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第3話 黄金色の響きと、料理長の驚愕


アークス城の食堂は、王都のそれとは全く異なる趣でした。

装飾を削ぎ落とした黒石の壁。高い天井を支える質実剛健な柱。

そこには音楽も、着飾った貴族たちの囁き声もありません。

ただ、重苦しいまでの沈黙が部屋の隅々にまで溜まっていました。


アラリック様に促され、私は大きな木製の椅子に腰を下ろしました。

肩にかけられた公爵様のマントはまだ温かく、その重みが私の不安を少しだけ和らげてくれます。


「閣下、お戻りになられましたか。……して、そちらの小柄な御方は?」


奥の厨房から、白髪混じりの髭を蓄えた恰幅の良い男性が現れました。

清潔な白いエプロンを締め、手には大きな木べらを持っています。

彼こそが、この城の台所を預かる料理長、ギュンター様でした。


「ギュンター、彼女はエレナだ。命の恩人と言ってもいい。腹を空かせている。今、作れる最高の一皿を出してやってくれ」


「命の恩人、ですと?」


ギュンター様は怪訝そうに私を上から下まで眺めました。

王都の洗練された令嬢には見えない、泥だらけでボロボロの私。

それでも彼は、プロの料理人としての誇りをその瞳に宿していました。


「……閣下がそう仰るなら。しかし、今のこの地で出せる食材は限られています。ちょうど、新鮮な『溶岩鳥』の腿肉が手に入ったところだ。これで、わしの特製揚げ料理を作って差し上げよう」


ギュンター様はそう言い残すと、すぐさま厨房へ戻っていきました。

数分後、静まり返った食堂に、パチパチという軽快な音が響き始めます。

それは肉を揚げる音。油が躍る、生命力に溢れた音。


「……いい音だ。これだけで、少し胸が熱くなるな」


向かいに座ったアラリック様が、ぽつりと呟きました。

アークスの人々にとって、音は単なる現象ではなく、生きている証そのものなのかもしれません。


やがて運ばれてきたのは、黄金色に輝く大きな揚げ物でした。

『溶岩鳥』の肉に、この地特有の『笛吹き麦』を細かく砕いて衣にしたものです。

添えられているのは、ピリッと辛い『雷根』のソース。

見た目だけで、私のお腹は再び盛大に鳴り響きました。


「さあ、召し上がれ。アークスの土壌に耐え抜いた、力強い味ですぞ」


ギュンター様が自信を持って皿を置きました。


私はフォークとナイフを手に取り、まずは一切れ、大きく切り分けました。

黄金色の衣に刃を入れると「サクゥッ」という、王都の繊細な菓子では決して出せない、力強い音が響きます。


覚悟を決め、私はその大きな塊を口へと運びました。


——ザクンッ!


口の中で、衣が小気味よく砕け散りました。

それと同時に、閉じ込められていた肉汁がじゅわっと溢れ出し、口内を熱く満たします。

笛吹き麦の衣は、噛むたびに「カリッ、カリカリッ」と、まるで小さな楽器が鳴っているかのような高い音を奏でました。


「……っ! なんて、なんて素晴らしい音なの」


私は夢中で二口目を噛み締めました。

ザクザク、ザクザク……!

噛めば噛むほど、溶岩鳥の野性味溢れる旨味が、衣の香ばしさと共に脳を揺さぶります。


「な、なんだ……この響きは。わしが作った料理なのに、こんな音が聞こえてくるのは初めてだ」


ギュンター様が目を見開き、私の口元を凝視しています。

彼は料理長として、自分の料理がこれほどまでに豊かな音を立てることを知らなかったようでした。


「信じられん。エレナが噛むたびに、食堂の空気が震えている。俺の視界が、どんどん明瞭になっていくぞ。ギュンター、お前の顔が数年ぶりにはっきり見える」


アラリック様が感極まったように身を乗り出しました。

彼の瞳には、少しずつ力が戻り、その肌に赤みが差してきています。


「本当だ……。閣下だけではない、わしの腕の古傷も、この音が響くたびに痛みが引いていく。お嬢さん、あんたのその食べ方は……まるで魔法だ」


ギュンター様は震える手で、私の咀嚼音を噛み締めるように聞いていました。


「……おいしいです。ギュンター様、このお肉、外はこんなに力強いのに、中は驚くほど柔らかくて。噛むたびに音が鳴るのが、楽しくて仕方がありません」


私は、口いっぱいに頬張りながら、素直な感想を口にしました。

王都では、一口ごとに口を拭い、音を立てないように神経を削っていました。

でも今は、音を立てれば立てるほど、皆が笑顔になってくれる。


「楽しい、か。料理人として、これほど嬉しい言葉はないな。よし、次はもっと『いい音』が鳴るように、衣の配合を変えてみよう。お嬢さん、わしと一緒に、この沈黙の城を音で満たしてくれんか?」


ギュンター様は、これまでの疑念を完全に拭い去り、私に深々と頭を下げました。


私は幸せな気持ちで、最後の一切れを口に入れました。

「ザクゥ……ッ」という、重厚な音が食堂の天井まで駆け上がります。


その時、私は確信しました。

私の居場所は、あの冷たい王宮ではなく、この温かくて騒がしい食卓にあるのだと。


「エレナ。明日からは、領内の騎士たちにも、あんたの食事を見せてやってほしい。彼らには、この音が必要だ」


アラリック様の提案に、私は力強く頷きました。

私の「響食」という呪いは、この地で最高の「聖なる力」に変わろうとしていました。


しかし、その時の私はまだ知りませんでした。

王都ソルスティスで、私を追い出したジュリアン王子が、私のいなくなった「静寂」の本当の恐ろしさに直面し始めていることを。


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