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第1話

2028年6月から2029年10月


日本を代表してきた電機業界の超大企業4社が東京証券取引所から姿を消した。


その結果、半導体装置と材料関係で好調だった日経平均もこれらのニュースが飛び込むとき、一時的に谷と言うほどではないが、下方向にとんがりができた。

日経平均はその程度で済むが、TOPIXでは大惨事だった。

日経平均は半導体関係企業比率が高く、かつ株自体の値が高い値嵩株の数値変動による影響が大きいため、さほど影響しなかったが、

東証3市場の一番上の階層にあたる東証プライムそのものに近い株価指数であるTOPIXは打って変わって急激な下り坂を形成する。


「なぜだ・・・」


日経新聞記者ルームでは担当者だけでなく編集長まで頭を抱える。


「こんなこと東証史上ありえなかった・・・

 プライム市場上場企業の上場廃止だって一大事だと言われたのに、A社、B社、C社、さらにはD社まで・・・」


「編集長、記事を作りましたが・・・

 投資家の不安を煽るような内容になります・・・」


「いや、事実だから報道せねばなるまい。」


「……不可解です。A社はともかく、他の3社は通年で大幅な黒字を維持している。

黒字なのに売られてるんです。

自社株買いとMBOの噂で“出口が見えない”って判断されてる」


記者はタブレットの画面を編集長に突きつけた。そこには、乱高下を繰り返すチャートが映っている。


「わずか1年半弱で、日本の看板が4枚も外された。

 市場の動揺は『重電御三家』の最後の一角、東都総合電機にまで飛び火しています。

 御三家のうち2社が消えるとなれば、残る1社に資金が異常集中するか、あるいは連鎖的な不信感で暴落するか……。

 今の株価は、まるで壊れた計器のように跳ね上がっています。

 この1年半の4社の上場廃止と同時に市場から資金が引き上げられ、

 累計30兆円が市場から蒸発しました。

 これは東証プライム市場の時価総額の数パーセントが、根こそぎ消滅したに等しい異常事態です」




ニューヨーク、マンハッタン。




金融界の巨頭たちのトレーディングルームでは、怒号に近い指示が飛び交っていた。


「TOPIXを叩け!225は維持だ。むしろ押し目を拾え!」


「裁定が歪んでる。今が一番抜ける」


昨夜まで冗談を飛ばし合っていたエリートたちの顔からは、余裕が消えて久しい。この1年半、彼らは日本の異変に神経を削り続けてきた。


「日経が踏みとどまっているなら、SOX(半導体指数)への波及は最小限で済む。だが……」


一人のシニア・トレーダーが、モニターに映る日本の老舗企業のロゴを見つめ、吐き捨てるように呟いた。


「ついに日本の古株共も、インフレと資本の論理に白旗を上げたか。かつての巨人が、自ら土俵を降りるとはな」




世界を牽引する半導体の狂騒は止まらない。

GPU企業の独走、CPU競争、そしてHBMメモリを巡る死闘。

その裏で、製造装置と材料という「喉元」を握り続ける日本企業は、依然として不可侵の聖域だった。


だが、その聖域に亀裂が入る。


家電メーカーでもある4社の上場廃止。

そのニュースは、海を越えたライバルたちの株価を押し上げる「神風」となった。

市場がこの事態を「日本の脱落」と定義した瞬間、日本のネット界隈は炎上した。


【悲報】日本終了のお知らせ。家電大手4社が消滅。

1: 名無しさん

 なんで上場廃止なんだよ!説明しろよクソが!

