわない。もしもやっていたとしたら、それこそ狂気に侵食でもされたときだろう。自分自身それほど闇なんて抱えていないしな。

「まぁ、犯人がいそうだから、犯罪っちゃ犯罪になるのかな。これってもしかして……組織の残党の仕業……?」

 明は窓の外を見てからまた珈琲牛乳を一口ほど飲み、俺に視線を向ける。

「残党なら死人が出るだろ?」

 それで、多分狙うにしても能力者じゃない奴らをピンポイントで狙いそうだ。

「あー……そっか。じゃあ、よくわからないね」

「冬が近いのに硝子を割るって……凍死でもさせるつもりか?」

冬が近づくにつれて天気がやたらと荒れやすくなるから、てきめんと言えばてきめんだが。

「遠回しだよね」

「そうだな」

 不思議なところと言えば、まだ雪の降らない時期なのに雪が降ったのも不自然だな。

 初雪とはまた違った現象のような……。

 俺に視線を向けたまま、明は腕を組んでなにやら考え事をはじめて、しばらくしてから、こくこくと頷き口を動かす。

「霧夜さんが言ってたんだけど、おかしなことがあったんだって」

 いや、これまで聞いてきたことの全部が不可解というか、そもそも、

「全部おかしいだろ」

「その中でも特におかしい……とか。なんとか」

 反応に困っていると、明は表情で、だよねぇとそれとなく同意している。

京華学園(けいかがくえん)が学園ごと閉鎖になったの」

「そりゃなるだろ」

 普通に考えれば、硝子が全部割れているんだから授業をするどころじゃ無い。

 それのどこがおかしいんだ?

「硝子が割れた直後に、学園にいた生徒の全員が意識不明か……死んだ人もいた……とかなんとか」

 霧夜さん情報で信頼できるものとはいえど、どこから仕入れたのやら。そんな疑問はさておき、たしかにそれは不可解だな。

 意識不明になった生徒はまだこれから回復するかもしれないが、死んだらしい生徒はなにをどうしてそうなったのか、

「ん?その日欠席していたやつらは?」

「うーん……そこまでは、わからないけど」

「そうか」

 まぁ、これについて俺が調べることは無さそうではあるが、もしかしたら調べることになりそうな……。誤解の無いようにしておくと、いまのところは嫌では無いが、やらなくてすむのならそれにこしたことは無いと俺は思う。

「変なことってあるんだね」

「そうだな」

 話し終えて少ししてから、休み時間が終わるチャイムが鳴り、俺達はいつもの教室に戻っていく。


 とある休日。

 ――身の回りが寒いからこそ布団から出づらくなって、結局二度寝をしていたことになるか。十二分に眠ったはずなのだが、それでもまだ眠っていたいとすら思えるんだなこれが……。でも、そこからなんとか抜け出すために掛け布団と毛布を蹴って無理矢理身体を起こした。朝食に洗面に……あとは着替えるだけ。

 コートを羽織って、マフラーを巻くのは冬特有の服装。これであたたかくなる。かと思いきや、コートの下にはスカートを着るときは正直なところプラマイゼロ…………ゼロでは、無いか……?

 とにもかくにも支度をすませて外に出た。

 雪はまだ降ってきては居ないが、寒いことに変わりは無いので吐く息が白い。この季節になってはじめのうちはそれが気になるけれど、段々気にならなくなっていく。

 待ち合わせ場所の遠野駅には俺がさきについたようだった。

 なんとなしにこうなった経緯をふりかえる。たしか、先週の水曜日の放課後……。


「マジかよ」

 誘ってくれたのは嬉しいが、場所が場所だな!?

「調べたら、営業してるみたいだったし…………どうしてもここの特典で欲しくて……でも、一人で行くのも心許ないし、えっと、その……だから……」

 瞬は申し訳なさそうに、でもどこかそわそわしたようにそう話す。

 とくてん……ポイントか?

 それともおまけなのかとかは何のことかわからないが、瞬なら一人で行きそうな気がする。

 だけど珍しく放課後の教室の前で俺が出てくるのを待っていたわけだから、それ以外の何か伝えたいことがあることがわかるし……。

「その……つまり……デート、して欲しくて」

 言い切った瞬は一気に顔を真っ赤にして自分の前髪で顔を隠した。

「……だめかな?」

 硝子が割れただけで、他に危ないことは無いだろう。多分。恐らく。

「じゃあ……なにかあったら守ってくれよ?」

「……えっと」

「それが嫌なら、行かないぞ?」

 すこしばかり意地悪だったかもしれない。

「あっ、いや、そ、そ……そうじゃなくて、ぜ、全然嫌じゃ無い。それぐらいは出来るし、するよ」


  *


 確か、そんなやり取りだった。

 空を見上げると濁りきったような暗い色の雲が広がっている。

「また、この空か……」

 いまの時期的にはよく有る空模様だ。

 ただそれだけのことなのに、何か不可思議なことでもおこりそうな予感がして、どこか、ぼんやりと不安だとおもった。

「百々」

 名前を呼ばれて振り返ると、統堂瞬が早足でこちらに歩いてくるところだった。

「おはよう。またせてごめん」

「いや、いい。……わたしも、今来たところだ」

「そう」

「じゃあ、行こうか」

 駅の待合室の壁にある時計を見ると神代市に行くための電車にはまだ少し余裕があるようだったが、電車そのものはもうホームに着いているところで、今行けば充分に座ることが出来る。

「どのくらいでつく?」

 往復分の切符を購入して、改札を通ったところで瞬はそう尋ねてきた。俺が最後に神代市に行ったのは一年前くらいで記憶が定かではない。

 まぁ、遠いことが確かなのはわかる。

「詳しい時間は忘れた。でも、悪天候で止まらなければそこまでかからないと思うぞ」

「……そう」

 電車の入り口扉を開けて、適当な席に座る。

「そうだ、俺が寝てたら起こせ」

「終着駅ならその必要は無……」

「たのんだ」

「あ、うん」


               *

駅を出て、瞬について行った先のビルにはアニメ関連の店が3種類ほど入っているところだった。

「ここなんだけど」

 アニメショップという部類の所には始めて来たが、多分漫画本をメインに売っている所……?

 各所にあるテレビにはアニメそのものも再生されていて、その周囲にはおそらくそのアニメに関連した書籍やグッズが置かれている。

 たしかに漫画とアニメが好きな人間からしてみたら色々なものを揃えるために来る場所として最適なのかもしれないな。

「買ってくるから、百々は適当に見てて」

 瞬は早口でそう言って店のどこかに行ってしまう。

 なにか説明してくれても良かったんだが……ええと。まぁ、どのみち歩きまわってみるつもりではいたのだ。

 店内には漫画の他に、キャラクターの描かれているメモやシャーペンの文房具やぬいぐるみなんかもある。

 小説ってアニメになることもあるんだな? 漫画の単行本みたいな表紙をしているのに、中身はほぼ文章だった。

 なんだかとても新鮮に感じる。

「……これは」

 ふと目にとまったのは、小さなぬいぐるみのキーホルダー。

 なにかのキャラクターかもしれないけれど、たしか瞬が狼の姿になったときも、真っ黒な毛並みをしていたのをふと思いだす。

 なんとなく気になるが、鞄につけて知らず知らずのうちに落としてしまっても勿体ないので部屋に飾るか。

「……いや、狼?」

 それにしては尻尾部分がやたらともふもふしていて少し違和感はあるが、どこか似ているのは確かで、値段もちょうど良いので購入することにした。

「そうだ、かご」

 ぬいぐるみを持ったまま買い物かごを探しに行こうと歩いていると、ちょうど瞬とすれ違った。

「百々、なにか良いのあった?」

「ああ。これ」そう言って見せると、瞬はしばらく俺とぬいぐるみを交互に見てから、すこし複雑そうな顔をした。

「見た目に騙されちゃいけな……いや、百々は知らないんだった」

 少しなにを言っているかはわからない。何か嫌な思い出でもあったのか?

