第13話 「駿河侵攻・第一波 ―― 科学で“理解不能の敗北”を与える」
甲斐・山岳管制塔に、緊張が満ちていた。
鏡通信の光が塔内に走り、観測盤の上の匂い玉がわずかに震え、地響き測定台の糸がふるえた。
「……来たな」
信玄――いや、科学者・如月鋼一は低く呟いた。
山県昌景が腕を組む。
「予定通り、今川本隊一万五千。騎馬も鉄砲も動いている」
「補給の臭いはどうだ?」信玄が訊く。
馬場信房が匂い層の盤を見つめる。
「干し肉、油、焚き火の煙……今川の“匂いの層”が、谷に沿って北へ伸びている。敵の進軍路は――予測どおりだ」
信玄は満足そうに目を細めた。
「では、始めよう。科学戦争の“第一波”を」
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その頃、甲斐国境。
今川義元軍は圧倒的な兵力を誇示しながら北へ進んでいた。
「武田など数で押しつぶせばよい」と義元。
だが――彼らは知らない。
甲斐側には、敵の位置も速度も兵站の状態さえも、すべて見えていることを。
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谷の奥――。
山県昌景が風向きを確認し、火薬壺、煙幕草、共鳴壺の埋設地点を最終点検していた。
「風は南から北。火薬は風上、煙は風下。……いい風だ」
手元の“風洞板”は、風の層と流速を示していた。
信玄が監修したその計算により、煙がどこに流れ、どこが無風帯になるかまでも把握している。
「科学と槍の合わせ技、見せてやろう」
山県は赤い布を掲げた。
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今川軍の先頭が谷に入った瞬間だった。
――ぶおおおおお。
谷の中だけに異様な濃霧が発生した。
「な、なんだ!? 前が見えん!!」
「げほっ……息が……!」
馬が暴れ、足元の石を蹴り、鉄砲隊が慌てて構えるも、湿気で火縄が消えていく。
しかし、谷の上にいる山県隊は無風・無煙。
風洞で測定した結果、煙の流れを“敵側だけに押し付ける風”が生まれているのだ。
「これが科学の煙だ。さぁ――迷え」
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煙の中でもがく今川軍へ向けて。
山県隊が風上から“投槍発射機(簡易カタパルト)”を一斉に解き放つ。
「放てッ!!!」
槍が風をつかみ、きれいな放物線を描く。
信玄が計算した風速・角度・重心により、槍は濃霧の奥に潜む敵陣へ寸分違わず降り注いだ。
「ぎゃあっ!」
「見えん……どこから来る!?」
敵は“姿なき攻撃”に怯える。
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さらに撤退しようとした彼らの足元で――
ぼうん……ぼうん……ぼうん……
腹の底を震わせるような低音が響き渡った。
「な、地面が……鳴ってる……?」
敵兵の顔が青ざめる。
地中に埋め込まれた“共鳴壺”が、低周波を発生させ、馬の平衡感覚を狂わせる。
馬が転び、隊列が乱れる。
「妖術だ! 武田は妖術を使っている!!」
今川軍は混乱の極みに達した。
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谷を見下ろす峠で、信玄が静かに呟く。
「前衛の三割が崩壊したな。山県の仕掛けだけで十分だ」
内藤昌秀が感心したように息を吐く。
「これは……自滅ですな。敵は勝手に壊れていく」
「大軍に勝つには兵を使わぬこと。まず“心”を折る」
信玄の科学戦の哲学が、形になり始めていた。
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「殿ッ!! 前が見えませぬ!」
「馬が倒れ、鉄砲も湿って撃てませぬ!」
「槍が空から……!」
報告が怒鳴り込む中、義元は地図を叩きつけた。
「小細工だ!! 武田は姿を見せぬ! 全軍で突破するのだ!!」
その叫びが、さらなる破局の引き金となる。
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山岳管制塔へ戻った信玄は、風向きと谷の地形模型を見ていた。
「……風が変わる。次は“封鎖戦”だ」
馬場信房が頷く。
「風読みの仕事だな。今川を“閉じ込める”のか」
「そうだ。風と地形と火薬で――逃げ場のない“科学の檻”を作る」
その言葉が、甲斐全土に緊張を走らせた。
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夜。
南から吹いていた風が、不意に方向を変えた。
北から、鋭い風が吹き下ろす。
信玄がそっと目を閉じる。
「……風が変わった。檻が閉じるぞ」
一方、谷の奥へ突進し続ける今川軍。
義元は怒り狂って叫ぶ。
「進めぇぇ!! 武田を討つのだ!!」
しかしその先には――
風と地形が織り成す、
逃げ場のない“科学の殺戮空間” が待っていた。




