26 欠伸する伝説
正装のものものしい男たちが、喫茶店の一角に陣取って、なにやら密談している。外では小雨が降っていて店内はひどくカビ臭い。学生とか街娼、天空教会の信徒、投機家といった感じの人たちもいたが、知らない間に消えていた。そしてレオナルドはなぜ自分がここにいるのか良く分からないのだった。目の前にはものすごく温いコーラがある。ものすごく温いコーラが極まったら下手すると沸騰するコーラになるのではないか。退屈のエントロピーは危険だ。退屈は渦を巻く。それは怪異の巣でもある。境界線の向こうから町じゅうの退屈を目掛けてひどいエネルギーが飛んでくる……
男たちの中にミカエル・アシュベリーがいた。雨が降ればもちろん彼がいる。なにやら陰謀を立てているようで、ときおり地図を示しながらなにかを指示している。
レオナルドはしばしまどろんだが誰かの声で目を覚ました。幼い少女の声だった。
「……もちろん境界内における活動には細心の注意を払っているのだけど接近戦が好きだからある程度無茶はしている模様なわたし」
目の前に見知らぬ、しかしどこかで見たような猟兵が腰掛けてぶつぶつとレオナルドに語りかけていた。周囲の音はぐにゃりと引き伸ばされ、エコーがかかっている。店の外は晴れているのか雨なのか判然としない。ただ蒼く、全体の空気がただ蒼く、ひどく涼しい。店内はいつの間にか無人、しかし外を大勢の人が歩いている気配はする。
少女は大きめの欠伸をして、
「また世界が境界線を横断しなくてはいけない時期が来たのではないかってね、もちろんわたしには既に関係ない出来事、しかし、この都市で現世を生きる皆さんにとってはまったく無縁じゃいられない実情」
そしてまた欠伸を一回。
「放蕩息子が境界線を引き寄せてどうにかなったのは確か六百年前? 七百年前? 今は何年か知ってる? 分からない? 境界がすでに地盤に食い込んできてるから時間もあやふや?」
二回連続で相手が欠伸をしたとき、この少女は自分に似ているのだとレオナルドは気づいた。
あまり今が何年か自信はなく、「順風の節三十六年? 三十一年? いや三十五年かな」
「統一暦に直すと?」
「どうだろう。一七一二……いや一七二四? 一七一五年かな」
「わたしが雑踏に消えてからもう二百年も経過しているのね? その間さまざまな苦難があったでしょう。しかしもうわたしには関係ないのであるからして知らない。再び雑踏で立ったまま眠る。そう永久に我々怪異は境界線の向こうをさまよってるのがお似合いだという点。いずれまたあなたもこっちに来ることでしょう。残念。残念が継続してるんだから。あるいは都市を破砕するのもいいかもしれないとわたしは思った」
少女は席を立ち、店を出て行こうとする。レオナルドは呼び止める。逆光でもう顔は見えない少女が振り返った。レオナルドは名前を尋ねる。
「そう、わたしは〈欠伸〉のヒルダ。いずれまたこちら側で会いましょう。良い混濁を。ダガスの灼熱があらんことを」
起きるとレオナルドは本当に疲れていたが、今度は聞きなれた声がしたので見ると、シャーマン隊長が立っていた。
「ミカエルを探しに来たんだけどもういないみたいだ。雨に関係する仕事を他の隊員はやらないので。濡れるのが嫌なんだろうね」と話しかけながら腰掛けた相手に、
「隊長、〈欠伸〉のヒルダに会いました」
すると隊長はしばし黙ってから、
「そうかそれはめでたいね。サインはもらい忘れたみたいだけど。ついに怪異が脳に食い込んできたとは。この場で介錯しよう」
などと本当に抜刀しかけたので、
「いや実際に、境界線の向こうらしき場所でやたら欠伸をする猟兵がいまして、ヒルダと名乗ったのです」
「たわ言。ヒルダ・マクダーモットは大昔に死んでいる」
「二百年前ですか?」
「そう、ラプタニア独立のさらに前、帝国の大分裂以前なんだけど」
「だけどマジで見ましたよ」
「まあそれはいいんだけど。それより表を灰色犬がうろついているほうが大事とは思わない? 既に雨は止んでいる」
二人は無言で立ち上がると抜刀し、巨大な空虚獣の駆除にとりかかった。




