〈9〉 白い浜辺とテトラポットは同化する
浜辺から少し離れた所に屋根のあるちょっとした休憩所的なところがある。
そこから見える景色はとても綺麗で、海に向かって伸びるコンクリートでできた灰色道が一本見えて、白いテトラポットが部屋の隅に追いやられたみたいに乱雑に堤防を覆っている。
そんな景色が一望できるこの場所にはワタシ以外にも客がいた。
キャンバスを目の前にして腕を組み、じっと眉間にしわを寄せて唸っている女の人がいた。
その面影と雰囲気からその人が誰なのか一瞬で分かった。
「あれ、もしかして妄想さん?」
寄りに寄った寄り目の妄想さんは声を掛けられると、ハッとして恥ずかしそうに言葉をまくし立ててきた。
「え? 全世界君!? 久しぶり……いや、なんでいるの! いや別にいてもおかしくないか……いやいや、そういうことじゃなくて、というかなんでそんなびしょびしょなの!? タオルいる――」
「大丈夫なので少し落ち着いてください」
そう言うと、妄想さん「はっ! うん……そうだね」と言って大きく深呼吸をした。
落ち着いてもらったところで、なぜワタシがここにいるのかの経緯を聞いてもらった。
「へぇーそんなことが……でも、なんでそんなびしょびしょになる必要があったの?」
「それは……海にいた少年に遊ばないかと誘われたら、そりゃあ本気でやらないと失礼だと思ったからかな」
そう言うと妄想さんは一瞬目を丸くしたかと思うと、ケタケタ笑った。お腹を押さえてうずくまりその瞳には涙まで蓄えていた。
「そんなに面白いことではないだろうと思いますが」
「いや……ヒヒッ、そんなイメージ無かったから、はーふー、面白かったー」
なんだか釈然としない。
一息ついたところで一つ、気になったことがある。
それは、そこに立てかけてある絵を見て思ったことなのだが、今まで一回も妄想さんの描いた絵を見たことがないということである。
美術部にいたことや今目の前にいる妄想さんの様子を見ればわかる通り、絵を嗜んでいることは確かなはずだ。
「そういえば一回も妄想さんの絵を見たことがないんだけど……そこにある絵、見せてもらってもいいかな?」
そうやって聞くと妄想さんはあらん限りの力で首を振り、近くに置いてあった布をバサッとそのキャンパスにかけて隠してしまった。
布のはためきで押し出された風が絵具の匂いを鼻まで運んでくる。さっきまで描いていたという証拠と言ってもいい新鮮な匂いだった。
「嫌! それは絶対に何がなんでも無理!」
恥ずかしがっているのかそれとも、本気で嫌がっているのか分からないが、その絵を背に隠してジッとこっちを睨んでくる。
「どうしてそんなに隠す必要があるの? 減るものじゃあるまいし、下手でも絶対に笑わないって約束するから……是非とも観たいな」
妄想さんは顔をしかめて悩んでいるようである。
なぜ彼女はそんなに絵を見せるのを拒むのだろう。これは失礼かもしれないが、これまで接してきた感じプライドの高い性格に感じないので、そこまで拒否するのが意外であり不思議だと思った。
ゴッ……ゴソゴソ。
――なんだ? 今、絵にかかっている布の中を何かが動いていたように見えた。……ネズミ? 海鳥? 気になってジッとその布がかかった絵を観察する。
「うーん、仕方ないね……全世界君が〝どうしても〟見たいっていうなら、特別に見せてあげる!」
どうして急に見せてくれる気になったんだろうか? という疑問が浮かぶが、見せてくれるというなら見ないという選択肢はない。ついでに、さっき動いていたものの正体も突き止めるチャンスでもある。
「ではありがたく見させてもらうよ」
ワタシはゆっくりと絵にかけてある布に手を伸ばす。
そして、布を掴んでゆっくりと持ち上げた。今、下半分が見えている。
そこには、今目の前に見える白い砂浜と白いテトラポットが見えて、そして……。
描かれていた砂浜の真ん中に謎の穴が開いているのに気づいた。
……この穴、いやよく見れば穴じゃない。そこにあったはずの絵具が、何らかの形でこそげ取られている。どういうことだ?
「ねぇ、ど、どうしたの? まだ半分しか捲ってないけど……」
「あぁ、ごめん。砂浜が綺麗だったから見惚れてて」
変な勘繰りをされないように素早く布を取り払う。
そこに現れた絵はやはり目の前の海岸らしき風景が描かれてあった。感想はというと色味が地味という感じだ。しかも砂浜とテトラポットがぐちゃぐちゃに混ざり合って同化してしまっている。
「で、どう?」
彼女は目をキラキラとさせて感想を求めてくる。彼女には悪いがこの絵は……。
「えーっと、写実的というよりはその、耽美的というかそんな魅力を感じるよ」
「抽象的」と言うことが褒めることに繋がるか微妙なラインだったので、乏しい語彙の中から手を突っ込んで出た、まだマシな「耽美的」という言葉でもって急場を凌ぐことにした。凌げているのかはよく分からないけれど……。
そう言うと彼女は顔を腕で隠して、ぺたりと座り込んでしまった。
「ほらね、そういう反応するの! 分かってたんだ! あぁ、見せなきゃよかった。うぅ、ぐすんぐすん!」
困ったなぁ……全然凌げていなかった。そして、ワタシは女の子がこうなった時の対処法を知らない。学校の先生だって親だって教えてくれなかった。
ワタシは困り果てて必死に言葉を探していると、遠くの方で誰かが呼ぶ声が聞こえてくる。
「おーい、全世界くーん! そんなところで何をしているんだーい!」
妄想さんとワタシは声のする方を見た。
細い体躯に低い背丈、そして遠くからでも分かるほどに輝いているエメラルドグリーンの瞳を持つ爽やかな青年が小走りで近づいて来ていた。
「……影山!? なんでこんなところに!」
数奇な運命がワタシたちを結び付けようとしていた。こんな状況が起こる確率を考えてもそう思わざるを得ない。
全く、神様はワタシ達に何をやらせようってんだか……今すぐ教えてくれよ。
2021/08/28に初投稿。本文は当時の文章から加筆・修正を加えての投稿になります。