〈14〉 ナイフを片手に廃校舎を徘徊する女子高生、爆誕
〝私〟妄想つくは学校にいた。
しばらくの間眠っていたみたい。
目が覚めた瞬間学校にいたなんて、なんだか社畜の夢遊病じみてて嫌な感じ!
それに「夜中学校に忍び込む」なんて不良生徒のやることだと思っていたけれど、私ってば自分のおてんば具合をあまり自覚できてなかったかも。
反省! 反省!
それに、なんか手首が重いなって思ったら鉄輪なんか付けちゃって、バンキッシュな気分だったのかな。
しかもその鉄輪から鎖までぶら下げちゃって、本格的なんだから笑っちゃう。
まるで〝誘拐されてから廃学校で監禁されてる〟……みたいなぶっとんだ妄想までできちゃうんだから、最近の私は疲れているのかも。もしくは逆に絶好調なのかもしれない。
「なんてね、ははっ……」
現実逃避してみても心臓の鼓動は平常に戻らなかった。
窓から入ってくる月光だけを頼りに辺りを見回しても、何もない教室の景色が広がっているだけ。
白く照らされた木目の床には埃が積もっており、影になってよく見えない壁掛け時計は当時の時間を指し示したまま動いていない。
最後にいつ開け放たれたのかも分からない窓は全て閉め切られており、空気の循環をしていない教室は壁掛け時計が動かないのと同じように時間が停まっているようだった。
空中を漂う埃が呼吸をするごとに肺を蝕み、小さく咳が出る。
ここは何もないけれど、何もかもが古かった。
ここまで何もないと、かつてここが教室であったということを認識するのさえ難しい。
そんな見知らぬ学校の見知らぬ教室。
鎖でつながれた女子高生が一人。
もはや唯一の学校らしさであろうはずの『女子高生』という肩書ですら、ここじゃあ浮いているように思えた。
「んんっ……いてて」
今まで床に寝ていたためか肘やら肩が痛かった。
……うら若き女子高生なんだから、布団とか用意しておきなさいよ!
と恨みがましさを憎き犯人にぶつけながら、現状把握に取り掛かる。
というかどう考えても、一番の障害なのはどこをどう見ても鉄輪と鎖だった。
やけにしっかりした道具だけど、こんなもの一体どこで仕入れるというのだろう。SMクラブとか?
まぁ、そんなことは置いておくとして、とりあえず鎖を綱引きみたく引っ張りながら引きちぎれるか試してみることにする。
えい! えい! じゃらら。
えい! えーい! じゃらら。
……駄目みたい。
用意周到に手首のサイズピッタリの鉄輪だから、手首を返したり手のひらをすぼめたりしてみても全然すり抜けそうになかった。
「誰かー! 誰かいませんかー! 助けてくださーい!」
…………。
駄目もとで叫んでみたけれどやっぱり返事はなかった。
両腕の鉄輪は手錠みたいに近くで繋がっているため、手を使って何か作業をすることも難しい。
私が考えられる一通りの案が尽き、冷静になった途端に腹の奥から絶望感が込み上げてきて、額と背中に冷汗をかいた。
ここに居たら私はどうなるのだろう。どういう目に遭うのだろう。日本と言えど人身売買はあると聞く。もしくはレイプされるのだろうか。
色んな不安が覆いかぶさってきて、さっきまでの気丈さが息を潜めてしまい、いよいよ気がおかしくなりそうだった。
「こほこほ」
動いたからか、床の埃が舞って肺に入ってくる。それに喉もザラザラする。
分からないけど、死ぬまでここにいる可能性もあるのかな。
私は三角座りになって月明かりが差す窓を眺めた。
お母さんの顔が浮かんだ。
お父さんの顔も弟の顔も浮かんだ。
流れる水滴が頬を伝う感覚がして、初めて自分が〝泣いている〟ことに気が付いた。
一度溢れるとしばらく止まらないことは自分が一番解っていた。
泣いて、嗚咽が漏れて、深呼吸をして。
そこで初めて思い出した。
全世界君と影山君のことを。
彼らだったらこの状況でただ悲しみにくれたりなんかしない。「絶望するのは死んでからさ」と言っている全世界君を想像した。「僕に抜けれない窮地なんか思いつかないかもね」と笑う影山君を想像した。
……想像したからって〝勇気が湧く〟とか、〝口角が上がる〟みたいなことにはならなかったけれど。私はジャンプ漫画の主人公みたいな女の子じゃない。