「お前に似てるからな」

 瞬はなにやら少し考えて、俺からぬいぐるみを取るとそのまま自分のかごに入れる。

「あ、おい。それは自分で買う」

「えっと、ここのポイントカード……持ってるし……付き合わせちゃったから」

 こちらの言葉を待たずに、瞬はそそくさとレジの列に並びにいく。

 そんな瞬の様子を見送ってから、人の通りが少ないところでなんと無しにコートの携帯を取り出して開いてみると母さんからメールが来ていた。

「なんだろ」

『神代市にいくのならヤオトギビルの一階で硝子作品の個展があるわ。気をつけて行ってきて下さい』

 ちょっとまってくれ……何故神代市に行くことを母さんは知っているんだ。

 なんとも言えない気持ちになり、後ろを振り向いてみたが誰かに見張られているとかそんな雰囲気は一切無かったし、なにもなかった。あったとしたらそれはそれで普通に怖い。

 ともあれ、せっかく教えてもらったのだから、ヤオトギビルには行ってみるか。個展がどのぐらいの規模のものなのかはわからないが、それを見終わったら……たしか黒森水族館にバスが出ていたはずだからそこにいくのもいいな。

 人通りの少ないところから出ると、会計を終えた瞬はびっくりしたように俺を見る。

「百々……あそこは発禁コーナーだから」

「はつきん?」

「……ほんとに来たこと無いんだね」

「おい瞬、はつきんってなんだ」

「え……いや、その……え、お、俺にそれ言わせる?い、いや、そもそもここ、人が他にもいるし、あ、あとではなすから、いまはやめて、ここそういう……え、その、うん、う、うん……君の年齢的にはいっちゃいけないところだよ」

 何故か瞬はおろおろあたふたしはじめ、その様子からよほどどこかいいづらいコーナーなのは確からしく、深くは追求しない方が良いな。

「なぁ瞬。ヤオトギビルと黒森水族館にいこう」

「へ?」不意打ちでもくらったのか素っ頓狂な返事が返ってきた。

「硝子の個展があるらしいんだ」

「そうなんだ」

「ああ」ヤオトギビルなら何度か近くを通り過ぎたことならあるし、このアニメショップからも近かった記憶があって……と思ったら瞬は先導するように歩き始めた。

「そこなら俺も分かるから」

「行ったこと有るのか?」

「展望台を見に行くぐらいだけど……ほら、平日だと人が少ないし、ここに行ったあとの休憩にはちょうど良いんだ」

「平日?」

「……どうしてもその日に買いに行きたいものがあったっていうか……あ、近道はこっち」

「詳しいんだな」

「まあね」

 瞬について行くと、多分心なしか早くヤオトギビルについた。ヤオトギビルは多少近未来的な造形をしていて、一階には飲食店と小さな美術館、ほかの階にも色々な施設が入っている。美術館への入館料が無料なのはありがたいことだ。

 展示されているなかで、はじめに目に入ったのは硝子を使った恐竜の骨格標本だった。色は無色透明で、これ程細かいものを能力では無くて作業でやることは余程の集中力が必要だろう。生物の標本だけかとおもいきや、植物なんかも硝子で作成されていて、

「あ、これ……なんかの杖に似てる」

 瞬が見ていたものはファンタジーに出て来そうな魔法の杖のようなものや、剣などの武器類で……こちらは能力者が作ったもののようだった。小さいスペースにもかかわらず結構な数の作品が展示されている。

 作品を見ている中で、ふと背の高い真っ黒な学ラン姿の男がぼんやりとなにかを見ていることに気が付く。

 顔の真ん中まである前髪で表情こそ見えないが、制服でこんな所に来るのは珍しいような……さりげなく近寄ってみると男は足音に驚いたかのように身をすくめ、早足で去って行ってしまった。

「無価値の君へ……」

 作品のタイトルを読み上げてから作品を見やると、硝子で出来た彼岸花の花畑と墓場。それからわざとひび割れた全身がうつる鏡で……なにを伝えたいのかは分からないが、ぼんやりと見ている者に不気味さか、花的に死を連想させるような作品なんだろう。これが終わりの作品のようでもあった。

「……自由な個展だな」

 次に学生が去って行った方向に目をやると、もうその姿は無い。

「あ……これで終わり?」

「そうみたいだな」

 遅れてきた瞬がそうたずねる。

 このまま美術館本来の展示を見に行っても良いが、どちらかと言えば絵画は見ていてよくわからないのでやめておくことにした。

「……あ、百々」

「なんだ?」

「水族館にいくまえに、ここでなにか食べていかない?」

 言われて時計を見ると、たしかに水族館にいくまえに食事をとって置いた方が良いだろう。

「わかった。楽しい時間はあっという間だからな」

 そう言うと、瞬はちょっと笑う。

「そうだね」

 一階にある飲食店を見てまわりどこにはいるかとうろうろして、パフェやワッフルのあるレストランを見つけ食品サンプルを眺める。

「なぁ瞬、何か食べたいものはあるか?」

「……百々、甘いもの食べたいの?」

「ん?」

「いや、どこを見ても最後はそこにいきついてるから」

そう指摘されて途端に恥ずかしくなって顔を背けると、瞬は苦笑しているようだった。

「……はいろうか」

「ああ」

 店員に通された席は壁際の端っこの位置になる席だった。俺達は向かいあうように座り、瞬は先に俺にメニューを差し出した。それを広げてデザートのページを見る。

「この……パンケーキとワッフルとタルトが食べられる奴と珈琲にする」

 ほかにも気になるメニューはあったが、このセットならちょうどお腹いっぱいになりそうな量でもあり、瞬にメニューを渡す。

「それ大分豪華だね。俺はどうしようかな……」

選んでいる瞬を見ていると、ふと目が合った。

「きまったか?」

「うん」

 ボタンを押そうとすると、瞬は俺より先に押す。

 呆気にとられる俺に瞬は何故か勝ち誇ったような顔でふふんと笑う。

「こういうことをする奴かお前」

「あ、ごめんつい」

 そんなやり取りのあと、程なくしてまた店員が来て俺達は注文をすませた。

「ねぇ百々」

「なんだ?」

「どうして君は、俺っていうの?」

 なんとなくたずねられた言葉に、俺は少しだけ考える。言われてみれば、誰かから影響を受けるような何かがあったような……なかったような。

「そうだな。特別おかしいとは思わずにつかっていたんだが……深い理由は無いのかもしれない」

「……ないんだ」

「無意識に警戒してるのかもな」

なににたいして。と言うのも特には無いが、気を抜けないような場面というのには遭遇することもあったし……。とはいえ、一人称ぐらいではどうしようもないことだから、あくまでも、気休めのようなもの。

「警戒か……少なくとも二人きりの時はそうじゃないみたいだから……うれしいよ」

そう言って瞬は水を一口飲む。

「まあ、そうなるな」

 認めてしまったことが何故か恥ずかしくなって、自分の顔が赤くなるのがわかった。

「……かわいい」見とれたように、幸せそうに瞬は笑っている。

「…………それと、店を出てからで良いから手を繋いで歩きたい」

「え」

「手袋を持って来るのを忘れたんだ」

「………………………そう」

「嫌か?」

 答えるまでに大分間があったぞ。

「そ、そ、そんなわけない……む、むしろ、いいとおもう。俺も、つけてないし」

「決まりだな」

「……リア充だこれ……」

「……りあじゅうとはなんだ?」

 瞬は誤魔化すようにそれか聞こえなかったのかまた水を飲む。

「えっと」

「ん?」

 なにか話し始めるのか待っていたものの、瞬は俺に視線を向けたまま話すことは無く。

 ……けっして気まずくは無い、穏やかな沈黙だった。

「ちゃんと……楽しめてる?」

「ああ」

「よかった」

「まだ楽しむつもりだぞ」

「ふふっ、俺も」

 こうしてまた会話が途切れた頃、注文したものが来る。俺の頼んだものは一つの皿に分厚いパンケーキが二枚と、丸いワッフルといちごのタルトが美味いことお洒落におさめられていて……写真と想像していたよりも大きめである。

「食べきれる?」瞬はハンバーグとステーキが一緒に食べられる奴とパンを頼んだらしい。

「食べてみてからかんがえる」

「そう……いただきます」

「いただきます」

 さっそくナイフでパンケーキを切り分けて一口、甘さはそれほどでは無く柔らかくてしっとりしていてまだほんのりあたたかい。ついてきたメープルシロップかハチミツをかけなくても乗っかっているバターだけで食べられそうだ。

「……」

 その次にワッフルもナイフで切って口に運ぶ。焼きたてだからかさくさくしているがもちもちした食感もあって結構美味い。多分人気メニューかも知れないな。

 瞬の方を見るとハンバーグを切り分けてどこか幸せそうに食べている……というか、無駄に使い方が上手いように見えるのは気のせいでは無く……。

「……一口いる?」

「あ、ああ。くれるのなら」

「えっと……取り皿は……ないか」

ちょうど良い大きさに切り分けたものをフォークに刺した瞬はそれをこちらに向けてきた。

「百々……口開けて」

「あ」

 言われたとおりに口を開けると中にハンバーグが入ってきて、それをしばらく咀嚼する。しょっぱすぎずちょうど良くて美味しい。

「……ありがとうございます」

「なんだ?」

「つい」

 良くは分からなかったので珈琲を飲んでから今度はタルトを食べる。苺がちょうど良い甘みで、カスタードのひんやりした感じも良い、それからなによりしたのタルト生地がさくさくしていて心地よいかもしれない。一通り食べたけれどとりあえずパンケーキを優先に食べていくか。

