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未来史

 翌朝、エルデが登校すると、教室にはまだ誰の姿もなかった。早く来すぎたのかと思い、明日からはもう少し遅くても良いなと考えていた。

 それからほどなくして、一人の女子生徒が入ってきた。ヒメルだった。

「おはよう、エルデ。早いのね」

「おはよう。早いのはお互い様だろう」

「本当はもっと早くに来ているわ。でも、あまりに早すぎると変に思われるから、保健室でしばらく過ごしてからいつも教室に向かっているの」

 昨日の保健室での彼女と比べて、態度は明らかに砕けた様子だった。少しは心を開いてもらえたのか、それとも、これは教室内だからこその接し方なのか、はっきりとはわからなかったが、ひとまず彼女の調子に合わせることにした。

「そうなのか。毎朝となると、結構きついな」

「今ではもう慣れたけれど。そうね、最初はかなりきつかったわ」

 ヒメルはそう言うと、少しかしこまったようにエルデに向き直った。

「エルデ、昨日は本当にありがとう。私、なんだかあのときはそわそわしてしまって、結局お礼も言いそびれちゃったから。あれからノインはぐっすり眠ってくれて、夜の間も寝つきが良くて、おかげで私もいつもより寝る時間が取れたわ」

「そうか。俺は別に無関係かもしれないけど、眠ってくれたんなら良かったよ。赤ん坊って、だいたいどのくらい寝て、どのくらい起きているものなんだ?」

「今はまだ生後二ヶ月だから、昼夜を問わず、寝たり起きたりをひたすら繰り返している感じよ。二、三時間おきにはおむつを替えたりおっぱいをあげたりしていると思う」

「それは……思った以上に大変だな」

「さすがにもう慣れたわ。でも、いつも眠いの」

「そうか……」

 もし父親がいれば、今より少しは楽だったのかも―――という言葉が脳裏に浮かんだが、エルデは慌ててそれを飲み込んだ。

(いくらなんでも、不謹慎すぎるだろう)

 エルデ自身、彼女に協力するとは言ったものの、だからといって、当初から思っていたように、あまり深入りするつもりもなかった。

 ヒメルの立場になったつもりで考えたとしても、まだ知り合ったばかりの、しかも仮にも異性であるエルデに、自分の込み入った事情を知られたり、首を突っ込まれたりしすぎるのは決して気分の良いものではないだろう。

 しかし、それはエルデ自身が自粛しているだけのことで、ヒメルの抱える事情に、単純に興味はあった。彼女に対して、下世話な好奇心がまったくないと言えば嘘になる。

 もしくは他に理由をあげるとすれば、最低限の事情を知るだけでも、自分が今後余計なことを口走る心配がなくなるのではないか。彼女の地雷を万一踏むことも、避けられるのではないかとも思う。自分が何も知らないことで、逆に彼女を傷つけてしまう可能性も十分に考えられた。

 しかし、それとはまた別のこととして、何より一番疑問に感じたことがあった。決して安易に軽率な行動をとりそうにもない、一見すると優等生の模範のような女子生徒のヒメルが、何故今のような事情を抱えなければならなくなったのか、ということだ。―――とはいえ、エルデが一人であれこれと考えを巡らせたところで、これといって何の進展も生産性もあるわけがなく、ただ不毛なだけでしかないのだが。

 彼が少し考え込んでいるうちに、クラスメイトたちがぱらぱらと教室に到着し始め、エルデとヒメルは、どちらからともなく自然に距離をとった。教室内で必要以上に親しくして、周りから何かを勘ぐられたりするのは避けたい。というのが、お互いの暗黙の共通認識だった。

 そういうことが事前に何の相談もなく、二人とも同じように瞬時に察して振る舞えているという点においては、エルデはかすかにヒメルに自分と似た気質のようなものを感じ取っていた。


