第44話 『名なき国をどう扱うか ― 観測結果だけの会議』
石造りの会議室は、昼だというのに薄暗かった。
高い天井、重い扉、潮と羊皮紙の匂い。
南蛮最大の商業都市、その中枢である評議院。
長卓を囲むのは、国も立場も異なる者たちだった。
航海士。
大商人。
修道士。
軍事顧問。
だが今日、彼らを集めた議題は一つしかない。
「――最近の航海報告についてだ」
最初に口を開いたのは、老商人だった。
白髭を撫でながら、帳簿を机に広げる。
「三か月航海した船がある」
「補給は通常の半分以下」
「だが帰港時、積荷も人も、ほぼ完全な状態だった」
航海士が続く。
「同じだ」
「我々の船も、病人が一人も出なかった」
「壊血病の兆しすらない」
ざわり、と空気が揺れた。
修道士が静かに言う。
「神の加護、と言いたいところだが……」
「奇跡にしては、再現性が高すぎる」
軍事顧問が鼻を鳴らす。
「偶然だろう」
「良い航路、良い天候が重なっただけだ」
だが航海士は首を横に振った。
「違う」
「天候はむしろ悪かった」
「距離も、風も、いつもと同じだ」
「……なのに?」
「時間だけが短い」
沈黙が落ちた。
別の商人が口を開く。
「奇妙なのは、それだけじゃない」
「複数の港で、同じ噂が出ている」
「補給なしで動く船」
「食が腐らない」
「兵糧攻めが成立しない」
「だが――」
彼は、わずかに声を落とした。
「誰も、国の名を知らない」
その言葉に、全員が顔を上げた。
修道士が確認するように問う。
「記録は?」
「報告書は?」
「現象だけだ」
「技術名も、思想も、王の名もない」
軍事顧問が苛立ったように言う。
「……ドミンゴだ」
「東方航路のドミンゴが関わっているはずだ」
「彼は何か言っていなかったのか?」
航海士たちは、同時に首を振った。
「何も」
「一切、何も語らない」
「問い詰めても?」
「酒を飲ませても?」
「ただ観測しているだけだ」
「こちらが語ったことを、否定もしない」
老商人が、低く呟いた。
「……これは、宣伝ではないな」
修道士が頷く。
「宣教でもない」
「信仰は必ず言葉を持つ」
「だがこれは、言葉を拒んでいる」
軍事顧問が机を叩いた。
「ならば奪えばいい!」
「技術を! 食を! 仕組みを!」
航海士が即座に反論する。
「無理だ」
「どこを攻めればいい?」
「首都がない」
「港が拠点とは限らない」
老商人が静かに続ける。
「補給線を断てない」
「兵糧攻めが通じない」
修道士が、決定的な一言を放った。
「戦争とは、“不足”を利用する行為だ」
「だが――」
「この文明は、不足が起きない」
会議室が凍りついた。
しばらくして、老商人が口を開く。
「これは国の噂ではない」
「“現象の噂”だ」
「誰かが広めているわけではない」
「利益誘導も、恐怖操作も見えない」
「ただ――」
「現場で必ず再現される」
修道士が十字を切る。
「神ですら、名を与えられる」
「だがこれは、名を持たぬまま、作用している」
議論は、静かに収束した。
結論は三つ。
侵略は不可能。
支配は不可能。
宣教は成立しない。
残った選択肢は、一つだけだった。
「観測を続ける」
「近づくな」
「だが、目を離すな」
会議が終わりかけた、そのとき。
若い航海士が、ぽつりと呟いた。
「……もし」
全員が振り向く。
「もし、あれが」
「こちらを、観測していたら?」
沈黙。
老商人が、かすかに笑った。
「その場合――」
修道士が、静かに言葉を継いだ。
「我々は、すでに試験場だろう」
石の会議室に、波の音が遠く響いていた。
名なき国は、
何も語らぬまま、
すでに世界を測っていた。




