第33話 『鉄の舟、海へ ― 初航行試験と“船の科学”』
富士川河口――
朝霧の向こうで、巨大な船体が影を落としていた。
赤備え衆は胸を張って叫ぶ。
「殿!! “海城一号”、ついに完成であります!!」
全長十五間。
鉄骨の肋材を木装甲で包み、さらに内部に空気室を張り巡らせた――
世界でも類例のない“半鉄船”だった。
山県昌景は、もう涙声である。
「鉄が……海に浮く日が来るとは……!
殿!! これはもはや海の城!!」
ドミンゴは震えながら、船体を撫でた。
「いや……こんな速度で船を形にするのは、南蛮でも不可能……
武田は……職人たちまでも“理”を会得している……」
信玄は静かに言う。
「理が通れば――手は迷わぬ。技も迷わぬ。」
その言葉に、南蛮一行は改めて背筋を正した。
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出航の前、信玄は海城一号をわざと揺らすよう命じた。
赤備え衆が左右に縄を引き、船体をゆっさゆっさと揺らす。
赤備え
「殿! 船があばれております!!
これ、沈む前触れでは!?」
昌景
「殴るな! 揺らすな! なぜ殿は毎度心臓に悪いことを!!」
信玄は淡々と木札に記録する。
「沈まぬ。これは“復元力”の試験だ。
揺れた後、船がどれほど元の姿勢へ戻ろうとするか――それが魂だ。」
真田昌幸の目がぎらぎらと輝いた。
「くぅぅ~~ッ!! これが……“動的安定”ッ!!
海の上でも“数値”が働くのか!!」
ドミンゴは思わず膝をつく。
「船の……魂まで測るつもりか、この男は……」
そのとき、信玄は乾いた声で告げた。
「揺れの戻りは十分だ。行くぞ――出航だ。」
赤備え衆
「応ッ!!」
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海城一号は、静かに河口を抜け、外洋へ。
赤備え衆がオールを漕ぎ始めるが――
すぐ悲鳴があがった。
「う、動かん……!
お、重い!! これは鉄のせいか!?」
「殿!! やはり鉄は海に――」
信玄
「違う。」
信玄は舷側に手を触れ、波の乱れを見つめる。
「これは“水の抵抗”だ。
船底の角度が“抵抗を増やす線”になっている。」
ドミンゴ
「水に……抵抗の“線”が……ある……?」
昌幸
「殿!! 船底を……もっと丸くすれば……
流れが、撫でるように……!」
信玄
「その通りだ。海の形に合わせて削る。
船とは――“海流の線”である。」
ドミンゴは頭を抱えて叫ぶ。
「海の形を読む!?
あなたは……海までも地図のように扱うのか!!」
信玄は静かに笑う。
「読めぬものなど――ない。」
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すると、沖合から突然、横波が襲った。
海城一号が大きく傾き、赤備え衆が転げまわる。
「ぎゃああああ!!」
「今度こそ沈む!!」
昌景
「殿!! “理の技”を!!」
信玄は冷静に、舵を握るドミンゴへ指示した。
「“波の押し角”を消せ。
風上へ三度――
波の向きへ四度――
“七度の修正”で船は安定する。」
ドミンゴが舵を切ると――
船体がスッと波に乗り、一直線に走り出した。
赤備え衆
「まっすぐになった!!」
「波が……言うこと聞いた……!!」
ドミンゴは震えながら呟く。
「タケダ殿……
波の角度まで……読んでいる……?」
信玄
「波は敵ではない。
ただ、“向き”があるだけだ。」
その静かな言葉に、全員が息を呑んだ。
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初航行は、ついに成功した。
船は波に揺られながらも戻り、進む。
鉄であっても、理を通せば海を渡れる。
だが信玄は、満足した様子はなかった。
義元
「殿……十分に見事な船でござる……
なにゆえ、そのご不満そうな顔は……?」
信玄
「鉄骨が強すぎる。
重さに対し、強度が余っている。
これでは“海城”に届かぬ。」
昌幸
「では……何を目指すのですか?」
信玄は海面に目を落とし、はっきり言った。
「鋼だ。
鉄より軽く、鉄より強い金属。
――武田で作る。」
ドミンゴは震えきった声で言った。
「武田は……海軍ではなく……
“海の科学文明”を作ろうとしている……
タケダ殿……あなたは海を支配する気か……?」
信玄は首を振る。
「支配ではない。
“理解”だ。」
潮が夕日に照らされ、黄金に輝いた。
赤備え衆
「殿の理に、我らついて参る!!」
信玄は潮の流れを眺めながら呟いた。
「次は、“海流の利用”だ。
海そのものを、動力へ。」
その瞬間――沖合に巨大な渦が巻いた。
まるで未来を呼ぶかのように。




