第3話 『戦国バイオラボ、始動す ― 甲斐発酵水』
甲斐の山間にある小さな村で、異変が起きた。
咳、熱、皮膚のただれ。原因のわからぬ病が、子どもから大人にまで広がっているという。
その知らせを聞くや、武田信玄――いや、中身が科学者・如月鋼一の男は立ち上がった。
「よし、現場を見に行く。病は、机の上では治らん」
山県昌景と馬場信春が慌てて後を追う。
村に着いた瞬間、信玄は鼻で空気を嗅いだ。
腐敗臭。湿った土の匂い。
そして、どこか“生き物が大量に死んだ”時特有の、重い匂い。
「……これは、細菌性の感染症だな」
昌景は震えた。
「また、その……“さいきん”とやらでございますか……?」
「そうだ。目に見えぬ敵は、どの軍勢より恐ろしい」
信玄は素早く布で手を包み、患者の体を慎重に触診した。
咳の音。皮膚の荒れ方。熱の出方。
「空気ではない……これは水だ。水が原因だ」
次に、村の水源へ向かった。
山の上流にある小川は濁り、白く泡立っていた。
よく見ると、川辺には動物の骨が転がっている。
「……家畜が上流で死んだな。その腐敗が水に流れ込んだのだ」
馬場が呟いた。
「では、どうすれば……?」
信玄は小さく笑った。
「浄化する。微生物の力を借りてな」
二人の家臣は固まった。
またしても、常識を超える言葉だ。
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◆ ■ “発酵の蔵”を戦国に作る
信玄は村の空き家を選び、そこで臨時の“研究所”を設置した。
甕を四つ、釜を二つ、布と木炭と灰を大量に運ばせる。
「麦麹、糠、稲藁、甘酒……戦国にも良い素材は揃っている」
山県が首を傾げる。
「殿、それは……食い物でござるか?」
「違う。菌の家だ」
家臣たちは完全に置いていかれていたが、信玄は淡々と進めた。
麦麹には酵母が棲む。
糠には乳酸菌が多い。
稲藁には納豆菌――枯草菌がびっしり。
これらを甕に入れ、甘酒を加えて発酵させる。
その姿は、誰が見ても奇妙だった。
「……殿、まさか毒を作ってはおりませぬよな?」
「逆だ。これが薬になる」
信玄は微笑む。
「名をつけよう。“甲斐発酵水”だ」
(現代なら“えひめAI”だが、そんな名をここで言っても誰も理解しないだろう)
釜でお湯を沸かし、甕ごと湯煎して温度を一定に保つ。
1日もすれば、微生物たちは活性化し、水中の腐敗物を分解する力を持つ。
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◆ ■ 浄化場の建設
次に信玄は川の流れを三段階に分ける工事を命じた。
1段目:発酵水を投入して有機物を分解
2段目:沈殿池として濁りを落とす
3段目:木炭と砂利で濾過して村へ水を送る
村人は呆然と見つめる。
「本当に……こんなもので水が綺麗になるんですか……?」
信玄は手を止めずに答える。
「微生物は万能だ。人の目に見えぬ兵士たちだよ」
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◆ ■ “3日後の奇跡”
3日後。
濁っていた水は透明に戻り、腐敗臭は消えていた。
村人が両手ですくってみると――
「……匂いが、ない……!」
信玄がうなずく。
「よし。これで水は生き返った」
病の患者にも変化が表れた。
熱が下がり、咳が止まり、皮膚の荒れも治ってきた。
馬場は信玄を見つめて言った。
「殿は……神か、仏か……?」
信玄は首を振った。
「違う。科学だ。
しかし、この国ではまだ魔法に見えるだろうな」
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◆ ■ 医療講座
信玄は村の医師たちを呼び集め、板に図を描いた。
「これが“菌”の姿だ。見えないが確かに存在する」
医師たちは目を丸くする。
「煮沸すれば死ぬ。隔離すれば広がらない。
これらを守れば、病は必ず減る」
ある医師が震える声で言った。
「殿……そんな理がこの世に……」
信玄は静かに言った。
「理はどの時代にもある。気づく者がいなかっただけだ」
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◆ ■ 忍びからの報告
ちょうどその時、武田の忍びが駆け込んできた。
「失礼! 信玄公に急ぎの報せ!」
「申せ」
「今川の国境で軍勢が集まりつつありまする。
“武田信玄が病に倒れた”との噂が広まり、
今川が動く気配……!」
村人、家臣、医師たち――全員の顔がこわばった。
だが、信玄は薄く笑った。
「よし。ならばこちらも動く。
――科学で、戦を支配する」
その声は、まるで新しい時代の幕開けを告げる鐘のようだった。




