第24話『南蛮の船、恐れと好奇心を抱いて』
早朝の駿河湾――。
白い海霧を押し分けるように、巨大な帆船が姿を現した。
船腹は甲斐の船とは比べ物にならず、まるで海に浮かぶ城砦だ。
浜辺に駆けつけた赤備えの兵たちは、思わず槍を握りしめる。
「な、なんだありゃあ……!」
山県昌景は、海風にたなびく真っ赤なマントを押さえつつ、険しい表情で声を絞り出した。
(陸の戦は慣れているが……海の化け物とは初めてだな)
しかし、帆船はゆっくりと白旗を掲げた。敵意はないと示している。
昌景は息を吐いた。
「どうやら……話をしに来たらしい」
その報せを受け、甲斐側の代表として武田信玄、山県昌景、真田昌幸、そして今川義元までもが浜へ姿を現した。
甲斐と南蛮、海岸での異文化会談が始まろうとしていた。
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南蛮船のタラップから、一人の男が降りてくる。
長い外套、金色の十字、白い肌。ドミンゴ――異国の使節だ。
だが、彼は信玄の姿を見て、わずかに震えた。
「……あなたが“国を黒煙で閉ざした大名”か……!」
その言葉に、昌景も義元も思わず顔を見合わせる。
「黒煙封鎖戦が……海の向こうまで?」
昌幸が驚き、信玄はあえて表情を変えない。
ドミンゴは説明した。
「堺の商人と、我らイエズス会の司祭たちは日本全土を行き来する。
あなたの戦い――“煙で国境を塞ぎ、敵軍を孤立させた”という噂は、既に南蛮貿易圏にも届いている」
昌景は半ば呆れ、半ば誇らしげに笑う。
「俺たちの戦が海の向こうまで届いてるとはな……!」
信玄は静かに答えた。
「煙は風に乗る。噂もまた同じよ」
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海辺の仮設の会見所で、ドミンゴは胸の内を明かした。
「我らの国は火薬も兵器も発達している。
だが……“国全体を煙で封鎖する”など聞いたことがない。
あなたは……科学で戦を操る男だ」
信玄は淡々と語った。
「戦も農も、全て“再現できる現象”じゃ。
風が読めれば煙は操れる。水が読めれば港を治められる」
昌景が横で小声でつぶやく。
「殿が言うたび思うが……やっぱり未来人じゃねえのか?」
「違うわ。観察じゃ」
信玄が一蹴すると、南蛮の使者たちは逆に感心していた。
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やがて話題は“交換”へ移る。
「我らは甲斐に贈りたいものがある」
ドミンゴが箱を開けると、中には精巧な火縄銃、真円の羅針盤、透明度の高いガラス器具が並んだ。
「さらに蒸留器という道具も。薬の精製に役立つ」
信玄は目を細める。
「よい。ではこちらも与えよう」
信玄が持参していた木箱を開けると、中には味噌や漬物の保存瓶が並ぶ。
「これは……?」
「長期航海の食糧に使え。腐りにくい」
南蛮側が一斉にどよめいた。
海の遠征での最大の敵は“食糧腐敗”だからだ。
「さらに……黒煙封鎖戦の原理を、少しだけ教えてやろう」
信玄は“少しだけ”を強調した。
──この瞬間、甲斐と南蛮の科学交流が正式に始まった。
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だがドミンゴは、信玄の力を本当に理解したわけではなかった。
信玄は静かに立ち上がり、特製の“噴煙壺”を持って海岸へ向かった。
「見ておれ」
信玄が壺に火を入れる。
白い煙が立ちのぼる。
信玄は風の向きを読み、軽く手で流れを誘導する。
すると――
煙は信玄の予測どおり、一直線に南蛮船の方向へと流れていった。
「か、風を……操ったのか!?」
ドミンゴが声を上げる。
「違う。読むだけだ」
信玄の余裕ある言葉に南蛮人たちは完全に度肝を抜かれた。
昌景は得意げに腕を組む。
「殿の実験は最初は怖いが、慣れると癖になるぞ」
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夕暮れ、海も空も赤く染まる頃。
ドミンゴは深く頭を下げた。
「我ら南蛮と甲斐で……
“新たな科学”を築かぬか?」
信玄はすぐには答えず、海を見つめた。
「……海の技術は学ぶ価値がある」
昌景は一歩前へ。
「殿、赤備えも海を学ばせてくれ。海戦も強くなるぞ!」
信玄は笑いをこらえきれず言った。
「山県、海は赤く染めるなよ?」
赤備えが爆笑する。
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帰りのタラップで、ドミンゴは振り返り、深く礼をした。
「科学の男・タケダ。
次は“あなたの工房”を見せてくれ」
信玄はゆっくりと頷く。
「では見せてやろう。未来を作る場をな」
南蛮船が出航する。
帆が風をはらみ、大海へ滑り出す。
甲斐と南蛮――
この日、世界がつながった。
海道国家計画、第四段階へ。