2: 名無しさん

 お隣の国の高笑いが聞こえてくるわ……。

3: 名無しさん

 ↑実際、あっちの掲示板はお祭り騒ぎだぞ。「ガラパゴスが勝手に自滅した、今のうちに家電株買い占めろ」だってよ。

4: 名無しさん

 ついに日本が負ける日が来たんだな……。


悲嘆に暮れる日本勢をあざ笑うかのように、ソウル市場では家電メーカー関連企業の買い注文が殺到していた。




本来、上場廃止という現象自体は、東証にとって珍しいニュースではない。

ルールを逸脱したグロース市場の新興企業が、市場の波に飲まれて消えていくのは日常茶飯事だ。だが、今起きているのはそれとは全く質の異なる「解体」だった。


日本の屋台骨であるJPX400(優良銘柄)に名を連ねる企業までもが、次々とその看板を下ろしていく。4大巨頭に続き、20社近い中堅企業がその列に加わった。


かつては投資家たちが富を求めて群がったプライム市場の掲示板は、今や空席が目立つ。


「これじゃあ、まるでもぬけの殻だ……」


画面に並ぶ『整理銘柄』の文字を見つめ、ある個人投資家は力なく呟いた。東証の最上階層を支えていたTOPIX指数は、もはやお通夜を通り越し、静かにその生命維持装置を外されようとしていた。






2030年4月1日


日本中で入社式が開かれた。

C社の入社式に参加した京田という新入男子社員は顔ぶれを見て意外な顔をする。


彼が学生時代にはすでにC社は上場廃止していた。

そのため、就職活動では人気企業ではあるが、上場している企業の次という感じであった。

おかげで中堅私立大学の電気科の出身でも入社できた。

なにせ彼は他の大手からはすべてお祈りされていたからだ。


「ここが上場してたら……俺じゃ無理だったな」


上場廃止したから給与が劇的に下がるわけではない。

下がりはしたがそれはある程度までに抑えられているだけで、業界平均より高いのは変わらない。


京田は就活のときの面接を思い出す。

他の面接とここの面接には大きな違いがあった。


普通の大手企業では『学生時代にがんばったことは?』『なぜこの業界の弊社を志望したのですか?』という質問が普通だ。

しかし、ここは雑談ばかり。

しかし、『なるほど、そうなんですね。そのお考えはどのような順路で導いたのですか?』ばかりで、ガクチカや志望動機を聞いてくることはなかった。

その代わりに執拗に発言や経験を選んだ判断の順路や根拠を面接官たちは聞いてきた。

そこが不思議であったが、そのおかげで腐っているが、一流電機メーカー・C社の正社員となれたのだ。




「入社式が“画面越し”かよ……本当に、この会社大丈夫か?

 新幹線代すらケチるほど切羽詰まってんのか……?」


画面越しに眺める門出の儀式に、京田は鼻を鳴らした。チャットの画面には、1000人近い「無言のアイコン」が並んでいる。

役員の訓示が終わるやいなや、最初の課題が下された。指定されたチャンネルへ飛ぶと、そこには自分を含めて22人の新入社員が集まっていた。

式次第と進行役の話では次は『グループディスカッション1』というものをやるらしい。


「22人……? 多すぎだろ。誰が回すんだよ、これ」


呆れながら参加者のリストを眺めていた京田の手が、ふと止まる。ラベルに表示された出身学部が、どうにもいびつだった。

電気、機械、化学、情報。そこまではいい。だが、リストの下の方にはおよそ製造業には似つかわしくない文字が並んでいた。


心理学部、文学部、歴史学部――。


「歴史学に文学部? 2名ずつも……?」


日本を代表する家電グループの入社初日だ。営業職にしても、心理学はともかく、古文書でも読ませるつもりか?


「まさか、マジでろくな人材が集まらなかったから手あたり次第に採ったんじゃないだろうな?」


自分のことを棚に上げ、京田はマイクオフをいいことに毒を吐いた。だが、胸の奥で小さなざわつきが消えない。




画面に表示されたお題を見て、京田は思わず鼻で笑った。


『日本国内にあるコンビニエンスストアの総数は?』


「……おいおい、今さらフェルミ推定かよ。手抜きにも程があるだろ」


地頭の良さを測るための、あまりに手古垢てあかのついた問題だ。だが、鼻を鳴らした京田の指が、マウスホイールを回したところで止まった。

問題文のすぐ下に、あろうことか『答え』が記されていたからだ。


『答え:約3万〜7万店舗』


「は……?」


京田は呆気に取られた。普通、この手の課題は「答えのない問い」に対して、いかに論理的な仮説を積み上げるかを見るものだ。答えが最初から書いてあったら、計算する意味がない。