「……お前、甘いものは好きか?」

 食べていたら思いのほか食べきれなくなりそうな不安に駆られ、瞬の方を見やるといつの間にか完食していた。

「ん?まぁ、ひとなみに?」

「ちょっとやる」

 タルト以外の二つを大きめに切り分けてまずワッフルの方を瞬の口の中にいれると、

「もがっ」

 これはちょっと奥に入れすぎたかも知れなかった。

「あ、わるい」

 瞬はちょっと俺を恨みがましい目で見てから静かにもぐもぐと食べている。

「おいしいけど、もうちょっと、やさしく……」

「慣れてなくてな……」

「じゃあ、もう一回」

 今度はためしにハチミツをかけたパンケーキを瞬の口の中に入れる。

「わ……ただただ甘い」

「そうか」

 タルトは渡すか少し迷い、またワッフルを食べさせることにした。

「いまちょっと大きかったから、一口だとその……」

「難しいなこれ」

「俺は嬉しいけど……恥ずかしい」

「なにをいまさら」

 会話をしながらタルトを食べる。

「そのケーキも一口」

「これはやらん」

 言った後、なんだか大人気ないからちょっとやることにしたものの、一番下のタルト生地部分は上手く刺すことが出来なかった。

「気が変わった。ちょっとやる」

「……そう」

 そっけない反応ではあったが心なしか嬉しそうな瞬に、今度は上手く食べさせることができた。

 そして、ちょっと食べて貰ったので、この分なら後は食べきることができるな。

「……君が食べてると美味しそうだから」

「そ、そうか」そのあとは特に会話も無く、なんとなく瞬に見守られながら食べ終える。

「……ごちそうさま」

「また来ようか」

「そうだな」

 支払いを済ませビルを出て、黒森水族館行きのバス停にむかおうと歩き始めたとき、

「百々、さっき言ってたこと」

 そう声をかけられ、俺は無言で瞬と手を繋ぐ。

「あたたかいな」

 一度強くぎゅっと握られて驚いたものの、すぐにちょうど良いぐらいの力加減になる。

「そうだね」

 それにしても、こいつの顔を見るために毎回見上げる必要がある程度には背が高く、顔の半分を前髪で隠しているから、位置によっては表情が分かりづらいこともあって……いまは見える位置だけど……。

「どうしたの?いかないの?」

 不思議そうにする瞬に、何でも無いと言って繋いだ手を引っ張るように走ってみる。

「ちょっ、百々早い」はじめはとまどっていたもののすぐに歩幅を合わせて追いついてきて、もう少し速く走って横断歩道を渡ろうとしたらちょうど赤に切り替わってしまって、急に止まる形になる。

「わっ、あっ……と、止まるならとまるっていって……」

「いまのは悪かった」

「意地悪をするならもう手を繋がない……」

 変わったばかりの信号を待つ間、急に止まってこけそうになった瞬は明らかに少し拗ねている。

「いや、ほんとに悪かった」

「ゆるしてしんぜよう。その代わりにこのあいだみたいに……」

 この間……パッと言われてすぐにはわからなかったものの、瞬のにやけた表情的に、あ、そうだ思い出したぞ。

「やめろはずかしい」

「冗談だよ。気を付けてね……」

「わかった」

 信号が変わって今度は普通に歩きながらバス停について時間を確認するとちょうど良くバスが来たところで、それに乗り込み二人掛けの席に腰掛ける。

「お前は水族館に行ったことは有るのか?」

「んー……小さいころに行ったか行ってないか……だけど。この時期に行くのははじめてだよ」

「そうか」

 程なくしてバスは動き出して……それにしても、休みの日でも乗っている人間は少ないな。瞬は少し赤みのさした顔でぼんやりと窓の景色を眺めている。

「顔が赤いぞ」

「えっ」

 声をかけると瞬はばつの悪そうな顔をしてから、くしゃくしゃと自分の前髪を崩してそれを隠す。

「……ずっと距離が近いから……えっと……」

「顔まで隠すことは無いだろ」

「……俺、わかりやすいし……あんまり、見られていると観察されているみたいで……」

 顔を隠してしまった瞬の声は弱々しく、聞き取れるか聞き取れないかくらいにまでなる。

「分かったよ、あまり見ないようにする。それでいいな?」

視線を自分の手の甲にむける。頷いたか頷いていないかはわからないが、そのかわりくっついてみることにした。

「っ……!」

「誰も俺達を見てない」

「わかってるけど」

 会話は途切れてバスが目的地に着くのをぼんやりと待っていると、瞬はなにやら鞄から取り出そうとしはじめる。

「?」

 瞬の方は極力見ないようにしてなにをしようとしているのか見ていると、取り出したのはキャラメルの箱だった。

「あ、たべる?」

 頷くと、二粒取り出して一粒を俺の手のひらにのせる。

 キャラメルと横にいる瞬を交互にみてから、紙をはがしてから肩を叩いてこちらをむかせると、瞬の前髪はいつの間にか元の状態に戻っていて不思議そうに俺を見ている。

「やっぱりなんでもない」

 不意打ちをくらわせて口の中に入れてやろうかと思ったが、やめておくことにした。

「そう」

 窓を見てみると水族館のある海岸の方に近付いてきたのがなんとなくわかって、多分もう少しでつくのかもしれない。

 アナウンスを聞き流していたのでどこなのかわからない……といっても終着が水族館だから、地名を聞いたとしても結局はわからないし……暖房のあたたかさで少し眠たくなってきた。

「……百々、寝ないでね」

 うとうとし始めていたのか、揺すられて我に返る。

「君、一度眠るとなかなか起きないし、俺が君を抱き上げてバスから降りるのだけは……」

その状態をまともに想像してしまった俺は慌てて自分で自分の手の甲をつねる。

「わかった、寝ないから。お前もだぞ瞬」

「……わかった」

 沈黙したところに次のアナウンスが流れ、どうやら次のバス停が黒森水族館のようだった。降りる準備も兼ねて財布からバスの料金を取り出して、目的地に着くのを待つ。少なかった乗客はさらに少なくなっていて、少しだけ貸し切りのような、違うような、不思議な空気ではある。

「楽しみだよ」

「そうだな」

 そして、ついに黒森水族館につく。

 バスから降りると海岸際特有なのか、それともこの時期特有の不機嫌そうな強い風に髪が持ち上げられる。

「わ、強い風」

 早く建物の中に入ってしまおうと、瞬の手を引いて早足で正面の受付まで向かい、入場手続きをすませた。

 小さな水槽に綺麗な色の魚達が泳いでいる。人工的で幻想的な空間への入り口でもあった。

「魚がたくさんいるな」

「うん。水族館だし……」

 順路を進んでいくと、段々暗くなっていって、水槽の数は増えて大きくなっていく。やたらと大きなたこや、にょろにょろした鰻みたいな奴に、様々な色や形の……と言ってもそれほど詳しくないため無数の魚がいた。

「これ、高級な奴」

 鯛を見た瞬はそう呟く。

「見ろ瞬、こいつでかいぞ」指をさした魚の名前まではわからない。

「食べられるかな?」

「こいつみたいに毒とかなければな」ふぐはかろうじてわかった。

「それハリセンボンだってさ」

「え、毒あるんだろ?」

 瞬は近くにあった説明パネルに目を向けると、静かに首を横に振った。毒はないらしい。

そのほかにも、伊勢エビやカニや小さいけれどサメのような奴もいる。

「ほら、つぎいくぞ」

「あ、うん」

 直感で向かった先は暗い中紫色のライトに照らされている沢山のクラゲの泳ぐ水槽だった。

「……こんなに沢山泳いでいて、喧嘩しないのか?」

 そうなんとなく呟いたら、瞬は軽くふき出した。

「ふっ……ふふ……百々ってば」

 そして、肩をふるわせて明らかに笑いを堪えている。

「なっ、なんだよ、こんなにいたら気になるだろ」

「ならないよ……ふふっ……フヒヒ」

なにがそこまでこいつのつぼに入ったのかはよくわからなかったが、とりあえずなんだ、クラゲは綺麗だな!!