 担当教師が教室に入ってくると同時に、本日の授業が始まった。「未来史」という、エルデにはあまり馴染みのない教科だった。

 エルデが初めて未来史を受講するということで、初回の授業ではないにも関わらず、教師は、まずは未来史の概念の導入部分から、懇切丁寧に入ってくれたようだった。

「前にも話した通り、未来史とは、歴史など過去の出来事を学ぶのと同じように、これから起こりうる未来の出来事を学んでいく科目です。歴史は全て今までに起こった結果であり、事実そのものですが、未来史においては、歴史ほどの絶対性はなく、むしろそのほとんどが不確定要素で構成されていると言えます。つまり、あくまで『今後このようなことが起こる可能性がある』という前提で研究されている分野です。そのため、あらゆる可能性があり、専門家たちの意見も多岐に分かれやすくなっています。言ってしまえば、未来史は実に曖昧かつ不安定なものです。では、何故そのような研究があえて行われているのかということについてですが。それは、起こってしまってからでは取り返しのつかない最悪の事態を常に想定し、回避するための手段になり得るからなのです」

 生徒たちは、真剣に聞いている者もいれば、あくびをかみ殺して、眠気を必死に耐えている様子の者もいた。

 エルデは、一応真剣に聞いている側の人間ではあったが、心の中で、「そんな占いのようなものをわざわざ授業で取り扱うのか」というのが、正直に思うところではあった。

 教師は続けた。

「その事態を回避するために未来を予測するということは、つまり、回避できた瞬間に、その未来史の予測事態が結局は外れてしまうということに繋がります。……少しわかりにくいかもしれませんね。そういった意味で、未来史は人類のこれからの歴史を紡いでいく上で、非常に大切な役割を担う学問ではあるのですが、その不確定な特性ゆえに、有用性がわかりにくいというのもまた事実です。未来史は、今までの歴史や現在の状況から、今後起こりうる可能性のあることを、歴史評論家や未来研究員が分析して予測結果を算出しています。そしてさらに、そのような専門家たちと協力して、未来を視ることのできる能力を有する人間―――一般には予言師と呼ばれていますね―――その予言師と共に、未来を分析し、予測するという手法が、現在の主流となっています」

(未来を視ることのできる能力……? やっぱり思った通り、聞けば聞くほどうさんくさいな)

 エルデは、教師に悟られないように小さくため息をこぼした。

 他の生徒たちは、エルデと違い、別段この話に特に怪訝な反応を示すということはなかった。誰も何も、怪しんだり突っ込みを入れたりしないことに、エルデはやや戸惑いを覚えた。

 この未来史というものに違和感を持っているのは、自分だけなのだろうか、と。

「未来史は、今まで世界各地における自然災害や疫病の流行、飢饉など、ありとあらゆるものを予測し、見事に当ててきたという過去の実績があります。本来なら、それは回避するべき未来ではあったので、予測が当たることは決して良い結果とは言えないのですが、未来史の信憑性を唱える上では、かなり効果的な出来事であったと言えるでしょう。ですが、未来史を良く思わない者たちは、予測した者たちがそもそもその事態を陰で引き起こしたのではないか―――言わば自作自演なのではないか、という声もあり、未来史は長きに渡り日の目を見ることなく、常に歴史の陰に埋もれてきた学問なのです。そして、それに追い打ちをかけたのが暗黒時代でした。未来史は、暗黒時代の到来を予測することはできませんでした。それが、この学問が衰退していくことになった大きな原因であると言われています。未来の予測が当たれば自作自演と罵られていたのに、予測できないと、今度は詐欺師呼ばわりされるというのも皮肉なものですね。それ以来、未来史は異端の学問であるとして、史実から抹消されました。少なくとも地上の世界においては。それでは、何故今この授業を展開しているのかという話ですが、それは皆さんもご存知のとおり、私たち空人の多くが、元をたどれば、その昔に未来史に何らかの形で関わっていた者の末裔であるから、なのです」

 これは、エルデにとっては初耳だった。

 教師は一呼吸置いてから、さらにそのまま説明を続けた。

「暗黒時代以前より、地上では、もともと未来史に携わる者たちは異質であると考えられ、それだけで差別されることが多かったといいます。そして暗黒時代の到来により、秩序は乱れ、少数派の民族や宗教者などの迫害がより顕在化し始めました。未来史に携わっていた者たちも例に漏れず、迫害対象となりました。多数派たちは様々な理由を付け、私たちの先祖をこの空に追いやったのです。体の良い口減らしとして」

