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見上げれば星空

 エルデとヒメルは、夜風をできるだけしのぐことのできそうな大木の近くまで移動し、枯葉や枯れ枝などを集めてきて、焚き木を起こすことにした。幸い、練習機に積んでいた残りの燃料用オイルがあったため、さほど苦労することもなく着火に成功した。

 強風で火が消えてしまわないように、夜間は交代で火の番をしようと二人で話し合った。最悪の場合、たとえ火が消えてしまったとしても、懐中電灯もあるし、練習機のライトも生きてはいる。しかし、ノインのことを考えると、できるだけ火をもたせて寒さをしのぐ必要はありそうだった。

 二人で手持ち分の食糧を出し合い、分け合って食べることにしたが、エルデは遠慮してか、あまり食べようとはしなかった。「母乳が出なくなったらヒメルとノインの両方が共倒れになるから、ヒメルはしっかり食べろ」と言われ、ヒメルはエルデのさりげない気遣いにとても感謝した。

 手持ちの防寒具と言えば、エルデがコックピットで使っていた薄い毛布とヒメルの着用していたストールくらいだった。ノインはもともとアフガンにくるまっていたので、ヒメルと一緒に毛布に入れば、それほど寒そうには見えず、エルデはひとまず安心した。ノインの体温が暖かいので、逆に抱いて眠っている方が、こちらが暖かさを分けてもらっているような気さえした。

 ノインを真ん中にして、三人で温め合うようにして毛布に入った。その間も、エルデかヒメルのどちらかが交代で起きて、火が消えていないかを確認するという夜を過ごした。

 エルデは、異性とこうして一つの毛布にくるまって眠ることなど初めてのことで、冷静に考えると、自分はとんでもないことをしているのではないかという気もしたが、それでも、不思議と彼の心の中はとても落ち着いた穏やかな気分だった。エルデにも性欲は人並みにあったが、今のヒメルに対して、そんな気持ちは到底わかなかった。

 彼女は、女性として十分魅力的だとは素直に思う。しかし、エルデにとって今の彼女は、異性としてそういう対象と捉えるには、あまりにも別次元の存在であるような気がした。ありていに言えば、尊いとさえ思った。母として、我が子を守る姿をいつもそばで見ていたエルデは、彼女が自分にとっても尊い存在なのだということを知った。これは理屈ではなく、きっと、人間の大昔からある動物的な感覚が、自然と作用しているのかもしれない。大袈裟ではなく、素直な気持ちでそう思った。

 エルデは、母のぬくもりをほとんど知らずに育った。そして、今までの十七年間で、母というものに対して、自分とはまったく違う理解できない異質な存在であるとずっと認識していた。そんなエルデに、ヒメルは母というものがどういう存在なのかを教えてくれているような気がした。今まで知ることができなかったエルデに、もう一度、そのチャンスを与えてくれたのだ。

 本当は、エルデもただ忘れていただけなのかもしれない。自分も昔は、今のノインのように、母に慈しまれていた時期があったのかもしれない。

 赤ん坊は、びっくりするほど自分では何もできない存在で、誰かの手厚い庇護なしでは、それこそすぐに死んでしまうような弱い生きものだった。だからこそ絶対に言えることは、生まれたときからずっと一人で、自分の力で生きてきた人間など、ただの一人もいないということだった。きっと誰かに、何かしらの愛情を受けて育ったのだろう。エルデ自身も例外なく。

 そのことに気付かせてくれたヒメルとノインに、エルデは感謝していた。


 深夜になって、ヒメルがふと目を覚ますと、火の番をしていたはずのエルデが、目の前ですっかり眠りこけていた。普段はやや斜に構えている風なエルデだが、無防備な寝姿は何故かほほ笑ましくて、ヒメルはその寝顔をじっと見つめていた。よほど疲れていたのだろうと思い、自分が火の番を代わることにした。

 エルデは、毛布からいつの間にか半分はみ出しており、その分をヒメルとノインに掛け、自分の腕を毛布の上からヒメルの胴体に覆いかぶせて、静かに吐息を立てながら眠っていた。まるで、その様子はヒメルとノインを守っているかのように見えた。

 そのことに気付いて、ヒメルは無性に嬉しくなって胸が締め付けられた。寒空の中で、こうして知らない土地で野宿をして、不安なはずなのに、こんなに穏やかな気持ちで夜を過ごすのは、いつぶりのことだろうか。

 ヒメルは、エルデに気付かれないように涙をこぼして泣いた。

 ふと見上げた夜空には、いつもよりも大きく見える月が浮かんでいて、今にも振ってきそうな大量の星々が、一段と輝いて見えた。



         *



 ようやく朝になり、エルデとヒメルは軽い朝食を済ませると、さっそく練習機の起動を試みていた。心配だったエンジンだが、なんとか無事に起動に至り、電力の残量も帰る分には十分貯まっていた。

 エルデは心底ほっとしていた。

 助手席にノインを抱いたヒメルを乗せ、草原を出発した。隣の席に誰かを乗せることは初めてで少し緊張していたが、意外にも、ヒメルが横からいろいろ適切なアドバイスをしてくれることが多かったので、操縦は割とスムーズに行うことができた。

 ヒメルは看護学科所属のため、カリキュラムに飛行訓練は含まれてはおらず、自身ももちろん航空機の操縦はできなかったのだが、両親の個人用航空機には普段からよく乗っているため、いつも横で操縦を見ていたのだという。また、彼女のわかりやすい道案内のおかげもあって、想定していたよりも、割と早くヒメルの自宅付近に到着することができた。

 思いのほか、ヒメルとのドライブは楽しく、彼女をこれから家に帰すのが、少し名残惜しいくらいだった。エルデはそんな風に感じている自分に少し驚いていた。

 ヒメルの両親に余計な心配をかけないように、あえて彼女の自宅からやや離れた場所に離陸し、エルデは自身が見つからないように密かに帰ることにしていた。

「そうね、それがいいわ。エルデ、あなたのためにも」

 ヒメルはそう言うと、深いため息を吐いた。「お父さんとお母さん……怒るだろうな」

「仕方ないさ。それだけヒメルのことを心配してくれてるってことだろう」

「そう……そうよね。わかった、覚悟を決める」

 ヒメルは練習機から降りると、改めてエルデの方を見て言った。

「エルデ、いろいろありがとう。私、あなたがいてくれて本当に良かった」

 そう言って、ヒメルはノインを抱きかかえて自身の両親が待つ実家へと帰っていった。

 エルデはしばらくその場で呆けていた。

 誰かに感謝されることが、こんなに嬉しいものだということを、初めて実感したような気がした。

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