〈8〉 潮風と普通列車
影山に初めて出会ったあの日から、二週間が過ぎていた。
その間にも先生に頼まれ、何回か影山の家に提出物などを届けたりしたが、残念ながら影山に会うことができずそのまま時間が流れてしまっていた。
あの高校生を襲った犯人はまだ捕まっていないらしい。
なので、耳にたこができるほど「未だ警戒心を忘れないように」、と先生が促してくるのを聞いた。
そんな中の休日、ワタシは海島市に来ていた。しかも、まだまだ明るい真っ昼間のこの時間に、である。
それが何故かというと、何を隠そう最近テストがあったからだ。
つまりここへは、リフレッシュの為に来たということ。
テストが終わってからの数日はアドレナリンで何とか誤魔化してやっていたのだが、答案用紙が教科ごとに返却されて、その度に一喜一憂し群雄割拠の戦場へと景色を変える様を見てから頭の中の糸が切れ、疲れがどろりと顔を出した。
つまり、テスト勉強に費やしたエナドリとそれで得た集中の代償は、このワタシをもってしても逃れられなかったのである。
何をするにしてもなかなか集中できない「漫然とした疲れ」に見舞われる毎日。
焦って大好きなエナドリを断ってみたとしても、そもそも忙しい学生生活のサイクルでは完治が難しい。
今、脳の疲れはピークに達している。
そんな時、身体は自然と癒しを求め、そしてワタシを大海原へと駆り立てたということだった。
海岸線を進む電車は、ごとんごとんと体を揺らしながら海水浴場近くの駅へと進んでいく。
休日にしては乗客が少なく、横幅が広い窓から見える景色は、青い空! 白い雲! 白波の映える海!
その上空を飛ぶ小さなかもめ達が、気持ち良さそうに潮風に乗っているのが見える。
実際、過去には「海に行って何をするんだ! だだっ広い水があるだけじゃないか」と腐ったことを言っていた時期もあった。
だけど、そういった類の文句は往々にして自分の首を絞め、その挙句、ケロッと手のひらを反すようにあっさりと改心する。
これが〝大人になる〟ということなのかもしれない、と思っていたら目的の駅に着いたようなので、席を立ってホームへと降り立つ。
改札を抜けて駅の外へと出ると、潮の香りがほのかに香った。
強い日光が肌をちくちくと刺激して暑い。
その熱光線がアスファルトを焼き、その上にある空気をこれでもかと熱していた。そんな空気を吸い込んでいるのだから、肺の中まで火傷するかと思うぐらいに熱い。
中も外もしっかり焼いてくる。調理としては完璧だが環境としては最悪だ。
休日ともあって家族連れの親子が結構いるので、下手に能力を使えない。
このままここにいては熱中症で倒れてしまうのではと考えていたら思い込みか錯覚か、くらくらしているような感覚がしないでもない。
そんな感じで朦朧としていると、目の前にコンビニが見えた。店内はバッチリクーラーが効いているだろう。
そう思うや否や――ワタシは吸い込まれるようにそのコンビニへと入っていき、すぐに水分と塩味のあるお菓子を買った。その足で店内にあったフードコート的な小さい空間の椅子に座り、しばらく涼ませてもらった。
油断も隙もあったもんじゃない夏。これが日本の夏だなんて信じたくもないよ……全くもって全くだ。
―――………
夏の直射日光は本当に気をつけないといけない。
身をもって感じたその危険を心に刻みながらコンビニを後にした。
そのまま海水浴場に向かって歩いて行く。
道中で通りすぎた民家から聞こえてきた風鈴の音色に癒され夏を感じつつ、やっと目的の海水浴場に到着することができた。
石でできた、やたらと段差が大きな階段を慎重に降りていく。
下まで降りると靴の裏側に柔らかい砂の感触がして気持ちいい。
この海水浴場は比較的綺麗に整備されている。これもひとえにボランティア活動の賜物なのだと思うと、心から感謝の念が出てくる。
水際に近づいてみると、一定間隔で聞こえてくる波の音が心を癒した。気付いたらその満ち引きをただぼんやりと見つめていた。いつまでもそうしていたくなる不思議な魅力を感じる。
「おかーさーん!」と叫ぶ子供の声が聞こえたのでその方向を見ると、波打ち際でしゃがみ込む一人の子供が見えた。
その子供の近くの砂浜を見てみると、パラソルの下で微笑みながら眺めている親がいる。
それだけでここが平和なのだと感じられる。日本という国が素晴らしいと思える。
心が暖かくなり、同時に水しぶきで体が涼しくなる感じがして、それだけでここに来た甲斐があっ……ん?
十分距離を取っていたのに、何故水しぶきを浴びているんだ?
そう思った時にはもう遅かった。
「お兄さん、遊ぼう!」
目の前に赤と黒のストライプ柄をした海パンが見えた。さっき見かけた男の子が手招きしている。
……どうやら、あいつが海水をかけてきたのだと一瞬で分かった。
男の子がハッと視線をずらして遠くを見つめたので、それに釣られてそっちを見るとさっき見た親御さんと思われる大人二人が血相を変えて向かってきている。
その光景を見て口元がにやけるのを我慢出来なかった。
「よーし、いいぞ! お兄さんが遊んでやろう」
「わーい……わっぷぅぅ!」
さっきのお返しにこっちからも水をかけてやった。
「やったなー! おりゃ!」
その光景を見てポカンとする大人たちを尻目に、ワタシとその男の子は二人で遊ぶことに熱中した。
たまには童心に帰ってはしゃいでみるのも悪くなかろう。
2021/07/30に初投稿。本文は当時の文章から加筆・修正を加えての投稿になります。