「馬鹿笑い過ぎだ、しずめるぞ!?」そう言ってしまったものの、いまだに笑っている瞬だった。

引っ張るか置いていくか迷っていたら、瞬は大きく息を吐いて落ち着いたのか次の展示に向かって歩き始める。そう言えば、ペンギンとかはまだ見れていないな。

 薄暗い通路を抜けると、この水族館の中で一番大きな水槽のあるコーナーであり、集まっている人の数も一番多い。

「あ、すごい」

 感嘆したように瞬は呟く。

 たしかに、小さな海を再現しているのか、魚の群れやら大きなエイに、亀もまったりと泳いでいる。

「……こいつらにとっては、ここが海なんだよな?」

「うん」

 瞬の横顔に視線を移して、そっと手を握ると静かに握り返された。

「……あ」

「どうした?」

「……君は、気が付かない?」

「なにが」

 瞬は不審げにこちらを見て、どこか言いづらそうに口を動かす。

「……水族館だよ?どうして、休館にならなかったのか……水槽だって、硝子で出来ているものも、あるのに……」

「割れたのは、窓硝子だろ」

「……あ……そっか」

 それきり瞬は黙り込む。

 俺は瞬の手を離してもう少しだけ水槽に近付きふと横を見ると、黒いセーラー服を身に纏い、どこかぼさぼさな足先までの長さの黒い髪の少女が水槽に手を這わせて水槽の上の方を見上げていて……泣いている。ようにみえた。

「お前は……どうして」彼女に対して、なにかを思ったのか、思わなかったのか。それは俺にもわからない。

 けれど、人が沢山いるのに、少女がいるところだけ切り取られたように人も魚もおらず。気付けば少女に問いかけるようにそんな言葉が不意に口をついて出て、

「百々?」

声をかけられて驚いて身をすくめ、瞬の方を振り返る。

「わっ、びっくりした!な、なんだ!?」

「あ、いや、そんなに驚かなくても」声をかけた瞬も驚いていた。

「ほんと……びっくりした」

「俺だって」

 またちらりと後ろを振り返ると、あの少女は初めからそこにいなかったんじゃないかと思えるほど僅かの間にいなくなっていた。

「……次に行くぞ」

「ん?うん」

 順路を進んでいくと、暗かったのが徐々に明るくなっていき、いきなりタッチプールと資料館のような所に出た。

 タッチプールをのぞきこむと、ヤドカリやらなまこやらヒトデが沈んでいる。生きているのだろうが動きが少ない。

 コートを脱いで服の袖をまくって、水の中に手をしずめる。

「さわるの……?」

 ヒトデはざらざらしていて、ヤドカリらしきものは出てこないため貝殻のみの感触くらいしかわからないものの悪くは無い。

「お前も触らないのか?」

「俺は良いよ」

 雲丹もいた。触ってみるととげは硬く、茹でる前のパスタに強度を与えたような感触をしている。こんなのが刺さったら確実にやばい。

 なまこは感触を想像できない見た目をしているが、触ってみるとぷにぷにしている。でも、やたらと柔らかいわけでは無くちょっとかたいかもしれない。

「……百々、魚掴めない?」

 瞬はいつの間にか足元においたはずの俺のコートを持っていた。

「あいつは素早いから無理だ」

「たしかに」

「ほらこいつにさわってみろ」

 なまこを取り出すと、瞬はそれを軽くかわす。

「水の中から出しちゃいけない……」

「あ、そうだな」

 仕方なくすぐに戻した。

 これで多分タッチプールにいる生き物は魚以外一通り触ったので、手を洗いコートを羽織って次のエリアに行くと、ラッコが泳いでいた。

 はじめは素早くてよく見えなかったが、人に気が付いたのか少しの間こちらを見てぷかぷかと浮かんでいる。

「うわあざとい」

「これがあざといのか?」

「こいつ……絶対自分が可愛い事知ってやがる」

 瞬は動物の考えていることが少しわかるらしいが、恐らくラッコは対象外らしい。それとも、硝子を隔てているからわからないだけかもしれない。

「でもこいつ、可愛いだろ?」

「…かわいい……けど…………」どこか悔しそうである。

 ラッコはまたあの素早い泳ぎに戻ってしまった。

 このコーナーから外に出るとまだ風がふいていて、寒かったためペンギンを見るのはほんの少しの時間にとどめる。短時間しか見ていないが、それでもよちよち歩き回っていたりプール内を泳ぐペンギンもかなり可愛かった。さすが人気者なだけある。

 そんなこんなでお土産コーナーにたどり着く。

 海洋生物のぬいぐるみに、黒森水族館特有のお菓子やキーホルダー……記念になにか買っていこう。

 とはおもったものの、何を買ったものか……。はじめから水族館に行く予定ではなかったから、目星もつけていない。

 ふらふらと店の中を見てまわり、ふと瞬の様子を見てみるとなにやら迷っている様子だった。

文房具なら長く使えるとはおもうが、耐久性とかの面で少し不安だな……硝子細工は作れるからパスで……そうだ、お菓子を買って食べながら帰るのも良いな……。何を買うか迷いながら目にとまったのはペアのペンギンのキーホルダーで……ペア、となると瞬がこの片方を持つことになって……ああ、だめだ。嫌ってわけじゃないけど。だめだこれは。

 恋人らしくて良いのかもしれないが、いざそう言う存在だとあらためて認識してしまうとこんなペアのものを持つなんてどうしようもなく、どうしようもないじゃないか!

「……はぁ」

 そのコーナーをあとにして、結局購入したものはお菓子と自分用のキーホルダーだった。

 瞬はそのあとぐらいに会計をすませたらしく、二人揃って水族館をあとにする。

「電車、ちょうど良いのに乗れそうだよ」

 バスの中で瞬はそう言う。

「そうだな」

「……楽しかったね」

「また来よう」

「うん」

 うとうとし始めると、頭を撫でられた。

「ついたら起こすから」

「ああ」

 目を閉じて意識を落とす。瞬にくっついているとあたたかくて安心するな、それはとても幸せな……。

 ほんの僅かな間だと思っていたが、起きなければいけない時間はすぐにやってきたようだ。

「…………ん」

「百々、起きて」

「んん」

 まだついてないだろう?

「百々」

 強めに揺さぶられたので目を覚ますほか無かった。

「……………」

「もうすぐつくよ」

 頷いて瞬にくっつく。

「寝ちゃ駄目」

「……む」

 頬をつねられる。

 そして止めとも言わんばかりにアナウンスが目覚ましのように流れて完全に覚醒する。

「あ、ああ、悪い」

「ちゃんと起きたから良いよ」

「……そうか」

 バスを降りて駅に向かう。

 もう帰りの切符は買ってあるので、改札を通り抜けて遠野町行きの電車のあるホームに向かい、既に停車している電車に乗り込むが、車内は不気味なぐらいがらがらだった。

「……誰も乗らないのかな」

「そんなはずは無いだろう」

 乗る電車を間違えたわけではないし、事実アナウンスが入ってドアが閉まり電車は動き始める。

 試しにほかの車両をのぞきにいってみても、何故か人の気配は無い。いつもなら……と言いたいところだが、前にここに来たときにはそんなことはなかったはずだし、時間帯的にたまたま空いているにしても不自然だ。

「……不気味だな」

 呟いて、瞬の隣に座ると、次の停車駅を告げるアナウンスのあと、しばらくしてから電車が減速していく。

「……今日は楽しかったよ、百々」

「わたしもだ」

 この車両にいるのは俺達だけのようで、瞬の手の上に手を重ね、窓の外の景色をぼんやり眺める。帰りの電車で話す言葉は少なく、疲れきったことさえも心地良く……。

「……話し忘れてたんだけど、俺と秋は一年前、ここにいたことがあるんだ」

 瞬は静かにそう言った。

「そうなのか?」

「うん」

 ずっとあの病院にいると、前に確か言っていたような気がしたが。

「朝霧の気まぐれなのか、優しさ……なのかはわからないけど、少しの間神代市にある学校にも通ってたんだよ」

「お前について、わたしは知らないことばかりだ」

「……ゆっくり話していくつもりだから、まってて欲しい」

「無理に話さなくてもいいからな」

「うん……ありがと」

 1つ目の駅についたけれど、ホームに人はいない。見えたのはほんの一瞬だったにしろ、気のせいかもしれないが、この車両には誰も乗ってこなかった。

「……こんなこと、あるのか?」

 また電車は動きだし次の駅へ……その次の駅も、同じような状況。

 窓の外を確認しようとすると、徐々に暗くなっていって街灯の灯りもちらほらとみえてきた。

 瞬は不意に立ち上がってドアの前まで歩いて行く。

「……おかしい。かも……」

 次の駅のアナウンスはノイズが混ざって良く聞こえないし、この次の駅はこんなに長い距離だったか……?