ただ気が付いたら想像してたってだけ。
私は濡れた頬を拭こうとして、腕が全然動かないことを再度自覚した。
身動きが取れない状況で泣いている自分を冷静に俯瞰した時、私はある人のことを思い出した。
それは水墨画家として名のある画家『雪舟』だ。
雪舟という画家には、絵の才能がどれほどだったかを現す有名なエピソードがある。
それはまだ彼が小さい頃の話。
雪舟は親に言われてお寺に預けられたのだが、彼は修行をさぼって絵を描くことに夢中な子供だった。
そんな様子を見かねた住職は雪舟を叱りつけ、柱に縛り付けてしまう。
将来偉大な画家になると言えど人の子なので、その時は子供らしく泣いてしまったのだが、なんと雪舟は足を使い、床に涙でネズミを書いたのである。
そして、様子を見に来た住職は、雪舟の近くにネズミが近付いているのを目撃し、慌てて駆け寄ると、それは精密に描かれた絵のネズミだと判明した。
それから、彼の絵の才能を認めた住職は自由に絵を描かせた、というお話。
私に絵の才能は無い。それは認めなくちゃならない。
でも、私は描いた絵を具現化できる。
雪舟がまるで「本物のような絵」を描くというのなら、私は「描いた絵を本物」にする。
でも流石に涙で絵を描くことはできない。ここにキャンパスと絵の具があるわけでもない。
何か描けるものが無いかと床を見れば、扉から今の私の位置に向かって轍みたいな跡が真っ直ぐできているのに気が付いた。
私は引きずられてここまで運ばれたらしい。
何故、轍のような跡が床に付いているのか。
それは床に埃がたまっているからであるからして。
そして、それが見えたのも今がちょうど夜で、唯一の光源が月明かりだったのもあると思う。
埃に絵を描けそう?
思いついた方法をすぐ実践し、降り積もった埃の上に人差し指を滑らせて線を引いていく。結露した冬の日の窓を指でなぞるように。
ただ、月明かりがあると言えどやはり暗いので、目視するために顔を近付けなくちゃいけないのが不快ではあるけれど、今のこんな状況で四の五の言ってはいられない。
……とまぁ思い付きで指を滑らせてはみたけれど、じゃあ何を描いたのかと言われれば特に意味もなく線を引いただけ。そもそも描けるかどうかを試したまでなんだけど、その結果として、めでたく線が引けることは判った。
これで何かを描けることは確定したとして、じゃあ結局私は何を描いたらいいのか。
まさか雪舟を見習ってネズミを描くなんてそんなことはしない。
そもそも私の描けるギリギリのネズミは版権もギリギリなので、描きたくても描けなかった。魔法のステッキでどうにかしてよ、なんてね……ははっ。
知っての通り、悔しいことに私が描ける物なんて限られているけれど、それでも一つ馴染があってそれでいて便利な物があった。
ピッキングツールだ。
お父さんが鍵屋さんなので、どういう道具を使っているのか私は何となく知っている。
私は鍵屋の娘なのだ。
そうと決まれば足早に。爪の先で埃を撫でながら頭の中にあるピッキングツールを描いていく。
〝描く〟というよりも〝削り出す〟と言った方が近いような気がするけど、そんなのは表現方法の差異でしかないのだからこの際どうでもよかった。
……よし! 描けた! それじゃあこれを能力で具現化してっと。
パッ――カラン!
それじゃあ鉄輪の鍵を開けようかな……ん?
私は自分の目を疑った。
両手が繋がっているのに、どうやって自分の手首にある鍵穴にこれを差し込むんだろうか?
私は自分の頭を疑った。
し、しまったー! 何が「鍵屋の娘」だよ! 道具を作れたってそもそも物理的に使えなきゃ意味ないじゃん!
恥ずかしくて死にそうだった。
私は能力を解除した。
その瞬間、さっき作ったピッキングツールは埃となって床に降り積もった。
そもそも具現化できるのは〝同時に一つの物〟だけだから絶対にこうしなくちゃなんだけど、それは別にしてもこんな恥ずかしいものを誰かに見られたくないという個人的な思いの方が強かった。
ああああぁぁぁぁ! 頭の中でリフレインする! ドヤ顔でピッキングツールを描いてた間抜けな自分が! 自分の愚かな頭が憎いいぃ! 恥ずかしすぎるうぅ!