「答えを導くのが仕事だろうに……C社ともあろう会社が、ミスプリか?」




数十秒の沈黙が、耳を刺すような静寂に変わった頃。

スピーカーの通知音が、全員の個人チャンネルへメッセージが届いたことを知らせた。


『参考資料:本設問の構成マニュアルを配布します。参考に議論を継続してください。』


送られてきたPDFを開いた瞬間、京田は思わず息を呑んだ。

そこに記されていたのは、計算のヒントなどではなかった。なぜ答えが「3〜7万」という幅を持つのかというロジック、それどころか――。


『設問:「日本にあるコンビニの数は?」の設定意図と、誘導すべき思考プロセスの設計図』


「……問題文の『作り方』まで入ってる。バカにしてるのか?」


京田はマウスを握る手に力を込めた。

手取り足取り教えられなければ議論もできないと思われているのか。それとも――。


この会社は、自分たちに「正解を出すこと」なんて求めていない。

「あらかじめ用意された正解に、いかにして他人を、大衆を、世界を誘導するか」

その、ペテン師のような手口を学べと言っているのか。


目の前のPDFは、単なるマニュアルではない。

腐っても一流電機メーカーだったはずのC社が、非上場化という闇の中で作り上げた「新しい世界のルールブック」に見えた。




議論時間は1つの議題で30分。

議題は2つ。


とりあえずマニュアルに沿って21名と議論をする。

マニュアルがあるから照れや人見知り、譲り合いなどは少なくスムーズに議論できた。

というか、5分もせずに議論できてしまった。

その後は何もないので、他のメンバーと雑談しつつ、このグループディスカッションの違和感を互いに話し合う。

やはり皆、不審感を持っている。


30分経つ前にTeamsのチャット欄にディスカッションの役割決めで決められた奴が入力する。

時間になると2問目が出された。


『φ1mm、30cmの長さの100%純度の銅線の中に銅原子は何個ある?』


文系的な議題の次は理系的な議題だが、やることは同じだ。

マニュアルに沿って議論すれば簡単に終わる。





1問目のフェルミ推定、2問目の原子数計算。

どちらも、配布されたマニュアルをなぞれば「あくびが出るほど」簡単に終わった。


「なんだ。非上場化して、人事部もまともな問題を作る余裕がなくなったのか?」


京田は背もたれに深く体重を預け、15分の休憩時間を謳歌していた。他のメンバーとの雑談でも、「拍子抜けだ」という空気が共有されていた。

だが、予定時刻になり画面が切り替わった瞬間、京田の指先が凍りついた。


『グループディスカッション2:前回のマニュアルにおける不備をすべて指摘せよ』


「……は?」


画面を二度見した。

喉の奥がヒリつくような感覚が走る。


さっきまで自分たちが「スムーズだ」「助かる」と称賛し、盲信して使っていたあのマニュアル。その中に、会社側はあえて『猛毒(不備)』を仕込んでいたのだ。


「あのマニュアル……何かおかしいと思ってたんだ」


誰かがマイクをオンにした。焦りに満ちた声だった。

京田は震える手で、先ほどのPDFをもう一度開き直した。電気科のプライドにかけて、さっきの銅原子の計算ロジックを、一文字残らず精査し始める。


これが、C社の本当の入社試験・・・

「与えられたルール」を疑わない人間から、脱落していくサバイバルが始まった。


画面の中の空気が一変した。

さっきまでの和やかな「出来レース」の雰囲気は消え、22人の新入社員たちは獲物を追う猟犬のような鋭さでマニュアルをむさぼり読み始めた。


「……待て。そもそも、このマニュアルの『役割分担』の項目がおかしい」


誰かが声を上げた。

「リーダーやタイムキーパーの指定はあるのに、『書記』が抜けている。……だからあの時、太田さんが立候補しなきゃ議論が空中分解してたんだ。会社はわざと、記録役を空席にしていたんだよ」


