二年前の「私」
初心者ですが少しずつ書いていきます。そんなに長くはなりません。コメント大歓迎です。
地方から上京してきて一年が経った午後の昼下がりだった。
網膜を刺すように輝く眩しい青空のもと、向こうの街ではカップル連れも賑わう週末だというのに、大学二年生の私は、閉め切られたカーテンを覗き込み、そこに誰もいないことを確認したばかりの外部の様子をそわそわと落ち着きなく窺いながら、黴臭く湿った臭いのする安家賃の大学寮で独り腐っていた。
「あの頃の僕はいったい何をしていたんだろう?」
そう、私は今小説を書いているのだ。
複雑に絡みついた記憶のほつれから一本ずつ糸を辿り、釣り上げられて衆目のもとに生身を晒した剥き出しの記憶を言語の衣で丹念に包んで行く。
それは消え去ったものを名残惜しむ弔いのようであり、また新たな殺害でもあるようだ。
私は罪滅ぼしに私自身を抹殺し、そうすることで、すべての過去と和解をする。
最高に晴れ晴れとした光景だ。
ときに味わってきた異常な興奮のために、めっきり衰弱して、凡百の刺戟には満足できなくなった私の身体を、より鋭く尖らせた言葉で丁寧に刈り込む。
実験体としての私がそこにいる。
磷付の刑に処した私を眺めて、えも言われぬ快感に酔い知れながら、内省の度は徐々に深められる。
強烈な欲動を除いて何ものも感じることはできない。
すでに終末が来ているのだ。
「いかんいかん、あまりに抽象的になり過ぎた。」
大学を卒業して行く学校を失い定職にも就かなかった私に押される次の烙印はニートという肩書きだった。
東京から故郷へ帰還して、かつて家族と暮らしていた住み慣れた部屋にもう一度収まることになった。
四年前一心に受験勉強に励んだこの部屋が呪わしい重力をもって私をこの場所に引き戻したのだ。
生まれつきの運命のように一つの場所に捕らえられた私は果たしてこの外へ出ることが出来るのだろうか?
私がこの体と、この記憶と、この家と、そして私の両親に深く捕われているものらしいことは、薄々とした予感からはっきりとした確信に変わるまでになっている。
そして否応無しに私は自分の運命というものを考えざるを得なくなる。
「魂」に形を与える諸々の構造体の層があり、それらが互いに隣接し、影響を与え合っているとすれば、私の運命は大小・遠近の彼方からの作用によるものに過ぎなくなる。
これは私のよく馴染んだ妄想のひとつだ。
たまねぎを想像すれば分かりやすい。
剥いても剥いても中身らしきものはどこにもない。
たしかに中心らしきものはあるにはあるけれど。
原子の反応、分子の反応、器官の反応、器官同士を繋ぐ物質と電気の反応等々の段階があり、そうして自己完結的に循環するシステムが現れる。
それが人間機械であり、社会共同体でもある。
無限大の宇宙と無限小の虚無の間で時間の重みに耐える「個体」の層がわれわれ人間にとってもっとも分かりやすく基本的な単位となる。
茶色い薄皮を剥ぎ取られてその表面にむっくりと白い顔を露にした一個のたまねぎは私と同等な権利をもったひとつの単位だ。
私の一切の作為と関与を差し置いて、形成されるたまねぎに、私は同類かつ別種としての敬意を評したいと思うのだった。
あらかじめ決定付けられた自然法則によって、循環を繰り返すバラバラな粒子が結合したり、反発したりして、次の段階へ移行する。
そうしてより大きな個体が形成され、個体同士は互いに影響を及ぼして、さらに次の個体を形成したり、前の個体に戻ったりする。
夢破れて土に還って行く死者たちの群れ。
万物を受け入れ、その上に万物が再び立ち上がる足掛かりを与える大いなる大地。
焼かれて堅く冷たい墓石のなかに閉じ込められた骨も、肉身のまま棺に納められた骨も、心配は要らない。
この世に千年と続く墓は稀なのだ。
「でも反応が起きる前に、反応の結果として何が生じるかがあらかじめ決まっているとしたら…?」
いわば私の魂に最も近く寄り添ったわが身体のうちに起こる「決断」も自然法則から自由ではない。
何を決断するか、その内容のことを言い出したら切りがないから、決断することそのものを考えたいと思う。
「でも多分何を決断するかが大事になることもあるだろうけど。今は過去へと進んでみよう。そうしなければ気が済まない。」
自分の記憶と身体が為した決断も、他人の身体から強いられた決断も、隣接し合った両者を明確に区別することはできない。
これはよくよく考えてみるべき命題だ。
あらゆるものがそうなっているとすれば、目に映った何ものにも、頭に浮かんだどんな映像にも、言葉にも、私はいないことになる。
私ではなく誰でも良かったのだ。
今まで被ってきた数々の災難を免れる自由はなかったし、これからも変わらずないだろう。
そして同時に彼らもまた私を害するための自由意志などけっして持ち合わせてはいなかった。
彼らを許し、私を彼らへの囚われから解放するべきなのだ。
「多分。」
第一、決断なんていうプログラムからして、私が自分の脳内指令系統に自由に書き入れたものでもない。
それは言語として残された文化形成物であり、生物学的に人間と動物との隔絶が確かなものであるとすれば、ヒトの大脳新皮質が見せる幻なのだ。
まあ文化と科学の幻を上手く利用することで、そこに自由の王国を創るのだという人がいても不思議ではないが、個人的な趣味の問題として、そんな夢想を追い求められるほど私はナイーブではない。
私は夢想家を自認しているが、夢想の拒絶をもって自らの唯一の任務とした夢想家なのだ。
「中二っぽくなりすぎか…?」
文章を書きながらそのような具合に自分を説得するのが癖だった。
そんな折には、眼窩の奥が熱く疼き、黒く濁った苦いものの沸騰が、脳内のある場所に穿たれて、元に戻らない変性が加えられていくような悪寒が走った。
私は間接的には彼らへの憎悪を拭い去ることはできないでいたに違いない。
「一応断っておくけど、僕はあらゆる非科学的な側面を捨象してなお魂という概念が成立し続けると考えてるんだよね。いや正しく言えば、そう考えてるのでも、積極的にそう考えたいのでもないし、また有効な反駁や、より適切な用語が見つかるなら、いつでもその観念を放棄する用意はある。ただそう考えざるを得ないようになっていたんだ…否定神学的な方法って奴による罠かもしれないよ…でも一冊だけ挙げるなら、是非ともプラトンの『パイドン』を熟読玩味の上、『名付けえぬもの』について一緒に語らいたいものだなぁ…そうだ、ところで、そろそろ冒頭の続きに戻った方がいい頃合いかも。」
二年前の私もそのような抽象的思弁に酔って、