その勢いでむしゃくしゃして、私は床に『馬鹿デカ万力』を描き、具現化して、それで鉄輪を破壊した。
もちろんスイッチはフットレバーで。
後から考えればいろいろ危ない手段だった気がするけど、今無事なんだからそれでいい。
思わぬ精神的負傷を負うことになったが、私は晴れて自由の身となった。
許せねえ……こんな恥をかかせた犯人を私は許せねえぜ。
今に見てろ、すぐに捕まえて然るべき機関にしょっぴいてやる!
―――………
教室から脱して廊下に出た。
教室同様にあちこちが古くなっていてボロボロだった。
多分この学校は廃校になってからだいぶ時間が経った建物なんだと思う。
廊下に蛇口と排水口があったり、傘立てなのか鉄の棒がはめ込まれている様子からして小学校っぽかった。
外を見る感じここは山中の学校のようだ。
窓から下を見て、地面までの高さから予測するに私が今いるのは三階な感じがする。
冷静になって、向かい合っている棟の窓の数を数えたら三つ分なので、どうやら合っていたみたい。
私の空間把握能力、いい感じだね。
先ほど能力で作った〝ナイフ〟を片手に廃校舎を徘徊する女子高生。
絵面はヤバいけど、それよりヤバいやつがここまで誘拐してきたんだ。よりヤバくなって対抗しなくてはならない。
そして今、私には二つの選択肢がある。
このまま三階を探索するか、一目散に一階まで下りて脱出を目指すのか。
まず、私があの閉じ込められていた教室から出たことを犯人は知っているのか。
今のところ監視カメラは見当たらないので、その可能性は低いと見てるけど……。
――ぴちょん。
「んんんっっっ!!!」
何処かで水滴が落ちる音がした。
危うく大声を出しそうになったけど、間一髪のところで我慢できた。
……いや、冷静になってみると真夜中の廃校舎、超怖いんですけど!
この前、小テストの追試が一生終わらなくて、最後、真っ暗な中職員室に行ったんだけど、その時も超怖かった。
だけど、廃校舎だと人がいた痕跡が微塵も無くて、温かみが全くと言っていいほどに無いのがより恐怖を煽ってくる。
校舎の無機質さと月明かりの冷たさが、蒸し暑い気温とは真逆の世界を創っているというか。
まるでこの世とは思えない感じ。
周りが森ならもっと虫の声とか聞こえてきて然るべきなのに、まるで冬の日みたいな静けさが続いているのも不気味だし。
そんな静けさが故に一歩踏み出せば、コツ、コツ、と足音が廊下に響いて、そのせいで見つかるんじゃないかと怯える始末。
よし、靴は脱ごう。
結果、靴とナイフを持った女子高生が爆誕した。
傍から見たら、〝誰かを刺し殺した後にそいつの靴を持って歩いている〟ようにしか見えない。
最悪の場合、〝襲撃に成功したやまんば〟とかいう不名誉極まりないあだ名を付けられる可能性もある。
いや、誘拐されたのこっちだからその名付けはおかしい。本当に不名誉すぎる。だからそうなる前に早く行こう。
……でもそうだ。私は誘拐されたんだ。
不意にそのことを自覚した。
誘拐。
――誘拐事件。
最近どこかで聞いた。
確か……そう、学校だ。先生が朝話してた。
その時は流石に他人事だと思っていたけれど、まさか近い未来に当事者になるなんて思いもしなかった。
ということは、だよ? もしかしたら、私の他にもここに連れてこられた人がいるのではなかろうか。
正義感は人並みにある。でも自分の身が可愛いのには違いないので、今すぐにでも逃げたい気持ちもある。
だし、別に逃げても非難されることじゃない。命あっての人生だもの。私は警察官でもヒーローでもなくただの女子高生なのだ。
逡巡した後、私は歩みを早くした。
そりゃあ、もちろん逃げるために。
――そう、全員で。
つまり、今すぐ逃げ出すのと遜色ないぐらいの早さで探索すればいい。
そうすれば万事解決、一石二鳥という訳だ。
窓ガラスにキラリと光るナイフの反射光が見えた。
月光はいつまでも私を照らし出している。
サーチライトのようにいつまでも。
―――………
おばけなんてないさ、おばけなんて嘘さ。
やけっぱちになりそうな精神状態を何とか宥めて、三階の教室を見て周る。
どの教室も鍵は掛かっていなかったので、鍵屋の娘の出番は無かった。
がらりと動く引き戸は私の通う高校よりも心なしか重かった。
