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トラウキネシーズ  作者: 不透明 白


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17/18

 〈17〉 達者でな

 ベッドの近くには二つの松葉杖が重なって立てかけてあった。

 部屋の対角線上に二つ置かれたランタンは、ここが廃校舎である事を忘れそうになるほどお洒落に壁を輝かせている。

 ここが授業を受けたりするための教室でないことは直ぐに分かった。出入り口のドアが引き戸ではなくドアノブで開閉するタイプのドアなのも一因としてある。

 そのこともあってか、ここは他の教室と比較しても古い印象を抱かなかった。元々何の部屋だったのだろうか。今のこの様子ではちっとも見当つかないけれど。

 今ワタシは佐藤が座っているソファから一つテーブルを挟んだ、反対側にあるソファに座っている。

 このソファは元からここにあったものではなく、後から運び入れたものであろうことは肌触りと弾力で聞かずとも分かった。

 部屋の奥には一人用のデスクと椅子、それから小さめの棚があり、その傍には観葉植物が置いてある。

 物の充実度合いから察するにいつもここで過ごしているのだろう。

 ワタシと佐藤が挟むテーブルには飲み差しのティーカップと包帯、それと錠剤が入った銀紙が置いてあった。

 影山はというと、ワタシが座っているソファの背後で後ろ手を組んで立っており、いぬらしきはというと入り口付近で挟み撃ちを警戒していた。

 妄想さんの近くで泣いていた女の子はもう泣き止んでおり、今は体の向きを変えてこっち側を向いている。だけど、目線は自分の膝元で、俯いたまま自分の指先を弄っていた。

 妄想さんの無事が確認できた今、心配なのは自分自身の体力残量だけだった。今もずっと校舎全体に能力をかけ続けており、もうすぐ底を突きそうだった。

 ワタシは決心し、能力を解除。そして、再び能力を発動する。

 その範囲はこの部屋全体に設定した。条件はさっきと同じで範囲内の人間。

 如何せん大きさがネックだったので、かなり小さくなった今なら体力もしばらくはもつだろう。


「さて……どこから話す?」


 佐藤は腕を組んでワタシと影山を一瞥し、そう言った。

 ワタシが何から切り出そうか迷っていると、佐藤が続けて口を挟み、

「せっかくだからコーヒーか何か淹れるか。……かかし、お願いできるか?」

 と言いながら〝かかし〟と呼んだ女の子に目配せをした。

 女の子は無言で頷いて、近くに重ねて置いてあった松葉杖を手に取り、包帯が巻いてある方の足を浮かせて松葉杖を突き、部屋の奥へと移動していった。

 その間、何か会話をするでもなく、ただただ警戒と疑心に満ちた空気が支配した。

 そんな緊張感のせいなのかコーヒーを淹れる音がやけに大きく聴こえる気がする。

 それからややあって、

「できたか?」

 と、佐藤が女の子に聞き、女の子もまたこくりと頷いた。

 佐藤はテーブルにある飲み差しのティーカップを持ちながらおもむろに立ちあがり、奥で少し作業したかと思ったら、紙コップに注がれたコーヒーを両手に持ったまま戻ってきて、それを優しくテーブルの上に置いた。

「……冷めないうちに飲むことをお勧めするよ」

 その口調からは〝多分飲まないだろうけど〟というようなニュアンスが混じっていた気がする。

「それじゃあ、聞きたいことがあったら答えるよ」

 ソファに腰を据えた佐藤は改めてそう言った。

 このコーヒーを淹れている間にいくつか思い付いた質問の中から一つ選んで口にする。

「何故、妄想さんはこんなに怪我をしているんだ?」

 そう言って、ワタシは今も目を瞑っている包帯まみれの妄想さんに視線をやった。

「これは言い訳も含んでいるけれど、それも含めた素直な言葉として受け取って欲しい。……妄想さんが我々の敵組織に所属しているのではないか、という疑念が直前まで晴れなかったんだ。見定める最終段階に至るその前に我々と妄想さんは邂逅してしまった、という訳だ」

