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父というもの

「エルデ、だったね。私は今まで君のことをずっと見ていたから知っているけれど、君は私には会ったことがなかったね。初めまして。ノインの父親のアーベントです」

 エルデは思わず言葉を失った。これは何かの冗談だと思った。フレーディンとヒメルが、二人してエルデのことをからかっているのではないかとも思った。しかし、それにしては説明できない部分が多いのもまた事実だった。とはいえ、この状況をすんなりと飲み込めるほど、物分かりが良いわけでもない。

「ノインの父親って……冗談だろ。だって、死んだはずじゃ……」

「ああ、私はとうに死んでいるよ。だから、こうして他人の肉体を通して会話することしかできないんだよ。自分の息子を媒介にしてね」

 フレーディンの口が、そう喋った。

「そんな疑いの目で見ることもないだろう。君は未来史の授業をきちんと聞いていたかい? 以前に習っただろう。予言師と呼ばれる人間の中には、未来を視る能力以外に、人の心を読んだり、人の意識に憑依できる者も存在している、と」

 何もかもが信じがたいことだった。やはり、どう考えてもすんなりとこれを納得することはできない。

「別に、私は君に信じてもらおうとは思っていないよ。そこにいるヒメルさえ、私が私であるとわかってくれれば、それで満足だからね」

「先生、どうして……?」

 ヒメルが、エルデの前に一歩踏み出していた。

「どうして、か。その『どうして』の中には、たくさんの意味が込められているね。『どうして私を置いて死んでしまったの』『どうして今こうやって話ができているの』『どうしてこんなことをするの』さしずめ、そんなところだろう」

 まるで、ヒメルの心の中を本当に読んだような言い方だった。ヒメル自身も、そう言い当てられて驚いていた。

「私はね、ヒメル。君にはあえて言わなかったが、生前の頃から自分の寿命をすでに悟っていたんだよ。これまでにいろんな未来が視えていたが、あれほど知りたくもない未来を突き付けられたことはなかった。だから、自分が死ぬ前にせめて子どもを残すことにしたんだ。どうしても、自分の死の先にある、地上の世界が滅ぶ未来を見届けたかったからね」

 口調こそとても穏やかだったが、話の内容はとんでもないものだった。

 フレーディンの声で、さらに話は続いた。

「私はもともと地上の出身でね。私の家は予言師の一族だった。しかし、例によって迫害を受け、地上では家名を隠してひっそりと暮らしていた。地上での生活は苦しく、一家で路頭に迷う寸前で、私は十二歳の頃に親によってこの浮遊大陸に売られることになった。私は君と同じなんだよ、エルデ」

 エルデは唐突に自分の名を呼ばれ、少々戸惑った。自分と同じ? だから、なんだというのだろう。

「それ以来、地上の世界などなくなってしまえば良いと、ずっと思っていた。でも、まさか本当に滅んでしまう日が来るとはね。ノインには私の血が半分流れている。この子の身体を通せば、例え他人でも、少しの間なら意識を乗っ取ることができる。フレーディンは私に惚れていたからな。簡単に憑依することができたよ」

 フレーディンの顔で、アーベントは下卑た笑みを浮かべていた。

「フレーディンも馬鹿な女だ。本当は当初の予定では、子どもを産ませるのはこの女の予定だった。しかし、何度まぐわっても、この女は一向に妊娠しなかった。きっと生殖能力に欠陥があったのだろう。だから私は予定を変更して、君を母にすることに決めたんだよ、ヒメル。君はクラスの中では大人びていたが、私から見れば、まだ十分に世間知らずの子どもだったからね。君を籠絡するのは非常に容易かったと言えば、君は怒るかもしれないが。私が好意を示すと、君はとても素直に私の気持ちに応えてくれた。大人の成熟しきった女とは違って、実に可愛げがあったよ。あとは、君のことをお姫様のように扱い、褒めておだててご機嫌取りをすれば、君は簡単に夢見心地になってくれた。そして、君が妊娠する可能性が高い日を選んで可愛がってあげれば良いだけだったから、まったく労することはなかった。さすが、若いだけあって君はすぐに妊娠してくれたしね」

