第1話『病床の虎、転生す』
――息が、重い。
肺の奥が焼けつくように痛み、喉の奥で粘つく血が気道を塞ぐ。だが、それを感じた瞬間、彼は理解した。
(……ここは、どこだ?)
如月鋼一は白い光に呑まれ、研究所の爆発の中で死んだはずだった。
次に目を開いた時、そこは古い和室。
天井は煤け、湿った木材の匂いが鼻を刺す。
周囲には、甲冑姿の男たちが泣き崩れていた。
「殿! 殿ィ! どうか……もう目を開けてくださいませ!」
(殿……?)
ぼんやりした意識の中で、鋼一は自分の手を見た。
白く、細く、老いた。皺だらけの手。
それは、自分のものではなかった。
「……誰の身体だ、これは……?」
低く、かすれた声が口からこぼれる。
家臣たちは一斉に顔を上げた。
「殿!? 殿、目を覚まされたのですか!」
泣きながら叫ぶ家臣。
鋼一は眉をひそめた。
(殿ってことは……大名か武将か。それにしては、この部屋……湿度が高すぎる。)
枕元の水盆に目を向けた。水面がわずかに濁り、細かな埃が浮いている。
(この状態で寝ていたら……呼吸器症状は悪化する。死ぬのも時間の問題だ。)
胸の痛みを感じつつ、鋼一は呼吸音を聞いた。
自分の肺の音だ。
(右肺上部で空洞化……咳、血痰。これは結核に極めて近い症状だな。)
次に部屋の温度と湿度を確認する。
冷気は少ない。むしろ蒸し暑く、空気がよどんでいる。
(これでは菌が繁殖し放題だ……。殺す気か。)
そこで、一人の家臣が震える声で言った。
「……殿。武田信玄様。どうか……安らかに――」
(武田、信玄……?)
その名を聞いた瞬間、鋼一の思考が真っ白になった。
(俺が……武田信玄? “戦国最強の名将”が……この身体か?
だが、この状態じゃ……死ぬのを待つしかない。)
次の瞬間、鋼一の脳が一気に回転し始めた。
(いや、まだ死なない。治す方法はある。最低限の道具さえあれば――)
「……おい」
信玄の声が部屋に響く。かすれているが、力があった。
「炭を持て。出来るだけ多くだ。あと――薬草。笹、ヨモギ、陳皮。急げ。」
家臣たちは凍りついた。
「ど、殿!? 何を……?」
「治療だ。」
鋼一はきっぱりと言う。
「この病……死ぬには惜しい。まだやることが山ほどある。」
――自分自身も、この国も。
家臣たちは半信半疑ながら動き始める。
炭が運び込まれた瞬間、鋼一は手早く指示を出す。
「部屋の隅に火鉢を置け。炭は赤熱させるな。煙だけで十分だ。
空気が清浄され、菌の繁殖を抑える。」
「……き、菌……?」
「分からなくて良い。従え。」
薬草が届くと、鋼一は湯を沸かし始めた。
「これを煎じろ。沸騰の瞬間、蓋をして蒸気を逃がすな。
成分が飛ぶ。」
家臣が震えながら鍋を覗く。
「殿……まるで医師のような……」
「違う。“科学者”だ。」
鋼一は微笑した。
武田信玄の顔で、現代人の笑みを浮かべる。
「この身体で死ぬ気はない。」
徹底した衛生管理を指示し、寝具を干させ、部屋を乾燥させ、
煎じ薬を飲み、深呼吸を繰り返す。
そして――深夜。
(……効いてきたな。咳が減った。熱もわずかに下がった。)
鋼一の意識は、ゆっくりと眠りに落ちていく。
翌朝。
「殿!!」
家臣の叫び声で目を開けると、皆が目を丸くしていた。
「……どうした?」
「ど、殿が……歩いておられる……!」
鋼一はふつうに立っていた。
肺の痛みはまだ残るが、死の淵など感じない。
「奇跡だ……! 御屋形様が、生き返られた……!」
「奇跡ではない。」
信玄の声が、はっきりと響く。
「これは科学だ。」
家臣たちは互いに顔を見合わせる。
「か、かがく……?」
「覚えておけ。
これから甲斐を“技術立国”にする。
強い者が勝つのではない。“知っている者”が勝つのだ。」
鋼一――いや、武田信玄は、ゆっくりと手を握りしめた。
(この世界でなら……俺の知識は、最強の武器になる。)
その瞬間、武田家の運命は完全に変わった。
ここから――
“天才科学者・武田信玄”による、戦国無双の時代が始まる。




