〈6〉 飛んで火にいる夏の日のこと
辺りが暗くなり始め、道の端に立っている街灯がぽつぽつ点きだした。
まだ明るかった時と比べると、だいぶ雰囲気が違うというか風情を感じられて、少しテンションが上がる。
目の前に見える茶色い一軒家の角を曲がると、そこには見覚えのある公園が街灯で照らされていた。明るかった時とは少し違う静謐な雰囲気を醸し出している。
公園の近くにある森から聞こえていた蝉の声は無くなっていて、鈴虫の鳴き声やカエルの合唱に交代していた。
昼夜問わず音を絶やさない田舎特有の原風景。シフトでも組んでいるのかと思うほどにスムーズな切り替わりは見事と言うべきか。
前を見ればそんなことどうでもいいとばかりに歩く人影が一つ。
この人は、さっき電柱の陰からこっちを覗いていた見知らぬ人。
もしもワタシが能力者じゃなければ、見知らぬ人に付いていくなどといったリスクを冒したりしない。どうしても確かめたいことがあったのだ。
それで、警戒心を利かせながらその人に付いていった結果、見覚えがありすぎる公園に舞い戻ってしまったということである。
その見覚えのある公園にずんずん入っていくその人は、ジャングルジムの天辺に座って足をぶらぶらさせて言う。
「君もこっちに来て観るかい? とても綺麗だよ」
優しく涼しい風のような声でそう言った。
少し判断しかねるが、性別は男だろう。
その人の目は綺麗なエメラルドグリーンで、すらっとした鼻筋にキュッとした口が特徴の綺麗な顔をしていた。髪の毛はマッシュというよりもボブカットに近い感じ、可愛らしい見た目だ。
ただ、街灯の光のせいでできた陰影がその美しすぎる横顔に影を落として、かなりミステリアスな雰囲気を漂わせていた。
その整った容姿に思わず見とれていると、その美少年は体を一つ奥にずらして、さっき自身が座っていた隣のあたりをポンポン叩いた。
恐怖心が少し湧いては、それを多量の好奇心によって揉み消すのを繰り返して動けずに立っていた。
ワタシは一歩ずつ、警戒を切らさないように地面を踏みしめながら進み、その人物がいるジャングルジムへと近づいてこう言った。
「あんたはいったい、誰なんだ?」
それを聞いて、その人はこちらを見向きもせずにこう言った。
「自由を愛する旅人さ」
ワタシは自然と引き寄せられるように、ジャングルジムを上り始める。
そこには何の恐怖心や警戒心も無く、まるで飛んで火にいる夏の虫にでもなったかのようだった。
ようやく頂上まで登り、足をぶらぶらしている美少年の隣へと座る。さわやかなミントの香りが鼻先をくすぐってくる。
そして、美少年と同じ方向をまっすぐ向くそこには、橙色の点が集まってできた光が地平線を煌びやかに彩っていた。
「そして今度はこっち」
言われた通りに視線を変える。
するとそこには、月の明かりで照らされた濃い青の海が見え、その上を跳ねるようにちらちらと動く白い波が可愛らしく動いていた。
「ほらね、綺麗でしょ?」
近くで見ると、彼のエメラルドグリーンの瞳に濃い青色の海が反射して映っていて、まるでそういう加工をした宝石の様だった。
しばらくの間、一言も喋らずにただその風景を見ていた。
一人で暗い公園にいたとしたら心細くて留まっていられなかったけれど、この体験を誰かと共有するだけで、一人の時とは違う決定的な何かがあった。
「あれ? 君、頭の後ろに寝ぐせついてない?」
そう言われてサッと後頭部に手をやると、結構派手目に跳ねているのが分かった。
なぜ学校にいる時誰も言ってこなかったんだろう、とどうにもやるせない気持ちになった。
「すまない、ありが――」
お礼を言おうと隣を振り返った時、ある大きな違和感が視界にねじ込まれた。
それが何なのかというと、寝ぐせを指摘したこの美少年が〝一ミリもこっちに顔を傾けることなく〟、それを言っていたことに気づいてしまったからである。
そもそもずっと違和感があった。さっき出会ってから、ここにたどり着くまで一度もこちらを見ていない。
こちらが不審に思っていることに気づいたのか、美少年はこちらに振り向く。
そして、ゆっくり口を開いてこう言った。
「今〝気持ち悪い〟って……思ったでしょ?」
目の前にいる美少年は、そう思われるのが当たり前であるかのように、そう言われることが何でもないことかのようにそう言った。その口元は力弱く笑っているように見える。