「やめて……」

「人間の女性は進化の過程で、自分ですら排卵日を知ることのできない生き物になってしまったというが、その特性に、私は心底感謝したよ」

「お願い、先生。もう、やめて!」

 ヒメルは、その場で泣き崩れてしまった。

「お前、本物の、本気で最低なゲス野郎だな」

 エルデが吐き捨てるように言った。

「何が俺と一緒だ。お前みたいなやつと一緒にされるなんて、心底心外で吐き気がする」

 エルデが怒りで拳を震わせているのを見て、アーベントは渇いた笑いを浮かべた。

「若いな、君も。さて、私はそろそろ行くよ。最後に君たちと話ができて良かった」

「ま、待って、先生! お願い、ノインを返して! 地上なんて危険なところに連れて行ったら、ノインは……」

「赤ん坊は脆弱だからな。地上の凄惨な環境に耐えられず、そのうちに身体は朽ちて、いずれ私とともに滅びるだろう。しかし、ヒメル。君はもともと、望んでこの子を産んだわけではないだろう? 聞いていたよ、エルデに話していたことを。この子が産まれた自分の人生に後悔しているのだろう? やり直したいと思っているのだろう? 良い機会じゃないか。何も自分の手を汚すことなく、この子を簡単に手放すことができるんだよ。そうだな……。それからあとは、いずれは君も他に好きな男ができて、何事もなかったようにその男と新たな家庭を築くことだってできる。ノインがいると、そんな当たり前の幸せすら、簡単には望めないのだから」

「先生……お願い。これ以上、嫌いにさせないで。あなたはノインの父親なのに。あなたをこれ以上、嫌いになりたくないの」

「そうは言っても、君の本心は所詮……」

「違うの! あれは本気で言ったんじゃない。私は本当に、ノインのことが大切なの。どんなことをしても失いたくないの! だから、お願い……」

 ヒメルが涙を流して懇願しているにもかかわらず、アーベントは無慈悲にも、航空機のウィンドウを完全に閉めた。起動準備に入ったのだ。

「しまった! ちくしょう……!」

 エルデはその機体の翼によじ登ろうとして、必死でしがみついたが、ものすごい圧と強風に煽られて、簡単に振り落とされてしまった。

 航空機がふわりと宙に浮かび、見る見るうちに手の届かないところへと舞い上がった。

 ヒメルの顔には、もう絶望の色しか浮かんではいない。

「ノインを返してーー!」

 彼女の声が宙に空しく響いた。

 間に合わなかった。助けられなかった。ただ、その後悔の気持ちだけが、胸の内を全部支配した。

「ヒメル、安心しろ。俺が助けに行く。今から急いであいつを追いかける」

「な、何を言っているの? エルデ……?」

「何も心配しなくて良い。必ずノインを助けて連れて帰ってくる」

「そんな、だって……」

 あなたは関係ないじゃない。ヒメルはのど元まで出かかったその言葉を、舌に乗せるぎりぎりで飲み込んだ。

「早くしないと見失ってしまう。行ってくる。必ず連れて帰ってくるから!」

「無茶よ、エルデ」

 ヒメルの言葉など、もうエルデには届いていなかった。彼はすぐさま近くにあった練習機に乗り込み、離陸準備を始めた。

「そんな……嘘でしょ。お願い、待ってよ。あなたまで失ってしまったら、私はどうしたら良いの? エルデっ……!」

 エルデの乗り込んだ機体が、強風の中で宙に飛び上がった。ヒメルはパニックを起こして、その場でただ叫ぶことしかできなかった。

 二つの機体は、イーストスフィアの下の雲海の中に、完全に飲み込まれていった。

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