 瞬の隣に行って顔を見合わせる。

「百々、ほかの遠野駅行きの電車は?」

「本数は少ないが、始めに乗ったやつの一時間後にある」

「一度ここで降りて、その駅で……」

 電車が止まり駅名を見てみると、なにがどうなったのか、いつの間にか神代駅に戻ってきていた。

「……なんで」

 電車を降りて時刻表を確認しようとしたら文字化けしていて読むことが出来ない。

「駅員さんに聞いてくる」瞬は近くにいた駅員に話を聞きに行く。

「……なにがどうなっているんだ?」

 暫くして瞬は戻ってきて首を横に振った。

「なんて言ってたんだ」

「遠野駅行きの電車は、今日は調子が悪いから運行中止だって……。じゃあ、さっき乗っていたあの電車は何だったんですかってきいたら黙り込んで、普通の大人がそんな事言うわけ無いのに、何度聞いても同じ答えしか返ってこなかった」

「ほかの手段を探そう」

 ホームから出てバスターミナルまで向かい、時刻表を見ようとすると紙媒体なのにもかかわらず、また文字化けしている。いまバスに乗っても、またここに引き返してしまうかもしれないな。

「タクシーは料金的にきついし…… 」

「遠野町までは無理だが、一駅分だけ乗るのは?」

「神代市の範囲内しかいけないのなら多分、意味がないかも」

「……時間も時間だな」

 考え事をする必要は確かにあって立ち止まっているのに、こうしている間にも時間は過ぎていき無駄に焦りに変わっていく。

「百々、ついてきて」

 なにかおもいついたのか、瞬は俺の手を取って進み始めて、

「わっ」あまりにも唐突で走り出しそうな早足だったためおもわず転びそうになる。

「あ……ごめん」我に返った瞬は歩く速度を緩めてくれた。

「……どこにいくんだ?」

「……使えるか、わからないけど……あ、その前になにか食べ物も必要だな……」

 ぶつぶつとなにか言ってはいるものの、問いかけた事への答えは返ってこない。

「なあ、瞬……?」

「こっち」

 特に会話も無くついて行くと、明らかに高級そうなマンションの前に来ていた。

「鍵……あった」

「ここに入るのか?」

「入れたら、だけど」

 エレベーターに乗り込み、瞬が13階のボタンを押し、その間も会話は無く……何をどう聞いたら良いのか。

 部屋の前に来て、瞬は鞄から取り出したカードキーを差し込み、もう一つ取り出した鍵を回し、ドアを開けた。

「……はいれた」

「ここは?」

「あっ……えっと……朝霧が使って良いって言ってた部屋……」

 入ってさっそく瞬は電気をつける。廊下を見た限りでは、もしかしたら俺の寮の部屋よりも広いかもしれない。

「今日はここに泊まろう」

「……そうか。おじゃまします」

 瞬に続いて靴を脱いであがると、はたと我に返ったようにまた玄関に向かう。

「食べ物とか、買ってくるよ……この辺は少し道が複雑で暗いから百々は少し奥の部屋で休んでて」

「わかった……あ、これ」財布からお金を取り出して渡すと、瞬はきょとんとしたように俺を見ている。

「気にしなくて良い」

「サンドイッチが食べたい」

 買いに行って貰うわけだから、さすがになにも渡さないわけにも行かないだろう。

「わかった」戸惑いながら瞬はそれを受け取って部屋から出ていき、俺はそれを見送ったあと奥の部屋にむかいドアを開け、電気のスイッチを探してつける。

「……やっぱり広いな」

 部屋の中そのものは綺麗に片付いていて、家具は生活感のなさそうなモノトーン調のもので統一されており、とりあえず……どう見ても高そうな黒いソファーに腰掛け、テレビの電源を入れて、常にニュース番組をやっているチャンネルに合わせて暫く眺めてみるが、神代市についてのことが報道されている様子は無い。速報のテロップが流れる様子もない。

 きっとこんな規模のことをするとしたら、能力者の仕業だろう。

 テレビを消して携帯のニュースを開いたり、検索してみてもなにも引っかからず……なにも情報を得ることが出来ない。

「はぁ」

 ほかにすることも無いので、少し窓を開けてから廊下に出てほかの部屋を見にいき、寝室やパソコンなどの機材のあるらしい部屋、風呂場、台所を見てまわる。なんだか二人暮らしをするにしても広いようなきがしたり、着替えをどうしたものかと今更のように悩み、もしこれが長引くようであれば買いに行く必要もあるだろうと考えた。

「はぁ」

 冷蔵庫の中にはミネラルウォーターのボトルが三本ほど入っていて、水道の蛇口をひねってみると普通に水も出るし、ガスもついた。もといた部屋に戻り、窓を閉めてからソファーに腰掛ける。

 ……どのぐらいの頻度でこの部屋が使われているのかはわからないが、なんつうか相当お金に余裕が無いと出来ないことは確かで、いくら朝霧が所有しているといえど……つか、なんのために?

 神出鬼没な嫌な奴というイメージしかないので、もしかしたら住むところを固定していない生き方をしていてもおかしくはないのだろう。

 いや、なんでそんなことを……ほんとあいつ何者だよ……。

 謎しか浮かんでこず、これ以上考えるのをやめた。

「……はぁ」

 何度ついたかわからないため息をついて、部屋にある時計を見てみる。そう何分も経過していないから瞬はまだ帰ってくることは無さそうだな。戻ってくるとしたら、忘れ物か何かをした時だ。

クッションを抱きしめてまたテレビをつけると、夕方特有の番組をやっていて暫くそれを見たり、チャンネルを切り替えたりを繰り返す。

 いくらか時間が経過したころ、玄関の呼び鈴が鳴った。

唐突なことだったので驚いて少しの間硬直してから、気を取り直して玄関ののぞき穴まで行くと、買い物袋を持っていた瞬がたっていて、俺はドアをあける。

「おかえり」

「ただいま」

 そして買ってきたものを先ほどの部屋のテーブルにあげて、あたためるものはあたためて、手を洗ってから二人で手を合わせて食べ始める。

「もう一度神代市の外に出ようとしてみたんだけど……駄目だった」

 なるほど、遅かったのはそれでか。

 俺はニュース番組を見てみたときのことを瞬に伝えると、怪訝そうな表情が返ってくる。

「誰かに連絡を取ってみるよ」

 できるのか?とたずねようとして、メールや電話が外部に届くかは、昼間母さんからメールが来たことを思い出す。

「……まぁ、携帯と……パソコンのほうに登録している人は限られてくるけど」

「その辺りは、お前に任せる」

 俺が連絡を取れる人間だって、それこそ限られているし。

「うん」

 買ってきて貰ったものを黙々と食べていると、瞬から視線を感じる。

「……なんだ?」

「…………同棲してるみたいだって……思っちゃって……」

 たった一晩だけかもしれないのに不思議なことをいうな。

 そして、瞬は唐突に飲んでいたコーラをどこかにつまらせたのかおもいっきり咳き込んだ。

「お、おい、大丈夫か?」

「げほっ……んん……うん、なんでも……ないよ……」

「そ、そうか」

「あ、そうだ……お風呂……先に使って良いよ。タオルとか、着替えとか……ぶかぶかになるとは思うけど」

「わかった」


 シャワーの音が聞こえてくる。

 軽く洗い物とかを済ませて今日買ったアニメを見ようと思ったんだけど 、どうしてかこんな些細な生活音に心を奪われているのは……きっと、秋がシャワーを浴びている音ではこんな事にはならなかったんだ。

 ラブコメにもよくあるやつだ。

 もっとも、そう言うときのシチュエーションは大概雨に降られたとかで女の子の方がびしゃぬれでぬれ透けなケースが多……ともあれ、好きな女の子が俺の家でシャワーを浴びている。

 そして、タオル一枚でベッドまで来て……とかね、あるんだ、あるよ、俺はタオル一枚姿というのはあまり解せないけど、やっぱり彼シャツのあのぶかぶかな感じとかのほうがこう、ぐっとくるものがある。

「……………俺はなにを考えているんだ。まだなにもやってない」廊下をうろうろする以外は。

 そして、気付けば脱衣場の引き戸の前で止まってそっと聞き耳を立てていた。

 シャワーの音が止まる。それだけで心臓が止まりそうになるが、百々が出て来る様子は無い。

 ということは湯船に浸かったのかな?

