第49話 『開戦理由 ― 流れの遮断』
南蛮評議院の会議室には、怒号も対立もなかった。
ただ淡々と報告が読み上げられ、数字が並び、最後の紙が静かに置かれる。
「比較が始まっています」
報告官は言った。
「武田式の港は、不格好で、乱雑で、喧噪に満ちています。
しかし、自律しています」
別の官吏が頁をめくる。
「対して当院管理の港は、秩序だっております。
衛生も治安も良好。帳簿も完璧です」
短い沈黙。
その次の一文が、空気を変えた。
「……だが、止まっています」
室内の誰も反論しなかった。
数字は虚勢を張れない。
流れは嘘をつかない。
評議員の一人が言った。
「支配は不要です。模倣を封じれば良い」
「観測も遮断できれば、なお良い」
「彼らには“選ぶ自由”など必要ない」
全員が頷いた。
結論は簡潔だった。
――日本を封じる。
征服ではなく。
殲滅でもなく。
ただ、世界の流れから切り離す。
だが一つ問題があった。
それを告げたのは年老いた議員だった。
「……日本は、すでに海に出ております」
それは想定外だった。
観測される側が、観測し返す存在になっている世界は、南蛮史上存在しなかった。
椅子が鳴り、新たな決議が付け加えられる。
「封じるには、航路を壊すしかありません」
「軍港ではない。交易と補給の場を」
「循環の源を絶て」
それで会議は終わった。
合図の鐘も、命令書もなかった。
だが、数日後には方々の海で変化が始まった。
⸻
最初に沈んだのは、漁船だった。
武装もない。
旗もない。
ただ魚を運ぶ小舟。
船底に不思議な穴が穿たれ、ゆっくり海に吸われるように沈んだ。
次は灯台。
夜の目印。
航路の言語。
誰かが油を抜き、光を奪い、翌日には基礎が焼かれて崩れていた。
次に襲われたのは港の裏側――
干した海藻、塩の倉、保存用の氷室。
被害は散発的で、致命傷にはならない。
だが“不思議なほど同じ場所”ばかりが壊された。
駿河。
昌幸は地図の上に印を打った。
一つ、また一つ。
やがて海沿いが赤い点で埋まる。
昌景が覗き込み、眉を顰めた。
「……なんだこれは。何を狙ってんだ?」
昌幸の指が止まる。
「流れだ」
「補給、加工、保存、輸送……全部“回す”側ばかりです」
赤備え衆がざわつく。
「兵糧庫も軍港も無事なのに?」
「敵にしては妙じゃねぇか?」
昌幸は首を振った。
「妙じゃない」
「南蛮は、戦争をしていません」
「循環を止めに来ている」
その言葉に昌景が机を叩いた。
「回るとか止まるとか……戦争なら戦争しろってんだ!」
だが次の瞬間、戦争は始まった。
⸻
南蛮艦の砲門が開いたのは、修復作業中の港だった。
そこにいたのは兵ではない。
網を繕う老人。
木材を運ぶ職人。
荷を数える少女。
海藻を干す漁師たち。
轟音。
火花。
木片。
悲鳴。
血。
一発だけ。
それで十分だった。
赤備え衆は即座に盾を構え突入したが、敵艦は煙幕を残して離脱した。
死者は出なかった。
だが負傷者は出た。
そして何より――
作業が止まった。
昌景は息を荒げて信玄に叫んだ。
「殿! これでもまだ黙って見てろってのか!」
信玄は港の奥に視線を向けていた。
少女が泣きながら網を拾い、老人が血を拭い、職人が折れた柱を立てようとしている。
止まっている。
だが止まったままではいない。
信玄は静かに言った。
「ここまでしてようやく、剣を抜く理由が揃った」
昌幸が息を呑む。
「……つまり」
「南蛮の行為は“開戦理由”として成立した」
信玄は頷いた。
「戦わず勝つことは出来る。だが――」
「戦わず終わらせることは出来ない」
昌景は笑った。
「へっ、そうこなくっちゃな!」
⸻
その夜
武田は正式に開戦を宣言した。
敵国名は南蛮。
目的は征服ではなく
流れの回復
文明戦争は
この瞬間に始まった。
そして武田は
まだ一度も反撃していなかった。




