語り部人形の夜
おや、お客様ですか。
わたしの屋敷に人間が来たのは久しぶりです。
お茶などいかがですか?
え?
わたしですか?
ふふふ。
こんな森の奥に女の子が一人で不用心だと?
おかしな人ですね。私はこうみえても……。
ああ、すみません。勘違いしていました。あなたは普通の人間なのですね。でしたら、何も聞かない方がよろしいですよ?
何も知らずに迷い込んだのなら、何も知らずに帰る方が賢明かと。
どうされました? 顔が真っ青ですよ?
いえいえ、お気持ちはわかりますが今は夜です。お帰りになるのは夜が明けてからが宜しいですよ。
特にあなたのような普通の人間は。
ささ
お茶をどうぞ。
あなたは東洋系の方ですよね。緑茶でよろしいでしょうか。どうぞそちらのソファでおくつろぎ下さい。
そうだ。
怪談話しなどいかがでしょう。
わたしは怖い話が大好きでいろいろ収集しているのですよ。
まあまあ、そう怖がらずに。怪談なんて作り話ですよ……一部をのぞいてはね。
さて、ではこんな話などいかがでしょう。
『コッペリアは死んでいた?』
コッペリアってご存知ですか? 大昔のバレエ作品なのですが、その作品のわき役に自動人形が登場しましてね。この自動人形の名前がコッペリアなのですよ。
この人形はゼベットという老人が作ったものです。別に特別なものではございません。ただのよくできた人形です。
しかし、ゼベットはただの人形のままにしておくつもりはなかったそうで。
コッペリアは人に見がまう程よくできた人形でした。ゼベットは何を思ったのかコッペリアを椅子に座らせて窓辺に置きました。
コッペリアは知らない人からみればとても人形には見えません。可憐な美少女です。
その姿を見た青年が恋に落ちるのも無理からぬこと。
青年には憎からぬ仲の少女がおり、当然少女からすれば面白くないわけで。
ある日ゼベットは街へ出かけたのですが、うっかり家のまえに鍵を落としていってしまったのです。
鍵に気付いた少女は好奇心に負けて友達とゼベットの家に入ってしまいました。家の中にはところ狭しと作りかけの人形が並べられていて不気味な雰囲気が漂っています。
よほど気に入らなかったのでしょう。少女はコッペリアがいつもいる二階の部屋へ足を踏み入れました。
何時ものように窓辺に座っているのではと少女は思っていたのですがコッペリアの姿は見えません。家のどこかに隠れているのでしょうか。
おあつらえ向きに、部屋の中央には棺桶がおかれていました。隠れるとしたらこの中でしょう。少女は棺桶をあけました。
中には予想通りコッペリアがいましたが、瞬きひとつしません。人形なのですから当たり前です。
少女はすぐにコッペリアが人形だと気づきます。そこへ間の悪いことにゼベットが帰ってきました。家の中にいた少女達に驚いたゼベットはどなりちらして一階にいた少女達を追い出します。
二階にいた少女は困りました。逃げる場所がありませんから。そうこうしているうちにゼベットの足音が近づいてきます。焦った少女は棺桶の中に隠れました。幸いコッペリアの下には毛布が敷き詰められていたので少女は毛布に潜り込んでかくれます。
部屋に入ったゼベットは突然怒鳴り声を上げました。少女は見つかったのかと手に汗を握りましたが、声をきくとどうやら外はとんでもない事になっているようです。
なんと部屋の窓から青年が侵入してきたのです。
どうやら青年はコッペリアにひとめ会おうと梯子をかけてきたらしいのです。ゼベットは最初激しく怒りましたが、弁解する青年を許すことにしました。ゼベットは棚からワインを取り出して青年にふるまいます。すると青年はパタリと倒れ、寝息をたてはじめました。
「お前の魂をもらいうけよう。わたしのコッペリアを人間にするために」
ゼベットは眠った青年を棺桶にほおりこみ、蓋をしめます。そして何やらぶつぶつと呪文らしき言葉を唱えました。
少女は急に可笑しくなりました。人形に魂を移すなんて頭がおかしいとしか思えません。少女はいたずら心をおこし、コッペリアの服と自分の服を交換したのです。
呪文を唱え終わったゼベットは棺桶を開けます。
するとそこにはコッペリアと入れ替わった少女がいたわけです。そんなこととは知らないゼベットは狂喜しました。夢が叶ったのだと小躍りする勢いでコッペリアと会話し、チェスを打ったりしました。
やがて青年が目覚めるまで、ゼベットは本当にうれしそうに微笑んでいました。
目覚めた青年は一緒に寝ているコッペリアが人形だと気づきます。
ゼベットは起き上がった青年をぽかんと口を開けて眺めます。
少女はあまりにもおかしっくて笑い転げました。
「ははははは、ばっかじゃないの! こんな人形が人間になるわけないじゃない!」
少女は笑いながらいうと、青年も笑いだします。
「気持ち悪い爺さんだな」
青年は人形に恋心を抱かされたことが面白くなかったのでしょう。コッペリアをバラバラに壊してしまいました。
しばらくして、青年と少女は村の人々に祝福されて結婚しました。
宴は盛大なものでしたが、壊れた人形を抱えたゼベットが、その様子を呆然と眺めていたそうです。
……
とまあ、こんな話がコッペリアなのですよ。
全然怖くないですか?
