◆ 第31話 『鉄の骨 ― 海城建造計画、始まる』
富士川の河口。
潮の香りが濃く、風は海から吹き込み、波の音が遠くまで響いていた。
甲斐の山で育った赤備え衆は、海辺の風にやや顔をしかめつつも、信玄の後ろに整列する。
その中心で、武田信玄――いや、如月鋼一の眼が、遠くの水平線を鋭く射抜いていた。
「この海こそ、甲斐の第二の大地となる」
そう呟いた信玄は、地面に大きな楕円を描き出す。
真田昌幸は、その巨大さに息を呑んだ。
「殿……こ、これは……船、ではござらぬな?」
信玄は小さく首を振る。
「船ではない。“城”だ。
海に浮かぶ、鉄の城。まずは骨――船体を支える“肋骨”から作る」
南蛮使節ドミンゴの目が大きく開かれた。
「海城……! この大きさ……南蛮でも、建造は国家規模……!」
信玄は図に“蜂の巣”のような細かい仕切りを描きこんだ。
「船底は“蜂巣構造(セル構造)”。
水が入っても全体は沈まぬ。鋼の骨と、空気の部屋で浮力を得る」
昌景は目を丸くして叫ぶ。
「し、沈む鉄を……沈まなくする……!? 空気で……!?」
「そうだ。空気は重くない。だが力を持つ。
物が沈むのは重力だけが理由ではない。
“押し返す力”――浮力を設計できれば鉄すら浮く」
ドミンゴは震えるように息を吐いた。
「……南蛮で数十年かけて議論されていた理論を……この場で……」
赤備え衆は低く呟いた。
「殿……神……?」
信玄は振り返る。
「神ではない。ただ――理に従うだけだ」
その静けさに、全員の背筋が寒くなるほどの敬意が走った。
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工房に戻ると、信玄は南蛮火縄銃を丁寧に分解し、机に並べた。
「湿気に弱い。火薬の量にばらつきが出る。
装填も遅い。だが――構造は悪くない」
ドミンゴが身を乗り出す。
「南蛮でも改良案はありますが……難題で……」
信玄は新しく削り出した木筒を示した。
その内部には――
“円形の穴が複数”空いている。
昌景「な、なんだこれは……?」
昌幸「…………! ま、まさか殿……!」
信玄は頷いた。
「“多重火皿(リボルバー火皿)”だ。
引き金を引く度に火皿が回転し、次の火薬に点火される」
ドミンゴは言葉を失った。
「そ、それは……一発撃つごとに……装填をせずとも?」
「まだ案の段階だ。だが理は通る。
これを“連射筒”として巨大船の砲座に据える」
義元も驚愕しながら言った。
「海砦が……火の雨を降らせる……!」
赤備え衆
「海突撃……!」
信玄
「しないと言っておる」
だが全員の胸には、圧倒的な興奮が満ちていた。
これは単なる武器の改良ではない。
海城そのものを“動く火力要塞”にする構想 なのだ。
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ドミンゴは、深く深く膝をつき頭を下げた。
「タケダ殿……
我らは“物”を持って来た。
しかしあなたが欲するのは“原理”……」
信玄は静かに頷いた。
「物は朽ちる。だが理は残る。
理は国を変える」
ドミンゴは胸へ拳を置き、はっきり宣言した。
「タケダ殿。
我ら南蛮は“理の同盟”を望む。
――潮の流れ
――海の風
――星の動き
――船の設計理論
すべてを、あなたに差し出す」
昌幸は息を呑んだ。
「殿……これは……共同研究でございまする!」
義元の目に光が灯った。
「南蛮の海の知識……甲斐の工学……組み合わされば……」
信玄は短く答えた。
「交換するのは“理”のみ。
力でも宗でもない。理だけだ」
ドミンゴは涙をこらえて叫ぶ。
「あなたの国は……神ではなく理で動く国……!
南蛮も、いつか……こうありたい!」
その声に、赤備え衆でさえ背筋を伸ばした。
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夕暮れ。
富士川河口は、巨大な木材、鋼の板、縄、杭で埋め尽くされていた。
赤備え衆が次々と丸太を運び、地面に杭を打つ。
建造台が、まるで城壁のように姿を現しつつある。
昌景
「殿! 造船台、完成いたしました!!」
信玄は海風を受けながら、鋼で作った巨大な“肋骨”の一片を手に取った。
その鋼は太陽を浴びて光を弾き返し、まるで未来そのもののように眩しかった。
信玄
「……この瞬間からだ。
“海城”の建造を始める」
昌幸は唇を震わせる。
「殿……! この国は……ついに……海へ出まする!!」
義元は涙をこらえきれず空を仰ぐ。
「駿河は……再び海の国に戻る……!」
ドミンゴは胸を押さえ、震える声で呟く。
「タケダ殿……いま、歴史が動いております……!」
信玄は海へ向けて掲げた鋼の骨を静かに下ろす。
「風も、潮も、鉄も、土も……すべて揃った。
次は――“世界を動かす船”だ」
赤備え衆
「――応!!!」
富士の山が見守る中、
武田の科学国家はついに陸から海へ。
その第一歩を、確かに踏み出した。
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