10 司祭の話
大都会ウェスタンゼルスでは日々犯罪が多発しているが警察はなかなか動かず、人心は荒み、宗教に走るが、天空教会の僧侶たちはまったく上の空で、信者の悩みなど聞く耳持たず、しかたないのでほったらかしておけばたいていのことは数日以内に片付いた。種々のトラブルは、放っておけば誰かが解決してくれるか、自分と関係ない場所にすっ飛んでいくかすると誰もが思っているのだ。怪異のせいだけではなく、人間の心の闇ってやつが確実にでかくなっているのを誰もが感じているが、別になにかするわけでもなかった。
ある日レオナルドは最寄の礼拝堂へ顔を出すことにした。別に天空神ヒムの信者というわけでもなく、興味本位で足を運んだ。おそらく金曜日で、日暮れ時だった。礼拝堂は石造りの古い建物で、中に入ると蝋燭の明かりがぼんやりと、オレンジ色に光っていた。
濃い青色の司祭服を着た男が、長椅子に腰掛けて煙草を吸っている。付近にはテレビガイドや漫画雑誌も置かれている。レオナルドに気づくと彼は吸殻が山盛りになった灰皿を引き寄せ、火を消した。口ひげを生やした四十がらみの司祭で、力の抜けた雰囲気だった。
「こんにちは、ええと、今日はどうしたのかな」
「ただ覗きに来ただけです。近所なもので」レオナルドは率直に告げる。「寄付とかもする予定はないですし」
「そいつは残念だ。まあ、かけたまえ」
促されるままレオナルドは相手の後ろの席に座った。司祭は上体を捻り、背もたれに肘を乗せた姿勢だ。彼はケインズ司祭と名乗った。
「興味本位とはいえ礼拝堂へ足を運んでくれるのはありがたいことだ。昨今は信者離れが進んでいてね。我々も苦労しているのだよ。仕事も減る一方だ」
「普段どんな仕事をされてるんですか?」
「今やってるのと同じことさ。ここに来る人の話を聞く。懺悔だったり、雑談だったり、人生相談だったり。あとは葬式とか結婚式とか。他にはそうだな、まあ何でも屋ってとこかな。道の掃除とか、庭の手入れとか、買出しとか。報酬は相手の気持ち次第ってやつさ。相場に比べれば恐らく格安なのだろうな。騎士団の皆に頑張ってもらっている。彼らは既に教会付きの雑用スタッフなんだな。なんとか格好つけようとはしてるのだが。こんな話、アズルヘルムの人間が聞いたらキレるだろうな」
「破門ですか」
「かもしれん。まあ向こうの人間からすれば、この礼拝堂も気に食わんだろうね。基本的にかの国では天窓がなければならんのだ。というか、偶像崇拝自体がご法度でね」
司祭は正面を見て苦笑いする。口髭を蓄えた威厳ある老人の像が、虚空を睨んでいた。
「教皇領の人間は空を拝むのだ。雨の日も雪の日も」
「それについてはどう思うんですか? つまり、違ったやり方をとることを」
「別にどうも、というのが正直なところかな。向こうが本場ではあるが、そもそも〈天空教〉という宗教は本来ないのだな、これが。デレキアとここでもうだいぶ違う。極端な話、教区ごとで違うだろうな。君も我が宗教におけるよからぬ噂を耳にするだろう?」
レオナルドは曖昧に頷く。
「それが真実でも拙僧は別段、どうする気もないよ。神を見るにはそちらのほうが手っ取り早いかも知れぬしな。来る日も来る日も空を拝むより、ちょっと変わった匂いの煙を嗅ぐほうが」
面白い人物だな、と少年は思った。宗教指導者としてはどうか分からないけど、休日に話すなら悪くない小父さんだ。
「そもそも〈ヒム〉という神にしたって分からない。あの老人……おっと、もとい、ああしたお姿をされているかどうかも分からぬ。空を拝んだところでそこにいるかどうかも知れぬ。懺悔の前置きで言うように慈悲深いとも知れぬ。拙僧はな、ミスター・バード。仮に遥か天の彼方にヒムがおられるとして、恐らくその本質はまさに『空』であろうと思う。礼拝堂に窓を開けてあるとか、善行を施すとか、祝祭日に屋根のない場所で食事をするとか、そういうのを気にする方ではないと思うのだよ」
「では、なぜ司祭をされているのですか? その『空』に仕えるために?」
「妙なものを見すぎたせいだろうな。君なら分かるのではないか、我が後輩よ」
「猟兵だったのですか」
答える代わりに司祭はまた苦笑いを浮かべた。
そのとき入り口が開いて、一人の騎士が入って来る。レオナルドはその顔に見覚えがあった。
「ただ今戻りました。ミセス・ジョーンズ宅の草むしり、完了し、夕食をご馳走になって来ました」
「ご苦労。あのお婆さんは元調理学校の先生だから、絶品だったろう」
「ええあのシチューが……」
「マチルダさん」レオナルドは話に割り込んだ。
「誰だ、君は。確かにわたしはマチルダ・ウェストだが」女騎士は怪訝な顔になった。
「前にくらげから助けた者です」
「なんだって?」
「有毒かつイチゴの匂いのする赫くらげ五匹から防衛した猟兵ですよ」
「くらげ? 何を言ってるのか分からないが、わたしは今年海になんて行ってないぞ。行きたいとは思っているのだが」
「今度休みを取って行ったらいいさ。さて、ミスター・バード。ここを閉めなくてはいけない。そろそろご退出願えるかな。ミス・ウェストもだ、拙僧はこれから一人、酒盛りへと繰り出すのでな」
「ああ、はい」
腑に落ちないままレオナルドとマチルダはともに外へ出た。じろじろと相手を見ていると、
「どうしたのだ少年、まだわたしをくらげから助けた話でもするつもりか?」
「いえ、しかしなんというか、マチルダさんは二重人格とか、そういうことはないですか?」
「さっきから何を……わたしは裏表のない性格だと言われこれから対毒波動作戦を開始する!」いきなり騎士は叫んだ。「まずは五リットルの酢を道路に散布する! 腐れヒヨケムシめ、我が血肉へと変えてくれる! 全軍突撃!」
そして彼女は鎧を着けているにもかかわらず、短距離走世界記録級の速度で走って行った。