その指摘を皮切りに、次々と「猛毒」が暴かれていく。

マウスを握る京田の手に汗がにじむ。理系担当として、2問目の計算式を血眼で追っていた。


「……あった。……ふざけんな!」


京田はマイクを叩くようにオンにした。


「2問目のマニュアル、銅の原子番号が『28』になってる! 銅は29だ。28はニッケルの番号だよ。原子番号が違えば、原子量も変わる。この計算式で導き出した答えは、銅の数じゃねえ。別の物質の数だ!」


自分の専門領域を汚された怒りと、それを見つけ出した興奮が混ざり合う。

非上場化したC社が求めているのは、マニュアルをなぞる優等生ではない。「提示されたルールそのものが汚染されている」ことに気づき、抗える異分子なのだ。





「バカは、僕たちの方だったみたいですね……」


文学部出身の男が、力なく笑いながら画面越しに呟いた。

その声には、精巧な罠に嵌められた者特有の脱力感が混じっている。


「マニュアルのページ数が飛んでる。それだけじゃない、中項目の番号も3箇所欠落しています。

 接続詞を徹底的に省くことで、読者に勝手な意味を補完させる……これ、古典的な洗脳や印象操作の手法ですよ」


その言葉を皮切りに、完璧に見えたマニュアルが、まるでボロ雑巾のように形を失っていく。


「……こっちもだ。円柱の体積公式、記号は『r』だが、図示されているのは明らかに直径だ。

 こんなの、初歩の設計ミスどころじゃないぞ」


機械系出身の社員が、吐き捨てるように言った。

京田の喉から、乾いた笑いが漏れた。


「はは、なんだよこれ……。原子番号はデタラメ、役割分担は欠落、図面と数式は不一致か」

さっきまでの「スムーズな議論」が、どれほど滑稽な茶番だったか。

会社が用意した低レベルな嘘に、誰もが「大手企業の資料だから」という盲信だけで、疑問すら持たずに従っていたのだ。


「……あがめてたんだな。こんなゴミみたいな紙切れを」


恥辱が熱となって顔を焼く。

だが同時に、京田の頭はかつてないほど冷え切っていた。

非上場化したC社。

彼らが求めているのは、指示を待つ「優秀な生徒」ではない。泥にまみれた情報の中から、たった一つの真実を自力で掴み取る「生存者」なのだと、確信した。




ディスカッション終了の合図とともに、京田は屈辱を噛み締めながら、自分たちの「無知の記録」をチャット欄に打ち込んだ。


画面に現れたのは、人事部長の穏やかな微笑だった。だが、スピーカーから流れるその声は、春の陽気とは裏腹に、剃刀のような鋭さで新入社員たちの神経を逆なでした。


「皆さん、マニュアルという名の『毒』の味はいかがでしたか?」


部長は満足げに目を細める。


「マニュアルがあれば、議論は驚くほど加速する。

 効率的で、美しくさえある。

 しかし、その根底にたった一つの嘘が混じっていたらどうなるか。

 今日、皆さんはその『破壊力』を身をもって体感したはずです。

 気付かず、疑わず、放置した結果、導き出される答えはゴミに等しい」


言葉を切った部長の瞳から、ふいに温度が消えた。


「我々は、非上場化を機に、属人的な判断を一切排除しました。全社員がマニュアルという絶対的な法に従う『マニュアル第一主義』への移行です。

 お分かりいただいたように、マニュアルが正しければ考える必要はありません。

 正しい思考は、すでにそのマニュアルに記述されているのですから……なお、これは最高機密事項です」


画面越しの圧迫感に、京田は息を止める。


「たとえ家族であっても、この仕組みを口外することは許されません。もし漏洩すれば、相応の法的措置を検討せねばならない。……社会人としての『お約束』、分かっていただけますね?」


優しい笑顔の裏に透けて見えるのは、従わない者を容赦なく切り捨てる巨大な機構の歯車だった。京田の背中に、じっとりと冷たい汗が伝った。


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