第6話 『戦国・天気を読む者、赤き微生物を操る者』
甲斐の谷を渡る風は、麦を揺らしながら北へ流れていた。
如月鋼一――この世界では武田信玄として生きる男は、空の色を見つめていた。
「……雲の縁がほぐれている。午後、南から風が変わるな」
山県昌景が不思議そうに問いかける。
「殿は最近、やけに空を見上げておられる。何か意味が?」
「あるとも。天気は農にも軍にも直結する。読めるなら、我らは戦を先に制せる」
信玄は忍び衆と農民の中から観測班を組織し、日々の風向き、雲の形、湿度、日射の強さを記録させた。
竹板に墨で描かれる雲の図、風の流れを示す印。最初こそ皆半信半疑だったが、数日後──。
「殿! 先日の記録ですが……雲の流れが変わって、六時間後に必ず雨が来ております!」
「見えてきたな」
信玄は頷いた。
山県も馬場も目を丸くする。
「……天気が、読めるのか?」
「読める。自然は気まぐれではない。法則さえ掴めば、こちらの味方をする」
その言葉に、家臣たちはざわついた。
戦国で、天候を読んで動く――そんな軍略など聞いたことがない。
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◆
その頃、ある村の農民から困り果てた声が届いた。
「殿、田んぼの水が濁って稲が弱っております……」
信玄は田へ向かい、水を掬う。
わずかに腐敗臭が混じる。
「田の“底”が悪いな。赤き微生を使おう」
「赤き……何でござる?」
信玄は村人たちに桶を並べさせ、田の水を汲ませた。
そこへ米ぬかを一掴みずつ落とし、静かに指示した。
「日向に置き、一日一度かき混ぜよ。三日だ」
「たったそれだけで?」
「見ていればわかる」
三日後──。
村人が叫んだ。
「ひ、光っておる……!」
桶の水が、淡い赤色に染まっていた。
夕日のような、駒の血のような、それでいて清らかな色。
馬場信房が眉をひそめる。
「これは……妖か? 呪か?」
「違う。微細な生き物──土を蘇らせる“赤き働き者”だ」
信玄は赤い水を薄め、田んぼに散布させた。
翌日──稲の葉は濃く、張りがあり、匂いが変わった。
「根が太くなっておる……!」
「腐敗臭が消えたぞ!」
村は驚きに包まれた。
「殿! これは……収穫が倍にもなるやもしれませぬ!」
「農が強くなれば兵糧が揃う。兵が揃えば、戦にも勝てる。
すべてはつながっているのだ」
信玄の目は静かに燃えていた。
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◆天気を読み、戦を制す
その翌日。
忍びが息を切らして駆け込んだ。
「し、失礼! 急ぎの報せ!」
「申せ」
「今川が国境に三千を集めております!
“信玄”の噂が誠かと動いたようで……!」
場がざわつく。
山県が立ち上がる。
「迎撃の準備をッ──!」
「いや、動くな」
信玄は静かに断言した。
「……明日、豪雨が来る」
「ご、豪雨……?」
「観測班の記録では、南雲が重く、湿気が急増している。山岳豪雨となるだろう」
皆の不安を押し切り、信玄は“守りだけ固めよ”と命じた。
そして翌日――。
轟音とともに山々が黒く染まり、歴史的豪雨が国境を襲った。
道は崩れ、川は濁流となり、今川軍は進むことすら叶わず撤退を余儀なくされた。
忍びが震える。
「信玄公は……天すら味方とされるのか……」
「味方ではない。読んだだけだ」
信玄の声は淡々としていた。
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◆観測隊と“赤き桶”制度
信玄はその後、気象観測班を正式に組織した。
名を 甲斐気象隊。
さらに各村に“赤い微生”用の桶を設置する制度
**赤き桶**を導入した。
忍び
「殿、村ごとに桶を……? 妙な噂が流れませぬか?」
信玄
「構わん。繁栄の象だ。
噂が広まれば、敵は我らを恐れる」
馬場
「敵国から見れば……妖術にも見えましょうな」
信玄
「ならば都合がよい」
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◆科学が畑を変えていく
甲斐の村々には、赤い水の桶が並び、
忍びが風の向きを読んで走り、
農民は日射と水深を気にして田を調整するようになった。
「赤き水を撒くと、葉の色が違うぞ!」
「空を読んで田を耕す日が来るとはのう……」
村の風景は、戦国とは思えぬほど“科学的”になりつつあった。
信玄は地図を見つめながら、低く呟く。
「天と微生。
見えぬものを味方につける者が、戦国を制す」
馬場は思わず息を呑む。
「殿……甲斐が、まるで別の国のようでございます」
「まだ始まりにすぎん。
次は“流れの力”を使う。川を制すれば、甲斐は富む」
信玄の視線の先には、勢いよく流れる川があった。
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