〈5〉 公園から目標地点へ
住所は予め先生から聞いておいたので、ひとまずそこに向かう。
線路が海沿いに沿って引かれていて、電車から見える景色はさぞいいものなんだろうと思う。今度の休みに電車でここまで遊びに行くのも悪くない。ゆっくりしたい時なんかにピッタリだろう。
そんな浮足立つ心に高揚しながら歩いていると、突然全身を覆うような不安感に襲われる。
何の前触れもなく訪れた〝それ〟は、本能が察知した身に迫る危機への直感――第六感的センサーが感知した「死」への警告。
――その瞬間、頭で考えるよりも早く能力が発動した。
こうなったのは生まれて初めての出来事だった。
―――………
……あれからどれくらい経ったのだろうか。
空模様が少し色褪せたのを見るに、しばらく時間が流れたようだ。
視界から得られる情報を勘案するに、ワタシは今見知らぬ公園のジャングルジムに絡まっているようだ。
たまたま周りに誰もいなかったからいいものの、この醜態を小さな子供達に見られていたら、まったくもって格好がつかない。よもや、その保護者に通報されかねないだろう。
大惨事にならなくてほっとしたのはいいが、今はそれどころではない。まさかこんなことがあるなんて思いもしなかった。
能力の緊急発動。
その反動なのか、少しの間気を失っていたようだ。
今もまだ心臓が激しく鳴っている。
自分が意図しない形で力が発動したのは、この能力に目覚めた時以来だった。
とりあえず周りを見て、今すぐ危険が迫っているかどうかを判断する。
ひとまず、安全が保たれているらしい。ふぅ、少し落ち着いた。
……実は目が覚めてからずっと思っていることなのだが、身体のどこかに違和感を覚えている。これはどこかが痛いとか心が苦しいとかそういうものではない。
あるはずのもの、ワタシを構成していた一部が空虚に抜けて、丸裸でここに立っているようなそんな感覚だ。
その違和感に心当たりがあると言えばあるのだが、それはあまり想像したくないものだった。
その予想が外れることを祈りながらワタシは強く念じる。
この見知らぬ環境から逃がしてください。
……。
……。
……何も起こらなかった。途端、不安駆られ始めた。
そして、そんな自分自身を酷く情けなく思った。
だって、それはつまり〝能力が使えることを当たり前だと思っていた〟と同義であって……。
ふと、小さな声が聞こえたような気がした。
それはただ風が耳元を掠めただけなのかもしれないし、民家から漏れたテレビの音だったかもしれない。
『君は逃げることから逃げたいと思ったことはあるかい?』
そう聞こえた気がした。
どこかからそんな声が聞こえた。
これはもしかしたら幻聴なのかもしれない。
だけど、こんなに心を揺さぶってくるのは何故だろう。
幻聴に背中を押されたなんて変な話だが、そんなこと今となってはどうでもいい。
今は目の前のことだけに集中する。今は逃げずにその言葉を念じて手を握り込む。
……よし、やろう。
ジャングルジムから抜け出して、整理するために頭を働かせる。
まずは、現状の調査だ。
体の不調で能力が使えなかったことは今まで無かったので、それを省いた他の可能性を探ってみることにする。
ということで、「能力が使えない」ということを手がかりに、その範囲がどこまで広がっているのかを調べることにした。
まずは、公園のど真ん中にあるジャングルジム周辺で能力を使ってみる。
先程と同じように、やはり使えない。
次に、ブランコ、シーソーと順々に試していったがどこも使えなかった。一応、木陰に置いてあるベンチや、ポツンと置いてある赤い自動販売機付近も試したが、まったく反応がなかった。
思い当たる仮説が一つ浮かんだ。
その考えに沿って、おもむろにその公園から一歩だけ足を出して能力を使ってみる。
すると、体が空気中に溶けていく感覚がしてすぐに能力を止めた。
考えが確証に変わり、そしてまた疑問が生まれる。
その範囲が公園内であるということは分かった。しかし、何故そんなことになっているのかが分からない。ここはパワースポットか何かなんだろうか。
けどまず、公園の外に出ればいつも通り能力が使えることが分かって少し安心した。
前を向いて進めた自分を褒めてやろう。
そして、気持ちを切り替え、ワタシは本来の目的であった影山宅に向かうことを思い出す。
スマホで現在位置を確かめると、影山宅からそんなに遠くの場所でもないことが分かった。
そうと分かれば後は移動を開始するのみである。
前に歩を進めているのは確かである。
―――………
公園から影山宅を目指して歩くこと十数分、ようやく道路の向かい側に彼の家が見えた。
なんとなくすました顔で歩いていき、『影山』と書かれた表札の横を通り過ぎて、玄関扉の前まで来た。
あらかじめ、影山に渡すためのプリントを鞄から出しておいて、それを左手に握り、もう片方の手でチャイムのボタンに指をかける。
ピーンポーン。
間延びしたチャイムの音がドアの向こう側から聞こえてくる。それのせいか分からないが全身に緊張が走った。
しばらくすると、ドアの向こう側からフローリングの上をせかせかと急ぎ足で駆ける音が微かに聞こえてくる。
そして、次の瞬間に――ガチャン。
扉の鍵が開く音が聞こえて、すぐにその扉は開かれた。
「ハーイ、どちら様ですか?」
現れたのはTシャツにデニム生地のショートパンツ、その上に派手目のピンクエプロンをした女性で、茶髪に染めたポニーテールを垂らし、愛嬌をたっぷり含んだ可愛らしい笑顔で迎えてくれた。
勝手な予想だがこの人は想像するに「影山のお姉さん」であると推定できた。
「初めまして。ワタクシ、星ヶ屋高校一年一組の目下全世界 です。影山君に数枚のプリントと課題のプリントを持ってきました」
「あぁ、そうなのね~! ありがとうね、目下君」
「あのー……今影山君って今いらっしゃいますか?」
自分で質問したにもかかわらず「聞いてしまった……」と思った。
別に、おかしなことを聞いたわけではないはずだけど、その一言を言うのに引っ掛かりを感じるのはなぜだろうか。
「ごめんなさいね、聡ちょうど家を出たばかりで……今いないのよ~!」
「そうだったんですね。残念です。それでは失礼します」
ここで変な探りを入れるのもリスクがある。ここは素直に引いておこう。
そう判断して、ワタシは影山宅を後にすることにした。
軽く会釈をし、振り向いて一歩足を出したその時――背後から「聡のお友達?」という声が聞こえてきた。
ワタシは振り返り、極めて自然な笑顔で堂々と「はい、そうです」と答えた。
それを聞いて、その女性はパッと嬉しそうな表情を浮かべた。
罪悪感があったが、今後の布石だと言い聞かせて自分を納得させる。
それに、今はまだ影山について何も分からないが、いずれ親しくなる可能性もある。〝今はまだ違うかもしれない〟が未来では友達の可能性もある。
さっきの返事は宣言ということ。そういうことにしておく。
……さて、やるべきことも終えたのでワタシは帰ることにしよう。
ふと、誰かが見ているような感覚がして辺りをよく見まわしてみる。
すると、暗闇に紛れて電柱の影からこちらを見ている人影があることに気づく。
その人はじっとこっちを見て、頷いたかと思ったらパタパタと手招きをしている。
果たしてワタシはどうすればいいのだろう。
「人生は選択の連続だ」と言った人がいたらしいが、それは人間の人生をよく捉えた芯ある言葉だと今は思う。
ワタシの取る選択が正解か不正解か――それは神のみぞ知ることだろう。
2021/07/02に初投稿。本文は当時の文章から加筆・修正を加えての投稿になります。