ええ、そうでしょうとも。
コッペリアは喜劇ですからね。
まさかこの後の話までバレエで演じるわけにはいかなかったのですよ。
……
次の日、少女と青年が家で殺されていました。青年はベッドの上で心臓をナイフで一突きにされていたそうで。ナイフは突き刺さったまま、柄の部分まで返り血でべったりしていました。
少女の方は玄関で倒れていました。逃げようとして結局捕まったのでしょうね。彼女の体には獣の爪で抉られたような跡が生生しく残り、とても正視できる状態ではなかったようです。
で、直接の死因なのですが。
心臓を抉られていたのですよ。
胸はズタズタに引き裂かれていました。どうも素手で肉を抉って心臓を持っていったらしいのです。
どうして持っていったとわかったか?
なかったんですよ。家の中に心臓が。
村の人たちは街から警察をよんで調べたのですが、犯人が誰か全然分からない。村は小さなコミュンですから、あのゼベットだって人を殺すような人間ではないと村人は信じていました。
かといって、このあたりは治安がよく山賊などもいない。
困り果てた警察はとりあえず村人の点呼をとることにしたのです。他にも被害者がいるかもしれませんからね。
結果、ゼベットだけ確認できなかったのです。家の鍵がかかっていましたし、街に出かけているのだろうと思われます。
けれど、状況が状況です。
警官は鍵をこじ開けて家に入りました。
入らない方がよかったのですがね。
だって見つけてしまったんですから。
棺桶で死んでいるゼベットの死体を。
ゼベットは二階にある棺桶で死んでいました。奇怪なことにゼベットの胸元は鋭利な刃物で切り開かれ、心臓がなくなっていたそうで。
それだけなら少女の死に様と同じなのですか、一つ違う事があったのです。
ゼベットのお腹あたりに、心臓が置かれていました。後で街医者が確認したところ、その心臓は年寄ではなく、若者の心臓だとのことでした。
そうそう、あの壊れた人形のコッペリアは少なくともゼベットの部屋には無かったそうです。
さて、この村では何が起こったのでしょうね。
……
長く話し過ぎましたね。もう夜が明けてしまいました。
眠くはないですか? 宜しければベッドをおかししますが?
そうですか。帰られますか。
では道を説明しますが
この屋敷を出たら真っ直ぐ道なりに進んで下さい。
そうすれば神社の裏手に出ますから、そこの巫女に事情を話せば戻れるはずです。少なくとも悪いようにはしないでしょう。
ただし注意してください。決して道をそれぬように。誰かに声をかけられても無視してくださいね。危険ですから。
怖がらなくても大丈夫ですよ? ……基本的には……
え?
わたしがどうしてこんな所にいるのか?
気になりますか、なりますよね。
でも知らない方がいいのです。最初にいいましたが、普通の人間はこの世界のことなんて知らない方が。
けれど本当に何も知らずに帰るのも残念ですね。一つヒントを上げますね。
わたしの魂は、わたしのものではありません。
ふふ、勘のいいあなたなら、この意味がわかりますよね?
さあ、もう帰ったほうがよろしいですよ。
機会があれば、また此処でお会いしましょう。