「……のぞくな。とは言われてないわけで」

 脱衣場の引き戸と、確か風呂場へは曇り硝子一枚を隔てたドアだったはず……音を立てないように引き戸をわずかに空けてのぞくという、古典的なことも出来るけどこちらの気配に気付かれたり、ばったり鉢合わせしたときの気まずさたるや。

 たまたま通りかかったにせよ俺のことだから即座に言い訳なんて出て来ることはなさそうなあたり。

 深呼吸をして目を閉じる。

 まず俺は脱衣場に入る。

「百々」名前を呼んで、曇り硝子からかろうじてちょっと見える百々の影が驚いたように跳ねた。

『なっ、なんだ!?』

「一緒にはいる?」

『……………は?』ってなったところまで想像して我に返った。

 ただただ気まずい。

 やめておくことにしよう。気付かれないうちに忍者みたいにその場を離れ、冷蔵庫に入れていたコーラを飲んで気持ちを落ち着けて、アニメを見るためにテレビをつけてチャンネルを合わせる。

 画面の中では、ちょうどコーデックス・リリィちゃんが変身して、戦闘パートに突入するところだった。

「……はぁ」

 すぐにはアニメの内容が頭に入ってこなくて、このアニメについては戦闘パートに入ってしまうともうほぼほぼ終盤なので結局どんな話かわからない状態にはなるけど、それでも気を紛らわせることは出来る。

「あがったぞ」

 そう言って百々があがってきたのは、次回予告がちょうど終わった頃だった。

 まだ少し濡れている黒髪をタオルでふいていて、しっかりあたたまって自然に紅潮している顔と、ぶかぶかなパジャマ。

 いつもこんな感じなのかな?

「その……ドライヤーの場所がわからなかった」

 そう言われて少しわかりづらいところにしまっていたので、出すのをすっかり忘れていたことを思い出した。

「ああ、ごめんもってくる」

 風邪を引かれても困るから、いそいで持ってきた。

「ありがとう」

「俺も入ってくるよ」

 そして、脱衣場にいって服を脱いで風呂場に入るとまだ湯気が立ち上っていて、使ったのであろうシャンプーのにおいも少しだけ残っているような気がする。

「……いま使えば、同じにおいになるんだ」

 バカ言え、バカ。そもそもシャンプーとか石鹸とかをここにおいたのは俺か秋のどっちかで、多分俺だったな。逆だよ……百々が……そうなんだ。うん。そういうことだ。

 そのあとはもう、雑念を振り払うようにシャワーを浴びて湯船に浸かり、極力心を無にするように努める。

 何も、深く考えてはいけない。

 でもこのお湯、百々も浸かったんだよな……。

「………お、お、お、落ち着け俺、なんか、そんなの変態みたいだから、だめだから!!」

 そのあとあわてて、自分でもなにを思ったのかわからないけど洗面器に水をためて湯船に浸かりながら頭からかぶる。熱いやら冷たいやらのわけがわからない。

「はー……」

 お湯を抜いてからお風呂をあがり、パジャマに着替えて百々のいる部屋に向かう。

「ベッド、使って良いから」

 テレビを見ていた百々にそう声をかける。俺はソファーで寝るかそのままパソコンを構って色々調べてみる必要もあるし……神代市にいるあいつなら、もしかしたらなにか知っているかもしれないからチャットで連絡を取って……。

 ……。

 ………………。

「ん……」

 みようとか色々考えていたのに気付けば百々と一緒のベッドで眠ることになっていたでござるよどういうことなの!?

 しかもわりと寝付きが良いのか、ベッドに入ってすぐに百々は眠っているし??

「わっ」

 そしてもう、なんだ、抱き付かれて胸の辺りにふにゅりと柔らかいものが押しつけられてさらにわからない!!

「…………お、おやすみ、百々」

 抱きしめて目を閉じると、百々の体温や寝息がすぐそばで聞こえてきて、けどそれ以上に自分の心臓がばくばく言って落ち着くようで全く落ち着かない。

 今日は何回、百々の無防備な姿を見たことだろう。

 とても楽しかったから、一人になっていたらきっとさみしくなっていたかもしれない。

 おそるおそる百々の髪を指ですき、頭を撫でる。

 まさか一緒の布団で眠ることになるなんて思ってもみなかったけど、

「君は……俺のことを、信頼しすぎてる……」

 囁くようにそう言ってみるものの、百々は起きる気配は無い。

「……それに……俺は……そんなにいいやつじゃない。でも……そんな俺のことを頼って、まかせてくれるから……」

 寝顔をのぞいて、こっそりと百々の唇を奪おうと顔を近づけ、やっぱりやめておでこにキスをした。

「……ありがとね、百々」

 今度こそ目を閉じようとしたとき、不意に見えたのは胸のすき間で、それが見えないように毛布をかけ直そうとすると不意に胸に触れてしまう。

「…………ん?」さっきも柔らかいな、とは思ったんだけど……何故か違和感を覚えた。

やってはいけないと思うものの、胸をつかんで……つかめる……?

「んん?」

 ダイレクトに感触が伝わってくるのは、おかしい…………かも?

「そんなわけ……」ないとは経験がないからこそ言い切れない。俺がただ単に妄想を拗らせすぎているのか、それともこんなものなのか。

 やってはいけないと思いながら、パジャマの上着のしたから手を滑り込ませて徐々に上の方にあげていくと、ものすごく柔らかくてずっと揉んでいたくなって最終的にはエロゲーのようなことをやらかしかねない感触。

 推理をしているようでしていないけど、これは、もしかして、もしかしなくても……。

「………………ノーブラ、だと?」

 言ってしまった。

 これは気が付かなかったことにした方が良いけど、自分の中にまだなにかできるという確信が芽生える。

 つまりは悪戯という……や、駄目だよ、それは違うよ。

「……無防備すぎる……」

 少しばかり頭がおかしくなりそうだった。いや、触ってしまった時点でもう大部俺は頭がおかしい。

「もう」

 抱きしめなおして、無理矢理意識を落とすことにした。

 雑念とかわいてきて、まったくもって落とせないかもしれないと思ったけど、そうでもなくて、あちこち歩き回った疲労もあって、すぐに意識は落ちた。


 ほんの一度目をあけると、真っ黒な毛布を抱きしめながら眠っていた。

 あたたかくて、もふもふしていてとても気持ちが良いので、顔を埋めてまた目を閉じる。

 ――。

 ――――。

 もう一度目を開けると、もふもふした毛布はかすかに動いたような、うごいているような気がする。

 まぁ、毛布はにげるものでもないし。

 ゆっくり意識は落ちた。

 ――。

 ――――。

 ――――――。

「んー……」

 ふわふわもふもふなのがどうしても、どこまでいっても心地良いのでもう一度眠っても、まだまだ眠っても、どこまでも眠っても、いい。

「……」

 うとうとしていたら、金色の宝石が二粒わたしをみている。

 ……宝石?

「わふ」

「……」

 よくわからなくて目を閉じた。

 けれど、何故か毛布はもぞもぞと動き始めて、布団をはぎ取られたときと同じくらいの寒さを感じる。

 まだ眠りたい。

「……あれ……」

 そういえば、瞬と一緒に眠っていたんだっけ……。

 じゃあ、いつの間に瞬はもふもふに変わったんだ?

 ゆっくりと目を開けると、金色の宝石のついた真っ黒いもふもふが俺をみていた。

「…………」

 抱き寄せようとすると避けられて……じゃあ、これは生物?

「ん」

 なんとか起き上がりぼんやりと天井を見て、少し思考が戻ってきた。

「あれ、瞬」

 そばにいたのは、真っ黒な狼の姿になった瞬だった。

 心なしか困ったような顔をしているようにみえるのは何故だろう。

「おはよう」

 声をかけると、瞬は元の人間の姿に戻る。

「おはよう……といいたいところだけど……もう11時なんだよ」

 時間を聞いて枕元の時計をみると確かにそうで、途中何度か目を覚ましたような記憶は朧気にあるが、そんなに長い時間眠っていたことになるのか!?

