〈4〉 後悔は先に立たないが、希望は立っている。
古くなった椅子や机が積みあがってできた山が、教室の奥にそびえたっていて、それはそれはかなりの壮観である。
カチッと時計の針が動いた音が一つ。
半開きの窓からは、運動部の掛け声が、一定のリズムを刻んで遠くなったり近くなったりを繰り返している。どうやらグラウンドを周回しているようだ。
「それではよろしくお願いします」
富樫先生はそう言って、姿勢を正した。
「はい、よろしくお願いします」
こちらも丁寧にそう返して姿勢を正した。緊張感がぐっと高まって心臓に圧を感じる。
「影山君のことについて聞きたいとのことですが、それはなぜですか?」
至極まっとうな疑問だ。
「はい、そのことなんですが……」
先ほどまで考えていた台詞を自然な口調で述べていく。その間、先生は真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「……ということで、ワタシに手伝わせて欲しいのですがどうでしょうか?」
言ったことを要約すると、「先生も不登校の生徒がいて困っているでしょう? なので、少しでも手伝えることがあれば手伝わせてください」を差しさわりのない具合に説明した。
…………。
静寂がそうさせているのか、それとも緊張して余計にそうなっているのか、心臓がとても早く鼓動しているのを感じる。そして、その音が焦る心に拍車をかけ、また余計に鼓動が速くなっていく。
「……分かりました。それでは、無理のない程度に協力してください。よろしくお願いします」
長い沈黙を切り裂いて放たれたその言葉でワタシは安堵した。その安堵を持って大きく深呼吸をし、空気を肺に送り込む。いつの間にか浅くなっていた呼吸が元通りになるのが分かる。
「ありがとうございます! 自分にできることがあれば是非言って下さい。自分で考えて行動もしてみますので」
先生にとって、『他のクラスの生徒が自分の担当しているクラスの不登校生徒事情を「手伝いたい」と申し込んできた』、というのは違和感があるだろう。
しかし、そこはワタクシ、目下 全世界。 今まで培った話術と知識で何とか了解を得ることに成功した……と思う。まぁ、不信感を完全に打ち払うのは後から十分できるから、「今できることはした」と言って良いだろう。
「それじゃあ……先生は部活の顧問をしていますのでもう行きますね。あ、そういえば全世界君って、どこかの部活に入ってましたっけ?」
ワタシはその言葉を聞いて最近あったあの出来事を思い出した。
『へゃい!? びっくりした!! あなた今どこから来て……』
あの時はとっさに『手品部』と言ったが、そこは『奇術部』といった方が響きもカッコよかったかもなぁ……と後悔の念がモヤモヤ浮かんでくるが、「後悔先に立たず」という言葉がある通りそんなことを考えていてもしょうがない。
目の前に希望が立っているんだ、後ろにいる後悔なんかに気を取られるな。
こんな言葉が頭に浮かんだということを誰かに自慢したかったが、こういうのはしかるべき時に言わないと台無しになると気づいたので、ワタシはその刀をそっと鞘に納める。
これを言っても笑われない仲間を集めるまでの辛抱だ。
「……何処にも所属していないですよ」
変な間を作りながらも先生の質問に答える。
「そうでしたか……あ、そう言えば今日は影山君に渡すためのプリントが数枚あるのですが、さっそくこれを渡すの……お任せしてもよろしいですか?」
これは絶好のチャンスが訪れている。
「大丈夫です。帰り際に寄っていきます」
「あ、いや、影山君の住んでる所、結構端っこの方なので無理なさらなくてもいいとは思いますが、どうされますか?」
「え、どこですか?」
「海島駅方面です」
あまり聞きなじみの無い駅名に困惑していると、先生がスマホで地図を開きながら教えてくれた。
……なるほど、どうやら影山は海側の田舎の地域に住んでいるらしい。
ということはワタシの家の最寄り駅である三寒越冬駅と真反対の位置に面しているということになる。
わが校星ヶ屋高校及び最寄り駅の星ヶ屋駅は県の真ん中ぐらいなので、ちょうど高校を挟んで反対の位置。
交通費も馬鹿にならないし、家に帰るのが何時になるのかも見当がつかなかった。
「大丈夫ですか? やっぱり辞めておきますか?」
先生は心配そうな表情でこっちの出方を窺ってくる。
仕方ないさ、先生は知らない。ワタシが超能力を使えることを。
「大丈夫です、任せてください」
そう言うと、先生は少し心配そうな表情を残しながらも、一応安堵の表情を見せた。
「そうですか……ではお願いします。それでは失礼します」
先生はそれだけ言うと、急ぎ気味に教室を出ていった。部活があるのにこっちを優先してくれたあの人の好感度は今かなり高かった。
そして、同時にワタシは何故、「大丈夫です」と言い切ってしまったのだろうかという後悔に苛まれていた。
ワタシは能力が使える、がそれは限定的なもので場所を指定して飛べるわけではない。
今まで〝たまたま都合よく〟思い通りの場所に飛べていたけど、今回は例外を引いてしまうかもしれないし、それに距離も遠い。
それでもここは祈るしかない。そして、ワタシは今一度念じる。
見栄を張ってしまう自分から逃げたい。
次の瞬間に、空き教室はもぬけの殻になり、閉め忘れた窓からは今もまだ運動部の掛け声が響いていた。
―――………
――ガラガラッ
「すみません! 荷物忘れてしまって……」
忘れた荷物を取りにすぐ引き返してきた私は、全世界君の姿がどこにもないことに気付いた。
あれ……? すぐにここを去ったとしても、廊下ですれ違いそうなものだけれど……。
誰もいない空き教室、開いた窓から風が吹く。
けれど、その窓は直ぐに閉められた。
―――………
「海島駅、来たことなかったけれど、これは何というか……想像以上に田舎だな」
無事に飛ぶことができて、ひとまず安心した。
そして、海島駅とその周辺を散歩がてらに見て回ったが、なんというか、思っている以上に何も無かった。
お前の地元はどうなのか、と問われてしまうと何も言い返せないのが悔しいところではあるが、そこは目をつむるのが紳士の心得というものだろう。
実際、良いところが何も無いかと言うと、決してそうではない。それは、目の前の光景を見れば分かる。
風に運ばれてくる磯の香りと降り注ぐ陽の光。所々いい感じに錆びていてなんとも風情のある待合室の窓から見えるのは、橙色に染まる広大な海と空。
そんな絶景を目の前にして、一人ポツンと駅に立っているという状況。
独り占めにできた優越感と情感あふれる景色を前にして、流石のワタシといえども心が躍って元気が湧いた。
もしかしたら、これが「海外で異国情緒に触れた時に抱く感情」なのかもしれない。なんて、そんなことを思った。
そして、自分もこんな所で幼少を過ごしたかったな、とも思ってしまったワタシは冷たい人間だろうか。
今も世界を橙色に染め上げている夕陽と対比して、卑屈にそんな事を考えながら、ワタシは海島駅を後にするのだった。
2021/06/25に初投稿。本文は当時の文章から加筆・修正を加えての投稿になります。