「だから無力化するために戦ったと」

「いや……正直に言うと〝処理〟するつもりだった」

「処理」

 つまりそれは殺すつもりで戦ったということ。心に憤りとやるせない思いが巣食ったが、この場で感情を露わにするのはよした方がいい。

 ベッド近くの椅子に戻ってきていた女の子は〝処理〟という言葉を聞いた瞬間に、グッと手を握り込んだような気がした。よりもっと俯いてしまって、今はもう頭頂部しか見えない。

「でも妄想さんは今もそこにいる。それはどうしてだ?」

「この校舎に入ってきたのが〝君たちだけだった〟、だから違うと気が付いたんだ。でも戦っていたのは俺ではなく、そこに座っているかかしだった。……だから今は妄想さんが強くて良かったと心から思っている」

 釈然としない言い方だと思ったが、そう口には出さなかった。

「……カフェの時、何故妄想さんを攫ったんだ。そもそも、何の目的があってこんなことをしている?」

 動機を素直に話すかどうかは分からない。けれど、ここで聞かなければならない気がした。

「……」

 佐藤は顎に指を添えて視線を逸らした。話すかどうか思案しているのだろう。

「かかし」

「……いいよ」

「ありがとう」

 当人同士でしか分からない承認の会話が手短に交わされた後、佐藤は深呼吸をして後頭部を掻いた。

「長くなる。それに聞いた後、後悔しても責任は一切取れない。それでも聞く覚悟はあるか?」

 正直に言うと、ワタシはその言葉が意味しているところがよく解らなかった。責任とは何のことなのか。何に対して後悔することになるのか。

 一人では判断しきれないと思い、後ろを向いて影山の判断を仰いでみた。

 すると影山は鋭いまなざしで佐藤にこう投げかけた。

「僕たちは妄想さんを助けに来た。今すぐ妄想さんを抱えて逃げる……と言ったらどうする」

 佐藤は目を点にした後、含みのある笑みを蓄えて、


「君がそう言うなんて意外だな」


 と言った。

「影山、佐藤と面識があるのか?」

「……いいや、初対面だよ」

「でも、いや……そうか」

 影山が何かを隠しているかもしれないと直感的に思った。しかし、今ここで言及することは正直出来なかった。


「質問を質問で返されても困るな。あと……その言葉は〝脅し〟と取っていいのかな?」


 佐藤は落ち着き払ってそう言った。

「影山――」

「そういう意図は無かった。誤解させたのなら訂正させてもらう。……全世界君、すまない……君が決めて欲しい」

 二人の会話を聞いて少しあっけにとられていたが、いつもの影山らしからぬ発言から考えても、多分、疲れの表れなんだろうと思った。息が詰まるような空気が精神を蝕んでいるのは間違いない事実としてある。

「佐藤、聞かせてもらってもいいか」

「分かった」

 佐藤は姿勢を正し、思い返すようにテーブルを見下ろしながら口を開いた。

「……俺達はある敵組織に追われているんだ」

「さっきもそんなことを言っていた。どんな組織だ」


「――国家組織。主に〝警察〟だ」


 佐藤は淡々と言った。

「警察?」

「正確には、警察庁に属する『超能力対策課』という組織だ」

「そんな組織があるなんて初耳だな」

「そりゃあ表に出てない組織だし、一般人には一生縁が無いだろうしな」

「……ワタシも一般人か?」

「君は警察にお世話になるようなことをしたことがあるのか?」

「いや、無い。すまん」

 でもそれだと、佐藤は遠回しに〝自分はある〟と言っているのと同じだった。

「別に攻めているわけじゃないし、こっちも自慢をしているわけではない。……まぁ話を戻すが、その超能力対策課とやらに属していた女が、ある時期からかかしとその両親に接触しだした。その女はかかしの家庭環境や身辺調査をする「福祉の人間」と自称して、かかしの能力や能力を持つ人間自体の調査をやった。適当な理由と一緒に『国家権力』という大きな免罪符で、拒否権なく無理矢理家庭に足を踏み入れた。何となく予想がつくだろうけど、それでどうなったと思う?」

「……家庭環境に亀裂が入った」

「そうだ。だがなぜ亀裂が入った? かかしの両親が常日頃からかかしのことを想って、それでいて大切にしていたらここまで大事にならず、ましてや国に目を付けられることなんてなかっただろうし、胡乱な調査もされなかったはずだ。つまりかかしの親はかかしに対して少なからず拒絶感を抱いており、我が子であるにもかかわらずまるで腫れ物を扱うかのように接していた。『自分達の子がこんなはずじゃない』ってな。

