第25話『南蛮工房見学 ― 科学の衝撃』
甲府の朝は冷たい風が吹いていた。
しかしその風の中を、南蛮の使節ドミンゴ一行は胸を高鳴らせながら歩く。今日はついに――“タケダの頭脳”を覗き見る日だ。
案内役の山県昌景が、真紅の外套を翻しながら振り返る。
「いいか、ここから先は甲斐の内臓部だ。驚いても逃げるなよ?」
南蛮勢は冗談だろうと笑った。
“戦国の工房など、せいぜい炭焼き小屋と鍛冶場程度だろう”
そんな油断が彼らの胸にあった。
だが――工房の扉が軋んで開いた瞬間、その油断は煙のように消えた。
巨大な水車が轟音をあげて回っている。
風を可視化するための“風洞”が唸り、羽根の角度が細かく調整されている。
温度管理された多段階の鍛造炉が橙色に輝き、鉄を流す溝にまで数字が刻まれている。
反射鏡通信塔の模型は光の角度を計算しながら回転していた。
さらには、山中金山の選鉱ラインをそのまま縮小した“採掘から精錬までの流れ”が動いている。
中世とは思えない、いや――南蛮にすらない“体系化された科学の街”。
南蛮技師たちは口を開けたまま動けなかった。
「……これは……神の奇跡ではない」
ドミンゴが震える声で呟く。
「人の“理”……世界を解き明かすための仕掛けだ……」
昌景はにやりと笑う。
「殿はな、空も風も土も、全部味方につける。
戦を強くするんじゃない。“国を動かす仕組み”を作るんだ」
南蛮側は圧倒され、息すら忘れた。
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やがて、南蛮側も負けじと自慢の技術を広げ始めた。
「これが我らの火縄銃。刻印は精密、銃身は真円に近い」
「硝石の純度を測定する器具だ」
「これは透明度の高いガラス瓶」
「蒸留器。薬の精製に――」
ドミンゴは胸を張る。
これこそ南蛮の誇り。日本にこれを超える物は存在しない。
そう信じていた。
しかし――信玄が一歩前に出ると、空気が変わった。
「この蒸留器……」
信玄は冷却部を指でなぞる。
「ここ、熱が逃げすぎておる。細くし、“層”を作ればもっと効率が上がる」
「……なっ!?」
南蛮技術者の顔が青ざめた。
信玄は火縄銃を手に取る。
「湿気に弱い。黒煙の中では火がつかぬ。
火皿を覆う仕組みを加えればよい」
「黒煙……封鎖戦の時の……!」
ドミンゴが息を呑む。
触れた瞬間に弱点を見抜き、しかも改善の方向すら示す。
“物を買う”のではなく、“原理を読み解く”。
その思考が桁違いだった。
ドミンゴ(心中)
(この男……
技術を見るのではない。
“理”を見るのか……?)
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工房の奥、風洞のそばでドミンゴはついに口を開く。
「タケダ殿……我らは交易のために来た。
だが……あなたが欲するのは“物品”ではない。
技術体系そのものだな?」
信玄は微笑む。
「うむ。わしが欲するものはただ一つ。
――再現できる原理。“理”じゃ」
南蛮勢の背筋が凍る。
これまで“黒煙封鎖戦の噂”を聞いたときすら、
“ただの奇策だろう”と思っていた。
しかし今、目の前に広がるこれらの装置が証明していた。
あれは奇策でも偶然でもない。
完全に“読んで計算された戦術”だったのだ。
ドミンゴ
「あなたは……国を戦でなく……
“理で制する男”か……」
その声は恐れと敬意の入り混じった震えだった。
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工房を出た夕暮れ、昌幸が歩きながら信玄に尋ねる。
「殿……南蛮の技術、どう使われるのです?」
信玄は夕日を見つめながら言う。
「海を渡る器を作る。
いずれは“大海の風”も読む。
そのためじゃ」
昌景が振り向き、思わず声を上げる。
「でっけえ船を作るってことか!?」
信玄は笑った。
「うむ。次は“海の理”の工房を作る」
南蛮の技術ではなく、南蛮すら驚く“未来の技術”。
その構想をこの男は既に描き始めていた。
ドミンゴは信玄の背を見つめ、深く頭を下げる。
「タケダ殿……
我ら南蛮は、この国と共に“新しい科学”を築きたい」
信玄は頷く。
「互いの理を積み、互いに伸びる。
――それで良い」
甲斐と南蛮の本格的な科学交流が、ここに始まった。
その風洞の音は、やがて“海を越える文明”の序章となる。
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