第5話 『科学偵察 VS 今川偵察 ― データ戦争の幕開け』
甲斐国・国境の山道は、まだ朝霧が濃かった。
その霧を切り裂くように、黒装束の影が六つ、静かに駆ける。
「気を抜くな。武田はまだ死んでおるとは限らぬ」
「しかし寿桂尼様は……“ほぼ確実”と……」
先頭の男が低く言った。
「確認が我らの任務だ。
武田信玄が息をしているか否か……それで今川の命運が決まる」
六人の今川偵察隊は、甲斐の奥へとしのび歩いた。
だが――
彼らの姿は、すでに武田側に“計算されていた”。
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甲府城・作戦室。
地図と計算紙が広げられた中、忍びが転がり込む。
「信玄公! 今川の偵察隊、六名!
北東の山道より侵入にございます!」
信玄(鋼一)は筆を置いた。
「よし。……予定通りだ」
「よ、予定通り……!?」
家臣たちが息を呑む。
信玄は壁に貼った“風向きの分布図”を指でなぞった。
「今日の湿度、東風、日照時間……
あの山道を選ぶ確率は最も高かった。
では――迎撃実験を始めるか」
その冷静さに、忍びも家臣もつい喉を鳴らした。
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信玄は山県昌景と馬場信春を呼びつけた。
「山県、軽量槍部隊を第二丘陵へ配置。
湿った地面でも滑らぬよう、足に砂をつけさせろ」
「は、ははっ!」
「馬場、射手二十名を分散配置。
矢羽根を揃えた“精密矢”を持たせよ。
角度は――六度下げろ。湿度で飛距離が落ちる」
馬場が青ざめる。
「殿……まるで未来を知っておるような……」
信玄は笑わずに答えた。
「知ってなどおらぬ。
知ろうとしているだけだ。
それが“計算”だ」
そのまま信玄は狼煙台を指さした。
「狼煙は乾燥した火薬を使え。
合図は“白煙一つ→黒煙二つ”で動く。
風向きは東から西。
黒煙は最速で味方へ届く」
忍び衆が震える。
「……科学とは……ここまで戦を変えるのか……」
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山道を進む今川偵察隊。
「妙だ……やけに静かだ」
「武田は本当に死んだのか?」
その時――
ヒュッ
一本の矢が地面に突き刺さった。
「伏せろ!!」
瞬間、左右から十数本の矢が正確無比に降り注ぐ。
木々の隙間から放たれる矢は、風のように静かで、しかし寸分の狂いもない。
偵察隊長が叫ぶ。
「ど、どこだ!?
矢の角度が……全て同じ……?」
さらに――
「突撃ィィッ!」
丘陵の上から軽量槍を構えた武田兵が雪崩れ込む。
槍のしなりが突撃速度を上げ、まるで風圧すら纏って見える。
「くっ……速い!!」
逃げようとした後方の偵察兵が叫ぶ。
「なに……!? 後ろにも――!」
狼煙台からの黒煙が二つ立ち昇る。
その煙を合図に、武田兵が山道の出口を塞いでいた。
包囲に要した時間――わずか十数分。
戦とも呼べない完封だった。
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縄で縛られた今川の偵察隊は、信玄の前に引き出された。
普通なら、こうした間者は即刻処刑である。
家臣たちは息を呑む。
信玄は静かに言った。
「殺すな。
水と飯を与えよ。
手当ても忘れるな」
今川兵たちが驚きのあまり目を丸くする。
「そ、そんな……我らを生かすのか……?」
信玄は近づき、彼らを見下ろした。
「伝えろ」
「な……何を……?」
信玄は冷たく、しかしはっきりと言い放った。
「武田信玄は生きている。
そして――“技術で強くなる”と寿桂尼に伝えよ」
偵察兵の背筋に氷が走る。
(化け物だ……
この信玄……何者だ……!?)
縄を解かれた今川偵察隊は、
まるで逃げるように国境へ駆け戻っていった。
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残った忍びたちは、信玄に目を向けた。
「殿……敵に情報を与えるとは……」
信玄
「情報は“奪う”だけでは足らん。
“与えて混乱させる”のも戦だ」
忍び衆
「……情報そのものを、武器に……」
信玄は地図机に戻り、紙を壁に貼りはじめた。
・風向きの観測
・火薬の吸湿データ
・槍の突撃速度
・矢の飛翔角度
「よいか。
今日からここは“分析室”だ。
戦を始める前に勝つための、甲斐の頭脳だ」
山県、馬場、忍び衆――
誰もが声を失った。
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信玄は最後に、地図を指でなぞった。
「今川は、攻め辛くなる。
彼らは“武田が変わった”と悟ったはずだ」
そして静かに言った。
「……だがまだ序の口だ。
技術力で“戦国の常識”そのものを塗り替える」
その声は、深く、確信に満ちていた。
甲斐の虎――
いま、科学をまとって戦国を揺らす。
データ戦争の幕が上がった。