 では、かかしが能力を持たない普通の子だったら親に愛されたのか。普通の子だったら友達ができたのか。親の愛を知らない子供に普通のコミュニケーションができるのか。前述した通り、学校での様子を心配したりする親じゃないのは明白だ。故に改善の余地はゼロ。そんな負のスパイラルの中でギリギリ耐えていた糸を切ったらどうなる。……無関心だった方が数倍マシだったと思ってしまうような日常がどれほどの絶望か。国のお偉いさんは甘いんだよ。吐きそうなほどに苦しくて辛いこちら側の気持ちなんて微塵も考えちゃいないんだろうな」

 佐藤は話しながらギリギリと歯を食いしばっていたが、不意にハッと自覚してすぐに落ち着きを取り戻した。

「そんな負のスパイラルから逃げ出そうとしたかかしは自殺を図り、屋上から飛び降りた。結果としてそれは失敗に終わった。当たり前の話だが無事では済まず、かかしは足を骨折して入院した。それから数日後、無事退院した帰りの駅構内で俺とかかしは初めて出会った。二つの松葉杖を脇に抱えて、慣れない様子で階段を下りようとしていたかかしに声を掛けたのが最初だった。その時に見たかかしの顔は忘れられない。今でも思い出して夢に見る。今はマシになったから言えるけれど、あの時のかかしの目はただの空洞にしか見えなかった。

 駅のホームまで一緒に歩く間に、俺はかかしのことが心配になって話を聞きたくなった。……あんな目を見てしまったからな。それで、それからしばらくの間、誰もいない待合室で話をしていると、かかしが自分と同じ能力を持っている人間だと分かった。それから家庭環境や最近あったことを話してくれた上で『さっきあなたに話しかけられていなかったら、今頃はホームから飛び出して死んでいる予定だったの』ということも聞かされた。これは運命だと思った。「恋」だとかいう平和ボケした運命ではなく、〝生まれた意味としての使命〟を発見したんだという直感があった」

 佐藤の話を聞きながらワタシは自分自身に問うていた。

 ……この話がもし本当だとしたら、ワタシは佐藤や彼女のことを責められるのだろうか。正直に言ってしまうと、何が悪いことで何が正しさなのかを見失いそうだった。

「それから共に電車に乗り、かかしの家の最寄り駅で一緒に降りて、かかしを家まで送るその道中で俺は決心した。このままかかしを家に帰したとしても彼女が救われることはないだろうと分かっていた。歓迎する親もいなければ、頼れる友達もいない。そんな状態で家に帰していいのかと思った。だから聞いたんだ。〝俺と来ないか〟と」