「な、なんで起こさなかったんだ」

 思わず慌てて声を上げる。

「いや……君があんまりにも気持ちよさそうに眠ってるし……それに、早起きしようね。とは約束してなかったから……あとその……はだけてる」

 恥ずかしそうに瞬は俺の胸元を指差すと、サイズが確かに大きめなのもあって、もう少しで派手に素肌を晒すことになりそうな状態だったのであわてて着直す。

「お、お、お前は危険だ!」

 何度も起きては眠ることを繰り返すことになりかねないもふもふ具合だった。

「そういう君だって危険だ!!」

 瞬は顔を真っ赤にしながら叫ぶ。

 すぐに言われてなんのことかはわからなかったが、とりあえずはなにかあったらしい。

 気を取り直し、ひとまず朝食兼昼食のような位置になった食事をすませて、瞬にマンション付近にあるお店を案内して貰う。

 遠野町と違ってすぐそばになんでもあって良いな。

「今日も、泊まることになりそうだね……」

「ああ」

「そうだ、マンションの鍵、君に渡しておくよ」一通り紹介して貰ってから、瞬は鞄から鍵を取り出して俺に手渡した。

「お前が持っていなくて良いのか?」

「きっと、今日は君より帰りが遅くなりそうだから」

「そうか」

「ここから少しだけ別行動をさせて」

 頷くと、瞬は俺の頭を撫でてじっと見つめてから微笑んだ。

「でも、無理はしないでくれよ?」

「うん。ありがとう百々」


      *

 別行動をとることになって、とりあえず生活に必要そうなものを購入して一度部屋に戻って荷物を置いてから、またマンション付近の神代市内を探索してみることにした。

 歩いてみて思ったが、都市なだけあって人が沢山歩いているし服装や食べ物なんかも最新というか、流行のものを追っているような気がしたことと、一人で歩いていても良いけれど二人で歩いていた昨日の方が楽しかったと思う。

 喫茶店で時間を潰していたら、思いのほか暗くなってしまった。

 急いでマンションに帰るためにさっき瞬が教えてくれた近道を走っていると、街灯に照らされた向かい側から黒い影が現れる。

 すれ違うはずのそいつは初対面のハズなのに、俺はほんのすこしなにかがどこかにひっかかるような、奇妙な感覚。

「おい」そして、目が合うと、何故か意図的に俺の行く手を阻むように立ちふさがられたので、しかたなく声をかけることにした。

「はい、なんでしょうか」

 その男の特徴は背が瞬と同じぐらい高くて、右の目は群青色で、左の目は金色……きっと、一度みたら忘れないだろう。

「どけ」

「それはできません。アナタに用事があるのです」

それから、明るいような、それでいてどこか胡散臭く丁寧な口ぶりところころとかわる表情とかも。

「俺には無いぞ」

 初対面だし。わき上がってくるのは不信感ぐらいのものだ。

「お時間は取らせませんよ」

「じゃあ、お前名前は」

「やだなぁ。ボクの名前なんかを聞いてどうするつもりですか?」

 どうするもなにも、名前を知らないことにはなんて呼んだら良いのかわからないからな。

「まぁいいか。ボクはニノマエミツキです。漢字だと名字は数字の一で、名前は三月と書いてミツキと読みます。すこし覚えやすいでしょう?」

 一三月と名乗ったそいつは金色の瞳を器用に閉じてウインクする。それから、手を差し出してきたかと思ったら俺は強引に握手をさせられていた。

「ねぇ、那由多百々さん。ああ、アナタの名前にも数字が入っているんですね。ふふっ。なんだかとても仲良くなれそうです」

 まだ名乗ってもいないのに名前を呼ばれて固まるこちらに、一三月は相変わらず明るい笑みを浮かべていて、とても腹が立つ。

「……俺の名前を知っているのは何故だ?」

「内緒ですよ。企業秘密です」

「俺はお前とは仲良くなれない。ナンパなら他を当たれ」

「ナンパしてるつもりなんてありませんよ。そんなんじゃないですー……ただ、ステキなアナタに一つ忠告を。これでもボクはどこまでも純粋なアナタが硝子のようにひび割れないようにと思って……」

 どこまでが本気かを推し量ることが出来ないが全て胡散臭くて作り物じみている。

 一の言葉を聞きながそうとしていると、一は俺に身体を近付けてきてあっという間に抱きしめられた。

「離せっ!!」振りほどこうとしてもその力は強い。

「違和感が無いことに気を付けて」そう、どこまでも優しく、気持ち悪いぐらいに熱っぽく囁かれる。

「なにがおきて窓ガラスが割れたのかも気になりますが、ガラスが割れたという違和感には気が付かなかったみたいですよ」

「……は?」

「それからもう一つ。モノゴトには限りがある」

力を込めて振りほどこうとしたら、一は言いたいことを言い終えたのかあっさりと俺を離した。

「あ……」何故かほんの少しの間一は俺を呆然と見てから、また明るい……いや、どこか満足そうな笑みを浮かべて、こちらにくるりと背を向ける。

「伝えましたからね。でも、いまのアナタには少し難しいかも知れません」

 そして、なにごともなかったかのように歩き去って行った。

「なんだったんだ」ただセクハラされただけかもしれず、それにしては真意が計れない意味深な言葉。

 違和感が無いことに気を付けるなんて、謎かけになっているようでなっていない。なにをどう気をつけたらいいのかなんて考えようにも、不可能に近い。

 物事には限りがあることなんて今更言われなくても……。

「はぁ」気付けば大きなため息をついていた。

 それから気を取り直して、抱き付かれた部分を意味が無いことはわかっていても手で払ってからマンションの部屋に戻り、ベランダへと出てもう一度コートをぬいでばさばさと払う。

「……よし」いや、なにもよくはなっていない。もやもやしている。

 気を取り直して、今日は試しに食材をいくつか買ってきたので、料理をしようと思っていた。昨日見た限りでは台所用品は一通り揃っているし、瞬からもつかって良いと許可を貰ったから。

