第7話 『流れを力に変える ―― 甲斐、水車の国へ』
甲府城の作戦室。
信玄は地図の前に立ち、静かに指を走らせていた。
「甲斐の地は、平野が少ない。田が広がらぬ。
だが――山が多い」
馬場と山県が顔を見合わせる。
「殿、それが……何か?」
「山が多ければ、川が多い。
川が多ければ、“流れ”がある。
ならば……その流れを力に変えればよい」
二人は揃って固まった。
「……力、でございますか?」
「そうだ。水車を作る。
川が働き、臼を回し、風を送り、米を搗き、木を挽く。
人の手ではなく、流れが国を支える」
馬場が叫ぶ。
「そ、それはまさか……妖術では!?」
「妖術なら便利だが、残念ながら科学だ」
信玄は笑った。
「甲斐の弱点を、最大の強みに変える。
それが“流れの国”だ」
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翌日。
信玄は家臣や職人、忍びを総動員し、川辺に奇妙な施設を作った。
「土塁を一尺ほど盛れ。
木枠はもっと上流に。布を棒の先へ固定し、流れを測る」
忍びは川に入り、布の揺れを観察する。
忍び
「殿、布が強く引かれます!」
信玄
「流速が上がった証拠だ。良い場所だな」
農民たちは不思議そうに見つめる。
「殿は……川で戦の稽古でも?」
「いや、殿は川と戦っておるらしい」
「そんなんで勝てるのか?」
信玄は目測しながら石を組み、水路の幅を調整していく。
「川は自由奔放に見えて、実は法則に従う。
この角度、この深さ、この落差……
“ここ”なら最も強い回転力が出る」
山県
「殿……そのように川を読むとは……」
信玄
「自然を読めば、味方にできる」
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一週間後。
信玄が描いた図面通りに、巨大な木製の車輪が組み上がった。
村人が息を呑む。
「こ、こんなでかい車輪、初めて見た……!」
「馬よりでかいぞ!」
信玄は水路へ向けて短く指示した。
「止め縄を外せ」
縄が切られた瞬間――
轟音とともに、川の流れが巨大な水車を叩いた。
最初は重々しく、しかしすぐに軽快な勢いに変わり、
水車はぐんぐんと回りはじめる。
ビシャァァァァァンッ!
村人
「うおおおお! 川が……車輪を回しておる!」
馬場
「な……なにゆえこんなものが動くのだ……!?」
信玄
「単純だ。
川は落ちる。落ちるものは、回る力を生む。
その力を“使わせていただいている”だけだ」
水車の軸につながる挽き臼が、ゆっくり、しかし確実に回っていく。
村人
「お、お米が……勝手に挽けていく……」
信玄
「これからは、人が動くより“流れ”が働く」
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水車は瞬く間に村の中心となった。
農民たちは口を開けたまま動力の凄さを見ていた。
「殿、木が……勝手に削れていきます!」
「炭焼き小屋の火が、勝手に強くなった!」
「臼が……こんなに早く回るなんて……!」
労働が劇的に軽くなり、村人たちは驚きと興奮で騒めく。
馬場
「殿……これは、国が変わりまする」
信玄
「変わるとも。
田の収量が増え、加工の速度が上がる。
“時間”という最大の財を得るのだ」
信玄は水車の回転を眺めて、静かに呟いた。
「流れは止まらぬ。
ゆえに、国の繁栄も止まらぬ」
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甲斐の水車群は、他国の眼にも映り始めていた。
ある夜。
信濃国の間者が慌てて報告へ戻る。
間者
「申上げます! 甲斐では……山のふもとに巨大な輪が並び、
川が常に轟音を立てております!」
信濃の武将
「な、何を言っておる? 水が……轟音だと?」
間者
「さらに、田んぼには赤い水を撒き、
民は空を見て田を耕しております……!」
武将
「信玄……妖術を使い始めたか……!!」
その噂は瞬く間に諸国へ広まった。
「武田は川を支配したらしい……」
「空と水を操る化け物軍か……?」
「信玄、ついに魔王へ成り果てたか……!」
誤解と恐怖は、武田の国力をさらに“謎めいた強大さ”へ押し上げていく。
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夕暮れ。
信玄はゆっくりと水車の回転を眺めていた。
「流れの力は、使える。
次は……風だ」
山県
「風、でございますか?」
信玄
「風は運ぶ。火を、音を、鉄を。
甲斐は、天と地と流れを味方につけた。
次は“風と火と鉄”の番だ」
馬場が息を呑む。
「殿……まさか、鉄を……?」
信玄
「そうだ。
そろそろ――武田の刃を、“世界最強”にしてやろう」
その声は、水車の轟音に負けず響いた。




