第21話『海道の眼が開く』
朝の駿河湾に潮の香りが濃く広がっていた。
波打ち際の先――浜の岩場に、一本の奇妙な塔が立つ。木組みの柱に長い羽根、皿、布、石…用途不明の部品が組み合わされている。
海道観測塔。
その前で、真紅の鎧をまとった大男が腕を組んだ。
赤備え隊長・山県昌景である。
「……信玄公。あれは……何をする“化け物”ですか?」
部下の赤備えたちが後ろでガヤガヤ。
「隊長、皿で海の匂い嗅いでるんすかね!?」
「え、あの羽根が潮と喋るんじゃ……?」
「山県隊長が突っ込んでくれないと誰も安心できないッス!」
「お前ら黙れッ! 殿の前だぞ!」
山県は一喝しつつも、塔を二度見、三度見してしまう。
最強の突撃隊長だが、科学にはまだ慣れない。
そこへ信玄が歩み出た。
「今日は――“海道の眼”が開く日だ」
その声に、赤備え全員の背筋が伸びた。
◆
日が昇ると同時に、塔は動き出した。
木の羽根が風を受けて回り、
潮香皿に匂いが集まり、
“波聴石”が波の揺れを震動として記録していく。
「な、なんと……塔が生きておる……」
山県は完全に腰が引けていた。
そこへ昌幸が駆け込む。
「殿っ! 波音の周波が乱れております! 海が荒れ――」
「違う。」
信玄は即答した。
「これは“潮が変わる前触れ”よ。」
義元が皿の匂いを嗅ぐ。湿度が急上昇している。
「まさか……潮の変わり目を、ここまで正確に……?」
信玄は塔の記録を手早く地図に写し取った。
「潮と風の交点が北へ寄っている。
――明日、駿河は“大漁”になる。」
「大漁……!」
義元が息を呑む。
赤備えはざわつき、山県も戦場以上に狼狽していた。
「し、信玄公……つ、次は海まで御味方に!?」
「海も空も大地も、“仕組み”を理解すれば応える。」
◆
信玄は声を張った。
「――漁を解禁せよ!」
義元が驚く。
「まだ被災した浜が多いのだぞ!?」
「潮の変わり目は一年に数度。
民を救う“時”は今しかない。」
信玄は漁師へ次々と指示を出す。
「風の通り道はこの筋、
潮の曲がり角はここ、
魚が溜まる帯はこの範囲。」
山県が思わずつぶやく。
「……敵の陣形を読むより難しいじゃないか……」
だが、すぐに拳を握った。
「だが殿が言うなら、赤備え全員で漁でも何でもやり抜く!」
「よし、山県。お前が漁の“突撃隊長”だ。」
「……突撃するのは魚ですか!?」
赤備えが爆笑した。
◆
昼前、赤備え+今川家臣+漁師の混成“大漁チーム”が結成される。
赤備えDが網を担ぎながらぼやく。
「いや隊長、俺ら今年網持つの三回目なんすけど……」
「黙れ! 国のためなら槍でも網でも持つんだ!」
信玄が後ろから言った。
「兵が国を支える。それが最強の国の形だ。」
「なるほどぉッ!!」
一瞬で納得する単純で強い兵たち。
◆
夕刻。潮香皿の匂いが一気に薄れ、羽根が止まりかける。
「……潮が“逃げる”」
信玄が呟いた直後、浜に伝令が走る。
「漁を打ち切れ! すぐ戻れ!」
船が次々と戻り、網が上がる。
「お、おい見ろよ……!」
「魚の量が……異常だ……!」
「殿は……海の神か!?」
義元は震えていた。
「信玄……潮の理を完全に掴んでおる……!」
山県は魚を片手で抱えながら叫んだ。
「信玄公! 本当に……海そのものを読んだのですな!」
「山県。海も戦も、“流れ”を読むのは同じよ。」
◆
夜。
信玄は灯りの下で海図を広げ、義元へ語る。
「潮は道だ。読み解けば船は迷わず、交易は増える。
海道の国は――戦場より強くなる。」
義元は深く頷く。
「信玄……そなたとなら、今川は海の国に返り咲ける!」
「義元殿。わしは風を読む。そなたは海を読む。
海道は……二人で作る。」
その時だった。
観測塔の羽根が、夜の静けさの中でわずかに回る。
昌幸が駆け込む。
「殿! この季節に“南風”など……!」
信玄の目が鋭く光る。
「潮が乱れている。
駿河の海で――“何か”が起きておる。」
山県が槍を掴む。
「殿! 敵ですか!? 海獣ですか!?」
「違う。
これは“海の変革の兆し”。
次の技術が……必要になる。」
夜風が塔を鳴らし、浜辺に不気味な音を残す。
――海道国家計画、第二段階へ。
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