パンだけでは心許ないし、インスタントではないなにかあたたかいものも必要だろう、スープでもつくるか。

「……あいつに嫌いなものはあったかな?」聞いておくのをすっかり忘れていた。

適当に切った野菜と肉を入れて火にかける。

「まぁ、休みは長いから」

 煮えるのを待っている間テレビをつけてぼんやりと眺めていると、また玄関のチャイムが鳴ったので立ち上がってそちらに向かう。



 時間は少し前に遡る。

 とあるマンションのベランダで一三月はぼんやりと景色を眺めていた。

 それほど散らかっていたわけでは無いが、長い間空けていたから埃がたまっている。かといって部屋を掃除する予定は暫くない。

「……さて」誰にいうでも無く呟き、家具の中に隠していた銃器を取り出し、それを鞄にしのばせて、部屋をあとにする。

 待ち合わせ場所の公園に行くと、こんな時間でも京華学園の制服を身に纏った彼は、すぐにこちらに気が付いたようだった。

「久しぶりだね……。えっと、一くんでいいのかな?」

 おだやかな声で彼は言う。

 彼は一が一時的に滞在していた京華学園で出会ってから何度か連絡を取り合っている人物である。

「はい。お久しぶりです先輩……その姿ではまだ学生なんですね」

 にこにこといつものように笑みを浮かべながら一は答えると、先輩と呼ばれた男はにこりともせず「もうここに来ることは無いって言ってなかった?」と淡々と言葉を返す。

「ボクだってたまには遊びに来ますよ……ところで、これは全て先輩の仕業ですよね?」

 先輩は不思議そうに、それでいてわざとらしく首をかしげて見せた。

「なんのことかな?」

「ふふっ。ボクがどんな聞き方をしても先輩はそう答えるって思ってました。相変わらずですね」

そして、一は笑みを浮かべたまま鞄から銃を取り出して先輩の胸に銃口をつきつける。

「そんな物騒なものを持ち歩いているだなんて、君も相変わらずだね」

 先輩は一が引き金を引くことは無いことを推測しているのか、動揺していると言うよりはむしろ感心していた。

「お互い様でしょう?」

 笑みを崩さずに一は引き金に手をかける。

「僕が簡単に死ぬと思う?」

「先輩の能力はボクには通じませんよ」

 先輩はわざとらしく肩をすくめると服の裾からナイフを取りだし、手慣れているかのように素早く一に斬りかかる。

「おっと」

 それをかわした一は足を狙って引き金を二度引くも、動きを読み切られていたのか狙った直後に先輩の姿はかき消えて、どこからともなく飛んできたナイフをよける。

 しかし、不思議なことにナイフは途中で失速し落ちること無く後ろにある街灯の柱に刺さった音が一には聞こえた。

「あー……なるほど」

 姿こそ消えたが逃げた様子は無く、しかしあらかじめそうなるようにしかけでもしておいたのか、すべて急所狙いで刃物は飛んでくる。

 それを造作も無く撃ち落とした直後、赤いマーカーペンを手にした先輩は一の目の前に現れた。

「僕の仕業かもしれないと気が付いた君は、じゃあ、ここで僕をどうするつもり?」

 問い掛けには答えない。

 手にしていたものがナイフだったとすれば、果肉でもそぎ落とすかのように喉元を抉られていただろう。

「ところで先輩。応戦すると言うことは隠し事をしていますね?」

「君には言われたくないね」

 手を伸ばしてなにやら描き込もうとしてくる先輩の手首を一は折るつもりで握りしめると、ぎしぎしと骨の軋むような音が聞こえた。

「答えてくださいよ」

「いたた……わかった。わかったから……」

 戦う意思をなくしているようにみえるが、なにをするかわからないので力を緩めつつも手を動かせないように握ったまま、先輩が話し出すのをまつ。

「あのさ……この手」

「離してくれとは言っていないので」

「……まぁいいか。そうだよ。僕はこのことに関わっている。」

 一としては、そもそもここに京華学園の生徒である彼がここに来た時点で見当はついていて、本人の口からそう言われることによって事実として固定された。

「君の場合は大方、ここに遊びに来て帰れないから……ここに住んでいる僕に話を聞くために僕を呼びだした」

「ええ。そうですね。でも、あなたにそこまで出来たことがボクにとっては意外です」

特に何の反応も無い先輩に、少し間を置いて一はつづける。

「先輩の能力は、自分がマークをつけたところにものを命中させることでしょう?」

 先ほどの戦いではおそらくは自分が来る前に仕込んでいたに違いないと一は考えていた。確かに自分には効果はないが、ほかのものに対しては効果があるらしい。

 しかし、その能力の存在を踏まえても。この神代市から脱出が出来ないようにするには、そもそもの能力のジャンルがはあまりにもかけ離れていて、違和感を覚える。

「さあね。これは、君が考えた方がいいかな」

「そうですか」

「君は神代市から出られないことに気が付いた。でも、でられない以外のことには気が付けなかった……ちがう?」

 一が特段反応を示さないでいると、先輩はおかしそうに口元に笑みを浮かべて、握られていた手首を振りほどいた。

「なにが目的なんですか?」

「全て、最終的には僕自身のためだよ」

 先輩はゆっくり歩いて立ち去っていく。

 一は銃口こそ向けたが、引き金を引くことはせずその姿を見送り改めて周囲を見渡すと、ありとあらゆる所にバツマークが書かれていることに気が付き、呆れたようなそうでないような複雑な表情を浮かべる。

 そして、ほんの僅かの間、なにかを思案したあとポケットから携帯を取り出した。



 俺がなにかを言っても、何故か百々はそっけなく夕飯を口に運ぶ。

 帰ってくるのが遅くなりそうなときは、電話でもした方が良いかな?

「百々、どうしたの」

「……なんでもない」

 時折俺の方を観察するようにじーっと眺めては、俺がその視線に気が付くとはぐらかすように、よそよそしく食事を口に運ぶのを繰り返していて……様子がおかしいことは確かだけど、どうしようも無い……かも。

「料理、美味しいよ。ありがとう」

「……褒めてくれて嬉しいぞ」

 あ、やっとちょっと笑った。

「そうだ……嫌いな食べ物はあるか?」

「うーん……ネギと……あと、ブラックの珈琲やストレートの紅茶とかかなぁ」

 嫌いな食べ物といわれて、ぱっと思いだしたものがそれだった。もっと他にも何かあった気がするが、この食卓には苦手なものは並んでいない。

 ねぎについてはなんでもないようにみそ汁の中にいるあいつはなんなんだろう。紅茶と珈琲はただ単に渋いし苦いから。まぁ、砂糖とミルクさえ入れればいけるけど。

「わかった」

「百々は、なにか嫌いな食べ物、有るの?」

「辛い物だな。カレーとかは中辛までなら食べられるが、それ以上は無理だ」

「それは俺も同じ」

「明日はカレーにするか?」

「さすがにお米が無いし、食材のお金も……」

「……ああ、そうだな」

 いつの間にか空気は和やかになって、食事を終え、二人で片付けを済ませる。

「お風呂、今日はどっちが先にはいる?」

「その事なんだけどな……」

 百々は顔を赤らめてもじもじと下を向いて黙り込む。どうしたのかと百々が話し出すのをまっていたら、少し背伸びをしてきたので、俺は膝をかがめる。

「……一緒に、入りたい」

 そして、とても小さな声で俺にそうささやく。

 ……ん?

 普通に聞き入れてしまった。

 え、ちょっと待って。今なんかすごいことを聞いたような……ううん、ものすごい思いっきり聞いた。自分の思考する処理速度的なものがおかしなことになって体の動きも一瞬止まる。回答に時間を要してはいけない類の答えじゃないかこれ‼!

「……わかった」体は勝手にそう答えていた。

 昨日こっそりのぞこうとしていたら、今日になってこんなことになるとは。

 いきなり大胆なことを言うな、とか、我に返って比較的冷静な色々な考えが頭をよぎったのは脱衣場で服を脱いでいるときである。

 ……さすがに腰にタオルは巻いて風呂場に入ると、先に入っていた百々は顔を赤らめながら湯船に浸かっていて、俺が身体を洗い始めると百々は湯船からあがってきて、やっぱり一緒に入るのは気のせ……

「背中、流すから」いではなかった。

「あ……う、うん」

 きっとタオルはまいていると思うけれど、俺はぎゅっと目を閉じると、程なくして、ぎこちない手つきと力加減で背中をごしごしとこすられていく感触がある。

「これくらいか?」

 あらわれているというじじつだけでもとてもしげきがつよい。

 あしたおれしぬんじゃないか。

 いや。いましぬかもしれない。

「……うん。も、百々の背中も、流そうか?」

 洗っている手が止まり、シャワー(水)を頭からかけられる。

「つめたっ」

「ふん」

 避けようとしたもののスペースには限りがあって避けきれず、暫くしたらお湯に切り替えられて心底ほっとした。

 髪は自分で洗ってからいよいよ湯船に浸かると百々は膝の上にすわってきて、背中が胸にあたる。

「!」

 てっきり背中合わせに座るのかと思っていたらこんなに密着することになるなんて!!

長い髪を結い上げている百々はタオル一枚をはりつけるようにして前を隠しているけれど大分際どい。

 さっきかぶった冷たい水は現実だったし、いまだって現実なんだ。

 百々の中でなにがどうしてこうなったの……。

「……あついな」

 百々のうなじや、かみつきたくなるような細い首から肩のラインなんてあまり見ることは無かったけど、こんな事でみることになるなんて。

「……うん」

 理由なんて野暮なことを聞かなくてもいいか……。

 体格も俺と比べれば大分違って、小さくて華奢でどうにも心許なく、肌も白くて作り物じみているようにみえるのに、どこか吸い付くように……って、くっついてるんだった。

「お湯のせいかな、それとも……」

「さあな」

 お互い真っ赤なのは照れているからなのか、のぼせているのからかも、よくわからない。

「百々と……こうしてくっつけるなんて……思ってもみなかった」

「……ああ……わたしも」

「君……時々大胆だ」

「かもしれないな」そう言って百々は湯船からあがると少しふらついてから、こちらを向いて微笑む。

「のぼせてしまった」

 そして百々が脱衣場に消えたのを見送って、しばらくしてから俺もあがることにした。

 多分今晩もくっついて眠ることになりそうだな。

 おかしなことに巻き込まれているけれど、このおかしな状況だからこそ、こんなに、どこか濃密で甘ったるくて、中毒性のある時間が……ずっと、続けば良いのに。

「……違う」

 おかしな思いがよぎって、ふと我に返る。

 それは、どこまでも冷たくて硬い氷の刃物をいきなり胸に突き立てられたような感覚。

 今日だって、帰ってきてからもう少しだけ調べて……いや、調べているにしてもどうして俺は帰ってくると……単純な物忘れではない。

「これは、普通じゃ無い」

 いそいで衣服を身に着け脱衣場から出て、百々に声をかける。

「ねぇ百々……気付いたんだ。君も俺もここから帰らなくて良いって思い始めてる」

百々は少し考えて首をかしげる。

「それが……どうかしたのか?」

 しかし、そのあと唐突に百々は何かを思い出したように固まった。

「わたし達は……違和感が無いことに気を付けないといけない」

「……そうだね」

「けど……そんなこと……」

 百々は言葉をつまらせて、不安そうな表情を浮かべる。

 言おうとしていることは察することが出来た。

 気をはり続けるようにするなんて、出来たとしても限界があるし無理だから。

 それに、もしずっと気をはり続けていたとしても、そんなことだけでは神代市からでることは出来ないだろう。

「大丈夫だよ。百々」

近付いて百々の頭を撫で、そっと抱きしめた。

「……お前……たまに頼りないけどな」

「そう?」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