第48話 『壊される流れ ― 循環破壊勢力、初動』
霧のような朝靄を裂き、南蛮の巨大船団が静かに動き出した。
号令も、鬨の声もない。
あるのは、正確に刻まれた航路と、同時刻に揃う出航記録だけだった。
船団は一方向へ向かわない。
東へ、南へ、西へ――
だが、ある一点だけを巧妙に避けていた。
武田領。
彼らの命令は単純だった。
「戦うな」
「征服するな」
「ただ、流れを管理せよ」
⸻
最初に変化が起きたのは、名もなき港町だった。
漁と小交易で細々と生きるその港に、南蛮の使節が現れる。
白い布、清潔な道具、腐らぬ保存食。
病を診る医師と、港を守る護衛。
「無償です」
「条件は一つだけ」
――港の運営を、我々に委ねてほしい。
町は救われた。
少なくとも、そう見えた。
倉は満ち、病は消え、夜盗もいなくなる。
数値は改善し、帳簿は美しくなった。
だが――
漁に出る舟は減った。
網は干されたまま、修繕されない。
補給は来るが、作る理由がなくなった。
港は“維持”されていた。
だが、“回って”はいなかった。
⸻
数日後、その港にドミンゴが寄港した。
腐臭はない。
呻き声もない。
だが、風の音だけが、やけに大きく聞こえる。
彼は岸壁で、荷を待つ子供と目が合った。
「ねえ」
子供は、素直な声で問う。
「次は、何をすればいいの?」
ドミンゴは、答えを探した。
だが、この問いに対応する記述を、彼は知らなかった。
仕事は“降ってくる”ものになり、
判断は“外”に預けられ、
この港には、次の一手が存在しない。
夜、彼は報告書に短い追記を残す。
――彼らは
――自分で、戻れなくなっています
それ以上は、書けなかった。
⸻
駿河。
真田昌幸は、各地から届く断片を机に並べていた。
航路図、人口推移、労働時間、回復率。
「異常は、ありません」
淡々とした声。
だが、その次が続く。
「……正常が、続いているだけです」
山県昌景が机を叩いた。
「つまりよ!
生きてねぇってことだろ!」
赤備え衆も頷く。
「殿、行きましょう!」
「沈めりゃ終わりです!」
信玄は、静かに首を振った。
「沈めれば、彼らは正義になる」
昌幸が息を呑む。
「循環を壊す者は、
攻撃されることで“正当化”される」
信玄は立ち上がり、窓の外の海を見る。
「だから、迎撃はしない」
「……では?」
「回っている場所を、増やす」
⸻
命令は、奇妙だった。
武田直轄の交易路を開放。
港湾設計図を公開。
循環の要点だけを書き残す。
だが――
技術者は派遣しない。
運営には関与しない。
失敗しても、助けない。
「選ぶのは、彼らだ」
信玄は言った。
「我々は、隣に“在る”だけでいい」
⸻
数ヶ月後。
同じ海に、二つの港が並ぶ。
南蛮管理の港。
整然とし、静かで、指示を待つ。
武田式の港。
騒がしく、不格好で、喧嘩も起きる。
だが、夜明け前。
灯りが残っているのは、後者だった。
壊れても、直す者がいる。
止まっても、回そうとする。
ドミンゴは、遠くの船上からそれを見つめる。
報告書に、結論は書かなかった。
ただ、一行。
――同じ海だ
――だが、流れが違う
⸻
その頃、南蛮評議院。
新たな提案が、静かに読み上げられる。
「比較は、危険です」
「流れそのものを、断つべきです」
誰も反論しない。
文明は今、
守るか、奪うか――
その次の段階へ、足を踏み入れようとしていた。
そして武田は、
まだ一度も、剣を抜いていなかった。