 そう言った後、佐藤は自身の喉を触りながら申し訳なさげに、

「飲まないならそのコーヒー貰って良いか?」

 とワタシの前に置かれた紙コップを指差して言った。

「……あぁ、構わない」

「助かるよ、長話するのに慣れてなくってさ……ん、あぁ、やっぱり冷めてるな」

 佐藤が紙コップを手に取りコーヒーを飲んでいる間、ワタシは視界の隅に見える彼女を盗み見た。

 この話の筋であるところの彼女は、自分自身を抱くようにして二の腕を掴み、何かに耐えるような表情で目を閉じ震えていた。

 なぜ彼女がそんな表情で自身を抱いているのかについては、次に佐藤が口にした言葉で腑に落ちることとなった。


「その後すぐのことだ――かかしの親と胡乱なその女を殺したのは」


 ――カチャッ。


 ガタッ――「んぎひっ」

 足が悪いのにもかかわらず慌てて立ちあがろうとした彼女は、ふらりとよろめいて尻餅をつき、潰れたカエルみたいな声で呻いた。

「……その物騒なものをしまってくれると助かるんだが」

 なぜ彼女が突然立ちあがろうとしたのか。

 後ろを振り返らずとも、視界の端から伸びている黒い得物を見れば、今がどういう状況なのかは分かる。

 そして、さっきの音は撃鉄を引いた音だ。


「なんで先輩を殺した」


 影山は酷く冷たい声でぴしゃりと言い放った。

「先輩ねぇ……こういう顔だったかな」

 佐藤は一瞬、顔の前で腕を振った。

 すると変面のごとき速さで顔と髪の毛が変わり、ロングヘアーの美しい知らない女の顔になった。

「――ッ」

 影山は一度ギュッと得物強く握った。銃口がふらふらと揺れる。

 すぐに顔を戻した佐藤は両手を上げ、口の端を上げながら、

「まだ話は終わっていない。それは最悪下げなくてもいいから聞いといてくれや」

 と言った。

 影山は何も言わず、ただ銃口を向けている。

「かかし、大丈夫か」

 呼ばれた彼女はよたよたと椅子にしがみつく形で何とか座り直した。

「はぁ……まぁ、そんな感じで派手なことをしたもんだから、こうやってお仲間に追われるのは承知の上だけどな」

「お仲間?」

 ワタシは思わず聞き返した。

「お前言ってなかったのか? じゃあ代わりに俺が言ってあげよう。もう薄々分かっていると思うが、そこで銃口向けてる〝そいつ〟も超能力対策課の人間だ」

「――全世界君、こいつの話を鵜呑みにするなよ。こいつは人殺しの重罪人だ」

「今まで黙って利用してた奴にそんなこと言われても説得力無いと思うけど?」

 佐藤はわざとらしく軽い口調でそう言った。

「黙れ」

「黙ったら話ができない。だから黙らない」

 それでね、と気にしないそぶりで続きを話す佐藤。

「まぁ言った通り、いずれは警察が突き止めて対面することは避けられないだろうと思っていた。だから、俺は逃げる手段を欲した。故に、全世界君に会う必要性が出たって訳だ。だからあのカフェのタイミングで一緒に来てもらおうと思ったんだけど……邪魔が入っちゃってね。だから、人質を取ってそっちから来てもらう事にした。長くなったけどこれが妄想さんを攫った理由と全容だ。多少の省略はあるけれど、大まかな流れは伝わったか?」

「……よく分かった」

 そう、よく分かってしまったからこそ、ワタシは今悩んでいた。

「だから妄想さんを手当したし、ココアを飲んでもらって安静にしてもらった。……かかしの睡眠薬を借りて無断で服ませたのはまぁ、善意だと思ってほしいけれど」

 考えがまとまらない。佐藤の言葉も単語単語でしか聞き取れず、どう返事をするか悩んだが今のごちゃごちゃした頭ではなにも思いつかなかった。

 佐藤はワタシに助けを要請していて、影山は佐藤を追っていた。それに巻き込まれて妄想さんは拉致されて、かかしと呼ばれる彼女と戦った。

 多分だけど、ワタシが佐藤に手を貸すことを影山は看過しないだろう。

 被害者が共犯者に早変わり? たまったもんじゃない。

 ……なんて割り切れる人間だったならば、こんなところに立ち会わなかっただろうと思うと運命というやつはほとほと残酷だと思った。

「……先輩の対応はあまり良かったと言えないかもしれない。でも彼女なりにどう解決しようとか、調べたり掛け合ったりと色々していた。君は知らないだろうけどな」

 影山は呟くように小さく言った。

「あぁ、知らない――知らねぇよ。知っているのは結果だけ。その結果が幸せな奴で溢れていたのなら俺なんて要らなかった。今ここに俺がいない世界だったらどんなに良かっただろうと思うよ」

「一つ君に忠告しておく」

「どうぞ」

「この校舎はすでに警察に包囲されている」

「……」

「抵抗せずに出頭しろ。そしたら手荒な真似はしない」

「――知ってるよ」

 佐藤は諦観を滲ませた声でそう言った。

 そして、テーブルに置いてある紙コップのうち、まだ誰も口を付けていない方を持ち上げ、息を殺してジッと座っていた彼女に向かってコップを突き出し、

「かかし飲むか?」

 と言った。

 彼女は佐藤の言葉と行動に困惑しながら、小さくかぶりを振った。

 そうかと言って、佐藤はワタシを〝一瞥〟した。

 そして、そのコーヒーをテーブルに置き、再びワタシを〝一瞥〟した。

 その際、佐藤は優しい笑顔を湛えていた。

「……俺はね、実は頭がいいんだよ」

 佐藤はそう言いながら飲みかけだった方のコーヒーを一気に飲み干し、またもワタシを〝一瞥〟した。

 そして、空になった紙コップをテーブルに置いた後、親指に中指をグッと引っ掛け、デコピンの要領でその紙コップを弾いた。

 パチンッ、カランカラン。

 中に残っていた少量のコーヒーをテーブルに巻き散らしながら、その紙コップは円を描き、ぐるりと勢い良くUターンをした後にテーブルから落下し、最後には佐藤の足元付近に横たわった。