そのことに面食らって、何を言い返そうか悩んでいると、美少年は矢継ぎ早にこちらを心配するような口調でこう言った。
「――別にそう思っていても、怒らないから安心して」
気を遣うのが下手な美少年は、不器用に笑う。
「そんなこと思っていないし、見た目とか仕草が変とかそんなことはどうでもいい。それよりも聞きたいことがある」
「何かな?」
「この質問が失礼だったら申し訳ないがあえて聞く……君、目が見えていないのか」
ワタシの言葉を聞いて美少年は目を見開いた。
「じゃあ……なんで僕は君の寝ぐせを指摘できたの?」
美少年は初めてこっちに顔を向けた。
突然のことだったので思わず気恥ずかしさを感じてむしろこっちが目を逸らしてしまった。
「まだワタシの質問に答えていない」
「だって君が矛盾したことを言うから」
美少年は続けて口を開く。
「君は……どうして戻ってきたの?」
話を逸らされた……と思ったけど、その反応のおかげで確信が持てたのでもう大丈夫だった。
それに、「戻ってきた」と彼は言ったが、ワタシがこの公園にいたのを目撃した人間は誰一人としていなかった。気を失っている間という可能性もあるけれど、彼のような心優しい人間が助けない訳がないのだから。
「君のことが気になったから」
「……ストーカーじゃん」
さっき付いていること知った寝ぐせを直しながら考える。
……この目の前の美少年に敵意は感じられない。ここは本当の目的を言った方がいいと判断することにした。
「君は特殊な能力を使える人間だろう?」
どうやら図星だったらしい。
それを聞いた美少年の顔は、豆鉄砲を食らった鳩のような表情をしている。
「なんでそれを知って――」
「それは……ワタシも同じだからだ」
この事を言ったのは家族以外に初めてだった。
今、ワタシはどんな顔をしているのだろう。
そんな事を考えている間に、美少年の鮮やかな瞳は輝きを増していき、やがて溶けだした液体は翡翠色――ではなくごく当たり前の透明な涙として頬を伝って落ちていく。
「大丈夫か、どこか痛いところでもあるのか――」
「あれ僕、なんで泣いてるんだろう」
美少年は涙で濡れた頬を腕で拭った。
その姿を見ていると、なぜだかもらい泣きしそうになってくる。
悲しいでもないし、嬉しいでもないし、もちろん怒りでもない。この感情の名前をワタシはまだ知らなかった。
とりあえず、ここだと危ないので降りてもらって、公園内にあるベンチに移動し二人で腰掛けた。涙が落ち着くまでの間に、自販機で何か飲み物を買ってあげることにした。
小銭を入れて、自分用にお茶を買い、彼用の飲み物については何が好きか嫌いか分からなかったので、無難に水を買った。
戻って来て買った飲み物を手渡すと、美少年は一口だけ飲んでベンチの上に置いた。
「お金……」
「それぐらい奢るよ。それより大丈夫か? 落ち着いたか?」
「うん、もう大丈夫」
「無難に水買ったけど、何か飲みたいものとかあったか?」
「うんん大丈夫。買ってくれてありがと」
「そういえば、名前を聞いていなかったのだが聞いてもいいかい?」
「うん。僕の名前は影山聡、君の名前は?」
「目下全世界だ」
やはりそうだった。
この目の前にいる美少年はワタシの目的としていた人物その人だった。
「そして改めて聞くが、君は特殊な能力を持っているってことで間違いないな?」
「うん、そうだよ」
「君が持っている能力を聞いても?」
その言葉を聞くと影山は頬を掻いて、少し考えた後、恐る恐るといった様子で口を開く。
「ごめん、それはまだ……言えないかもちょっと――恥ずかしいから」
勢いのある風が二人の背後から吹いてきて間を通り抜け行く。影山の髪がふわりとはためいて一瞬だけ顔を隠した。
大きな蛾が街灯の光に誘われているのが視界の端に見える。あの大きな蛾がワタシ自身と重なって見えるのは果たして気のせいだろうか。
「そうか……いつか聞ける時が来たら、その時はワタシも話すと約束するよ……じゃあ、今日はここらへんでお暇まさせてもらおうかな」
そう提案すると、影山は小さく頷いた後に大きく微笑んだ。
「さっきは心配してくれてありがとう。じゃあ、僕も帰るね」
互いに別れを告げ、ワタシは影山の姿が見えなくなるまでその背中を目で追った。
その後、ワタシも能力を使って帰宅した。
今日の夜は熱帯夜であった。
2021/07/09に初投稿。本文は当時の文章から加筆・修正を加えての投稿になります。