教室に顔を覗き込んだ瞬間、誰かが立ってたりしたらどうしようと覚悟しながら確認する。
幸いと言っていいのか、もぬけの殻になった教室は一目で誰もいないのが分かるから、当初予想していたより早く探索を進められた。
コンコンコン、と律儀にノックしてから入ってるけど、震えすぎてコココココンってなっちゃってる。キツツキみたいになっちゃってる。
とまぁ、そんな頑張りが実を結んで、たった数分で三階の探索を終えることができた。
構造的に防音性能が高いからいるなら音楽室かなと思ったけど、見てみたら他の教室同様にもぬけの殻だった。
屋上は誰かを閉じ込めるのに向いていないので考えなくてよい。
となると次は二階だ。
階段まで移動し、上から見下ろすとそこには暗黒だけがあった。
踊り場には窓が無く、そこを差し当たって百八十度旋回してるせいで本当に暗い。
闇が段差を咥え込んでいるかのようだった。
それでも気合で下りるしかない。
私は深呼吸をし、腹に空気を貯めて気合と勇気で段差を下りていく。
ゆっくり、ゆっくり、下りていく。
下りていくうちに、この段差一つ一つが屋上の縁に思えてくる。
何回も飛び降り自殺しているようなそんな気分で足を前に出す。
暗闇なので本当に段差が無くても気付きようがない。
踊り場に差し掛かって旋回し、半分を過ぎた安堵と共に下の二階部分を見下ろすと、月明かりに逆光した何かが見えた。
ううん〝見えてしまった〟。
そう。
……人影が。
「はっ――」
私はすぐに息を止めて手すりの陰に身を隠す。
……よく叫ばなかった!
私は私を精一杯褒めてやりたかった。
バ、バレた? それともギリセーフ? というかそもそも人間? それとも幽霊を見てしまったの?
暗闇の中で一人不安に襲われた。
階段を上がってくる音は聞こえてこない。
でも、その場を離れる音も聞こえてこない。
しばらくじっとしていたがこのままでは埒が明かないと思い、意を決した私はおそるおそる手すりから顔を出して下を覗いた。
…………。
人影はいなくなっていた。
もしかしたら見間違いだったのかも。
でも警戒心を解いちゃいけない。ここが敵の根城であることは間違いないんだから。
姿勢を低くしてそろり残りの段差を下りていく。
――カサッ。
それは一瞬の出来事だった。
全く気付かぬうちに何かが上から落ちてきて――。
後頭部、主に頸椎へ衝撃を与え、その重さとともに私は前のめりになる。
段差めがけて、うつ伏せ状態で飛び出した身体。
嘘――駄目、受け身を取れない!
身体を捻ねろうとしても人間の私に空中で姿勢を変える筋力は備わってない。私が猫だったら――。
迫る段差の角。思わず目を瞑る。
――落下の衝撃と受け身とでぐちゃぐちゃに揉まれた挙句、制御出来なかったナイフがあばら骨の隙間を縫って横っ腹に突き刺さる。
……という想像ができた時にはとっくに能力を解除していた。
でも結局受け身が取れる地面が無い事実は変わらなくて――。
――ゴキ、ゴッ、ゴン、ゴロゴロゴロ。
「っ……」
床に倒れた後、右腕の痛みで正気に戻った。
脈拍のようにドクン、ドクン、と響き、その度に痛みが走る。
アドレナリンが出てこれなら後からもっとやばい。というか多分折れてる。
膝にも痛みがあって見ると皮膚が抉れていた。生傷に赤色が滲んで濡れている。
よろよろと起き上がろうとして四つん這いになると、床にぽたぽたと赤色の液体が垂れた。
鼻血だ。段差で打ったらしい。途端口の中に血の味が香った。
「ぐっ……はぁ、はぁ……いっ!」
起き上がろうとして両腕で身体を支えたけど、力んだ時に右腕が痛み、耐えられなくてバランスが崩れた。しかし、ギリギリで左腕に体重を預け、肘まで床に付いて何とか耐えた。
片腕でバランスを取りながら何とか立ち上がり、だらだらと鼻から流れる血を左手で拭った。
〝痛い〟し〝苦しい〟しで泣きたかったけど、涙はさっき私が脱出した教室で在庫切れだった。
私は目の前に立つカカシを睨む。
走って逃げることもままならない。
今これをどうにかしない限りは先へ進むことができないことを悟った。
もうこの際、幽霊でも人間でも怪異でもなんでもかかってこい!
このカカシ野郎の〝おかげ〟で怖さとかどうでもよくなった。
やってやる、アドレナリンが切れる前に終わらしてやんよ。