 ――グシャ。

 佐藤はわざとらしく大仰な所作でその紙コップを踏みつぶして、今度は〝ジッとワタシの目を見た〟。

「そんじゃあ、これは全世界君にあげる」

 そう言って佐藤は、テーブルに一つだけあるコーヒーの入った紙コップをこちらにグッと押し寄せた。

 流石にそれが意図していることを理解できないほど馬鹿じゃない。

 ……だから、自分が「大馬鹿者」だったら何か違ったのかと、本気でそう思ったのは言い訳なのだろうか。

 もしそうならば誰に対しての言い訳なのか。自分自身か。佐藤か。それとも影山か。


「俺が何故こんなにべらべらと自分の持っている情報を話したのか」


 佐藤は高らかな声でそう言った。それから続けて、


「全世界、俺に協力して……ここから逃がして欲しい」


 佐藤は真剣な顔でそう言った。

 その目には「覚悟」とかいう単語一つで言い表すことが陳腐だと思えるほどに強い想いが宿っていた。

「ぐわわわわゎゎゎっ」

「おい、いぬらしき、止めろ!」

 ソファの後ろでじたばたともがいている音がする。

 その直後のこと。


 ――バンッ、バンッ。


 耳がキィンとするほどの大きな音だった。

 恐怖で固まったからなのか、警戒と状況把握で神経を張り巡らせているからなのかは知る由もないけれど、ここにいる誰もが体を微動だにしなかった。

 部屋の隅へ滑って飛んでいく拳銃を視界の端に捉えたのは、その二発の銃声が聞こえてすぐのことだった。

「全世界君、急いで立ってこっちに来てくれ」

 逡巡した後、ワタシは立ち上がって慎重に歩いた。

 少し進んでから後ろを振り返ると、〝泥にまみれた〟影山がソファの向こう側で転がってもがいて何かを叫んでいた。

「かかしもほら立って」

 驚いた顔で影山の方を見ていた彼女は、佐藤に言われたまま困惑した表情で松葉杖を突き立ち上がった。

「じゃあ、かかしこれ」

 佐藤はテーブルの上に置いてあった薬入りの銀紙をかかしに渡した。

「じゃあ最後に。かかし」

「…………最後って何」

「ちゃんとそれ見せて薬貰いに行けよ。それと足のこともある。困ったことがあったら全世界とか妄想さんを頼れ。それと……ここまで付き合わせて悪かったな。こういうのは全部俺一人でやれたら良かったんだけどさ。まぁ、許してくれ」

「――意味分かんないこと言わないで! 最後って何? 教えてってば!」

 佐藤はその言葉に応えず、ただ曖昧な笑みを浮かべて少し俯いた。

「そんじゃあ全世界」

 佐藤はさっきと同じ目に戻った後、ワタシの肩をポンと叩き、


「達者でな」


 と、そう言った。

 瞬きをした後にはもう佐藤の顔は見えなかった。

 松葉杖を突いて佐藤に寄ろうとするかかしの腕を掴み、今も眠っている包帯まみれの妄想さんの手を握った。

 今も叫んでいる彼女は何を思うのだろう。

 妄想さんが目覚めてあったことを伝えた時、はたして何と言われるだろう。

 正しさが人それぞれだということを、今後の人生で今以上に感じることはもう無いだろうと思う。

 そんな正しさがひしめき合って、擦れあって、傷つけあって、ぐちゃぐちゃになりながら最後に決めたワタシの行動は本当に正しいのか。

 そんな問いを心の奥に確かめながらワタシは能力を発動した。


 もう何から逃げているのかなんてワタシにも分からなかった。


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