第23話『分かれる潮 ― 二つの道を持つ海』
翌朝の駿河湾は、夜明けのはずなのに妙にざわついていた。
海道観測塔の羽根が、一定の向きに回らない。
東へ、そして今度は西へ。まるで、迷子になった鳥のように震えている。
山県昌景
「……殿、風が“迷っており”ますぞ……!」
赤備え隊長の声には、昨日の海底調査以上の緊張が滲んでいた。
彼の頬を撫でる風は、確かに二方向から吹いている。
波聴石を抱えて駆けつけた真田昌幸が、塔の根元に膝をつく。
昌幸
「おかしい……波の震えが昨日と違う! 二種類ある……?」
山県
「二種類!? 波に種類など……!」
昌幸
「殿! 波が“二つの道”から来ております!」
信玄は静かに塔へ近づき、羽根の揺れを指先で押さえた。
信玄
「……海は道を割ろうとしておる。」
山県・昌幸・義元
「道!?」
信玄はうなずいた。
「昨日見つけた海底の谷――
あれが潮を引き、そして……潮を分け始めておる。」
義元
「分ける? 潮が……二つに!?」
信玄
「そうだ。
ひとつは北へ、もうひとつは南へ戻る潮。
この“二つの道”が、駿河の港を揺らしておる。」
義元は息を呑んだ。
義元
「それは……交易の航路が“二つ”になるということ……?」
信玄
「察しがいいな。
海道国家は、二つの潮路を押さえねばならぬ。」
海は静かに見えて、しかし確実に“変化”していた。
◆
海測り隊は、再び小舟を出して沖へ向かった。
昨日よりも海は騒がしい。波が細かく散っている。
赤備えA
「隊長! 波が昨日より荒いっす!」
山県
「弱音を吐くな! 海の機嫌より殿の機嫌を気にせい!」
赤備えB
「殿の機嫌は……良さそうですね……?」
信玄は迷いなく沖を指し示していた。
昌幸が石袋を抱えてうなずく。
昌幸
「測りますぞ! “海の底の地図”にまた一歩近づく!」
石が落ち、海が飲み込み、反響が返ってくる。
――コン……
しかし、数十丈進んだところで――
――コ、コ……ッ……?
昌幸
「殿ッ! 今の音……二重です!」
山県
「二重!? 何だそれは!」
昌幸
「深さが急に変わった! 海底に“階段”があります!」
赤備えA
「か、階段!? 海の中に!?」
信玄
「……谷のその先に“崖”があるのだ。
海底が大きく段差を作っている。」
義元
「海底が……潮を分けておるというのか……!」
信玄
「その通りだ。潮は谷へ吸い込まれ、
崖で分かれ、二つの流れとなる。」
信玄は海図を膝に広げ、筆を走らせた。
「この“分岐”を読み切れば――
海道国家は潮を制することができる。」
山県
「潮を……制する!?」
信玄
「潮を掴んだ者が、海の王となる。」
◆
港へ戻ると、義元が風向きを確認しながらつぶやいた。
義元
「信玄……
そなたは、海そのものを領地にするつもりか……?」
その言葉に、信玄は首を横に振る。
信玄
「海は領地にできぬ。
だが――“読み解いた者のもの”だ。」
義元の目に光が宿る。
義元
「……読めば海は味方になる……
これが海道国家……!」
◆
信玄は観測塔の前で三人に宣言した。
信玄
「海道国家計画、第三段階――
“海流図”を描く。」
昌幸
「殿! 海流図が完成すれば……
未来の船が迷わずに航海できまする!」
山県
「赤備えは、明日から“海の突撃訓練”だ!
泳げぬ者は桶に乗れ! 桶も武器じゃ!」
赤備え
「桶で海を制すのか……!」
港には笑いがあり、活気があった。
だがそのとき――
信玄が波聴石に耳を当て、動きを止めた。
信玄
「…………」
昌幸
「殿……? 何か……聞こえるのですか?」
信玄の目がゆっくり開く。
信玄
「……これは、潮ではない。」
山県
「まさか……敵か!?」
信玄
「いや……波の刻みが違う。
もっと……細かく、速い。」
義元が震える声で尋ねる。
義元
「では……何の音だ……?」
信玄
「――船だ。」
山県
「船!?」
信玄
「しかも……形が違う。
重く、大きく……だが波切りが鋭い。」
波聴石が微かに震え続ける。
信玄
「南蛮の船だ。」
駿河の海の向こうから、
“未知の文明”がこちらへと進んで来ていた。
信玄
「……潮が道を分けたのは、偶然ではない。
海が我らに知らせておる。」
その言葉と同時に、観測塔の羽根が大きく回った。
――海道国家計画、波乱の第四段階へ。