 この話には、エルデもかなり驚いた。生まれてこの方、たしかに「未来史」などという学問は地上では聞いたことがなかった。もはや、学問と呼んで良いのかも怪しいものだが。

 教師の話すことが本当であるならば、エルデが未来史を今まで知らなかったことも納得がいく。しかし、にわかには信じられない話ばかりだった。

 本当に未来を予測できるのなら、そして、その悪い未来を回避することができたとしたら、何も苦労はしないのではないかと思う。

「未来史が異端の学問であるとされたのは、表向きは暗黒時代の予測ができなかったからとされていますが、本当の理由は別であるという解釈もあります。未来史に携わる予言師たちの中には、未来を視る能力以外に、人の心を読んだり、人の意識に憑依したりすることのできる、かなり特殊な能力を有している者もごく稀に存在しています。その力は大多数の人間の脅威であり、異質・奇異なものであると考えられ、それがそもそもの迫害の発端になったとも言われています」

 エルデはこの時点で、この授業を真剣に聞くのをついに諦めることにした。あまりにも、カルトチックに過ぎると思った。

 しかし、教師はあくまで大真面目だった。

「そして、私たちのような空人二世、三世がこの地に生まれ、現在に至ります。初代の空人の半数近くが、まだ今よりもかなり酸素濃度の低かったこの地で重度の高度障害にかかり、残念なことに亡くなっています。しかし、未来史の歴史を受け継いだ歴史評論家や未来研究員たちは、現在もなお、未来研究・観測を続けています。そして、予言師の子孫の生き残りも、もうかなり数は少なくなってしまったそうですが、私たちとともに、現在もこの大陸に共存しています。彼らは口をそろえてこんなことを言うのです。近々もう一度、地上に暗黒時代が再来する、と」

(おいおい。本気で言っているのか、この先生。いくらなんでも悪い冗談だろう……)

 どんどん怪訝さが増していくエルデの表情に、さすがに気付いたのか、教師は彼の方を見てにこりと笑った。

「もちろん、この話を地上人が聞き入れるはずもありません。まあ、聞き入れたところで、あれだけの災厄を回避することはさすがに困難ですし、対処のしようがないのもまた事実ですが。不幸中の幸いとも言えるのが、この地を含めた四つの浮遊大陸には、地上の災厄が降りかかる心配はないと言われています。もし本当に暗黒時代が再び地上に訪れてしまったとしても、私たちは、天の采配をただ見守ることしかできないでしょう」

 教師はあくまで淡々と話を終え、それからエルデの方を再度見て言った。

「エルデ。地上人としての、あなたの意見はどうかしら?」

 突然不意を突かれて、エルデは慌てて肘をつくのをやめた。

「どう、と言われましても……」

「簡単で良いのよ。思ったことを素直に話してくれる? きっとあなたの意見は、クラスの皆さんにとっても私にとっても、少なからず良い刺激になると思うの」

 エルデはそう言われて、多少混乱していた頭の中を、できる限り速やかに整理して考えをまとめることに努めた。

「地上では、今までそんな話は一度も聞いたことがなかったので、率直に驚いています。その『未来史』というものがどれだけ今まで未来の出来事を当ててきたのか俺はまったく知らないので、今は本当に、何とも言えないというか。その予言師……という存在についても、にわかには信じられません。予言と言えば、大昔の話ですが、ノストラダムスの大予言やマヤ歴滅亡論なんかの、いつの時代にも唱えられている終末思想の一種なんじゃないかと個人的には思ってしまいます。つまるところ、単なる迷信としか思えないというのが正直な感想です」

 そして、さすがにこの場で口には出さなかったものの、「いかにも頭のおかしな連中が言いそうなことだと思いました」という台詞も、最後に心の中で密かに付け加えた。

 教師は「ありがとう」とエルデに座るように促して、もう一度ほほ笑んだ。

「そうね。単なる終末思想の一種、迷信……。今回ばかりは、そうなってくれることを願ってやみません」

 教師の笑顔に、何か得体の知れないものをかすかに感じたような気がしたが、エルデはあえて深く考えないことにした。

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