36 魚影
そのあとデレクは無難に死体、巨大芋虫、アッシュマン、右足を執拗に噛んでくる犬、なぜか穴を掘りたくなる庭、などの怪異を片付けた。あるときアベルが道を塞ぐ巨大な老婆を切り伏せたとき、空から降ってきた燃えるバスを灰にして彼を援護したのをきっかけに、彼の相棒として名を馳せたが、この二人は呼んでも来ないし肝心なときにはいないのであまりあてにはされなかった。
ある日レオナルドは、地区の外れの飲み屋街を歩いているときにデレクと会話したことを思い出した。大した会話はしていなかったが、いろいろ興味深い情報があった。
天空教会と同じくラプタニア王国の信仰にもかなりの種類があり、しかしその違いはあまり分からないそうだ。土着の神が多く、百柱ほどいるので外から来た人は単に〈数多の神〉や〈百の神〉と呼ぶが、戒律はかなり多岐にわたり敬虔な信徒はそれを忠実に守るが、生活に溶け込んでおり、外からはそれとはなかなか分からないのだそうだ。デレクは神や信仰といったものは、怪異と複雑なシナジーを生んでいると考えていた。
アルバラの南部ではダガスと双子である、ノティアという女神が信仰されており、ヒムの子である二柱は空の支配権をかけて延々と終わらない戦いを昼夜続けているそうだ。月食や日食はどちらかが死にかけている様子だが、結局勝負は付かない。似た話が帝国にもある。セントクローディアの向こう、最北の地では夏に太陽が沈まなくなり、冬には昇らなくなる。これをダガスやノティアの死そして復活とする伝承が古くからあるそうだ。レオナルドはデレクに、民俗学者になったらいいんじゃないかと聞いたら、それは君が睡眠を専門に扱う医学者になるようなもので今の状態はただの趣味だから、と言われた。趣味は大事にしたほうがいい、という点で二人は同意した。
レオナルドはディンゴの――いきなり修行に来た祓魔屋の話をした。デレクは、〈ディンゴ〉は気まぐれだ、と言った。知り合いなのかとレオナルドが尋ねると、彼はこう答えた。その人物は知らないけれど、自分の知っている祓魔屋の〈ディンゴ〉はそうだと言う。確かケネスとかいう名前だったと少年が言うと、〈陽炎〉は首を振って、それも本名じゃないと言った。祓魔屋の武器は〈剃刀 〉と銃だけじゃなく、その名前もだと。彼らは人間の意識が怪異の基点になると考え、そして名前がしばしばそれになりうるために、本名もあだ名も本人と関係のないものが付けられるのだと説明する――アル・クックだって自分の名前を捨てて竜と戦う準備をしたのだから。しがらみや愛着、イメージ、そのすべてが怪異の巣になるわけなのです。レオナルドは分かったような分からないような気分だったが、確かに猟兵になる前と、なったあとの自分ではだいぶ違う気がする。〈まどろみ〉のレオナルドは起きているときなら怪異を明瞭に見通すことができる。都市の大半の人々とは違う。かつては自分も目を閉じていたが、まどろんでいる今のほうが開眼できている。なにしろ今も、通りの陽炎の向こうを、魚影が揺れながら泳いでいるのを、誰も見やしない。隣の人物の顔を見ないのと同じく。一瞥すら。
だから都市は平穏なのですよ。デレクが言った。恐ろしすぎるまでに強固で平穏だ。確かに、そうらしかった。




